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三好功一著「雑物園長の記」

2014年09月30日 | 地域の山野草
三好功一氏は「雄勝野草の会」の初代会長である。会員歴6年の自分は平成3年に亡くなられた三好先生との面識はない。しかし「雄勝野草の会」に入る前、昭和50年代から先輩達から三好先生のことは聞いていた。当時農業の自立、組合の再建等の日々の連続でそれほど野草にかかわることもなく過ごしてきた。会員になってから三好先生の関係した本を探していたら、このほど一冊の「雑物園長の記」(全)が秋田の古本屋にあることを知り手に入れた。

「雑物園長の記」(全)表紙と佐竹義輔氏の推薦のことば

第三部の「早春賦」我が家前庭の「ミニ野草園」の写真があった。この写真の左下に「こちゃるめるそう」の立札がある。果実が楽器のチャルメラに似ているからこの名がついたと云われるが、カタカナ書きの山野草の名に慣れたせいか、ひらがな書きで見るとなぜか別のものにも思えてしまう。

三好功一「ミニ野草園」全景

コチャルメルソウには以下の解説がある。
コチャルメルソウ Mitella pauciflora Rosend. (ユキノシタ科 チャルメルソウ属)コチャルメルソウは本州・四国・九州に分布する多年草。落葉広葉樹林の谷や斜面下部などの湿潤な場所に生育する。地下茎があり、群落を形成することが多い。葉は長さ2~5cmで長い柄があり、浅く5裂する。両面には立った毛が散生している。4月から5月にかけ、15~20cm程度の花茎をだし、5個前後の花を付ける。花の形はおもしろく、5つの萼の間から羽状に裂けた花弁が出ている。花茎や柄には腺毛が多い。種子はすぐに稔るようで、花が咲いたものもあれば、すでに種子が稔って果実が裂開しているものもあった。春早くから葉を展開して花を咲かせ、高木が葉を展開するまでの短い期間で種まで作ってしまおうということらしい。その後はじっくりと地下茎で確実な繁茂を目指している。


コチャルメルソウの果実  引用

「果実の形が楽器のチャルメラ似」から名がつけられた、見事な観察眼に納得してしまう。

145ページに「秋海棠全滅す」の記事がある。三好先生は大好きな花の一つと云う。我が家のシュウカイドウはあまりにも増えすぎてもてあましている。この花は20年ほど前、集落で環境衛生の消毒の当番になり、各家々を動力噴霧器を背負い家の周りを消毒して歩いた。主にハエの駆除が目的だった。ある家にいったらピンクの可憐な花が咲いていた。あまりにも印象的だったので少し譲ってくれないかと話したら、数日後数株届けてくれた。当時、花の名は知らず、後になってシュウカイドウの名を知った。


シュウカイドウと蜂 2014.9.10 自宅坪庭

ウィキペディアに次の解説があった。俳句では秋の季語として詠まれる。

秋海棠 西瓜の色に 咲きにけり  松尾芭蕉

この花の色は確かにスイカの色に見える。シュウカイドウの花からスイカを連想するしたたかさに脱帽する。花言葉は、自然を愛す、恋の悩み、片思い、未熟。「片思い」はハート形の葉の片方が大きくなるところからといわれる。盆過ぎから咲きだしたこの花に接すると秋の季節を実感し、そろそろ田んぼの収穫作業の準備に入る。

「雑物園長の記」の317ページに湿原探究報告(2)「刈女木湿原」--新種ガリメギイヌノヒゲ--の記事がある。冒頭に帯屋久太郎の名歌が記されている。 

 
ふるさとを愛するものは故郷の土となれよと啼く閑古鳥  久太郎

故帯屋久太郎は湯沢市出身の歌人 歌碑は湯沢城跡本丸にある。この歌碑を噛みしめて多くの湯沢市民は地元で、また湯沢をはなれて座右の銘にしているものと想われる。故帯屋久太郎は明治の末、詩人山村暮鳥と文芸誌「北斗」を発刊した。全国から寄稿者があって俳句では萩原井泉水、久米三汀などがおり明治45年7月15号で廃刊になった。山村暮鳥は当時、協会伝道師として湯沢に滞在した。

