あさきた神楽公演に行く~!
(第10回特別公演)
2/3(日) 安佐北区民文化センター 11:00開演
出演 筏津神楽団
筏津神楽団 (北広島町)
発足は、天保13年(1842)筏津若衆連によって神楽奉納されたと、
地元枝宮八幡神社伝記に記載されております。
矢上系旧舞を基本として、昭和に入り高田舞(新舞)を美土里町の団員から習得、
受け継がれてきました。
演目
1、黒塚
那智の東光坊の山伏、阿闍梨裕恵は、剛力を伴い修行の途中、下野の国那須野ヶ原の
黒塚にさしかかったところで、日が暮れてしまい、野宿することになった。
裕恵らは就寝中、何か物の怪にとりつかたようになり、里人にこの辺りに悪狐
が住むということを聞いた裕恵らは法の遺徳をもって立ち去ろうとするが、女に化けた
悪弧と格闘となり剛力は食われ、自らはかろうじて逃げ去った。
この後、勅命を受けた三浦ノ介、上総ノ介によって悪弧は退治される。
競演ではありませんから、客席に悪弧が降りるサービスもありました。
出演
大塚神楽団 (北広島町)
大塚神楽団の発足は明確だはありませんが、明治30年代頃と言われ、その起源は
島根県石見町矢上の「矢上神楽」と伝えられています。
旧舞として受け継いできましたが、昭和20年代後半に旧千代田町より新舞が
伝えられ、その後、新旧両舞を伝承してきました。
演目
2、戻り橋
平安中期、京の都は長雨・悪疫・盗賊の横行など不穏な世情が続き、夜な夜な妖鬼が
出没して良民達を苦しめていました。
都の警護の任に当たっていた源頼光は、四天王の一人、渡辺綱に妖鬼を鎮圧するように
命じ、綱は都戻り橋に赴き、茨木童子との格闘をする途中、酒呑童子の加勢に会い
窮地に追い込まれます。
そこに同じく四天王の一人坂田金時が石清水八幡のお告げにより駆けつけ、格闘の末
茨木童子の左の腕を切り落とし童子たちは虚空飛天の妖術をもって大江山へと飛び去っ
て行きます。
2月3日は節分の日とあって「豆まき」のサービスが途中、ありました。
12:50
ここで、30分休憩になりましたので、長くなりましたので続きます。
続きます・・・
(第10回特別公演)
2/3(日) 安佐北区民文化センター 11:00開演
出演 筏津神楽団
筏津神楽団 (北広島町)
発足は、天保13年(1842)筏津若衆連によって神楽奉納されたと、
地元枝宮八幡神社伝記に記載されております。
矢上系旧舞を基本として、昭和に入り高田舞(新舞)を美土里町の団員から習得、
受け継がれてきました。
演目
1、黒塚
那智の東光坊の山伏、阿闍梨裕恵は、剛力を伴い修行の途中、下野の国那須野ヶ原の
黒塚にさしかかったところで、日が暮れてしまい、野宿することになった。
裕恵らは就寝中、何か物の怪にとりつかたようになり、里人にこの辺りに悪狐
が住むということを聞いた裕恵らは法の遺徳をもって立ち去ろうとするが、女に化けた
悪弧と格闘となり剛力は食われ、自らはかろうじて逃げ去った。
この後、勅命を受けた三浦ノ介、上総ノ介によって悪弧は退治される。
競演ではありませんから、客席に悪弧が降りるサービスもありました。
出演
大塚神楽団 (北広島町)
大塚神楽団の発足は明確だはありませんが、明治30年代頃と言われ、その起源は
島根県石見町矢上の「矢上神楽」と伝えられています。
旧舞として受け継いできましたが、昭和20年代後半に旧千代田町より新舞が
伝えられ、その後、新旧両舞を伝承してきました。
演目
2、戻り橋
平安中期、京の都は長雨・悪疫・盗賊の横行など不穏な世情が続き、夜な夜な妖鬼が
出没して良民達を苦しめていました。
都の警護の任に当たっていた源頼光は、四天王の一人、渡辺綱に妖鬼を鎮圧するように
命じ、綱は都戻り橋に赴き、茨木童子との格闘をする途中、酒呑童子の加勢に会い
窮地に追い込まれます。
そこに同じく四天王の一人坂田金時が石清水八幡のお告げにより駆けつけ、格闘の末
茨木童子の左の腕を切り落とし童子たちは虚空飛天の妖術をもって大江山へと飛び去っ
て行きます。
2月3日は節分の日とあって「豆まき」のサービスが途中、ありました。
12:50
ここで、30分休憩になりましたので、長くなりましたので続きます。
続きます・・・