集落と国道398号線を結ぶ道路が約50年ぶりに舗装されることになった。8月の盆前、朝の「田めぐり」で知る。事前に広報等で発表されていたこととは思ったが見逃していた。看板を立てられた直後、担当になった業者があいさつに来た。道路側耕作者には直接、集落全体にはチラシで通知するという。
道路舗装の看板と道路の状況
この道路は昭和49年圃場整備事業で新しくなった。集落と国道398号線を結ぶ道は主要な道路で交通量も多く、子供たちが学校に通う通学路でもある。
旧道は、集落からやや北西に進んで隣集落に向かっていた。新しい道路は圃場整備事業で造成され、集落から真西に進んで隣集落へは途中で直角に曲がって入るようになった。新しい道路はすべて元は田んぼ、水路、土手の上となった。
整備の終わって間もなく道路は毎年のように穴ぼこになった。写真のように道路の表面は常に「亀甲」状態。幾度となく再舗装の要望を当局に出したていたが、穴あきが進むとその部分を補修工事で過ごしてきた。
平成17年合併で湯沢市が誕生。旧稲川町から広域合併で市町村が大きくなると住民の要望はなかなか当局には届かなかった。
舗装前の道路は亀甲模様状態
春になると至る所にアスフャルトがめくれアナボコ状態が続いた。写真にみられるような道路表面の亀甲模様は、かなり早くから見え始めていた。写真の亀甲面に囲まれた真っ黒の面は今年補修された場所。軽自動車のタイヤは小さくこの穴ぼこの道の運転は常に要注意だった。穴ぼこが多いのでまっすぐに走行できなかった。さいわい大きな事故はなかった。
道路が新しくなったのは圃場整備事業によってできた。下記は昭和46年農家に配布された計画概要
上記の計画書が昭和46年に配布され、私の地域は稲川2区(五ケ村)に入り昭和48年に工事実施地域に入り工事始まった。大型のブルトーザーがうなり声をあげ工事の始まった田んぼは異様な光景に見えた。
工事風景 現スーパーよねや付近 雄長子内岳 大館集落
にぎやかな重機の作業音は集落内をに響いていた一方で、集落内は大きな喧騒下にあった。喧噪の工事後の来年度作付けのために割り当てられる田んぼの「一時利用地」設定が大きな関心ごとで揺れていた。
「一時利用地」は工事終了後の「本換地」め前の作業だった。圃場整備事業に当たって作業後の耕作地の「本換地」に当たって、集落内では協議により。圃場前の農地の等級設定のための「評価員」、評価後の換地のための「換地員」が耕作者から選ばれ作業に当たっていた。作業が進むと「農地評価」、来年度作付けの「一時利用地」の設定不満が続出し、集落内は異様な空気に包まれていた。
一部から工事方法に不満が出ても土地改良区を中心に当局は「県営事業」だから問題ないと繰り返すのみだった。
喧噪の集落内で私はある日、ブルトーザー唸り声の田んぼを回って工事のやり方に驚いた。一角30アールの田んぼの畦畔、さらに道路、農道はほとんどが今まで耕作されていた表土、水路は水が流れてをそのままにブルトーザーに押し出された土で水しぶきが上がっていた。田んぼは「宅地造成方式」で造成されていた。積み上げられた表土中心の道はとフカフカの状態。仮に道路造成で転圧されても今まで耕作されていた表土の中心の地盤はに大きな不安が残った。
完成されたとする圃場は工事当時危惧した欠陥が露出した。面工事重視の圃場には想像されない欠陥が続出した。学習会を頻繁に開いていた私たちグループは、昭和49年8月前年工事地域を含めた稲川町17集落から170名が終結し、「稲川町圃場事業を良くする会」を結成した。活動の詳細は別の機会に回したい。 詳細は 講座/日本農民 1「現代の農民一揆」「官製欠陥田はゆるさない」たいまつ社刊編薄井清(1978.7)
2023年9月、49年ぶりの道路の再舗装が終わった。
舗装された部分
出来上がった道路は市道「野村・川連線」1699.4ⅿ、幅5.72ⅿ中田んぼの部分約450ⅿにあたる。本格的な路床工事ではなく、元のアスファルトの除去した後の路盤を整地し、自走式の建設機械で整地、転圧した簡易的な工事にみえた。
穴ぼこ道路に辟易しながら数年たち、今回再舗装の知らせは明るいニュースには違いがなかったが、村の人々から大きな拍手があったわけではない。亀甲模様の穴ぼこ道に長年悩まされてきた姿から急激には脱却は出来ないでいる。
工事業者は公共工事の予算が少ないので比較的な改修工事という。村の評価は位置的でも改修工事を評価しつつも、亀甲「穴ぼこ」道路になるのも時間の問題だとの声も上がっている。
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