遊歩ウオーキングに参加!
令和5年10/21(土) 広島駅南口地下広場 9:45 集合 10名参加
コース 広島駅~縮景園~新白島
(広島駅は大工事中で迷路になっていて、集合場所が分からず、スタッフに来て
貰ってようやく分かりました。)
◎ 猿猴橋 → 被爆橋梁
爆心地から1.82km
藩政時代は西国街道の道筋で、大正15年(1926)にかけ替えられ、当時は
国道であった。
猿猴とは、水陸両性で河童のような架空の動物で、橋名や町名になっている。
側に設置されているモニュメント(記念碑)は
大正15年(1926)に改築された猿猴橋は
親柱に吉祥を意味した鷹が羽ばたく華麗な姿であったが、
昭和18年(1943)「金属供出令」により橋上の金属床職部分を国に供出、
平成19年(2007)に復元運動により、
この記念として親柱に鷹をモニュメントとして設置された。
◎ 猿猴川の起点「台奥の鼻・出鼻」
福島正則が改易される原因になるほど、洪水が多発した
上流及び左を京橋川、右が猿猴川の分岐点。
◎ 京橋 → 被爆橋梁
爆心地から1.38km
昭和元年(1926)にかけ替えれれた。
毛利氏が築城以来、京へ上る橋として最も古い歴史を持つ橋。
◎ 原民喜ゆかりの被爆ヤナギ
” 永遠のみどり 原民喜
ヒロシマのデルタに若葉うづまけ 殆ど焔の記憶によき祈よ こもれ
とはのみどりを とはのみどりを
ヒロシマのデルタに 青葉したたれ ”
広島市中区幟町の生家で被爆した、作家・詩人
墓所は白島電停先の圓光寺
◎ 世界平和記念聖堂
被爆前は”幟町天守公協会” 爆心地から1200m
この地で被爆されたラサール神父の発案で再建
設計担当:村野藤吾氏
ローマ法王平和アピールの碑、屋内外には、キリストにまつわる彫刻など。
平成18年に戦後の建物として国の重要文化財に指定された。
圓鍔勝三氏の欄間の彫刻、屋根上の「鳳凰」
(民家の花壇に「ホトトギスの花)
12時前 縮景園で早めの昼食、お弁当にする。
午後からは
◎ 名勝・縮景園
池泉回遊式の典型的な大名庭園
上田宗箇により作庭、後に清水七郎右衛門により改修
昭和15年国指定の名勝となる。
昭和20年の原爆で壊滅、1ヶ所を除き復元された。
平成18年に「日本の歴史公園100選」に選定された。
濯瓔池の周りを散策した、最後の「陰陽石」はよくわかりませんでした。
隣接の県立美術館の1F展示場の「ポルシェ」の車。
◎ 新旧手押しポンプ
画像は新型、川本製作所「DRAGON」 現役で水も出ます。
◎ 広島拘置所
広島城築城400年(平成元年)を記念して書かれた壁画
広島出身の画家・入野忠芳氏が描いたものです。
平成21から5年かけて入野氏により修復されたました。
来年で拘置所は老朽化で解体されるそうで、壁画存続の要望が厚く、
入野氏の妹さんの説明もあり、より一層存続念願が強く、残してほしいと思いました。
(ガイドされた妹さんは仲間でもあり友人でもありますので、顔出しOK?)
15:00
一応ここで解散でしたが、私は途中スーパー「マルナカ」に立ち寄り。
アストラムライン、城北駅から帰宅しました!
散策には最高の気候となり、楽しく歩けました。
11000歩のスマホの歩数計でした。
皆さん、お疲れ様でした! END
遊歩ウオーキング(富士見~竹屋町)コースに参加しました!
