2024年7月13日(土)
動画がUPされました。光明皇后の秘密です!
兵庫県養父市にある光明山に、光明皇后の十字架の地下神殿が造営されています。
これらの秘密をもう早く表に出しなさい!と今年の正月から叫んで居られるのですが、誰一人として見向きもしません。
そろそろ又、大爆発の様相ですよぉ~。「私が成したことを無視し続けるのですね!」とお怒りなんですがねぇ・・。
2024年7月13日(土)
動画がUPされました。光明皇后の秘密です!
兵庫県養父市にある光明山に、光明皇后の十字架の地下神殿が造営されています。
これらの秘密をもう早く表に出しなさい!と今年の正月から叫んで居られるのですが、誰一人として見向きもしません。
そろそろ又、大爆発の様相ですよぉ~。「私が成したことを無視し続けるのですね!」とお怒りなんですがねぇ・・。
2024年3月13日(水)
鹿嶋神社には阿弖流為の首が持ち込まれたと私は思っている。
阿弖流為が斬首された場所は、大阪府枚方市の交野山だと思っている。阿弖流為が斬首されるより前の話であるが、桓武天皇が冬至の日に北に向かって2度も郊祀を行っている交野が無関係とは思わない。いや大いに関係していると思っている。1度目の郊祀は、藤原鎌足の墓を鎌足公古廟からすぐ麓に移し替えていると思っている。そのお墓はフェニックスコードで読み解いているが、この藤原鎌足の墓と阿弖流為の首が持ち込まれた鹿嶋神社と同距離となる中間点を見ると、先ず北から「皇子首」「祖父岳」「経ヶ岳」「聖岳」「駿府城」である。地名にわざわざ「皇子首」とは、私には偶然とは思われません。「経」「聖」そして、家康の最後の城である「駿府城」これらは全て、大地に書かれた願いであり経典のようにも私には響いてきます。
藤原一族の阿弖流為に対する祟り封じにも見て取れる。これらのフェニックスコードから間違いなく鹿嶋神社には阿弖流為の首が祀られていると私には響いてくる。
2024年2月21日(水)
先日の土曜日に大麻彦君のお墓へとお参りに行きましたが、「私は父親の顔を見たことがないのです」「親の顔もしらないのです」・・と彦君は言われるのです。
そのことを空海さまは、自分のことのように「分かります、分かりますよ・・」と。
空海さまは、「父親の顔は見たことがない」と言って居られましたが、「母親の顔は知っています」「知っているどころか、よ~~く会話もしましたよ」と言って居られましてね。
ああ~~彦君は、可愛そうな運命を体験されましたねぇ。そのことを知っていた空海様は、一生懸命にサポートされましたねぇ。
「空海殿、ありがとうございました!感謝申し上げます」と、私に乗っかっている横笛を吹く人が言われるのでした。
私は神社でもお寺さんでも今はあまり手を合わせることはしませんが、先日だけは山(お墓)を前にして手を合わせました。
んん~~ん、彦君~~~!!
