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色んな出来事を載せています、見てくださいね!

ひろしま歴史街道散策会に参加する!(あき亀山コース)

2024-05-17 20:33:55 | ひろしま歴史街道散策会
ひろしま歴史街道散策会の5月例会で参加しました!
令和6年5月18日(木) JR可部線あき亀山駅 14:00 集合 22名参加。
散策経路 
 ~伊勢神社~灰川橋~誓立寺~総社大明神~と徳行寺~杉薬師医王寺~帆待川~
 
 あき亀山駅は、元三段峡線廃止となった時より、可部駅より旧河戸駅まで、
 今年で8年目の延伸で再開された可部線駅です。
 この辺りを古くは四日市村と称し、可部の荘に含まれた地で、戦国時代には、この一帯を
 「河戸」称した。
 

 伊勢神社、旧河戸駅、灰川と散策しながら、「誓立寺」に来ました。

◎ 誓立寺 ・浄土真宗本願寺派
 上四日市村にあり、慶長元年、僧長音開基。
 禅宗なりしが、正徳2年、僧乗休により真宗に改宗。
 本堂に上がれせてもらって、住職の有難いお話を聞く。
 特に印象に残ったのが、” 両手の手の内の皺を合わせて、皺合わせで、幸せで合掌。
 両手の拳の指の節を合わせて、不幸せ” 




◎ 総社大明神
  住宅地の中に、「総社大明神」がある。創祀年代は不詳であるが、神武天皇が東征の際
  に逗留された地に祀ったのが始まりと伝えられている。
  中世には、安芸の国の守護武田氏代々の祈願所となった。


◎ 徳行寺 浄土真宗本願寺派
  下四日市村にあり、もと真言宗にて、村内総社の別當でしたが、慶長6年、僧了念により
  真宗に改宗。
  本堂に上がらせてもらい、住職のお話。
  近所に今の大相撲の力士が出ており、応援しており、横断幕も掲げているような話もあり。




 ( 途中で見かけた、ホタルブクロ?かと思った花が、Googleで「キツネのテブクロ」
   と出てびっくり??)

 ◎ 医王寺
  医王寺の由来
  この地が、広野であった時、一本の杉の大木があった。
  ある時、一夜のうちに杉の大木が失せたので、近くの里人が行ってみると、大木が数々の
  仏像となり、杉の切り口には松の枝が一本さしてあった。
  人々は驚いて、この像を携えて四方の名師高僧に訪ねたところ、この像は薬師如来で、脇士
  は観音・勢至・他は十二神で行基の作と教えられた。
  人々は一堂を建立し、緒人の尊崇をあつめたと伝わる。

  


 ご真言  ” おんころころ せんだり まとうぎそわか ” 

神武天皇が帆をかけて川を登ったとされる「帆待川」を歩きながら、解散地の「河戸帆待川駅」
に行きます。



 駅付近の「可部線延伸」記念のマンホールもあります。
 電化延伸6年目の令和5年のものです。


 約2時間、住宅街の中を歩きましたが、北側には太田川が流れており、あの当藩の絵師
 「岡眠山」が太田川をいかだで帰路に就いた最終地でもあり、描いた太田川の梁瀬の場所も
 近く、歴史を感じながらの四日市村を忍んでの散策になりました!


 16:00 解散でしたが、私は、同行した友人と近くの喫茶で「お茶」しました!
 ほんまに久しぶりの「ミニチョコレートパフェ」です!!

 友人は白玉をいただき、暫しゆっくりしてバスセンター行きのバスで帰宅です。
 皆さんお疲れ様でした。

 
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歴史街道散策会(中山~戸坂)に参加!