令和5年6月17日(土) 9:30 保健所前に集合 11名参加
◎ 広島市動物管理センター
犬魂碑 → 昭和26年8月設置 野良犬や野良猫ともに殺処分された犬や猫の
慰霊碑として建立
◎
フジグラン入り口
” 原爆の絵碑 ” No 8 平成17年3月設置
(以前は向かいの医師会館前にあった、今はヒルトンホテル)
◎
日本福音ルーテル広島教会
” 原爆の絵碑 ” No 4 平成16年設置
●
平和大通りの「アメリカデイゴ」(海紅豆)沖縄県の県木で、情熱の赤の花
◎
京橋川護岸緑地帯
ハナミズキ”2001事業”で川筋に植えられている
「イヌビワ」の実が付いて、京橋川筋の通りは「タチアオイ」が満開。
延命地蔵尊 → ” おんかか かびさん まえいそわか”
●
民家の花壇の「」「」珍しい花たち
◎
平和アパート(市営)
峠三吉(原爆詩人)” ちちをかえせ ははをかえせ~” で有名
このアパートに昭和25年~28年、入居し、部屋の窓から京橋川を眺めて
うたったと思われる詩「河のある風景」を残している。
河のある風景
すでに落日は 都市に冷い
都市は入り江の奥に橋を爪立たせてひそまる
夕昏れる 住居の希薄のなかに
時を喪った秋天のかけらを崩して
河流は 背中をそそげだてる
原爆詩集・「河のある風景」より
◎
傳福寺(曹洞宗)
平和祈念”仏舎利塔” 平成16年2月設置
タイ(バンコク)より永遠の平和と日タイ両国の友好を願うタイ王国の特別な
計らいによる。
観光和尚に引き取られた「げんこつ(物外)和尚」ゆかりのお地蔵さん。
◎
レトロな民家
むさし堂 → 家具、雑貨、インテリアショップだが、古物商?
●
途中で見た民家の「ブドウ」「ノウゼンカズラ」
11:30
予定の午前の散策地は終了したので、早めの昼食で「フジグラン」で一応解散。
午後からは希望者で、御幸橋まで足を伸ばされましたが、
私は、フジで買い物をして、帰宅しました。
京橋川河岸緑地は吹く風で気持ちよかったです! END
遊歩ウオーキングに参加する~!
令和5年3月18日(土) 矢賀駅前 9:30 集合 11名参加
コース 「矢賀駅~戸坂駅コース」 (NOー64)
10:00
コースマップに沿って出発です。
男埼神社の境外社「胡子神社」 左に見て矢賀町筋を歩きます。
◎ 城谷山覚法寺
浄土真宗 (1597年)真言宗から浄土真宗に改宗。
本堂は被爆建物 爆心地から3960m
◎ 祇園社
ご祭神 : 素戔嗚尊 (石神様)
◎ 熊野神社
ご祭神:熊野久須美命 ・速玉之男命 ・伊邪那美命
寛文年中(1661~1673)現社殿の裏山に社殿を建立
明治中頃に現在地に遷座。
被爆建物 爆心地から 4150m
大内越山(高天原)の登山口
◎ 男埼神社
ご祭神:帯中津彦命・品蛇和気命・息長帯姫命
治暦年中(1065~1069)男山八幡宮から勧請したと言われる。
(矢賀駅の新幹線操車場が見渡せる)
◎ 相撲取り地蔵
明治時代の初めごろこの地で行き倒れになった相撲取りを近所の人が
供養した。
矢賀町から中山へと歩きます。
◎ 中山尋常小学校運動場拡張記念碑
明治の中山村は耕地も、働く職場も少なく、若者は大阪やアメリカに雄飛しました。
アメリカに移住した人たちが故郷を思い、今は中山保育園になっている敷地を
買って寄付した物語あり、この記念碑は児童たちに故郷を愛する心を養うために