綏靖天皇の子である大麻彦の墓から、空海の墓までと父不見山までの距離は、全く同距離なのです。
大麻彦は綏靖天皇と弟橘媛との間に宿った子供で、イエスの孫にあたります。「親不知」という山からイエス・キリストの墓までと大麻彦の墓までは全くの同距離なのです。
「おじい様、私は親の顔を見たことがないのです」と言ってますが、あまりにもふびんではないですかねぇ。
実は・・、その話の元である綏靖天皇が私に乗っかかっているのです。 横笛を吹くカンショウシが・・。
奈良の中宮寺の御門跡に会いに行った時、天皇たちが入られる門から入った途端、「お前、生きてたのかぁ!」とイエスが私に言ってきた時のことを今でも私は鮮やかに思い出すことができます。
造山古墳と大麻山と414mの尖がった山は、正五角形の一部をなす直角三角形を描いている。このことは、フェニックスコードの意味は造山古墳は、大麻彦を祀る参り墓で、414mの尖山は大麻彦の埋め墓を教えていました。その証拠に、猪名川町にある大麻彦の山から「父不見山」と空海の墓までが同距離であったり、「親不知」からイエス・キリスト墓まで大麻彦の山までが同距離であったりと、偶然ではない言い表し方がなされている訳です。
2024年2月18日(日)
長い間、頭に刺さっていたトゲを抜きにやっと二つの山へと挨拶に出かけました。
やれやれです。今度はタッチーさんにそのトゲは向かうかもしれませんが・・。
一つのトゲは、タッチーさんの子供の彦君に会いに行きました。横笛を吹くイケメンの人が以前から言って居られましたからね。そして二つめのトゲは、草壁皇子の子供で聖武天皇の父君のお墓へと行った次第でした。
やっと二つのトゲが抜けたと思います。 でも・・まだまだ刺さっているトゲがあるのですぅ・・。
2024年2月6日(火)
運命である。この世は次の世に生まれ出る為の参道のようにも思える。
しかし二人の運命の前には、一人の女性とその父の強い念が感じられる。
力強い魂は途切れることなく生き続けている。つづく・・その先へと続いています。
2024年1月3日(水)
元旦、2日と大変な今年の幕開けです。
心して一日一日を過ごさねばなりません。
そしてこの二つのニュースは、霊界からの強烈なメッセージである。
それは「光明皇后の墓と光明皇后の地下神殿を急いで表に上げよ!」と霊界が、がなり立てています。
震度7を記録した石川県志賀町と羽田空港の事故のニュースは、新潟県三条市笠掘の光明山(879m)と、静岡県浜松市天竜区山東の光明山(540.3m)の二つの光明山を教えています。
二つは二等辺三角形と直角三角形(大矩)を描きます。
浜松の光明山から三条市の光明山までと兵庫県相生市の光明山(光明皇后の墓)までは、309㎞で二等辺三角形を描きます。
また、もう一つの震度7を記録した:珠洲市から羽田空港までと兵庫県養父市の光明山(光明皇后の地下神殿)までは共に312㎞で二等辺三角形を描きます。
急いで「光明皇后が成したことを表に上げよ!」と要求しています。
表に上げるまで、徹底的に能登半島はゆすられ続けます。いえいえ日本列島が大変な状態になります。
またこのニュースは、「邪馬台国オリオン座説」を一刻も早く国民に知らしめよ!と促してもいます。
2023年12月8日(金)
安寧天皇陵からイエス・キリストの墓までと、綏靖天皇の墓までは、共に119.4㎞と同距離です。
この事実は、間違いなくイエス・キリストの墓と嫡男である綏靖天皇の墓の位置を知り得るものが、安寧天皇陵の位置決めをしていると言えます。
詳しくは・・noteに書いていきます。
2023年11月22日(水)
ツアーから帰って、何枚もフェニックスコードを描かされ続けていますが、そこから響いてくるのは、「早く光明皇后の地下神殿を開けよ!」と迫ってくるものがあります。
2023年11月11日(土)
篠島では、朝食を食べる前に、「昨日、山の件で知り合いに電話すると、山を管理している人が是非とも会いたいと言って居られますが・・」と女将さんが言われるので、「いいですよ」と言うことになり、
「じゃ~9時半にチェックアウトして出ます、と伝えていただけますか」と言う思わぬ話になりました。
島の美味しい朝食をとり、チェックアウトを済ませて前日行ったコースでなく、海岸沿いから大きく左にカーブしながら廃校跡へと続く道を上がって行きました。
そして、私だけが山頂へと行って静かに挨拶をすませて廃校跡に下りてくると、ほどなくして単車でやって来られました。
ゆっくりする時間もあまりないので、私がコアロッドで地底探査した結果だけを告げて山を下りました。
