goo 自由日記⒉

色んな出来事を載せています、見てくださいね!

吉水園・ウッドワン美術館のバスツアーに参加!

2023-11-12 14:22:15 | 旅行
限定公開の「吉水園」・「ウッドワン美術館」
紅葉と芸術の秋を堪能してきました!
令和5年11/11日(土)
広島新幹線北口 9:20集合  39名参加
9:30分 北広島町の「ドングリ村」が最初の見学地と早めの昼食を頂きました。
手打ちそばがとても美味しかったです。

バス移動で、県名称の「吉水園」に12:30到着です。
吉水園は江戸時代半ばの天明元年(1781)の春、加計隅屋16代当主の
佐々木八右衛正任が、山荘として建設、翌年には園池を前に入母屋作り茅葺の吉水園
が落成した。





モデルさんも居たり撮影会もあるみたいです。



吉水園は
作家の鈴木三重吉は、明治39年(1906)作家の夏目漱石の門下であった親友の
加計正文(隅屋22代)を訪れ、初秋の日々を約一週間吉水亭に滞在、ここで得た題材を
構想して、名作「山彦」を書きました。
書き出しの
 ”城下見にゆこ十三里、炭積んでゆこ十三里“ は有名!
 園、入り口の「文学碑」

見学後の途中には「木炭車」等の展示もありました。


 加計のマンホールです。
 春の園の公開日辺りで有名なモリアオガエルのデザイン。

駐車場の廃線になった元JR三段峡線「加計駅」跡が、今日は「5サー市」と重なり、
出店も多く多勢の人出で賑わっています。

バス移動で、約20分、「筒賀の大銀杏」に到着しました。
筒賀の大歳神社境内にある、樹高49m、周囲8,2mの大イチョウ推定樹齢は1100年
を超え、広島県の天然記念物にも指定されたいます。
すばらしい黄葉、ジュウタンになっていました!
先ず神社にお参りして大イチョウを楽しみました!









バス移動で約20分、次の限定公開の「ウッドワン美術館」の今日は「歌川広重」
二つの東海道五拾三=保永堂版と丸清版の浮世絵の魅力でした。
カメラ禁止なので画像はありません。


わずかに撮影許可のロビー付近の絵画です。


スキー場と隣接している「めがひらスキー場」辺りはもう黄葉も進んで高原の光景雰囲気
でした。
夕方に迫り秋の感じです!



16:20
吉和出発で、いよいよ最後の立ち寄り先「まちの駅、ADOA大野」まで一走りです。
約1時間の走行でしたが、立ち寄った道の駅は6時近かったため、商品も少なくなって
おり、わずかのお土産を誂えるのに苦労するほどでした。
お土産はもう少し早めにゲットしておくことを今回のバスツアーで学習しました。
参加者も単身者参加が多くて相席の車中でしたが、わたしの隣は愛想のいいひとで安心
でしたが、一つ問題はその人がおしゃべりが好きで相槌を打つのに疲れました。(汗)
でも大体一度は行ったことのある場所ばかりなので懐かしかったですが、雰囲気が
まるで違ってて今回も又、新しい発見もあり楽しいものでした!
コースの予定時刻(広島新幹線口、18:45)に帰広、19:30には帰宅出来ました。
皆さん、お疲れ様でした!!               END

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森の宝石ブッポウソウ観察と赤名湿地散策の旅

2023-07-04 13:44:10 | 旅行
【絶滅危惧IB類】森の宝石ブッポウソウ観察と赤名湿地散策
 令和5年7月2日(日) 掲題のツアーに行ってきました。
 30名の参加です、偶然に野鳥の会の友人と一緒でした。
10:00
 観察地の「作木」に到着、浄土真宗、蓮光寺でガイドの説明を受け、
 いよいよブッポウソウの観察です。
 約100m位の距離に巣箱が設置されています。
 ヒナにエサやりに忙しいブッポウソウが、何度も巣箱に帰って来ます。
 ヒナは、2羽位が巣箱に居るようでした。
 全国で約700羽しかいない絶滅危惧種、当県で約230羽いるそうですが
 ここ作木に約200羽位が営巣しているそうです。