2024-04-19 18:30:15 | ひろしま歴史街道散策会
歴史街道散策会、今回は「古代山陽道、中山~戸坂)コースを歩きました。
広島駅新幹線北口、13:30 集合 17名参加
新幹線北口のバス停から、戸坂東浄団地行きのバスで移動、中山集会所前で降りました。
ここから古代山陽道、中山峠を戸坂方面に歩きました。
中山峠はかなり急登で途中休みながら、右坂下に「JR芸備線」を観ながらの散策です。





丁度、JRの電車が通過していきました。


約30分で頂上付近に到着しましたが、
峠の頂上付近が、中山と戸坂の分岐点になります。
コンビニの前で、昔は人はどんな人がこの急坂を登り、どんな人たちが通過していったのだろうかと…
皆さんで暫し休みました。

戸坂の通リはずうっと下りになります。
途中、目の前にそびえる山が「戸坂城跡」「戸坂入道道海の墓地」になります。
山頂には山城跡がある。
往古この山頂一帯に山の民族が穴居していた。
山民族は自分たちの守護神である大山衹の神を祀り、その後、長年月にわたり代々の子孫が
氏の神をあがめ祭った。
戸坂入道もまた、この山を拠点にし、この神を崇拝し、武運長久の祈願所とした。
武田氏の有力家臣であった戸坂入道道海は天文9年(1540)に自害している。
戸坂の坂を往来するときに、入道が放屁したので、戸坂というようになった。
(案内の先生談) 



古代山陽道を歩いておりましたが、昔の大通リだった証明の「福屋」の古い看板が物語って
います。






古代山陽道を歩き、途中の「三宅神社参道入口の石燈籠」
三宅神社は, ご祭神:八幡三神(応神天皇、仲哀天皇、神官皇后)
    明徳3年(1392)に八幡宮を勧請したといい、さらに文禄3年(1594)
    再興、神社は戸坂川を挟む大上、数甲、山根、惣田、出江を担うことになった。
      
 


民家の「ぼたん」がきれいでした!



公民館前の「札場の石」
 札場という名前が示す通リ、なにか村人に知らせがあるとき、そこに「お触れ書き」
 が掲示された。
 この大きな石は背中に背負った荷物をあずけて休む都合のいい場所であった。
 この石は平成の大合併で公民館前に移された。



以前、中央公民館に在籍されていた方が戸坂公民館の現在の館長さんであるということで
公民館で歓待されての休憩になりました。



しばらく公民館で談笑しながら休憩して、戸坂川のそばの古代山陽道を「戸坂千足」まで歩き
「千足バス停」で今日の散策会はおしまいでした。
暑かったですが、休憩を充分とりながらの散策でしたが、このところ急に暑くなり、身体の方が
ついていけない状態で、なにかぐったりでした。(汗)

帰宅したのは、16:30でした。
皆さんお疲れ様でした!
 

  【 追記 】
散策会の帰路、バスを降りて我が家に帰宅途中で見かけた、「アマドコロ」「オオデマリ」
「スイセンアヤメ」? というのかな?
黄色い花が」映えています!






 パソコンが新しくなって、ようやく何とか使えるようになりました。
 頑張ります!

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ひろしま歴史街道散策くらぶ(6-1月)に参加!

2024-01-19 15:40:20 | ひろしま歴史街道散策会
ひろしま歴史街道散策くらぶ、散策会に参加する!
R6-1/18(木) JR宮内串戸駅 13:30集合 集合後バス移動 21名参加
 散策会   「西国街道と宮内界隈
 散策経路   津和野街道分岐・夜泣き石~佐原田権現社~宮内天王社~
        専念寺・宮内一里塚

 案内人   佐々木卓也指南役
 
 串戸駅前からバス移動で、下畑口で降り、西国街道・津和野街道分岐点に到着
 21名の参加で、賑やかでしたが、生憎の雨の中、元気に歩きます。
 
 ◎ 夜泣き石(津和野街道分岐の道標)
   通称 夜泣き石と呼ばれる。夜になると鳴くという伝承。
 


 ◎ 佐原田権現社   
  1739年(元文4年)将軍徳川吉宗の時代に建立した時の棟札が発見されている
  周辺の山の整備の折り、ハート形の竹を発見、伐採後当社に奉納されている。




 雨が一時、激しくなりましたが、津和野街道・西国街道をくねくねと、県道を
 何度も行ったり来たりして歩きました。



 
 ◎ 道路開通記念碑 (津和野街道)
  津和野藩、参勤交代の時もこの街道を通っていた。


 ◎ 宮内天王社 
  神武天皇御東征のおり、立ち寄られた所が「天王社」と呼ばれ、津波以後現在の
  場所に移されています。
 
 





