豊前吉右衛門窯

2012-11-20 | 陶器
今回は私のお気に入りの窯元を紹介します。
豊前吉右衛門窯です。

初代永末吉右衛門(晴美)氏は京都の宇治朝日焼の窯元で修業し、
1949年に福岡県田川郡方城町の生家近くに「 豊前吉右衛門窯 」を開きました。
豊前は旧国名、窯場が吉右衛門谷の入口に位置する事から命名されたそうです。
作風は、初期の頃より絵付けされた陶器作りを目指し、
1950年代半ばより吉右衛門(晴美)氏によって、刻染付(ほりそめつけ)の独特の作風が編み出され、
以後刻染付、染付、青瓷、藁白、などを中心に創作を続けています。
1984年に修策(吉右衛門長男)氏が10年間に渡ってメキシコで陶芸の指導を続けていた生活に
ピリオドを打ち帰国し父を手伝っておりましたが、2005年2月に父 晴美氏が他界しました。
今は修策氏により吉右衛門窯の陶器の美しさを守りながら新しい世界を生み出しています。

私がこの焼き物に心ひかれたのは『刻染付』(ほりそめつけ)の技法でした。

細い陰刻線を輪郭に、淡い呉須や鉄彩を用いるその手法は、周辺の上野焼の伝統とは全く異なった、
繊細にして優雅な独自の雰囲気を醸し出していると思います。

※刻染付とは
陶器の素地が半乾きの時、鉄筆で文様を刻り、乾燥・素焼を経て
刻られた細かい溝状の線に顔料を入れ彩色したものだそうです。(「刻染付」は晴美氏の造語だそうです)

このような作品です




主人が30年前に買ったマグカップ(父晴美氏の作)


30年前より使っている急須と湯呑み(父晴美氏の作)




私専用の湯呑み

椿の花の輪郭の繊細さがとても好きです
掌の納まり具合が気に入っています

お気に入りの小皿


今回、購入した湯呑みとカップ

柿を表しています



作品に興味がある方は
ギャラリー ご覧下さい。

仏の里3 (天念寺・無動寺・文殊寺)

2012-11-16 | 日記
長い間お付き合い下さいまして有り難うございました。
今回で仏の里は最終章となります。


天念寺・川中不動





天念寺のすぐ前を流れる長岩屋川は、古来より大雨のたびに氾濫を繰り返し、
天念寺に幾度となく被害を与えてきたと言われ、
『川中不動』は江戸時代の中期、そんな天念寺の水害除けに刻まれたものと伝えられています。
長岩屋川の中にある巨岩に、像高3.23mの『不動明王立像』、2.05mの『矜羯羅童子(こんがらどうじ)』、
1.73mの『制咤迦童子(せいたかどうじ)』の三尊が刻まれています。

無動寺



無動寺は六郷満山中山本寺で養老二年仁聞菩薩の開基と伝えられています。

文殊寺


ここにも仁王像があります。




「三人よれば文殊の知恵」で知られる日本三文殊の一つで、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)を本尊に、
648年、役小角(えんのおづの)によって開基されました。

文殊山(617m)の東北側の中腹にある古刹。山号の峨眉山は、寺が所在する文殊山の別名です

樹齢約1,000年のケヤキ


『力』を貰えそうです。


     富貴寺、両子寺は以前に行った事があったのですが、
     天念寺、川中不動、無動寺、文殊寺は初めて訪れました。
     神仏習合の国東独特の文化に触れる事が出来て良かったです。

     トレッキングに挑戦してみたくなりました。(体力的に無理かも・・・)
     もっと若ければ「無明橋」(断崖に幅1メートルの石橋)にチャレンジしてみたかったのですが。
     

仏の里 2 (両子寺 ふたごじ)

2012-11-12 | お出かけ
両子山の中腹にあります。
六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、
特に江戸期より六郷満山の総持院として全山を統括してきました



苔むした参道の両脇に大きな石造の仁王像があります。

仁王像は寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神との事です。

右の口を開けた仁王像が「阿形」 左の口を閉じた仁王像が「吽形」です。
足腰の悪い方はこの仁王像の足腰をさすると良いそうです。

護摩堂


奥の院

建物半分は岩の中って感じです


両子寺でみつけたもの
その1.こんな歌碑を見つけました

金田一京助氏がS44.5.14に参拝された時に詠んだ歌


息子の春彦氏がH.2.4.16に参拝し父の歌碑を見て詠んだ歌

その2.「MKコプター」と言うものです

低空からの視覚情報「鳥の目」を持つ空撮機。
地上で自由に操り上空の景色を動画撮影していました。
プロペラの数も6~8枚で安定した走行が可能です。

その3.パワースポット

岩張もみじ
根っこが岩を包み込んでいます

まだ次回へ続きます




仏の里

2012-11-07 | お出かけ

国東半島は「仏の里」と呼ばれています。

2?年ぶりに国東半島へ出かけました。
国東半島を廻っていてよく耳にする「六郷満山」について調べてみました。
国東半島の中央にそびえる両子山(ふたごさん)から放射状に伸びる谷筋に沿って、
武蔵(むさし)来縄(くなわ)国東(くにさき)田染(たしぶ)安岐(あき)伊美(いみ)の六つの郷が開け、これらを六郷と呼んでいました。
国東半島の寺院群は、学問をするための本山(もとやま)
修行をするための中山(なかやま)
布教をするための末山(すえやま)
3つの群に分けられ、これらは合わせて満山と呼ばれています。
このことから、国東半島の寺院を総称して「六郷満山」と呼ぶようになったそうです。

この六郷と天台宗が結びつき、山間に多くの寺院を擁立して、独特の仏教文化が『六郷満山文化』といわれるものです。

宇佐神宮を中心とする八幡信仰と仏教(天台宗)が融合して「神仏習合」が生れました。
「神仏習合」とは、神と仏との出会いの事で、
これは自然の中に神を見る信仰と、人間の生き方を求める仏の道が調和されているという事だそうです。
このことは、現代の「人と自然」との関わり、共生のあり方に通じるものがある様に思えます。

今回は自分の記憶としてブログに残そうと思いましたので、何回かに分けてUPさせて頂きます。



六郷満山を包む山は奇岩奇峰が多く、修験者達が悟りの境地を求めるにふさわしい景観をみせています


紅葉は今からと言う感じです


最初に行ったのは富貴寺です




富貴寺は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた寺院です。
現存する九州最古の木造建築物で、国宝指定されています。

仁王像は寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神として入口に安置されています。





本堂の中は撮影禁止でした。



秋の菓子

2012-11-04 | お菓子
秋と言えば『栗』と言うことで源 吉兆庵の「津弥栗」を紹介します。


なめらかにとける栗きんとんと、蜜をよく含んだやわらかな渋皮栗がとても美味しかったです


昔ながらの和菓子屋さんの生菓子です

とても綺麗で食べるのがもったいなくて・・・
でも、しっかり頂きました



以前は結婚式の引き出物と言えば鶴・亀の求肥の生菓子でしたが
最近はバームクーヘンやケーキへと引き出物も変わってきました。
父が結婚式に出席してもらってくる引き出物(生菓子)を楽しみにしていました。
幼き日の思い出です。

昔、住んでいた所の近くまで行ったので馴染みの商店街を廻ってみました。
商店街はすっかり様変わりしてシャッターを下しているお店が目立ちました。
あの和菓子屋さんはあるかしら?
不安でしたが・・・。
「あっ、ありました。」(よかった!)
ちゃんと今も営業していました。
お店の方とお話して昔を懐かしく思い出しました。