デジカメのせいか、腕のせいか皆んなピンボケです!
約1時間半観察しましたが、ヒナは約3週間くらいで成鳥になるそうで、今月の25日
位に来れば又、ヒナが見られるそうです。


30分バス移動で「道の駅ゆめランド布野」で”ふるさと惣菜バイキング”の
昼食を頂きました。





午後からは、
島根県飯南町「赤名湿地散策」です。
飯南町観光協会・森の案内人のガイドさんと3グループに分かれて、散策しました。
ここにしかない一万年前の氷河期に栄えた植物「ミツガシワ」の他氷河期の
残留植物が多く自生しているそうです。
私たちのグループが説明を受けた先生が持参のトランク(植物採集用)は
テレビの朝ドラに出てくる牧野万太郎がもっているものと同じブリキ製の物でした。
かなりゆっくり散策しましたが、画像の方はスマホで撮りましたが、
パソコンに取り込むのが、上手くいかなくてわずかの草花しか紹介できないのが
残念です。











「トラノオ」
丘にあるのが「オカトラノオ」沼にあるのが「ヌマトラノオ」というそうですが
沢山紹介して貰った植物、
「ミツガシワ」「ハンカイソウ」「ノハナショウブ」
「コバノトンボソウ」「カキラン」「ヒツジグサ」「クサレダマ」「リユウキンカ」
「ドクゼリ」とかいろいろ観察できたのですが、画像がないのが残念! 

 バス移動で最後の立ち寄り地「道の駅赤来高原」でトイレ休憩。

 道の駅を 
16:00出発、
 高速道をひた走り、私の乗車場所の「古市駅前」には、17:30には
 到着しました。
 赤名湿地散策はゆっくりと自然に溶け込んで、あのドラマの「牧野万太郎」
 気分でゆっくりと時の流れを感じながら・・・
 今回は自分の田舎道を歩いているようで気が休まりました。
 関係者の皆さま有難うございました!!        END


 
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ふるさと歴史探訪 ~倉橋島散策~に参加! (12月) 2

2022-12-26 12:54:40 | 旅行
 午後からも続きます。

 13:00
 桂浜を散策開始です。

 
◎ 桂浜にある 「御座船
 桂浜の道路沿いに、三隻の和船が上架されています。御座船と言われ旧暦の
 6月17日、宮島・厳島神社の管弦祭に出て行く。
 倉橋島は和船の船大工が多く、和船造りが盛んだった。
 元来御座船は、天皇・公家・将軍・大名などの貴人が乗るための物。





◎ 桂浜神社
 733年に龍神様として鎮座。
 江戸中期の建物で宮島の厳島神社と同じ海人の神「宗像三女神」と武将の神
 「宇佐八幡三神」を祀っています。
 本殿は、文明12年(1480)の棟降札を有し、屋根は柿葺きで、三間社流造の本殿は
 全体的に木細で、庇の柱迄円柱にするなど県内で類例の少ない建物です。
 国指定重要文化財 (昭和57年6月11日)






 

◎ 桂浜
 桂浜は「日本の渚百選」や「日本の白砂青松100選」にも選定される美しい
 スポット、夏場は土日も海水浴場客が多すぎないという穴場的スポットビーチ。





◎ 長門の造船歴史館
 1992年(平成4年)に開館。
 古代から現代までの木造船模型をはじめ、造船と海運業に関する資料を展示。
 実物大の遣唐使船は、平成元年(1980)に建造され、大きさ長さ25m
 幅7m、帆柱までの高さは17m。
 江戸時代に試作された「外輪船」、津和野藩が造らせた「関船」などの模型
 や古文書など展示。








↑ 古代の「木造のイカリ」です。
 ここの代表的存在?