境内の大木は、「ムクロジ」と言って実が沢山なっていましたが、果肉は石鹸として利用
され、中の黒い種は「羽子板」の羽の玉として利用される。

 ◎ 宮内市民センター 
   トイレ休憩で立ち寄り、少し休憩です。


 「左九州」「右石州」の道標。
 センターの真ん前にあり、

 
 ◎ 専念寺

  南光専念寺は浄土真宗本願寺派の寺院。
  ご本尊:阿弥陀如来立像
      かって速谷神社供僧12坊の一つといわれた真言宗龍口山真福寺の住職
      了源が、弘治元年(1555)に浄土真宗に改宗、現在の山号寺号に改名
      大変立派な屋根瓦が印象的な専念寺には、旅人の休憩にと茶店が設けられて
      いた。


 庫裏の石庭が素晴らしい!



 ◎ 宮内一里塚跡
   専念寺前には一里塚跡の碑
    裏面には、「本標は広島元橋里程原標より四里の塚である」と記されている。
  
 


 一里塚跡碑を後に西国街道をテクテク歩き、途中、神武天皇が宮内に立ち寄られたと言われ、
 流れる川を「御幸川」(2級河川)を見ながら、解散地「JR宮内串戸駅」に戻って
 来ました。
 



 結構歩きましたが、串戸駅、16:15 解散となり、三々五々、帰宅の路に付き、
 16:19の山陽本線白市行きのJRで帰宅しました。
 雨も上がっていましたが、約2時間の宮内界隈を楽しく散策しました!
 皆さん、お疲れ様でした!          END

 
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ひろしま歴史街道散策くらぶ・散策会に参加!

2023-12-22 15:51:50 | ひろしま歴史街道散策会
ひろしま歴史街道散策会に参加!
令和5年12月21日(木) 上深川駅 14:15 集合  16名参加
  「三田往来と木の宗山山麓
 散策経路
 吉川興墓所~友光八幡神社~森の木神社~正現寺~松尾八幡宮
 案内 佐々木卓也氏
  


 ◎ 上深川駅  → 芸備線
  昭和中期に開業、車社会となった今でも地域交通の核となっている
 


 ◎ 吉川興経公墓所
  吉川興経公は1550年、「悲劇の武将」としてこの地で果てた。
  ここは吉川興経公の胴塚であり、墓石はなく石が積み上げてある。



 ● 古代、中郡古道、狩留家に続いている。



 ◎ 森の木神社
  昔ここに小さな森があり、この祠が森の中にあった事から「森の木」と呼ばれている。
  正しくは「鉾垂大明神」の名称で吉川興経を祀る神社。



 ◎ 友光八幡神社
  ご祭神:玉依毘売命 品陀和気命 息長帯比売命
  拝殿正面の柱の下に「天の邪気」を刻んだ地覆石があり、神社にあるのは珍しい。





 ◎ 正現寺 → 浄土真宗
  浄土真宗本願寺派のお寺で、「真倉山・正現寺」と呼ばれていた。
  1930年に現在の地に移された。
  銀山城・武田氏に師事し格式の高さを感じた。
  本堂に上がらせて頂き、武田の「紋」の入った屋敷も見学した。
  




 ◎ 松尾八幡神社
  主祭神 :誉田和気命 天照大神 素戔嗚尊
  阿弥陀如来が安置され、神仏習合の名残か?
  1600年中頃、松尾城跡に建立された由緒ある神社。
  秋祭りには小河原火舞保存会を中心に「子供神楽火舞」の奉納が行われている。



 午後16:20
 ここで本日の散策はお終いです。
 小河原広島バス車庫迄歩き、
 16:30発の広島バスセンター行きのバスで皆さん帰路につきました。
 低気温の中の散策でしたが、友光八幡神社の急階段はきつかったですが、皆さん元気に
 最後まで元気に歩き、今年最後の歴史街道散策会も無事終了です。
 一年間、皆さんお疲れ様でした!            END

                    
コメント (2)
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ひろしま歴史街道散策くらぶ(中筋~千足渡し跡)に参加!

