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色んな出来事を載せています、見てくださいね!

ふるさと歴史探訪 ~倉橋島散策~に参加! (12月) 2

2022-12-26 12:54:40 | 旅行
 午後からも続きます。

 13:00
 桂浜を散策開始です。

 
◎ 桂浜にある 「御座船
 桂浜の道路沿いに、三隻の和船が上架されています。御座船と言われ旧暦の
 6月17日、宮島・厳島神社の管弦祭に出て行く。
 倉橋島は和船の船大工が多く、和船造りが盛んだった。
 元来御座船は、天皇・公家・将軍・大名などの貴人が乗るための物。





◎ 桂浜神社
 733年に龍神様として鎮座。
 江戸中期の建物で宮島の厳島神社と同じ海人の神「宗像三女神」と武将の神
 「宇佐八幡三神」を祀っています。
 本殿は、文明12年(1480)の棟降札を有し、屋根は柿葺きで、三間社流造の本殿は
 全体的に木細で、庇の柱迄円柱にするなど県内で類例の少ない建物です。
 国指定重要文化財 (昭和57年6月11日)






 

◎ 桂浜
 桂浜は「日本の渚百選」や「日本の白砂青松100選」にも選定される美しい
 スポット、夏場は土日も海水浴場客が多すぎないという穴場的スポットビーチ。





◎ 長門の造船歴史館
 1992年(平成4年)に開館。
 古代から現代までの木造船模型をはじめ、造船と海運業に関する資料を展示。
 実物大の遣唐使船は、平成元年(1980)に建造され、大きさ長さ25m
 幅7m、帆柱までの高さは17m。
 江戸時代に試作された「外輪船」、津和野藩が造らせた「関船」などの模型
 や古文書など展示。








↑ 古代の「木造のイカリ」です。
 ここの代表的存在?

◎ 火山
 標高408m、広島県の最南端・倉橋島の中央部に位置する山。
 山頂で火を焚き、灯台の役目をはたしていたため火山(ひやま)と呼ばれている。

  (バスの車窓から)

 

◎ 音戸大橋・音戸の町並み
 昭和35年(1960)4月着工、昭和36年11月完成。
 総工費3億6200万円。 
 総延長1,184mの国内で唯一の、らせん形大橋。



◎ 法専寺
 毛利元就の末子、元為(後に出家して憎法専)が見張り役を兼ねて天台宗の
 寺を開き、天文23年(1554)真宗に改宗。
 さらにこの後、現在の浄土真宗本願寺派に改宗される。
 この寺には天正4年(1576)石山の合戦で毛利軍の船に幟を立て食料を運んだ
 際の幟に下げた鐘が保存されている。
 石垣は「忍び返し」がついており、いざという時、城として使おうとしたの
 ではないかと言われている。

 




↑ (本堂の屋根の上に「アオサギ」が休んでいました。)




「城みちる」さんの実家、民家の花は?



 ◎ 音戸町の街並み
  清盛が沈む太陽を扇で止めて一日の内で開削したという、伝説の
  「音頭の瀬戸」で知られる呉市音戸町、広島湾の東南、呉市の南に
  位置する倉橋島にあり、その北側約三分の一を占める。
  呉市とはわずか幅70mの海峡で隔てられており、赤いアーチ型の
  音頭大橋がシンボルです。

  古くは「穏渡」と書かれていた。




写真館、丸型ポスト、銭湯、木製電柱と懐かしい光景。





 ◎ 榎酒造
 榎酒造(株)は、明治32年(1899) に操業。
 「華鳩」をメインの銘柄、昭和49(1974)酒造年度、全国で初めて
 「貴譲酒」を醸造した実績を持つ酒蔵でもある。
 「ほっと安らぐ酒」華鳩を皆で試飲させて頂き、港町の風情を満喫。



 ◎ 清盛塚
  音戸の瀬戸を切り開いたと言われる平清盛公が、人柱の代わりに
  一字一石の教石(一切経)を海底に沈め難工事を完成した[長寛2年(1164)
 着工、永万元年(1165)7月完成]
  元暦元年(1184)その功徳を讃え、その供養のために清盛塚を建立。
  昭和26年(1951)に県の文化財に指定される。



 
 「おんど観光文化会館うずしお」で今年一年、計10回の
 「ふるさとの歴史探訪」
 に参加された4名の参加者の特別表彰授与式がありました。
 おめでとうございます!

  
 16:50
 倉橋島散策の終了です。
 バスでき帰路につき、和気あいあいの散策会も今年度の最後の倉橋島も
 楽しく見学できました。

 広島駅、18:00 無事到着です。
 皆さまお疲れ様でした。        END

 
 
 





 
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初雪が降りました!