◎ 火山
 標高408m、広島県の最南端・倉橋島の中央部に位置する山。
 山頂で火を焚き、灯台の役目をはたしていたため火山(ひやま)と呼ばれている。

  (バスの車窓から)

 

◎ 音戸大橋・音戸の町並み
 昭和35年(1960)4月着工、昭和36年11月完成。
 総工費3億6200万円。 
 総延長1,184mの国内で唯一の、らせん形大橋。



◎ 法専寺
 毛利元就の末子、元為(後に出家して憎法専)が見張り役を兼ねて天台宗の
 寺を開き、天文23年(1554)真宗に改宗。
 さらにこの後、現在の浄土真宗本願寺派に改宗される。
 この寺には天正4年(1576)石山の合戦で毛利軍の船に幟を立て食料を運んだ
 際の幟に下げた鐘が保存されている。
 石垣は「忍び返し」がついており、いざという時、城として使おうとしたの
 ではないかと言われている。

 




↑ (本堂の屋根の上に「アオサギ」が休んでいました。)




「城みちる」さんの実家、民家の花は?



 ◎ 音戸町の街並み
  清盛が沈む太陽を扇で止めて一日の内で開削したという、伝説の
  「音頭の瀬戸」で知られる呉市音戸町、広島湾の東南、呉市の南に
  位置する倉橋島にあり、その北側約三分の一を占める。
  呉市とはわずか幅70mの海峡で隔てられており、赤いアーチ型の
  音頭大橋がシンボルです。

  古くは「穏渡」と書かれていた。




写真館、丸型ポスト、銭湯、木製電柱と懐かしい光景。





 ◎ 榎酒造
 榎酒造(株)は、明治32年(1899) に操業。
 「華鳩」をメインの銘柄、昭和49(1974)酒造年度、全国で初めて
 「貴譲酒」を醸造した実績を持つ酒蔵でもある。
 「ほっと安らぐ酒」華鳩を皆で試飲させて頂き、港町の風情を満喫。



 ◎ 清盛塚
  音戸の瀬戸を切り開いたと言われる平清盛公が、人柱の代わりに
  一字一石の教石(一切経)を海底に沈め難工事を完成した[長寛2年(1164)
 着工、永万元年(1165)7月完成]
  元暦元年(1184)その功徳を讃え、その供養のために清盛塚を建立。
  昭和26年(1951)に県の文化財に指定される。



 
 「おんど観光文化会館うずしお」で今年一年、計10回の
 「ふるさとの歴史探訪」
 に参加された4名の参加者の特別表彰授与式がありました。
 おめでとうございます!

  
 16:50
 倉橋島散策の終了です。
 バスでき帰路につき、和気あいあいの散策会も今年度の最後の倉橋島も
 楽しく見学できました。

 広島駅、18:00 無事到着です。
 皆さまお疲れ様でした。        END

 
 
 





 
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上関・室津散策・in 山口の旅 2

2022-12-03 14:15:18 | 旅行

 午後からも続きます....

 12:30 レストランをバスで出発、上関大橋を渡り、上関長島に到着。
 室津地区の対岸、上関大橋でつながる長島。
 漁業が盛んで、江戸時代は朝鮮通信使や、廻船業で重要な港町として栄えた。


 「御茶屋跡
長州藩が迎賓館として使用されていたが、現在は石垣だけがの頃のみとなっている。




旧上関番所
 萩藩の出先機関として警備や徴税事務などを行った。





 上関の街並みが眺望できた。

阿弥陀寺
 浄土宗の寺。
 始めは瑞相寺末で阿弥陀堂としていたが、文化6年(1809)瑞相寺21世の代
 平僧住職の寺となった。






 階段の途中には「松尾芭蕉」の碑。


 住宅街を歩きます。
 長島は室津と違った雰囲気に感じられます。




竃八幡宮
 主祭神 : 誉田別尊 足仲彦尊 気長足尊
 狭く急な石段、坂道を上がります。
 上関の街並みが見渡され、とても長めの良いところでした。
 竃とは塩を焼くかまどの事。