建てたと記してあります。
民家の「しモクレン」が咲きだしています。
◎ 旭照山萬休寺
現建物は大正6年(1917)に建造したもの。
本堂と鐘楼門は被爆建物 爆心地から 4600m
「時のやすらぎ」:加藤豊 作
「親鸞聖人像」「手押しポンプ」
◎ 稲生神社
ご祭神:土産之大神・大宮賣神・宇迦之御魂神・事代主命…
寛政12年(1800)再建
明治10年(1877)萬休寺の上方より現在地に遷座された。
急階段を上がり、拝殿の「神楽の絵馬」を見る。
境内からは中山の街並みが見渡せる。
◎ 大原神社
大正14年(1925)稲生神社から分祀
ご祭神:黄幡神(八将神の1柱)後にスサノオ
( 急坂を上がる)
◎ 修行大師像
創建その他、不明
「道標」大正8年(1919) 右ひろしま 左かいたいち
(街中で見かけた、スノーフレーク、ノースポール、しだれ桜)
◎ 石仏社
明治以前にこの付近に石橋があったが、村の古老の枕元に白髪の老人がたち
石橋の精と名乗ったので木橋に作り変え、その石を祀ったという。
明治43年(1910)稲生神社に合祀、大正中期に現在地に移転。
旧中山峠を芸備線を脇の下に見ながらの道は急坂できつかったです。
12時半近くになり、「中山上第一公園」にたどり着き、昼休憩、お弁当です。
13:20
午後の街歩きでしたが、私は、途中で棄権し、バスで帰宅しました。
皆さんは、戸坂駅まで歩かれました!
途中まででしたが、11000歩のスマホの歩数計です。
皆さん、お疲れ様でした!! END
遊歩ウオーキングに参加する!
令和5-1/21(土) 旭町バス停に9:45集合 10名参加
~ 旭町~日宇那コース ~ (NOー36)
10時出発です。
この辺りは大河と呼ばれ、アイビータウンとして埋め立てられ、開発が
進んでいます。
◎ 樋の口
昔、この辺りに樋門(水門)があり、樋の口と呼ばれるようになった。
川と海の境の水門、300年も続く、盆踊りが行われていた?
◎ 曲がった電柱
大河公民館発行の「大河お散歩マップ」では、市内に7本と
記されている。
◎ 柿光稲荷神社
建立は文化、文政の頃と伝えられる。
大河の漁民が大漁を祈願して厚く信仰したと伝えられる。
◎ 旧宇品線のモニュメント
宇品線は軍用鉄道として明治27年に開通
昭和61年に廃線となり、各地にモニュメントが残されている。
◎ 丹那橋
漁港の名残、船形の橋名版が埋め込まれている。
◎ 穴神社
ご祭神:少名昆古那神
(偶然にも、境内の広場に主人の妹家族が原付バイクの練習に来ていた)
◎ 倉田百三文学碑
代表作「出家とその弟子」はこの地で書かれた。
◎ 石風呂跡
岩山の岩をくりぬいて作られ、その中で松葉、柴木等を炊いて
岩穴全体を熱し、これを海水で消し、その上に海藻を敷き詰め
さらにその上に海水を浸し、ムシロを延べた。
入浴者はムシロに身を横たえて温まる。
およそ摂氏60度のサウナ風呂状態の風呂。
近年営業を廃止した。
12:00
昼休憩で、「丹那公園」で昼食、外食者もあり。
「ツグミ」が来てくれました!
午後、12:40
出発です。
◎ 魚介類供養塔
今も漁港に接し、海の幸の魚介類の供養のため建立。
◎ 楠那小学校跡地
現在は楠那公民館、保育園、スポーツセンターで、
当時から残っているのは、二宮尊徳先生幼児の像、重要書類庫
◎ 地蔵菩薩
詳細は分からず?