2023-10-20 09:28:45 | ひろしま歴史街道散策会
ひろしま歴史街道散策くらぶ10月例会に参加する!
令和5年10/19日(木)13:30 アストラムライン中筋駅集合 22名参加

散策会「想定古代山陽道と東野界隈」
散策経路 
  想定古代山陽道~川の内用水~東野公民館~東野国民学校~善教寺
  安芸大橋~千足渡し跡

◎ 想定古代山陽道  → はっきりしないので想定です、福島正則(2代廣島城主)
             による山陽道整備される以前の古代山陽道。





 ◎ 川内用水 → 農業用水路
 



 ● 悲母観音 → 詳細不明

 ● ブーゲンビリア → 民家の花壇に赤く目を引く


 ◎ 東野公民館 → この辺りを北の庄(きたん庄)と呼ばれる
   小休憩、説明を受ける。




 ◎ 東野国民学校跡 → 門柱が残っている


 ◎ 善教寺 → 浄土真宗本願寺
  元は禅宗で彼岸院と称したが、長享2年(1488)宗教円の時に真宗へ改宗
  前山山と号し、善教寺と称しました。
  広島超泉院の末寺です。
  門前の大木斛の木には赤い実が沢山付いて綺麗です。




 本堂に上がらせて頂き、おまいりし、説明を受けました。
 本堂の廊下につってある梵鐘は、元老5年(1692) 藤原宗久という鋳物師の作。
 戦時中の供出を免れたこの鐘には、2体の天女とその鐘を取り巻く唐草模様が施されて
 います。
 境内の3体の親鸞聖人像。



 ● 戦後に建てられた戦役者慰霊之碑 (昭和35年)

 ● 古代山陽道 → 東野から戸坂を経由で中山峠に続く道。




 ◎ 安芸大橋 → 自動車専用橋梁、下流側にトラス式の歩道橋を併設、
  全長365m  遥か彼方に宮島が望まれる。




 ◎ 千足の渡しの跡 → 中山峠に続く古代山陽道。
 


 15:30
  ここで本日の古代山陽道めぐりは、終了です!
  川内用水の流れ、住居が立ち並び景色が変わった中筋~千足の散策でした。
  皆さんお疲れ様でした!
  8800歩、5.1kmのスマホの歩数計でした。     END

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ひろしま歴史街道散策くらぶ(12月散策会)に参加!

2022-12-16 16:16:30 | ひろしま歴史街道散策会
広島歴史街道散策会(下深川~中島)コースに参加!
令和4年12月15日(木) JR下深川駅 13:30 集合 16名参加
散策会 「三田往来と深川筋
散策経路 
    下庄街並~深川橋~船宿跡~小祠~善徳寺~旧道~尾和神社~
    根の谷川~友広神社~超圓寺


案内人 佐々木卓也指南役 
 13:30 JR下深川駅(大正3年(1941)に設置)を出発
 ◎ 下庄(深川)街並み

 
 

 ◎ 深川橋
   三篠川に架かる深川橋 (善徳寺に参る、旧深川橋が並んでかかっていた) 


 ◎ 船宿跡
  善徳寺前の舟宿と(河野の浜)
  川舟が入っていた、川舟の盛時には30人から50人の船頭が泊まったと言われる程。





 ◎ 小祠
  農業の神様とも水神様とも考えられている。


 ◎ 善徳寺(銅亀山) → 浄土真宗本願寺派
  天文21年(1552)佐西郡石内の住山村平兵衛の倅超印が開基したと言われる。







 天井絵図は門徒が捧げたもの、
 改築前の龍の最古の絵図も天井に残されている。



釣鐘は銅製のもの、善徳寺を囲っている石垣は江戸時代のもの。



 境内の「イヌマキ」は保存樹。

 ◎ 尾和神社 (金比羅神社)
  八幡宮であったが亀崎神社に合祀され、以後は「金毘羅さん」を祭神とする。
  尾和城跡(宮首城)と言われる。

 

 (林の中の急登をハアハア言いながら登って行く。)

 




 ◎ 三田往来の一部 (旧道)


 (根の谷川、三篠川が太田川に合流)

 



 (友弘神社に向かう途中の桜かと思えるサザンカ?)