 神楽の「額」が興味あり。
 上関役場付近で、一番の街中。



 上関大橋も望めます。

 超専寺
 浄土真宗・踊堂山
 文禄の役の際、豊臣秀吉が名護屋へ下る途中、上関に立ち寄り、今の超専寺裏にあった
 踊堂と呼ばれた墓所で  ” 常盆や石仏等も踊堂 ” と歌を詠んだことに由来する。







当時の様子を描いた「朝鮮通信使船上関来航図」(1821年)の額も保存されている。



上関城跡
 (現在は上関城山公園)
 上関城は南北朝時代から戦国時代にかけて瀬戸内海の水軍の海域でした。
 今治の能島水軍、村上義顕がこの地に海関を設け、代々居城し、上関という「関」を
 見張るうえで絶好の立地条件で、徴税権行使のため築城された。
 城兵は上関海峡を通る船から帆別銭や荷駄銭を徴収した。
 水軍同志の勢力争いがあったが、天正16年(1588)豊臣秀吉の海賊禁止法により 
 支配権を失い廃城された。
 今では公園として整備され河津桜の名所となっている。


周防灘が見渡せる高台。







菅原神社
 祭神 : 菅原道真 
 平安時代に学問をもって朝廷に仕える。
 官位従二位、右大臣にまでなった偉人。
 しかし、藤原時平(左大臣)に陥され、左遷先の大宰府で没する。
 死後は天満天神として信仰の対象となり、現在は学問の神として親しまれている。




「手水鉢」の「盃状穴」。




 上関の旧道がずっと続いている。


 15:00
 道の駅「上関海峡」で小休憩をし、
 15:30 帰広のバスに乗車しました。
 大内氏から毛利氏に継承された上関は朝鮮通信使に関わる史跡が多く、同じ上関町の
 室津の街並みとは上関大橋でつながった長島の街並みは趣の違った雰囲気のある街並み
 でした。
 風がきつく海上は凄く荒れていましたが、楽しく散策できました。
 途中の玖珂PAでお土産を調達し(クーポン券付き)利用しました。



 楽しく散策できました。
  案内の先生のおかげで殆どの神社、お寺の本堂に上がらせて頂きご本尊を拝ませて
 頂きました。
 お疲れ様でした。
 18:00には我が家に帰宅できました。   
    END


 

 
 
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上関・室津散策・in 山口の旅  1

2022-12-01 22:59:30 | 旅行
ふるさとの歴史探訪 ~街道を行く中国路~ 上関、室津の散策の旅に行ってきました!
4-11月30日(水) 不動院前バス停、7:40 乗車しました。
山陽道を走り、玖珂ICから柳井経由で9:30室津に到着しました。
江戸時代に海上交通の要衝として栄えた港町で、山側には古い家並みが残り、
南側の斜面地には古き良き漁村らしい雰囲気があります。


室津地区散策
 室津は古くから廻船、漁業が盛んで、今も残る街並みは歴史を感じる。




西方寺」 → 浄土宗
 慶長年中(1596~1614)に、長誉童貞が堂を建立し、龍池山紫雲院西方寺と改め、
 知恩院(浄土宗総本山)直末となり、幕末の時、義勇隊および室津鴻城軍の駐屯所と
 なり、本堂の柱には隊士が切りつけた刃傷が数か所残っている。






「かみのせきの消火栓」のマンホール。



「六角形の井戸」今も現役か?
 



賀茂神社」 → 賀茂大明神
 文和元年、大内候の願いに依って、京都上鴨神社より勧請。






四階楼
 明治12年(1879)幕末に活躍した小方謙九郎が建てた、儀洋風木造四階建ての建物。
 建築費は当時の金額で3000円と言われる。
 四隅の柱が一階から四まで貫いて高さは11m。
 内外壁に施された見事な雲龍や鳳凰、四階大広間のステンドグラスとか、この建物の
 独特の雰囲気をかもしだしている。