(延命地蔵? おんかか かびさん まえいそわかと唱えました)
◎ 忠魂碑
東郷平八郎書
住宅街になっていますが、昔はこの用水路が海岸線だった。
岩礁がそのまま使われている。
◎ 新宮神社
ご祭神:伊邪那岐神、伊邪那美神、奥津日子神
寛永10年(1633)建立。
漁業者は早くから熊野新宮を勧請。
明治42年邇保姫神社に合祀、昭和21年分離復興する。
◎ 小中酒店
酒類販売許可制法が、明治5年に制定され
広島で最初に発行された許可証が今も掲げられています。
◎ 波返し
この辺りが海岸であったころ、打ち寄せる波を跳ね返す
目的で設置したものです。
◎ 住吉神社
ご祭神:底筒男之神、中筒男之神、上筒男之神、大綿津見神
寛政5年(1793)建立
高速道路建設のため現在地に新築移転
説明板に依れば、怪物が出ていた様子、歩けば色んな光景
真実が見えてきます。
ここが最終散策地になり解散です。
14:24 の柞木バス停から「八丁堀」行きのバスで帰宅しました。
参加者は少なかったもののゆっくりの散策でした。
楽しかったです、お疲れ様でした。 END
遊歩ウオーキングに参加!
「白島~不動院」 コースに参加!
R4ー10月15日(土) 白島電停前9:45集合 9名参加。
◎ 福寿山・円光寺 → 浄土真宗大谷派 阿弥陀如来
原民喜の眠る墓所
◎ 寂静山・禿翁寺 → 浄土宗 阿弥陀如来
等身大の「被爆六地蔵」「手押しポンプ」
◎ 岩尾山・宝勝院 → 真言宗 阿弥陀如来
「太田洋子文学碑」「被爆樹木・ボダイジュ」
◎ 碇神社 → 大綿津見神
毛利輝元が造営 「碇石跡」
◎ 八剣神社 → 福島正則(広島城2代城主)の政治の史跡
水害防止祈願に八本の剣を人柱の変わりに埋めた。
◎ 牛田小学校跡碑 → 明治15年~昭和16年までこの地にあった。
◎ 牛田公民館 → 牛田公民館会館記念碑 アジア大会記念碑
図書室の「歓」北村西望 :作
◎ 水道資料館 → 史跡説明板
館内には水道の歴史などが分かる資料やパネルを展示。
11:50 午前の散策予定を歩きました。
近くの新牛田公園で昼食、お弁当持参組3名はお弁当にしました。
「おまけ」
散策途中で出会った花たちです。
「フヨウ」「ツワブキ」「銀モクセイ」「コブシの実」
2時間、散策しましたがキンモクセイの香りがアチコチでしていましたが、好天気過ぎて暑かったです。
私は昼食後、帰宅しましたが午後も「浅野山・浅野家の墓苑」「不動院」と散策されました。
皆さん、お疲れ様でした。 END
毎月開催の「遊歩ウオーキング」に参加する!
令和4年6月18日(土) 皆実町6丁目(猫田記念館) 9:45集合 17名参加。
朝から暑い中10:00 出発です。
◎ 猫田記念体育館
故猫田勝敏氏の功績を讃え、JTが建設 平成元年竣工
館内にはレリーフ、銅像、記念品、写真など展示など等あり…。
「被爆樹木 クスノキ」 爆心地から2km。
(途中の道端のヤマモモの実が沢山付いてる)
◎ 皆実町緑地
平和の塔 = 戦勝記念塔 昭和22年に改称
道標 = 東松原停車場通 → 広島駅に通じる
◎ あき書房
古地図の復刻版を発行している
◎ 広島大学付属中学校・高等学校
旧制広島高等学校跡地の碑、
広島高等師範学校、付属中学校発祥の地
「若人」の像 = 作 長岡 強 昭和60年11月
「炎の碑」 = 作 菊池一雄氏の彫刻
◎ 追いかけ地蔵尊
石井家の茶室(裏千家)の一角にあった。
厄除延命地蔵尊 厄除延命福寿地蔵尊
◎ 千田廟公園
元県知事 千田貞暁氏の功績を顕彰する施設。
千田廟社、銅像、宇品新開記念碑
正岡子規句碑
(皆さん、水準点を探していましたが、見つからず)
タイサンボクの花。
◎ 宇品西公園 (カルビー跡地)
旧陸軍糧秣支廠の跡地
缶詰工場煙突の遺構が今も残る。
◎ 広島市郷土資料館
明治44年陸軍糧秣支廠として建設された。
被爆建物 爆心地から3,2km
昭和60年4月近代文化遺産として広島市指定の文化財となる。
同年5月、郷土資料館として開館。
郷土資料の展示、紹介、図書の開架、普及事業(体験)など…
(被爆で折れ曲がった鉄骨)
◎ 旧糧秣支廠のモニュメント
一部のレンガ壁を保存
◎ 旧宇品線の名残道
手すりにレールが使用されている。
12:00
ここで午前の散策は終了。
近くの「神田公園」で持参のお弁当を食べて、午後の散策は棄権して広島駅行きの
電車で帰宅しました。
凄く暑かったですが今回の参加者は新しい人が多くて、ゆっくり目の見所の多いコース
ですが続けて参加されることを期待します。
END
遊歩ウオーキング(千田町西コース)に参加する!
