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刈上げの節句と醜女

2009年11月16日 | 足跡
昨日11月15日は旧暦の9月29日、秋の収穫の感謝をする刈り上げの節句と呼ばれ、当地方では前日に餅をつき、産土の神社や村の神様にお参りをする。

大先輩の住む山形県上山市牧野地区では,集落をあげて前日に各家々で餅をつき当日山の神様の境内で「餅あぶり」をし、田んぼの神様から今度は山の神様へ五穀豊穣の感謝と山の木を守る神さまへの祈りの祭りをしているという。

山の神さまの祭典は私の地区では,旧暦4月12日だったが現在は新暦で5月12日頃の日曜日に執り行い、田んぼの神さまとなる。春先に田んぼの神さまになり収穫の終わった秋から冬にかけて山の守り神となるのだ。「山の神」神社は日本中各地にあって、ほとんど同じように解されているが、近年農業情勢の急激な変化にこれらの行事は埋没しかけている。

日本いろは事典によれば五節句の「節」というのは、唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目のことです。暦の中で奇数の重なる日を取り出して(奇数(陽)が重なると陰になるとして、それを避けるための避邪〔ひじゃ〕の行事が行われたことから)、季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓うという目的から始まりました。この中国の暦法と、日本の農耕を行う人々の風習が合わさり、定められた日に宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになり「節句」といわれるようになったそうです。

五節句には、3月3日、5月5日のように奇数の重なる日が選ばれていますが、1月だけは1日(元旦)を別格とし、7日の人日(じんじつ)を五節句の中に取り入れています。「五節句」の制度は明治6年に廃止されましたが、今での年中行事の一環として定着しています。

3月のひな祭り、5月の端午の節句、7月の七夕まつりなど制度が廃止されようが根付いている行事だが、旧暦9月の重陽の節句は多くの人たちから遠くなりつつある。

先日こんなことがあった。
新政府は事業仕訳の真っ最中、八ツ場ダムを始め多くの公共工事のあり方にメスを入れだした。10月の下旬、横手市で当地方で建設計画のある「成瀬ダム問題全国大会」が開かれた。

遠く長崎、熊本川辺川ダム、設楽、徳山そして八ツ場ダム関係、北海道サンルダム関係など全国各地からダム建設中止を求めている団体が一堂に会した。
紅葉真っ盛りの成瀬ダム現場やダム完成によってダム湖に沈んでしまう「赤滝」などを視察した。

赤滝にある赤滝神社は今から430年程前に岩崎城の能恵姫が川連城の若君へ腰入れのとき皆瀬川筋で竜神にさらわれ、今なおこの赤滝の滝底にいるといわれる。
ダム計画中止を求める運動の一つのシンボルでもある。

熊本の川辺川ダム反対組織のA氏が一言
「なぜ、神社の主に女性が多いのだろう」と言う。
そう言えば
「山神社もほとんど女性で、しかもシコメだそうだ。だから山の神は女性を嫌う」と話したら、東京から来た若い女性は
すかさず
「シコメとはなんですか」と言う。
一瞬振り返って
「そう言われても、、、」と誤魔化してしまった。
シコメとは醜女(しこめ)のことだ。とは言いそびれてしまったのだ。
今の時代、話言葉にシコメなどと言う語はないのかもしれないし、一般的に言う「ブス」などと形容する言葉とはあまりにも大きく違うように思う。

山の神はあのグロテスクな顔の「オコゼ」と言う海魚が大好物だ、ということを知るとなるほどなどと変なところで納得してしまう。
秋田県神社廳の神社暦によれば山の神には「木花咲耶姫」をあてているが、「木花咲耶姫」の姉は「石長姫命」と言い醜女だったという。この「石長姫命」が主(ぬし)説の地域もあると言う。

刈上げの節句、山の神、ダム問題など欲張った文になってしまった。いずれひとつひとつもう少し掘り下げて書いてみたい。

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