前回の「山神社修復と神体 1」で次回「山神社修復と神体 2」で詳細を報告する予定だった。田植前の代かき作業、そして田植と連続する作業の中で訃報が入った。昭和63年「稲川有機米研究会」設立に率先して参加した「k」君。同年の「S」君とは中卒以降「農業基本法」世代、研修や青年会活動は一緒だった。米とトマトを作りながら地場産業の「漆器店」に定年まで務めた努力家。二人とも同じ地域、体調をくずしていたことは知っていたが、、、。
「山神社修復と神体 2」の作業が終わっているのだが、もう少し検討の余地があり次回にすることにした。葬式、田植作業が重なりやっと5月24日、自宅と仲間の田圃合わせて3haの作業が終わった。昨年の米価暴落で「米つくり」を止めた等が聞こえてくる中での田植、「農」だから「田んぼ」がある限り稲を植える作業を続ける。暑すぎる天気の中で24日、神棚に「あきたこまち」の苗とお神酒で「田植の報告」をした。
2015.5.24
神棚は何時の時代からのものかはわからない。毎年大晦日前の大清掃で神棚に「天照皇大神宮」の御札を納め新年を迎える。天照皇大神様の御札「神宮大麻」(じんぐうたいま)は明治になって氏神様に仕える神主が氏子に配るようになったといわれている。神棚は「神宮大麻」を納めるために作ったとすれば約150年ほどになる。神棚は質素なもので我家の歴史を見つめてきた。田植は農家にとって一年の覚悟の始まりかも知れない。
「山神社修復と神体 2」の作業が終わっているのだが、もう少し検討の余地があり次回にすることにした。葬式、田植作業が重なりやっと5月24日、自宅と仲間の田圃合わせて3haの作業が終わった。昨年の米価暴落で「米つくり」を止めた等が聞こえてくる中での田植、「農」だから「田んぼ」がある限り稲を植える作業を続ける。暑すぎる天気の中で24日、神棚に「あきたこまち」の苗とお神酒で「田植の報告」をした。
2015.5.24
神棚は何時の時代からのものかはわからない。毎年大晦日前の大清掃で神棚に「天照皇大神宮」の御札を納め新年を迎える。天照皇大神様の御札「神宮大麻」(じんぐうたいま)は明治になって氏神様に仕える神主が氏子に配るようになったといわれている。神棚は「神宮大麻」を納めるために作ったとすれば約150年ほどになる。神棚は質素なもので我家の歴史を見つめてきた。田植は農家にとって一年の覚悟の始まりかも知れない。