令和4年5月21日(土) 日赤病院西バス停 集合 9:30 14名参加。
遊歩ウオーキング 千田町西コース (NO ー 23)
<主な立ち寄り先>
日赤メモリアルパーク~貯金支局跡~千田第一公園~千田胡子神社~
広大工学部跡~広島県情報プラザ~常夜灯~御幸橋~職安跡
10:00 出発
◎ 日赤メモリアルパーク
日赤広島支部の旧門柱・被爆窓枠モニュメント・慰霊碑・被爆説明板
記念樹(イトスギ)・マルセルジュノー博士のモニュメント…
散策途中の「ヒペリカム」がキレイ。
広島貯金支局跡 → 現在のビルは建て替えられている
栗原貞子さんの詩「うましめんかな」の地
◎ 千田保育園
林 万寿人 作 「市立高女 今堀友市先生像」
喜多 敏勝 作 「先生と園児の像」
◎ 千田第一公園
山中高女跡碑 広島オリーブ会 20周年記念樹
◎ 千田胡子神社
ご祭神 事代主命
途中の「くり川」の料亭 今も現存。
◎ 広大工学部跡
跡地には健康センターや中区スポーツセンター
旧正門モニュメント・被爆並木(クスノキ)
千田公園→ 広大な敷地は公園として活用されている
宮島さんのモニュメント。
◎ 広島県情報プラザ
野外彫刻「情報の螺旋」 作:栄久庵憲司氏
野外彫刻 「希望」 作:円鍔元規氏 光町から移設
11:30
早めの昼休憩で千田公園でお弁当にする。
食後はコンデイション不良で帰宅する。
FMラジオでのガイドも聞きずらく、全くと言っていいほど分かりずらいルポになりました。
御幸橋まで歩き広電バスで帰宅しました。
令和4年4月16日(土)に行われた遊歩ウオーキングに参加しました。
9:30 新幹線口に集合です。
11名の参加です。
コースは 新幹線口~矢賀駅コース (NOー53)
◎ 新幹線口 → 「朝」圓鍔 勝三作
◎ にしき堂 → もみじ饅頭 ザ・広島ブランドに認定
天皇皇后両陛下展覧の栄(お菓子で出来ている)
◎ 広島池田平和記念会館
永遠の平和原点の地 第二の「七つの鐘」
館内には多くの美術品が展示されている
◎ 愛宕神社 → 火伏せの神「火産霊神」
ご祭神:火乃迦具土神 愛宕地蔵尊 西城秀樹ゆかりの地
(最近は広島カープの神社としてフアンのお参りも多い)
◎ 東区役所 東区区民文化センター
野外彫刻 「のぞみ」作:長岡 強 昭和58年
野外彫刻 「風の詩」作:奥田 秀樹 昭和60年3月
壁画 「あけぼの」作:岡崎 勇次 昭和60年
◎ 荒神山安養院
真言宗御室派 ご本尊:如意輪観世音菩薩 守護神:三宝大荒神
広島新四国88ヶ所 第58番霊場
元は荒神町にあり、荒神町発祥の由来
◎ 全労災会館 → 野外彫刻「贈り物」(GORAN ENGELI)
作:高橋 秀幸 平成2年7月
(路上で「西国街道のマンホール」を発見)
◎ 登炬山法明寺
原爆被災説明板 「浄土真宗尾長説教所」
爆心地から3360m
◎ 天神川の跡?