2022-12-20 13:09:00 | 日記
この冬、初めて市内に雪が降ってわずかですが、積りました。 風が強くて、大きな雪が降っています。
昨日の事ですが、最高気温も5℃でした。 東日本は大雪情報です。     (スマホからの投稿です)
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ひろしま歴史街道散策くらぶ(12月散策会)に参加!

2022-12-16 16:16:30 | ひろしま歴史街道散策会
広島歴史街道散策会(下深川~中島)コースに参加!
令和4年12月15日(木) JR下深川駅 13:30 集合 16名参加
散策会 「三田往来と深川筋
散策経路 
    下庄街並~深川橋~船宿跡~小祠~善徳寺~旧道~尾和神社~
    根の谷川~友広神社~超圓寺


案内人 佐々木卓也指南役 
 13:30 JR下深川駅(大正3年(1941)に設置)を出発
 ◎ 下庄(深川)街並み

 
 

 ◎ 深川橋
   三篠川に架かる深川橋 (善徳寺に参る、旧深川橋が並んでかかっていた) 


 ◎ 船宿跡
  善徳寺前の舟宿と(河野の浜)
  川舟が入っていた、川舟の盛時には30人から50人の船頭が泊まったと言われる程。





 ◎ 小祠
  農業の神様とも水神様とも考えられている。


 ◎ 善徳寺(銅亀山) → 浄土真宗本願寺派
  天文21年(1552)佐西郡石内の住山村平兵衛の倅超印が開基したと言われる。







 天井絵図は門徒が捧げたもの、
 改築前の龍の最古の絵図も天井に残されている。



釣鐘は銅製のもの、善徳寺を囲っている石垣は江戸時代のもの。



 境内の「イヌマキ」は保存樹。

 ◎ 尾和神社 (金比羅神社)
  八幡宮であったが亀崎神社に合祀され、以後は「金毘羅さん」を祭神とする。
  尾和城跡(宮首城)と言われる。

 

 (林の中の急登をハアハア言いながら登って行く。)

 




 ◎ 三田往来の一部 (旧道)


 (根の谷川、三篠川が太田川に合流)

 



 (友弘神社に向かう途中の桜かと思えるサザンカ?)


 ◎ 友広神社 → 際神 応神天皇、他2柱
  厳島神社とも深い関係持つ。
  大正期の洪水では本殿まで水に浸かれ、地上げをして再建された。
  境内の大イチョウは広島市の天然記念物。

 





 ↑ 釣鐘は神社では珍しい。
 国土地理院の水重点があり、標高(海抜面からの高さ)17,3625m


  中島大権現
 中島の大権現とのみ書いた石搭と左側の小祠、
 島原の乱でキリシタン弾圧の軍勢を幕府が各地から集めた際、中島村からも
 百姓の甚五郎も参加、幕府軍の元で殺伐を繰り返すうち、仏教信仰の強い彼
 は煩悶し悔悟し、ついに戦地で発狂し、帰郷。
 病の回復を願って親兄弟・地元民が建立した。




 ◎ 超圓寺 → 浄土真宗
  開基は500年ほど前。
  現本堂は明治42年の再建。
  広島浅野藩とも縁が深く2代から5代までの藩主の位牌も納められている。




↑ 本堂の前の門扉も2重。
 境内の「臥竜松」と呼ばれる黒松は枝振り、幹の大きさとも圧巻。
 広島市の保存樹に指定されている。



16:10
解散地の「中島駅」に到着。
特別に参加した友達ともここでお別れ、いつものメンバーで楽しい散策でした。
風もなく思った以上に寒くなくてよかったです!
皆さんお疲れ様でした。
可部線の大町でアトラムラインに乗り換えて帰宅しました。  
  END



 

 
 


   
 
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白島ランニングコースにて(12月)

2022-12-12 15:26:00 | 近ブラ
久しぶりの白島ランニングコースを歩きました。
コンデジをぶら下げて行きましたが、カワウくらいしか出会えませんでしたが。
冬枯れのコースは寒くはありませんが、橋桁の落書きが以前、消されていましたが、又
狼藉物によって一部復活しています。








野鳥発見?と思いコンデジでズームしましたが、ちょっと無理みたいでスズメかも。


新白島駅付近です。
山陽線か? 可部線か?
桃太郎も通過しました。






 ↑ ガード下にも落書きが・・・





三篠橋のここの落書きは本格派?


橋も下には忘れ物?



