ayamiの子育ち 自分育ち日記

一人っ子の娘は小学校4年生の時に約4ヶ月間の不登校を経験しました。でも今は毎日元気に学校へ行っています。

おばあちゃんのベスト

2008-06-17 19:19:11 | 家族
おばあちゃんに頼まれて久しぶりに編み物しました
昔は三度の飯より編み物好きだったな~~
彼にも編んだな~
あのセーター、今はどこに?
そういえば旦那の実家に行った時、おばあちゃん(義母)に、「このセーター着ないの?もったいないからじいちゃんに着せたいんだけど、袖が長いの。切って~」と言われ出されたセーター
それはまぎれもない、旦那がまだ彼だった頃に最初に編んだ思い出の品
それを、それを、じいちゃんが着るのかーーーー
しかも 襟の裏に手作りタグをつけてローマ字で二人の名前みたいな・・・ きゃ、恥ずかしい
それを、それを、じいちゃんが着るのか~~~
年寄りはローマ字が読めない・・・ってそういう問題じゃない
お義母さんには「袖を切るのはちょっと難しいかも~」とやんわりお断り

今回は、レクダンスの時にTシャツの上に着るベストってことで編みました。
腹の出たのが目立たないようにだって



気づくこと

2008-06-17 10:06:46 | 不登校だった娘

不登校の原因は私の育て方の間違いにあると、前回書きました。
間違えた、とは思いましたが、決してそれまでの子育てを否定することではありません。
もし自分を責め、後悔したとしたらそれまでの彩の10年の人生を否定することにもなります。
私は私でたくさんの愛情をそそぎ育ててきて、彩はとても優しい思いやりのある子に育ってたと思っています。

完璧な母親なんていません。誰だって間違って失敗して、そして気が付いて正していきます。
大切なのは、気づくこと、気づかせてもらうこと。

当時いろんな人に相談に行きました。
校長先生、スクールカウンセラー、適応指導教室の先生、心療内科の先生、
誰ひとり私に 『お母さんの育て方が悪い』 とは言いません。立場上言えないでしょうね
私が 「私の育てかたが悪かったんです」 というと
必ず 「そんなことはありません。ご自分を責めないで。犯人探しはやめましょう」
 「これからのことを考えましょう。答えはきっと彩さんが教えてくれるはずです」
優しかったですね。傷ついた私にはありがたい言葉でした。

でも、ゆっくり羽を休める、充電する、その必要があるのはわかるけど、
待つことってすごく難しい。ゴールが見えないだけに。

ほとんどを家の中で過ごし、他との接触がない生活。
今は動けないんだ、休むしかないんだ。そのことを認め、受け止めたうえで私に出来ることはなんだろう。
その中で一番気をつかったのは『会話』でした。
子ども上位にならないように、かといって突き放さないように、言葉ひとつひとつ選んで、手探りでした。
失敗だらけでしたが、子どもが変わっていく姿に長いトンネルの出口が見えてきたように思いました。


親の役目

2008-06-17 10:05:24 | 不登校だった娘

子どもが不登校になって読んだ本の中に
「不登校13万人の親にできること」という本があります。
その中の一節に
『親は道に穴があいていたら、つい「あっ危ない!」「こっちのに避けて」と声をかけてしまいがちです。しかし、親が本当にすべきことは、子どもが「穴」に落ちるのを視線の端で捕らえながらも、口を出さないという勇気をもつことなのです。』
という文章があります。

私の子育ては、常に先回り、提案でしたので、この言葉にはっとしました。
例えば、勉強をみながら、間違いに気づくと 「ほら、ここ違ってる」 と子どもより先に気が付いて教える
出かける時に 「どこ行くの?」 と聞かれ
一人になるのが不安なんだなと心を先読みして 「すぐ帰るよ」 と応える。
子どもは行き先を聞いているのに
食事をしていて、こぼしそうだなと思ったら、ほらほらこぼれるよと世話をやく。
躓く前に処理をする

つまり、全てその方が私にとって都合がいいのです。
こぼしてしまったら、拭かなくてはならない、それは汚れるからめんどう。
子どもの失敗や間違えることを、私が嫌だったのです。
子育てに手抜きはいけませんね
小さなことかもしれませんが、その積み重ねが子どもを自立に導いていくのだと、私は実感しました。

それでも、子どもはなかなか学校に行かない。
元気になったのに、家では元気なのに明るい不登校になっていました。
このくらい元気なら行けるんじゃない? と言ったこともあります
でも、 「行けない。無理。具合悪い」
確かに休んでいる間、体調はずっと不安定でした。
やはり親が行かせようと考えてるうちは行けないんですね。
バトルもたくさんありました。親が対応を変えながら、子どもが自ら動き出すのを待つ、根気のいることです。
もうどうだっていいやって思ったり、公的な機関がもっと指導力があったらな~と思ったこともあります。

また、その本には
『難しいのは、放任とは違い「穴」を子どもより早く見つけて、その「穴」が子どもの現在の力で乗り越えられるものなのかどうかを判断する必要がある』
ともあります。
口出ししない勇気をもちながら、子どもが落ちる穴の大きさを見極める。
それが親の役目なんだと思いました。


不登校の原因

2008-06-17 10:03:41 | 不登校だった娘

以前、不登校を支援している機関に相談メールをしたことがあります。

起立性調節障害の子どもを支援したことがありますか?と質問したところ
答えは、『支援している子どもたちのほとんどが診断されたらODでしょう、実際にODの子を何人も復帰させましたが、ひとりとして障害と思う子はいませんでした。』
『不登校になる子はその性格に問題がある、ただ医者は性格形成に問題ありとは言えませんから、症状を診て、自律神経失調症や今なら起立性調節障害と診断する。病名をつけられたことで、親も子も安心する。
病気だったらしかたない、ゆっくり休めば体もよくなるだろうと。ただ安心できてしまうことで将来に不安が残るのではないか。』

厳しいコメントでしたが、逆にODの子の克服は難しくないとも言われました。実際支援された子達は、現在はまったくODを感じさせず登校しているそうです。
勿論、症状の軽い重いはあると思いますが、私はこれを読んで納得しました。

ODになった原因、最初はわかりませんでした。
どうしてこんなに頭が痛いのか?学校に行きたいのにどうして行けないのか?
きっと本人もわからなったと思います。
一ヶ月くらいして少しずつ話をするうちに、ストレスの原因は先生にあると思いました。
それなら、転校すればいいの? 担任を代えてもらえば治るの?
答えはNOです。
そのことはきっかけではあったかもしれないけど、原因ではない。

原因は、私の子育ての間違いです。
少しのストレスでも体に異常が表れるような心の弱い子に育ててしまった。
神経質な子育てをしてしまったのです。
丁寧な子育てと言ってくださる方もいましたが、ほっといても子は育つくらいに大きく構えていたいものです。

体質として、自律神経が弱いというのはあると思いますが、ODでも普通に学校に行って普通にみんなと遊んだり出来るのです。そして、学校に行きながら、世間にもまれながら精神的にも強くなっていくんでしょうね。
この病気を治すのはお医者さんでも薬でもなく、やはりメインは母親なんだと思います。

今現在、娘は毎日自分で起きて、朝食を食べ、支度をして学校へ行きます。
帰ってきてから、遊びに行く日もあり、のんびりする日もあり、疲れて寝る日もあります。
宿題、その他、私から言うことはありません。自分のことは自分で出来る子になりました。
『親が変われば子は変わる』を実感しています。
私たち親は、子どもが将来自立して生きていける子を育てなければいけないと強く思います。
親はいつまでも子どもの傘にはなれないのですから。