加藤隆さんの主張は「四つの福音書は基本的に全く違ったもので、その意味するところ、思想もまるで違っている」というもので、どの著作でも一貫しています。
私が最も興味があるのは「新約聖書学のテキスト批判の方法」です。次に「西洋的思考の問題」にも興味がある。現代キリスト教がきわめて「西洋的なものになってしまった」のは何故か。もともと中東で生まれた宗教が、きわめて「西洋的」と言われるのは何故か。歴史的観点からはそこに興味があります。
さてそれはともかく、
四つの福音書、ルカは福音書とは言われず「ルカ文書」と言われるそうです。使徒列伝を含んだ全てをルカ文書と言うからです。ルカ福音書はルカ文書の前半部分ということになります。
四つの福音書は
マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ
です。書かれた順番もほぼこの通りと思われます。紀元一世紀半ばから二世紀初頭にかけてギリシャ語で書かれました。マタイとルカの作者は間違いなくマルコ福音書を読んでいました。しかしマタイとルカの筆者には「つながりはない」、つまり互いの福音書は読んでいなかったと考えられます。そのわりにはマタイとルカは似ています。これはマタイとルカの作者が「同じ資料を参考にしていた」からであると考えられます。それは「キリストの言葉集」のようなものでQ資料と呼ばれます。Qという文字に神秘性はありません。ドイツ語の資料という言葉の頭文字がQであったからに過ぎません。このQ資料の存在は間違いないと考えられますが、現存はしていません。断片のようなものでさえ発見されていません。
それぞれの「性質」を単純化するとこうなります。
マルコ キリストの行動を示したもの。長い説明とか教訓は多くない。神殿批判や弟子たちへの批判など、批判に満ちた書である。復活のイエスについての叙述は当初はなかったと考えられる。
マタイ かなり長い内容になっている。律法主義的な性格が強い。キリスト教がしりぞけたユダヤ教の戒律にかわって、キリスト教戒律のようなものが示されている。
ルカ キリストのみならずその他聖人たちの行動が示されれる。キリスト教は普遍主義的でなければならない、と考える作者によって書かれた。復活のイエスの意義が強調されている。
ヨハネ 他の福音書とはだいぶ違っている。キリストのみが神であるという立場が見られる。
われわれはキリスト教というとたとえば「隣人愛」などと考えますが、それは「ルカ福音書の立場」です。ルカ文書は「普遍主義的な立場」をとっていて「万人にあてはまる真理」を語っているかのような「外形」を持っています。だからルカの立場がキリスト教の立場だと考えられてしまうことが多いのですが、それは一つの福音書の立場に過ぎません。
この四つが対立的か協調的か、どう考えるかで解釈は違ってくるのですが、加藤隆さんは「対立的」と捉えています。だから「統一的理解などもともとできない」ということになります。非常に興味深い指摘だと思います。
私が最も興味があるのは「新約聖書学のテキスト批判の方法」です。次に「西洋的思考の問題」にも興味がある。現代キリスト教がきわめて「西洋的なものになってしまった」のは何故か。もともと中東で生まれた宗教が、きわめて「西洋的」と言われるのは何故か。歴史的観点からはそこに興味があります。
さてそれはともかく、
四つの福音書、ルカは福音書とは言われず「ルカ文書」と言われるそうです。使徒列伝を含んだ全てをルカ文書と言うからです。ルカ福音書はルカ文書の前半部分ということになります。
四つの福音書は
マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ
です。書かれた順番もほぼこの通りと思われます。紀元一世紀半ばから二世紀初頭にかけてギリシャ語で書かれました。マタイとルカの作者は間違いなくマルコ福音書を読んでいました。しかしマタイとルカの筆者には「つながりはない」、つまり互いの福音書は読んでいなかったと考えられます。そのわりにはマタイとルカは似ています。これはマタイとルカの作者が「同じ資料を参考にしていた」からであると考えられます。それは「キリストの言葉集」のようなものでQ資料と呼ばれます。Qという文字に神秘性はありません。ドイツ語の資料という言葉の頭文字がQであったからに過ぎません。このQ資料の存在は間違いないと考えられますが、現存はしていません。断片のようなものでさえ発見されていません。
それぞれの「性質」を単純化するとこうなります。
マルコ キリストの行動を示したもの。長い説明とか教訓は多くない。神殿批判や弟子たちへの批判など、批判に満ちた書である。復活のイエスについての叙述は当初はなかったと考えられる。
マタイ かなり長い内容になっている。律法主義的な性格が強い。キリスト教がしりぞけたユダヤ教の戒律にかわって、キリスト教戒律のようなものが示されている。
ルカ キリストのみならずその他聖人たちの行動が示されれる。キリスト教は普遍主義的でなければならない、と考える作者によって書かれた。復活のイエスの意義が強調されている。
ヨハネ 他の福音書とはだいぶ違っている。キリストのみが神であるという立場が見られる。
われわれはキリスト教というとたとえば「隣人愛」などと考えますが、それは「ルカ福音書の立場」です。ルカ文書は「普遍主義的な立場」をとっていて「万人にあてはまる真理」を語っているかのような「外形」を持っています。だからルカの立場がキリスト教の立場だと考えられてしまうことが多いのですが、それは一つの福音書の立場に過ぎません。
この四つが対立的か協調的か、どう考えるかで解釈は違ってくるのですが、加藤隆さんは「対立的」と捉えています。だから「統一的理解などもともとできない」ということになります。非常に興味深い指摘だと思います。