刈女木湿原は羽後町田代梨の木峠の近くで、出羽丘陵標高350mにある約1haの湿原。この湿原には春先「ザゼンソウ」から始まり、夏の「サワギキョウ」の群落がある。当時未開拓のこの湿原を「原生花園」と呼んでたびたび足を運んだ。昭和48年(1973)三好功一氏は刈女木湿原に土田治兵衛氏と野草の調査に行った際に、土田治兵衛氏がこの湿原でホシクサ科の「イヌノヒゲ」を採集した。その時はこの種名がわからず、佐竹義輔博士鑑定をお願いした。佐竹氏は日本の植物分類の権威者でホシクサ科は専門分野だったという。(佐竹義輔氏は明治35年(1902)生まれ佐竹南家の第18代当主、植物学者。日本高山植物保護協会会長で湯沢市名誉市民。2000年3月没97歳)

佐竹義輔氏の調査の結果、イヌノヒゲの新種であり学会に発表、和名「ガリメギイヌノヒゲ」学名Taiocaulon tutidae Satake が正式に認められた。学名のtutidae Satake は土田、佐竹の名からつけられた。

ガリメギイヌノヒゲ 引用

平成26年1月7日、湯沢市グランドホテルで開かれた「創立40周年記念祝賀会」で、「雄勝野草の会」会長の土田治兵衛氏はあいさつの中で、『野草の会40年で「ガリメギイヌノヒゲ」の発見と学名につけられた名を大きな思い出』として紹介した。山野草を愛でる人は多くいる。しかし、新しい山野草を見つけ、学名に自分の名前がつくというような人はほとんどいない。昭和50年(1975)に会館した秋田県立博物館に、秋田県で発見されたホシクサ科植物 「ガリメギイヌノヒゲ」と「コケヌマイヌノヒゲ」の標本など貴重な資料が保管されている。発見から学名「Taiocaulon tutidae Satake」登録が早く関係者の熱意が見える。尚「コケヌマイヌノヒゲ」は湯沢市木地山高原にある苔沼で発見された固有種。どちらも植物学者。日本高山植物保護協会会長の佐竹義輔氏の功績は大きい。

こよなく山野草を愛でた、三好功一氏の昭和51年5月25日NHK秋田、ラジオ放送で放送した「西栗駒の湖沼群」を載せている。最後に以下のことばがあった。

 果てしない私の夢を
 それは
 ふるさとの湿原
 苔沼
 田代沼
 刈女木
 野草と語ることが余生を生きる私のたのしみ


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3 コメント

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Unknown (和枝)
2024-06-10 17:38:03
功一は私の父。私は植物は大好きだが、名前は全然。子どもたちやいろんな人たちと植物採集に出かけていた父。私は一度も行った事がない。湯沢を離れてから父について行かなかった自分を悔やんだけど。
ふと目にとまった文。懐かしさでコメントを書いてしまった。
もうすぐ後期高齢者。向こうに行ったら父についていかなくっちゃ。
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コメントありがとう (麓風)
2024-06-12 08:39:09
コメントありがとうございます。この頃「ぶろぐ」からご無沙汰なのだがどういうわけか私の「新河鹿沢通信」の過去記事を開いてくれる人が多くなって驚いている。一日に100回を超えることも珍しくなくなった。それぞれの投稿に想いが深く、「三好先生」へは私の恩師でもある「鶴田知也」先生との交流も雄勝野草の会設立当時からの先輩のみなさんから聞いていた。雄勝野草の会設立から50年、設立当時の会員はリタイヤ。「雄勝野草の会」は実質解散状態になっています。残念でなりません。今回コメントいただいて救われた感があります。いつか「三好先生」の当時のエピソード等聞けたらさいわいです。今回はホントにありがとうございました。
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Unknown (和枝)
2024-06-14 21:24:31
父との思い出
父は音楽も大好きで歌うのが好き。早春賦が十八番。私がオルガン兄がギター家族で音楽会を。
ビアニカでの演奏も好き。早池峰山の頂上でビアニカを演奏している写真はずっと壁に掛かっていた。誰が写してくれた?
西馬音内に下宿していた時は、盆踊りの輪の中に入って行ったそうだ。
湯沢の力水の回りにシダ園を。
父から叱られたことは?ただ唯一庭で飼育していたヒメダカに小石をのせた時は怒られた。
数十年前の思い出がいろいろと。懐かしい。
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