常満寺」→ 浄土真宗
 上関室津漁港側の寺院。
 平氏の武将である佐原十郎盛光が開いたと言われる。
 1727年に火災にあった事から、元文4年(1739)に現在地に移転。
 本堂前の大イチョウの巨木があり、樹齢1000年、高さ30m。
 移転の際、伐採しようという話もあったが 
  ” イチョウは火災の際、水を噴いて火難から守ってくれる” 
 という言い伝えがあり、伐採を免れたと言われる。(住職の話より)







この辺りが、朝鮮通信使上陸の地と言われる。




11:35
昼食、レストランうみべ 上関海峡温泉「鳩子の海」で、周防灘を眺めながらの海鮮料理
を頂きました。
私は生の魚がダメで海鮮丼のトッピングの刺身を先生に食べて頂きましたが、
ご飯に魚の臭いが付いてて駄目でした。
こういうときは事前に別の料理にしてもらえると良いい見たいでした。
持参の「ランチパック」をバスで食べましたが・・・

  午後に続きます・・・

  
 

 
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浜田城下史跡散策ツアーに参加する! 2

2022-10-29 13:47:20 | 旅行
 12:55  午後からも続きます。
 バス移動して、浜田城の資料を学習。
 ◎ 浜田城資料館(旧浜田御便殿)
   2019年、浜田藩開府400年に合わせ、浜田市が浜田城近くの歴史的建造物
  「御便殿(ごべんでん)」を改修し整備を進めてきた「市浜田城資料館」が完成した。
  御便殿は1907年(明治40年)、大正天皇が皇太子時代に山陰を訪れた際に
  宿泊された建物。

  






 ◎ 浜田城跡/登城
  浜田城は、標高67mの丘陵に築かれた平山城で、別名「亀山城」とも呼ばれ、
  築城は、元和5年(1619)に浜田藩初代藩主となった古田重治が、翌年に着手し
  元和9年(1623)には完成した。
  本丸には三重櫓と呼ばれた天守や六間長屋がりました。
  慶応2年(1866)第二次幕長戦争(石州口の戦い)で、大村益次郎が率いる長州軍
  と戦いましたが、破れ、浜田城は再興を期して自焼退城と決し、落城しました。




護国神社もあり、「碑」もあちこちありましたが説明は聞き逃しました。









石段の階段に沢山落ちていた「イヌマキ」の実は初めて見ました。

 ◎ 心覺院/拝観
  心覺院の木造阿弥陀如来立像は、元和6年(1620)の古田氏による築城の際、
  亀山にあった天台宗来迎寺をこの地に移転したと伝えられ、寛文年間
  (1661~1672)に浄土宗に改宗し心覺院とした。
  心覺院の本尊「木造阿弥陀如来立像」はヒノキ材の一本造りで、像高96,5cm、
  玉眼入り、漆箔像で踏割蓮華座に立ち、来迎印を結んでいる。
  背刳りの胎内には阿弥陀坐像の摺仏がおさめられている。
  昭和25年(1950)に重要文化財となった。








外社の「観音堂」の後本尊を33年に1度開帳されるというのを特別に拝観させていただく。




 会津屋八右衛門像 → 海辺にそびえる像を見る。



 ◎ 瀬戸ヶ島厳島神社 → 海の神、厳島三神は宮島の厳島神社と同じ。



 無人の神社でしたが頭上では「とんび」が数羽出迎えてくれました。
 


 ゆっくり飛翔するとんびを見ながらい厳島神社を後にし、本日の散策はおしまいです。
 「道の駅ゆうにパーク浜田」にて休憩、お買い物をし、
 16:30 帰路に就いたのでした。
 浜田城跡は急勾配の石段がきつかったですが、日本海の閑静な光景に魅せらられた
 好天気に恵まれた楽しいバスツアーでした!。
 15名の参加者、皆さんお疲れ様でした。        END

              
 