・・
それから数日経って、テラファイトアンバサダーに来られた方々との会話の中で私は、「篠島の古墳は、卑弥呼のお祖父さんの墓です!!」と突発的に強い口調で言葉を発していました。
そして、山頂で島の案内図の裏に石室と金の状態を書いていたところに、「孝昭天皇の墓」と赤のボールペンで書き加えました。
篠島の古墳は卑弥呼の御祖父さんである孝昭天皇の墓でした。
2023年10月14日(土)
9月16日(土)、新温泉町の山上にある円仁の墓の探索と巖山寺と、巖山寺の住職さまの案内で巖山神社へも行くことが出来たので、次の17日は、朝からゆっくりと養父市の中瀬鉱山町へとカーナビにセットしてドライブを楽しんだ。
・・でも鉱山町へと行ったものの、金山跡地がわからないので探していると・・、「山田風太郎記念館」という案内表示が目に入ったので、そこで聞けば教えてもらえるのではと思ってその記念館へ行ってみました。そこで私の目的とその場所を聞くと、丁寧に中瀬鉱山関所広場交流館への場所を教えてくれました。そのおじさんは、「私は金山会の会員もしていまして・・」と。
そのようなことで、迷うことなく中瀬鉱山関所広場交流館へとたどり着くとができました。すると・・、風太郎記念館のおじさんからの連絡を受けたというおじさんが、今か今かと待ってくれていた。
田舎の連絡網は凄い!と思いました。
そして詳しく詳しく、金山関所展示物での話は私をワクワクさせる話ばかりでした。
そして私はタイミングを見て、「石に金の反応を示すか調べてもよいでしょうか」と了解を得た上で、コアロッドを取り出して落ち着いて調べました。おじさんは、初めて見る私のコアロッドをしげしげと見ていました。そして、「反応しますかぁ・・」と言いながらも、不思議そうに眺めていました。
それから私は、ことの始まりの砂金が出たという大日寺付近の沢でコアロッドが反応するかどうかを楽しみました。
すると・・、反応する石を見つけることができました。それにしてもその日の真夏並みの異常な暑さだったことが今は懐かしく思い出されます。
2023年8月16日(水)
14日夕方、ベランダの物干し竿も土間に落とし、ベランダにあったものも全て室内に取り込み、台風に備えました。
そして・・、夕方7時半から楽しみにしていた俳優・草刈正雄さん70歳出演のNHK「ファミリーヒストリー」を見ました。
同じ時代に生まれ、同じ九州に生まれ・・、「つらい少年時代があったんだなぁ・・」とか、空海様も「お父さんの顔を見たことがないんです」と言われますし、その時間中づっと空海さまと、私の父、母のことを思ったりしながら見ていました。間違いなく空海さまも一緒に見ていたような気がしました。その証拠に? 台風の影響を感じることは全くありませんでした。
そして翌朝、気象庁によると神戸市中央区では午前7時ごろ、最大瞬間風速35.7mを記録したとニュースで言っていましたが、私の住まいでは一切、風も雨も吹き荒れませんでした。
昨日の台風7号は、間違いなく南の海から私のところへ空海様と共に亡き父母が来てくれたようでした。台風が過ぎゆくときにほんの少しだけ遠くで風の音がしていましたが、「頑張ってよ~~」と励ましてくれているように思えて、目頭があつくなりました。あちこちで大変な爪痕を遺した台風でしたが、私にはゆっくりと素晴らしいひと時をくれた台風でした。
2023年7月6日(木)
一昨日の夜、TVをつけるなりたまたま見たニュースで、「息子はそんなことをする子では絶対なかった・・」と、自衛隊小銃乱射事件を起こした少年の父親の話を聞いて何か響くものを感じた。
それですぐさまその事件と安倍元首相暗殺事件で教えられた「天王山」を地理院地図とグーグルマップから情報を得ることにした。
すると・・、フェニックスコードとマップから重大なことをガンガン教えてきた。
間違いなく空海らしき何者かが、「時間が無い急げ!」と告げてくるようで・・。
それで早速、急いで行かなけらばならない場所が決められた。
・・ので、予定していた今日のスケジュールを急きょ理由を告げてキャンセルをした。
そして、「行きませんか!」と重要な山へと上る決心をした。
その山へと上がる前に、どうしても「天王山」へも上がらなければその山へも寄せ付けてもらえないと言う気になったので、コースとタイムから宿も素早く手配した。
いつもスローな私からは考えられない手早さだった。
電話を切った後、「宵山の日に上るんですね」と言われた言葉でハッ!と我に返った気がしました。
ぎりぎり間に合いそうです・・。