 ◎ 友広神社 → 際神 応神天皇、他2柱
  厳島神社とも深い関係持つ。
  大正期の洪水では本殿まで水に浸かれ、地上げをして再建された。
  境内の大イチョウは広島市の天然記念物。

 





 ↑ 釣鐘は神社では珍しい。
 国土地理院の水重点があり、標高(海抜面からの高さ)17,3625m


  中島大権現
 中島の大権現とのみ書いた石搭と左側の小祠、
 島原の乱でキリシタン弾圧の軍勢を幕府が各地から集めた際、中島村からも
 百姓の甚五郎も参加、幕府軍の元で殺伐を繰り返すうち、仏教信仰の強い彼
 は煩悶し悔悟し、ついに戦地で発狂し、帰郷。
 病の回復を願って親兄弟・地元民が建立した。




 ◎ 超圓寺 → 浄土真宗
  開基は500年ほど前。
  現本堂は明治42年の再建。
  広島浅野藩とも縁が深く2代から5代までの藩主の位牌も納められている。




↑ 本堂の前の門扉も2重。
 境内の「臥竜松」と呼ばれる黒松は枝振り、幹の大きさとも圧巻。
 広島市の保存樹に指定されている。



16:10
解散地の「中島駅」に到着。
特別に参加した友達ともここでお別れ、いつものメンバーで楽しい散策でした。
風もなく思った以上に寒くなくてよかったです!
皆さんお疲れ様でした。
可部線の大町でアトラムラインに乗り換えて帰宅しました。  
  END



 

 
 


   
 
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ひろしま歴史街道散策くらぶ(11月)に参加! 2

2022-11-20 19:34:16 | ひろしま歴史街道散策会
  更に続きです!
 可部で最も大きい「眞實院大瀛和上の墓」がある勝円寺。
 宝暦9年(1759)江戸時代後期、浄土真宗本願寺派の僧侶
 西本願寺の教学であった三業安心説を批判し、三業惑乱の大紛争のきっかけを作る。
 安芸太田町筒賀出身。





木坂文左衛門の墓」
幕末、広島藩も天保通宝(百文銭)の鋳造を図り、請け負ったのが鉄問屋・南原屋の
木坂文左衛門で、偽金工場を造り、明治新政府に発覚。
一人で罪をかぶって厳しい取り調べを受け、釈放後に亡くなった。



ひげ地蔵尊
片足を立て、思いを巡らせて姿は珍しく、自分の悪いところをなで、ひげ地蔵の同じ
所をなでると気持ちが安らぐ。
口の周りが黒くひげに見える。



かい間みる土塀は古民家の名残



 「桐原山 品窮寺」(ほんぐうじ)
仏護寺12坊の一つ。
水害記念碑、親鸞聖人像の膝まで水が来たと言われる。



可愛神社」(えのじんじゃ)
祭神:豊宇気昆売命
古老の良い伝えによると、永禄年間(1558~1570)の洪水によりご神体が
漂着し、元和年間にになって奉斎した。



 「中川醤油」
   以前のウオークで「やままゆ」を見せて貰った。




鉄灯籠
可部の明神公園に設置されている、広島市指定重要有形文化財
文化5年(1808)可部町の鋳物師三宅惣佐衛門より鋳造されたもの。
現在は改修工事中?