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浜田城下史跡散策ツアーに参加する! 1

2022-10-27 21:35:35 | 旅行
たびまちゲート広島のバスツアー「ふるさとの歴史探訪 浜田城下の史跡散策」に行きました!
R4-10/26(水)
7:30 不動院前バス停でバス乗車、高速で途中トイレ休憩を取りながら、2時間。
県境のトンネルを抜けると島根県です。



浜田に到着です。
先ず最初に訪れたのが、
◎ 亀甲山 多蛇寺 → 弘法大師空海が開山
         本尊 十一面観世音菩薩
         木造天部群像(平安仏)を拝観。





 ◎ 総社・伊甘神社  → 石見国府庁域内の式内神社
              祭神 天足彦國押人命
              創建 貞観3年
              本殿の形式は「変態春日造」
              当社周辺が石見国府跡であったと言われる。









 ◎ 浜田歴史民俗資料館
   浜田市は石見部の中核都市として発展。
   その浜田市の歴史や生活などに関する資料を収集、保管、展示することによって
   未来へ続く浜田の風土、歴史を考える場として開館された。(説明あり)





 (長浜人形の中にひと際目立つ人形は亡き母が嫁入りの時に持ってきた人形にそっくり、
  益田出身の母は岩見の人です)

 バス移動して、
 11:50 昼食:和食レストラン「会津屋八右衛門」(道の駅ゆうひパーク浜田)
       遠く日本海を眺めながら浜田港に出入りする漁船が運んだ名物海鮮料理を
       頂く。





 のどぐろの煮つけや出雲そば、名物の赤てんと季節感あふれる旬の食材を使用した
 料理をおいしく頂きました。
 苦手のお刺身だけは他の参加者に食べて頂きましたが。
 御馳走様でした!

  
  午後に続きます....


            
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山口 in 徳山動物園にて

2022-09-12 21:08:55 | 旅行
9/8日(木)9時すぎに娘が車で迎えに来てくれて山口に向かいました。
当日は孫のK君が誕生日で急遽Mちゃんと4人でランチすることが出来ました! 
11時予約で4人で美味しく頂きました。
私は「焼きカレー」です。




ランチの後は肝心のK君が夜勤ということで帰って寝ると言って帰って行きました。
3人で娘の車で徳山市内をぐるぐる回ってナビで観光地を探したのですが、結局「徳山動物園」
に行くことになりました。



入園後すぐの「野鳥観察小屋」に行きました。
カルガモ、キジ、シロハラがいたのですが撮らせてくれませんでした。
白いサギ見たいの鳥はくちばしがコサギとは違います。





アオサギ、ペンギンと見て回りました。



ガオーという声にトラ、ライオンといましたが暑くてだらーとなっています。









鳥獣魂碑が立っていて亡くなった鳥獣たちも大切にされています。
休憩しながら見て回りましたが、暑くて出会った子供たちは皆頭が汗で水を被ったようです。








レッサーパンダが人気の様でした。

ジンジャーリリーが咲き、「サルビア」が徳山のマンホールの蓋のデザインでした。



約1時間の見学でした。
疲れて「ガーデンカフェ」でお茶しました。
私は「コーヒーゼリーアイス」にしました!



午後4時を過ぎていましたので「東徳山IC」で帰路につきました。
午後6時前に帰宅しましたが運転してくれた娘に感謝です。
Mちゃん楽しかったね!!
                END
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ブッポウソウ観察と君田温泉 in 作木の旅

2022-07-01 17:28:50 | 旅行
6月30日(木)アストラムライン古市駅に友人と落合い8:20乗車、森の宝石ブッポウソウ観察と君田温泉のバスツアーに行ってきました。
高速と一般道を走り、10:00 三次市の作木、伊賀和志地区に到着しました。

蓮光寺でガイドの説明を聞き、約1時間巣箱に帰ってくるブッポウソウの観察です。
直射日光も暑くて難儀しましたが、餌をとり、ヒナに与えるところを2度ほど双眼鏡で確認
出来ましたが、素早い動きにアッという間の出来事で写真に撮ることは至難の業です。
やっと電線に居るところを写せましたがピンボケでした。