三篠橋の下流に停留していた小型船舶は撤去されていました、
わずかに残っている浮きのヴイには以前から住みついている「カワウ」の姿がありました。




基町迄来るとベンチで一休み、今日も透明人間と一緒でした。
本川(旧太田川)の向こうは右側は楠木町、左側は寺町に当たり広島別院も見えています。





12月ですが割とお天気も良くスーパー「マルナカ」でお買い物をしてアストラムラインの電車で「城北駅」から帰宅しました。



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牛田バラ園と見立山

2022-12-09 16:48:38 | その他 ウオーキング
昨日の午後から、友人と牛田バラ園を訪れました。
冬のバラはまだ少しあちこちに開花していて美しさを我々に提供してくれました!
バラ園の休憩所で、お昼の持参のコンビニで調達したおにぎり、ランチパックのパンをそれぞれ頂きました。








食後は鳥見にバラ公園から、上の方へ歩いてみました。
ジョウビタキを見付けましたが、撮影に至らないうちに始終鳴いている「ヒヨドリ」の
影絵のような姿しか撮れませんでした。



おしゃべりをしながら牛田山方面の登山口をゆるゆるとかなり急登を上がっていきました。
途中の木などを見ながら、「シロダモ」の赤い実、花とかを友人に(樹の会に入っている)
いろいろと説明してもらいながら、途中の「もみじ」の紅葉がひと際目立って綺麗です。







やっと中間の「あずまや」まで登って来ましたので、「三立山」まで行こうということに
なり、私は約10年ぶりくらいの三立山ですが、
「ぐうチョキパ」の木(カクレミノ)を見付けて大っ喜び・・・



「三立山」の由来の立て看板があり、説明を読んで納得!



いよいよ到着です!
一時間くらいかかりましたが・・・
霞んでいましたが、広島市内が見渡せました。
広島城をこの山で見立て、当時は島の多い中、一番大きい在間島に広島城を立てることを
決めた毛利輝元の気持ちにまではなりませんでしたが、すばらしい眺望です。
グリンアリーナの前に小さく広島城の天守閣が見えます。





標高118mの三立山からの眺望を楽しみ、来た道を引き返します。
帰りはすいすいと30分もかからずに公民館まで下りてきました。
おしゃべりしながらゆっくり、マイペースでの三立山登山でした!
帰宅して我が家でお茶して友人は帰って行きましたが、楽しい一日でした!!

コメント (2)
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大芝ランニングコースで・・・

2022-12-06 19:45:40 | その他 鳥見

大芝大橋を渡り、大芝ランニングコースを歩き、大芝の向地のお地蔵さんにお参りしました!
観音開きの扉を開けてお賽銭を投じ、真言を唱えて今年の無事のお礼をしました。
「ランタナ」がまだ綺麗に咲いています。





太田川筋に当たる大芝ランニングコースですが、川岸には「イソシギ」がいます。



「マガモ」「カルガモ」「ジョウビタキ」「ムクドリ」?








公園側のクスノキにいるのはムクドリか?



太田川に居るのは「カイツブリ」です。


大芝交通公園でも平日でも家族ずれが遊んでいます。



大芝ランニングコースを振り返って、奥の山は八木方面の阿武山か?


小休憩で立ち寄った大芝公園の「アメリカフウ」の紅葉です。




北大橋の中央から太田川の上流を見ました。
快晴の空に輝いていました。
まぶしいくらいです。


上野学園ホール(元郵便貯金会館)で自動販売機の「Qoo」のりんごジュースをゲット。
ベンチで飲むと凄く美味しかったです!
約2時間の鳥見のウオーキングになりました。

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上関・室津散策・in 山口の旅 2

2022-12-03 14:15:18 | 旅行

 午後からも続きます....

 12:30 レストランをバスで出発、上関大橋を渡り、上関長島に到着。
 室津地区の対岸、上関大橋でつながる長島。
 漁業が盛んで、江戸時代は朝鮮通信使や、廻船業で重要な港町として栄えた。


 「御茶屋跡
長州藩が迎賓館として使用されていたが、現在は石垣だけがの頃のみとなっている。




旧上関番所
 萩藩の出先機関として警備や徴税事務などを行った。





 上関の街並みが眺望できた。

阿弥陀寺
 浄土宗の寺。
 始めは瑞相寺末で阿弥陀堂としていたが、文化6年(1809)瑞相寺21世の代
 平僧住職の寺となった。






 階段の途中には「松尾芭蕉」の碑。


 住宅街を歩きます。
 長島は室津と違った雰囲気に感じられます。




竃八幡宮
 主祭神 : 誉田別尊 足仲彦尊 気長足尊
 狭く急な石段、坂道を上がります。
 上関の街並みが見渡され、とても長めの良いところでした。
 竃とは塩を焼くかまどの事。







 神楽の「額」が興味あり。
 上関役場付近で、一番の街中。



 上関大橋も望めます。

 超専寺
 浄土真宗・踊堂山
 文禄の役の際、豊臣秀吉が名護屋へ下る途中、上関に立ち寄り、今の超専寺裏にあった
 踊堂と呼ばれた墓所で  ” 常盆や石仏等も踊堂 ” と歌を詠んだことに由来する。