舟板壁
最後の舟板壁の家が取り壊されたので、一部を展示品として保管されているもの。





船入堀」の名残。
川船の発着場であった。




下の浜 明神社
祭神:市杵島姫命
江戸時代の初期、可部の豪商・立田屋が屋敷神を祀ったのが始まり。
1835年(天保6)の当時の筆頭の実力者であった木原屋三兵衛に移転した。
狛犬は子持ち。









案内の先生の祝詞で、今日の散策会は終了です。
周りは薄暗くなり冷えてきましたが、楽しく回れました。
可部駅 17:23発のJRで帰宅しました。
皆さんお疲れ様でした。
9000歩のスマホの歩数計でした。         END


              
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ひろしま歴史街道散策くらぶ(11月)に参加! 1

2022-11-18 17:59:00 | ひろしま歴史街道散策会
ひろしま歴史街道散策くらぶに参加!
散策会 「雲石街道と可部宿
令和4年11月17日(木) JR可部駅西口 14:00 集合 14名参加
散策経路 道標~横川橋~友貞神社~牛市跡~願船坊~勝円寺~折目~
     胡子神社~品窮寺~浜大明神社
案内人  佐々木卓也指南役 

可部駅集合後、バス移動で「南原峡入り口」で降車。
14:20 出発です。
可部の町は石見街道と出雲街道の分岐点に位置し、古くから城下町、宿場町としての役割を
果たしてきて、水運(太田川と根の谷川)の合流点でもある。
道標」「下町屋歴史清流公園」から出雲街道を歩きます。





高松山」をバックに「皇帝ダリア」が見事です。
根の谷川の東にそびえる高松山は、標高338,5m、別名愛宕山と言い、山頂には熊谷氏
城跡があり登山道も整備されている。


根の谷川整備されて川幅が広い。


友貞神社
 御神体は市杵島姫命。
 上中野村の八幡宮在だった。
 上市のお地蔵さん。祭りには「大」の字の土盛り(高さ15cm)を人体となぞらえ
 己の悪い部分に線香を立ててお地蔵さんにお願いをした。






三入地区を「三入の庄」可部地区を「可部の庄」と呼ばれる雲石街道を歩きます。

昔の「町屋」があった民家の「町屋の庭」をかいま見る。


旭鳳酒造

 可部の代表的な造り酒譲「旭鳳酒造」は1865年創業の伝統を守りながら、新たな味に
 挑戦する酒蔵。
 大吟醸、旭鳳ひやおろしが人気の様でした。
 皆さん試飲に興じていました。





 願船坊
 「がんす言葉」で有名な願船坊。
 浄土真宗本願寺派(西本願寺)
  ” 可部の願船坊にゃ 聴聞が願すか 願船か 願しゃ願すと話が願しょうが
   願船けえ 願船のでがんしょうて ”
  (可部の願船坊には お説教があるのでしょうか ないのでしょうか
   あれば話がありましょうが ありませんので ないのでしょう)の意。





可部の町には今も現存する古民家。



 「可笑屋
 可部夢街道コミュニテイサロン、可笑屋、築150年以上の古民家を再生して気軽な
 憩いの場。
 裏に位置する蔵の白壁は雰囲気のあるスポット。
 表に戻り集合写真を撮りました。






可部街道の「折目
 可部の町並みは2ヶ所で直角(カギ型)に曲がって「折り目」とよばれ、
 保安上の理由から道を屈折させたと言われる。

 胡神社の隣の立派な石造りの台座は、日清戦争の凱旋記念碑として建立。
 後に火災時の警報台となり、台座銘は(株)可部貯蓄銀行。






可部出身のタレント「戸田菜穂」さんの生家。



 長くなりますので続きます・・・
 
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ひろしま歴史街道散策くらぶ(八幡地区)散策に参加!

2022-10-21 15:05:25 | ひろしま歴史街道散策会
「ひろしま歴史街道散策くらぶ散策会」10月定例会に参加!
令和4-10/20(木) 五日市駅北口 13:30 集合 14名参加。
散策会 「古代山陽道と大町駅」
     五日市駅集合後 バス移動
散策経路 石内川~影面の道~佐伯郡家跡~三和橋~正覚寺~八幡公民館
     保井田薬師堂~城山~バス移動~五日市駅

案内人 佐々木卓也 指南役     

 バス移動で約10分 「高井」バス停に到着
 八幡川の支流「石内川」の「高井橋」を渡り、この辺りを中世では佐伯郡家跡と
 想定される説明を受け中世山陽道をめぐりました。
 