◎ ガラガラ橋跡
「我羅我羅橋」説明板 → 橋の下を流れていたのは古川?
尾長公園で昼休憩、お弁当にしましたが、午後は最寄りのバス停で途中で帰路につきました。
散策途中で見た花たちです。「モッコウバラ」 「ドウダンツツジ」でしょうか。
(黄色の花はブロ友のnokoさんより、モッコウバラではないかとコメントを頂きました)
いいお天気でしたが風が強く帽子が吹き飛ばされながらの散策ウオーキングでしたが
お馴染みの仲間との久しぶりのウオーキングでした。
5,2km 8500歩のスマホの歩数計です。 END
台風一過、お天気になったので皆さんの顔を見に「遊歩ウオーキング」に少しだけ参加しました。
約半年ぶりですが、お馴染みのメンバーは皆さんお元気です!
天神川駅、9:45集合 14名の参加です。
◎ 天神川駅 平成16年3月開業の新駅
(尾長天満宮を源流とする天神川に因む(川は暗渠化)
天神川プロムナード 手作り郷土賞 平成11年受賞。)
◎ JR 広島機関区
D51の動輪 安全の祈り
機関区神社
移動中の街中の花「サルづべり」「ハナミズキの実」→ 赤くなってる。
◎ 廣隆寺
本門 佛立宗 → 日蓮宗の一派 昭和38年建立
(神社の向唐門みたいな?)
◎ 一里塚跡
元安橋の元標から1里(約4km)→ 西国街道
平成26年(2014)10月建立された。
◎ イオンモール
開業時はダイヤモンドシテイソレイユ
現在はイオンモール広島府中
旧キリンビール工場の跡地 蒸気機関車C11
約30分の行程でしたが、私はここで帰ることに・・・
皆さんの笑顔が印象的でしたがSさん2人に会えなかったのが残念でした。
又の機会を楽しみに県庁行のバスで帰宅しました!
続きです!
西福寺の参道を下り、西国街道(旧道)を歩きます。
◎ 水準点
一等水準点 1670号
標高 2,8m
水準測量に用いる際に標高の基準となる点の事。
測量標の一つで、国土地理院が設置。 石造り。
◎
路傍のお地蔵さん
旧街道(西国街道)の曲がり角にあたり交通祈願
西国街道を歩きます。
◎
一里塚跡
かってこの辺りに一里塚があった。(高須1丁目8番)
元安橋袂の道路元標から一里。
さらに西国街道を歩きます。
◎
大歳神社
ご祭神 :大年神 宇迦之御魂神 (須佐之男命の子で兄弟)
御大典記念碑 大正4年 (1915)
双子の銀杏。
被爆建物、すぐ前に小高い山があり被爆を免れたと説明して頂きました。
今日の晩から明日にかけて秋祭りで、氏子の人達が準備の最中でした。
以前のウオークの時に「ギンナン」を頂いたのを思い出しました。
◎
高須第一公園
11:40 少し早めの昼休憩(お弁当)にする。
公園の高い木の枝にいる鳥は「ジョウビタキ」でした。
影絵の様で見にくいですが、帰宅後、野鳥の会の先輩にメールで見て頂き判明。
12:40
出発しましたが、寒くて風邪引きそうなのと足の調子が今一なので
これより帰宅することに…
途中の路地で見た「ヒメツルソバ」です。
電車とアストラムで午後一時半には帰宅しましたが、スマホの歩数計は
9750歩でした。
よく歩き、足が棒の様でしたが、なぜか足首が痛くなりました。 END