当時の様子を描いた「朝鮮通信使船上関来航図」(1821年)の額も保存されている。



上関城跡
 (現在は上関城山公園)
 上関城は南北朝時代から戦国時代にかけて瀬戸内海の水軍の海域でした。
 今治の能島水軍、村上義顕がこの地に海関を設け、代々居城し、上関という「関」を
 見張るうえで絶好の立地条件で、徴税権行使のため築城された。
 城兵は上関海峡を通る船から帆別銭や荷駄銭を徴収した。
 水軍同志の勢力争いがあったが、天正16年(1588)豊臣秀吉の海賊禁止法により 
 支配権を失い廃城された。
 今では公園として整備され河津桜の名所となっている。


周防灘が見渡せる高台。







菅原神社
 祭神 : 菅原道真 
 平安時代に学問をもって朝廷に仕える。
 官位従二位、右大臣にまでなった偉人。
 しかし、藤原時平(左大臣)に陥され、左遷先の大宰府で没する。
 死後は天満天神として信仰の対象となり、現在は学問の神として親しまれている。




「手水鉢」の「盃状穴」。




 上関の旧道がずっと続いている。


 15:00
 道の駅「上関海峡」で小休憩をし、
 15:30 帰広のバスに乗車しました。
 大内氏から毛利氏に継承された上関は朝鮮通信使に関わる史跡が多く、同じ上関町の
 室津の街並みとは上関大橋でつながった長島の街並みは趣の違った雰囲気のある街並み
 でした。
 風がきつく海上は凄く荒れていましたが、楽しく散策できました。
 途中の玖珂PAでお土産を調達し(クーポン券付き)利用しました。



 楽しく散策できました。
  案内の先生のおかげで殆どの神社、お寺の本堂に上がらせて頂きご本尊を拝ませて
 頂きました。
 お疲れ様でした。
 18:00には我が家に帰宅できました。   
    END


 

 
 
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上関・室津散策・in 山口の旅  1

2022-12-01 22:59:30 | 旅行
ふるさとの歴史探訪 ~街道を行く中国路~ 上関、室津の散策の旅に行ってきました!
4-11月30日(水) 不動院前バス停、7:40 乗車しました。
山陽道を走り、玖珂ICから柳井経由で9:30室津に到着しました。
江戸時代に海上交通の要衝として栄えた港町で、山側には古い家並みが残り、
南側の斜面地には古き良き漁村らしい雰囲気があります。


室津地区散策
 室津は古くから廻船、漁業が盛んで、今も残る街並みは歴史を感じる。




西方寺」 → 浄土宗
 慶長年中(1596~1614)に、長誉童貞が堂を建立し、龍池山紫雲院西方寺と改め、
 知恩院(浄土宗総本山)直末となり、幕末の時、義勇隊および室津鴻城軍の駐屯所と
 なり、本堂の柱には隊士が切りつけた刃傷が数か所残っている。






「かみのせきの消火栓」のマンホール。



「六角形の井戸」今も現役か?
 



賀茂神社」 → 賀茂大明神
 文和元年、大内候の願いに依って、京都上鴨神社より勧請。






四階楼
 明治12年(1879)幕末に活躍した小方謙九郎が建てた、儀洋風木造四階建ての建物。
 建築費は当時の金額で3000円と言われる。
 四隅の柱が一階から四まで貫いて高さは11m。
 内外壁に施された見事な雲龍や鳳凰、四階大広間のステンドグラスとか、この建物の
 独特の雰囲気をかもしだしている。










常満寺」→ 浄土真宗
 上関室津漁港側の寺院。
 平氏の武将である佐原十郎盛光が開いたと言われる。
 1727年に火災にあった事から、元文4年(1739)に現在地に移転。
 本堂前の大イチョウの巨木があり、樹齢1000年、高さ30m。
 移転の際、伐採しようという話もあったが 
  ” イチョウは火災の際、水を噴いて火難から守ってくれる” 
 という言い伝えがあり、伐採を免れたと言われる。(住職の話より)







この辺りが、朝鮮通信使上陸の地と言われる。




11:35
昼食、レストランうみべ 上関海峡温泉「鳩子の海」で、周防灘を眺めながらの海鮮料理
を頂きました。
私は生の魚がダメで海鮮丼のトッピングの刺身を先生に食べて頂きましたが、
ご飯に魚の臭いが付いてて駄目でした。
こういうときは事前に別の料理にしてもらえると良いい見たいでした。
持参の「ランチパック」をバスで食べましたが・・・

  午後に続きます・・・

  
 

 
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