菅野さんの「日本会議の研究」。アマゾンでは今新書部門で売れ筋トップです。が、私は前に図書館で予約していて、順番がきたので借りてきて読んでみました。
300頁ほどあります。扶桑社新書です。扶桑社はフジサンケイグループです。
まだ一回読んだきりで、しかも速読です。文体は「変に熱狂的ではなく」、言葉も簡素。政治本にしては読みやすいと思います。日本会議が誕生した「歴史」を追っています。
内容は
日本会議という保守の圧力団体が日本にはある。運動形態は草の根的で、一見すると民主的市民運動のようにも見える。安倍内閣のメンバーはほぼ所属していて、政権への影響力は大変強い。
彼らは運動や組織維持の手法を、左派の市民運動や、左派学生運動の失敗から学んだ。長老たちは右派学生運動の生き残りで、今も右派学生運動を続けているという見方ができる。「もっとも民主的でない考え方をする人々」が、民主的な市民運動の形をとって活動している。
日本会議の名を前面に出さない場合も多く、実際はこの会の活動を担っていながら、担っているという認識がない人も沢山いる。ただの市民運動だと思っている人もいる。
宗教団体生長の家の出身者たちが事務や勧誘を担っている。彼らは「生長の家」から飛び出した「生長の家原理主義」とも言える人々である。
宗教の「勧誘の力」が生かされている。したがって「若い人々がこの団体に入って」くる。あまたの政治運動団体が「高齢化」によって衰退しても、この団体が衰えないのは、若い力があるからで、具体的には「日本青年協議会」こそがこの団体の真の中心である。
彼らのカリスマは安東氏なる人物である。政治と宗教が融合しており、草の根運動(市民運動)の形をとったカルト集団という見方もできる。
彼らが最も興味をもつテーマは「憲法改正(改悪)」、「歴史認識」の変更、「夫婦別姓反対」「従軍慰安婦問題」「反ジェンダーフリー」である。この草の根ファシズム(極右)運動は極めて危険であり、健全なる市民運動によって駆逐しなくてはいけない。
以上。
よりにもよってなぜフジサンケイグループの扶桑社が、とも思いますが、考えようによれば、日本会議の宣伝にもなる。この本の趣旨は「日本会議批判」だけれども、その逆の効果がもたらせれる場合もある。この本で初めて日本青年協議会の名を知り、近づく青年たちも少なくはないでしょう。
そんなことを感じました。私自身は若くないので、こういう本を読んでも「高揚感」はありません。ただ色々知らない団体が沢山でてくることや、舞の海さんが会員とは興味深い、というのが今の段階での感想です。なにしろ速読で、まだ一回しか読んでないのです。
なぜ「左派の運動は一時的な盛り上がりしかしないのに、右派の運動は継続して元気なのか」の説明にはなっているようにも思えます。
私が幼児だった頃、日本には安保闘争という運動がありました。でも大学に入る頃には、左派の運動はすっかり大人しくなっていて、右派の運動も活発ではなかった。でも今では、少なくともネット上には、異常なほど「中韓の問題」「慰安婦問題」「歴史認識問題」に「敏感な人々」がいる。それが何故か、への「回答の一つの例」だと思いました。
さらに思うのは、「保守という連帯感」が一部の若い人々を引き付けているのだろうということ。昔も「左派という連帯感」がありました。今でもあるかな。でも、私のようなわがままな人間はそういう連帯が嫌いで、「自立」とか「孤独」の方に価値を見出していました。
考えてみると、宗教や政治やサークルに至るまで、色々な「勧誘」を大学では受けました。でも私は「連帯感」がどうも苦手で、入ったのは自主ゼミだけ。連帯感とかあまりなく、互いの研究を批判する場。そっちの方が性にあっていたのです。
今は「連帯感を希求する若者」が多く、「保守という連帯感。大きな組織への帰属意識」で心の孤独を埋めているとすれば、なかなか根の深い問題だな、と思いました。
また草の根ファシズムというのは歴史的にみて非常に厄介なもので、そう簡単に「対抗」できるものではない。今回の森友問題が、それを考えるきっかけとなれば、むしろ問題の表面化は日本にとって好ましい事態なのかも知れません。
