相撲史に関心・興味のある方どうぞ

相撲史に関心・興味のある方どうぞ

両大関の「や」は…?

2024-10-06 14:05:07 | 日記
※昨日までのトータル訪問者数
 1,166,959

 拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━弘化二年冬場所
━起・承・転・結のうち、「転」に相当する箇
所を現在鋭意執筆中である。
 問題点は、劔山・秀の山 両大関の楽日(十日目)
以外の「や」で、取組発表後対戦相手の欠場のた
め星取表に「や」印が記入されたものと思える。
 当時発行の「勝負附」には、一方が欠場した場
合の取組はすべて削除されているのである。
 当場所七日目、西方大関秀の山は、翌八日目に
「●友綱」となっているが、当初は七日目に取組
が予定されていたかも知れない。明治~大正期に
類似事例が少数記録されているのだ。但し、江戸
回向院興行は「雨天」で順延されることは回避で
きず、当該場所は七日目から数日後に八日目を興
行するに至ったことを想定外にできない。
 一方、東方大関劔山の場合は、西前頭三枚目の
雲生嶽が八日目から休んでおり、当日の劔山が取
組む予定だったかも…。但し、雲生嶽は七日目まで
零勝4敗1預りの不振なので、不成績力士を好調の
大関に対戦させるのは躊躇せざるを得ないのだが…
…。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『相撲史発掘』107号 頒布中 | トップ | 『日本相撲大鑑』+5力士写... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事