 ◎ 法専寺 → 浄土真宗
         山門、経堂はあるが本堂はなく、対岸に当地出身の映画監督
         「新藤兼人」氏の生誕地があることを聞く。
       



 
 中世山陽道、影面の道、(筒賀へ続く)を歩き条里制の遺構もあると言われる大町駅跡付近を歩き、
  (この辺の関連性がよくわからないが…)




 ◎ 正覚寺 → 浄土真宗 
         境内の立派な松は樹齢350年と言われる。







 八幡川(2級河川)筋を歩き、欄干に輪(玉)が3個ある三和橋を渡り、八幡川の恵みの説明を受ける。







 中世山陽道を(廿日市へ続く)歩き、名酒で有名な酒造所「八幡川」に立ち寄る。
 創業200年を来年迎えると言われていました。


 ◎ 八幡川酒造 → 大吟醸酒では金賞受賞・にごり酒では県内トップ 
           の実力蔵創業文政年間いう長い歴史を持つ。




◎ 八幡公民館 
 八幡公民館で小休憩をし、門前の松(皇太子記念松)の前で記念写真。



 ◎ 保井田薬師堂 → 行基伝承の薬師堂


◎ 城山 → 中世の池田城跡? 


 16:30
 城山の真ん前がバス停でバス移動で五日市北口着後、今日の散策会は終了です。
 随分とよく歩き、1万歩、6kmのスマホの歩数計でした。
 久しぶりの長時間のウオーキングでしたので、八幡公民館では少し休憩をしましたが
 足はもうだるくてだるくて陽が高く、目はうつろ?(大げさかな)
 五日市からJRで帰りましたが疲労度MAXでした!
 皆さんよく歩きました、お疲れ様でした。      END

 
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湯来温泉散策会に参加!

2022-09-16 15:29:00 | ひろしま歴史街道散策会
ひろしま歴史街道散策くらぶ9月例会に参加!
令和4年9月15日(木)五日市駅南口バス停 13:15分集合 14名参加
 散策経路 
 湯来西公民館~打尾谷川~湯来温泉街~正円寺~温泉神社~湯来ロッジ
 案内役 佐々木卓也 指南役
 13時30分五日市南口バス停からバス移動で広電湯来温泉前に到着。
 15時から湯来西公民館から出発しました。

 



西公民館では「案山子」が出迎えてくれました。
湯来の「ゆり」のデザインのマンホールの蓋です。



湯来温泉は以前は3軒の旅館が営業しており古くから栄えていましたがいつのころからか
温泉旅館は無くなり、廃墟となった淋しい光景が広がっておりました。
1級河川太田川の支流の「打尾谷川」沿いをゴーストタウン化した温泉街を散策しました。











内尾谷川は蛍もいるらしく、オウサンショウウオも生息していそうな清流です。
川筋を歩きます。
この道をかっての「都志見往来日記・諸勝図」の岡眠山が歩いた道を思いを馳せながら説明を聞きながら、想像しました。






ここから進むと「安芸太田町筒賀」に至ります。

引き返しました。
途中の使用されていたと思われる「足湯」の跡、湯来温泉開発の祖「前勘一翁」の碑。
(灘尾弘吉書)





「湯の神神社」参拝ですが詳細不明の神社です。





最後は「正円寺」でお参りですがここのお寺も「浄土真宗」のお寺ですが、見た目にも
古く由緒ありそうなお寺ですが住職は不在でした。
ゆっくり休憩させて頂きましたが暑かったです!






16:15 湯来ロッジに到着です。
湯来温泉でただ1ヶ所営業されている「国民宿舎・湯来ロッジ」です。



湯来ロッジは新しくとても安らぎ出来そうな佇まいで入浴される方や、入浴後の交流会、
宿泊される参加者もおられましたが、我々3人は散策後は
16:30 五日市南口行きのバスで帰宅しました。
さびれた温泉街でしたが約30年位前に1度「神楽」を見に訪れていた当時の「ひろでんホテル」
?を思い出しましたが・・・
懐かしい散策会ではありました!
お疲れ様でした。
                      END


コメント (2)
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