速読ではなくちゃんと読んでみて、また「感想」を書きたいと思っています。
300頁ほどあります。扶桑社新書です。扶桑社はフジサンケイグループです。
まだ一回読んだきりで、しかも速読です。文体は「変に熱狂的ではなく」、言葉も簡素。政治本にしては読みやすいと思います。日本会議が誕生した「歴史」を追っています。
内容は
日本会議という保守の圧力団体が日本にはある。運動形態は草の根的で、一見すると民主的市民運動のようにも見える。安倍内閣のメンバーはほぼ所属していて、政権への影響力は大変強い。
彼らは運動や組織維持の手法を、左派の市民運動や、左派学生運動の失敗から学んだ。長老たちは右派学生運動の生き残りで、今も右派学生運動を続けているという見方ができる。「もっとも民主的でない考え方をする人々」が、民主的な市民運動の形をとって活動している。
日本会議の名を前面に出さない場合も多く、実際はこの会の活動を担っていながら、担っているという認識がない人も沢山いる。ただの市民運動だと思っている人もいる。
宗教団体生長の家の出身者たちが事務や勧誘を担っている。彼らは「生長の家」から飛び出した「生長の家原理主義」とも言える人々である。
宗教の「勧誘の力」が生かされている。したがって「若い人々がこの団体に入って」くる。あまたの政治運動団体が「高齢化」によって衰退しても、この団体が衰えないのは、若い力があるからで、具体的には「日本青年協議会」こそがこの団体の真の中心である。
彼らのカリスマは安東氏なる人物である。政治と宗教が融合しており、草の根運動(市民運動)の形をとったカルト集団という見方もできる。
彼らが最も興味をもつテーマは「憲法改正(改悪)」、「歴史認識」の変更、「夫婦別姓反対」「従軍慰安婦問題」「反ジェンダーフリー」である。この草の根ファシズム(極右)運動は極めて危険であり、健全なる市民運動によって駆逐しなくてはいけない。
以上。
よりにもよってなぜフジサンケイグループの扶桑社が、とも思いますが、考えようによれば、日本会議の宣伝にもなる。この本の趣旨は「日本会議批判」だけれども、その逆の効果がもたらせれる場合もある。この本で初めて日本青年協議会の名を知り、近づく青年たちも少なくはないでしょう。
そんなことを感じました。私自身は若くないので、こういう本を読んでも「高揚感」はありません。ただ色々知らない団体が沢山でてくることや、舞の海さんが会員とは興味深い、というのが今の段階での感想です。なにしろ速読で、まだ一回しか読んでないのです。
なぜ「左派の運動は一時的な盛り上がりしかしないのに、右派の運動は継続して元気なのか」の説明にはなっているようにも思えます。
私が幼児だった頃、日本には安保闘争という運動がありました。でも大学に入る頃には、左派の運動はすっかり大人しくなっていて、右派の運動も活発ではなかった。でも今では、少なくともネット上には、異常なほど「中韓の問題」「慰安婦問題」「歴史認識問題」に「敏感な人々」がいる。それが何故か、への「回答の一つの例」だと思いました。
さらに思うのは、「保守という連帯感」が一部の若い人々を引き付けているのだろうということ。昔も「左派という連帯感」がありました。今でもあるかな。でも、私のようなわがままな人間はそういう連帯が嫌いで、「自立」とか「孤独」の方に価値を見出していました。
考えてみると、宗教や政治やサークルに至るまで、色々な「勧誘」を大学では受けました。でも私は「連帯感」がどうも苦手で、入ったのは自主ゼミだけ。連帯感とかあまりなく、互いの研究を批判する場。そっちの方が性にあっていたのです。
今は「連帯感を希求する若者」が多く、「保守という連帯感。大きな組織への帰属意識」で心の孤独を埋めているとすれば、なかなか根の深い問題だな、と思いました。
また草の根ファシズムというのは歴史的にみて非常に厄介なもので、そう簡単に「対抗」できるものではない。今回の森友問題が、それを考えるきっかけとなれば、むしろ問題の表面化は日本にとって好ましい事態なのかも知れません。
速読ではなくちゃんと読んでみて、また「感想」を書きたいと思っています。