案内の写真を掲載しときます。
ガイドの方の説明では全国で約800羽のブッポウソウは約9割がここ広島で繁殖する夏鳥で
1Bに所属する絶滅危惧種だそうです。



 バス移動で「ゆめランド布野」で昼食のふるさと惣菜バイキング料理を頂きました。



 食後はバス移動で「ダチョウ牧場」に到着、35℃の気温でのダチョウもぐったり状態。
 説明もそこそこに、餌やり体験には私は行きませんでした。
 友人は可愛かったよと言っておりましたが…






 ダチョウを楽しんだ後は最後の「君田温泉入浴」ですが、暑い温泉は苦手なので
 友人と隣接の「はらみちを美術館」を見学しました。
 晩年をここ君田で過ごされたはらみちをさんは、身体の不自由にもめげずにひたむきな
 努力で「おかあさんと子「ふるさとのぬくもり」をテーマに詩画の創作に取り組んで
 来ました。
 残念ながら昨年亡くなられています。
 牛田にも長く居住されていて、親しさを感じます。




人はみな母を求めて生きています ははの温みや優しさを求めて…
展示品の撮影禁止なのですが、優しい気持ちになりました。


午後3:30
君田温泉出発です。
約1時間半、バスの中は快適で気持ちよく熟睡できました。
夕方の5時には古市駅に到着。
無事ツアーもものすごく暑かったですが、友人と楽しく気分転換になりました。
又、行きたいね~と別れたのでした!
      END
 
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ベンガラ生産で栄えた吹屋の歴史散策 in 岡山の旅 2

2022-04-30 20:02:35 | 旅行
 13:20 
 午後からも続きます。
 ラ・フォーレ吹屋の学校風レストランで美味を堪能し次の吹屋小学校跡を拝観します。

 ◎ 旧吹屋小学校
  明治32年(1899) (東校舎・西校舎、木造平屋建)
  明治24年(1909) (本館2階建)という日本最古の木造校舎が完成。
  平成24年(2012) 閉校 
             大正7年 最大369名の生徒が在籍していたが、
             閉校時の生徒は7名までに減少した。








平成27年からは貴重な文化建造物として将来に継承するために、建物を全解体し、地盤補強と建物の構造補強を実施する保存修理工事に着手し、令和4年2月に竣工しました。
4月に開校公開されていて見学できました。


 バス移動でベンガラ館を見学し、「笹畝坑道」=吉岡銅山跡を探索。

 ◎ 笹畝坑道
  江戸時代から大正時代まで創業した銅山を復元し、校内を見学できるようにした
  ものです。
  吉岡(吹屋)銅山は大同2年(807)に発見されたと伝えられ、日本3大鉱山の
  一つ。







入り口、出口付近に自生している「スズラン」が迎えてくれました。


バス移動して最後の見学地「広兼邸」を拝観。

 ◎ 広兼邸
   映画のロケ地にもなった豪奢な雰囲気の味
   享和・文化の頃(1800年ごろ)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、
   巨大な富を築いた大野呂庄屋・広兼氏の邸宅です。
   江戸末期に建てられた、楼門づくりで城郭にも劣らない堂々たる石垣は、
   今もそのまま当時の富豪ぶりを讃えます。
   映画「八つ墓村」のロケが昭和52年(1977)と平成8年(1996)の2度に
   わたり行われ、全国に放映された。







 
 16:00
 映画のロケ地となった大庄屋広兼邸を拝観し、代官御用所の西江邸を遠望
 東城街道を東城の町へバス移動、道の駅「湯YOUさろん東城」で休憩しながら
 東城ICから中国道を帰路につきました。
 乗車した不動院バス停に着いたのは19:00前でした。
 石州瓦とベンガラ 漆喰壁の赤い街並み、歴史的,伝統的保存地区,吹屋ふるさと村は
 以前からの念願の地でしたが今回歴史街道散策会の先生のガイドでよくわかり、
 楽しい旅でした。
 皆さんお疲れ様でした!    
 END
コメント (2)
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