今週号の週刊プレイボーイの特集『だからキミらは就職できないんだ』にコメントしているのでご報告。
僕はちょこっとコメントしているだけなのだが、全体的によくまとまっていて、単純な氷河期
ではなく、新卒採用という価値観自体がシフトしつつあるという現状を上手く取り込めている。
たとえば、「学歴の希薄化」がそうだ。
この点について、ジョブウェブの佐藤孝治氏の分析する受験エリートの弱点が秀逸すぎる。
「社会人とのコミュニケーションが苦手」
「暗記は得意だが、主体的に物事を考えない」
「自分のPRポイントがわからない」
「志望動機が語れない」
「何がしたいのかわからない」
そして氏は「東大生なんて全国暗記我慢大会の勝者でしかない」と切り捨てる。
ちょっと残酷かもしれないけど、採る方からすると、これはまったくもってその通りだと思う。
もちろん受験エリート全員がそうではないけど、入試突破時点で人間として歩みを止めて
しまっている若者が実に多い。
一方で、特集は複数の内定を手にする学生についても取り上げている。
彼らはいずれも、何か目的があって大学生活を送り、目的を持って就職活動を行ったという
共通点がある。まさに、上記の弱点の真逆なわけだ。
これから就職活動するという学生はもちろん、上記の弱点に心当たりがあるという若手ビジネスマン
にもおススメしたい。
僕はちょこっとコメントしているだけなのだが、全体的によくまとまっていて、単純な氷河期
ではなく、新卒採用という価値観自体がシフトしつつあるという現状を上手く取り込めている。
たとえば、「学歴の希薄化」がそうだ。
この点について、ジョブウェブの佐藤孝治氏の分析する受験エリートの弱点が秀逸すぎる。
「社会人とのコミュニケーションが苦手」
「暗記は得意だが、主体的に物事を考えない」
「自分のPRポイントがわからない」
「志望動機が語れない」
「何がしたいのかわからない」
そして氏は「東大生なんて全国暗記我慢大会の勝者でしかない」と切り捨てる。
ちょっと残酷かもしれないけど、採る方からすると、これはまったくもってその通りだと思う。
もちろん受験エリート全員がそうではないけど、入試突破時点で人間として歩みを止めて
しまっている若者が実に多い。
一方で、特集は複数の内定を手にする学生についても取り上げている。
彼らはいずれも、何か目的があって大学生活を送り、目的を持って就職活動を行ったという
共通点がある。まさに、上記の弱点の真逆なわけだ。
これから就職活動するという学生はもちろん、上記の弱点に心当たりがあるという若手ビジネスマン
にもおススメしたい。
教育は機会を提供するためのサービスでしょう。
「食えるための既知の技能の訓練」だとかほざくなら、高校より上の教育機関は全て廃止して、ルネッサンスの前にまで戻すべきです。あなたのように考えている会社の人事課のオヤジはたくさんいるんだろうしそれはそれで正論なのだけれど、だったら「甘やかされている」大卒なんかよりも中卒を雇ってあげてください。もちろん雇った後は挨拶の仕方やメールの書き方から全て会社で教えるんですよ。
もちろん学歴というのも未知の機会ではなくて既知のシグナルの評価であるから、それだけなら大学という箱に入れておく意味はない。「全国サラリーマン技能試験」だけやって、そのスコアを履歴書に書けばいい。
日本に高等教育はないし、高校まで出ても英語すら出来ない日本の教育が粗大ゴミなのはもう客観的な事実だと思いますけどね。新卒就職のシャットダウンは喜ばしいけれど、そうなると海外との競争で「日本で教育を受けた」ことがそのまま機会を剥奪する負債になってしまうことは嘆かわしい。じきに英語が出来ない大卒の無職が山谷と釜ヶ崎に大挙押し寄せてきて治安を脅かすようになる。こうして崖から落ちるように2020年ぐらいから一気に途上国になるんでしょうね。
権力を持っている人間は制度を作る責任があるのだから、「日本は豊かだから~」なんていう言い逃れは通用しない。まあそうやって思い知らされる前に死ぬんだろうけど。
>諸外国と比べて
ここでいう諸外国は他の先進国であるべき。
>日本は相当に豊かで
それがそうともいえなくなってきている。
>自由な社会だと思うが。
このブログの趣旨である企業社会とそれに付随する教育学歴の世界は不自由極まりない。労働に関する部分は世界最低。
日本企業は大学での成績評価なんて期待していないことは当たり前。
要するに「こまけーこたーいいんだよ!デキのいい奴採用しちゃるよ」ってこと。
もちろん面接で人柄は重視される上での話。
まぁGPAなんて訳の分からない得点はいらなくて大雑把でいいんだよ。
松竹梅ていどのやつ。
というか大雑把じゃなきゃだめ。そして相対評価じゃなきゃだめ。
バカな大半の大学教授どもに学生の成績を絶対評価できるはずがないから。
どこにキモがあるかというと、履歴書にハッキリと卒業種別で一生表示されるというところなんです。
甲種卒業なのか丙種卒業なのか、企業が大雑把に選別できるだけでいいんだ。
だからこそ学生は競争する。
ていうか大学卒業まできっちり競争させるだけだ。
大学入学で競争を止めるから壮絶な無駄が発生している。
そりゃ~景気のいいときは丙種だろうが採用してもらえる。
しかし、もしかしたら将来転職を迫られるときに、丙種では中途採用や再就職が不利に働くかなと皆用心するようになる。
そういう認識を促す制度にするべきなんだ。
日本人は同質性を求め、差別化や減点を避けるという性質をうまく利用するわけ。
ここまでやらないと高等教育の改革なんて不可能。
お花畑教育論に基づいて改革しても、ただただ予算を垂れ流して焼け太りするだけ。
>結局、若者は皆そういう閉塞感を感じ取っているん>ですよ。「夢をもって勉強したってさ、社会のどこ>にもそれを発揮するところなんてないんだよ!」そ>の結果、彼らは内にひきこもるか、遊びに逃げるか>してしまうわけです。
まず、本音と建前を教えない大人が悪い。
「教育は自分が食べていくためのものであって、夢をかなえるものなんかじゃない」とはっきり教えないからいけない。
五体満足なのに稼ぎもしないで命をつないでいるような人間は石潰しだとはっきり言えばいい。
ま、いい年して、親の扶養で食べていける状態が何時までも続くと自分を騙している子供の方にも責任がある。
若いうちから『本当のこと』を教えるだけでいい。
簡単で単純なことだが、歪められた戦後教育に染まりきった人間が周りに多数いるいう点で大変ではある。
>我々大人がつくった制度に大きな問題があるのだと>言わざるをえないです
諸外国と比べて日本は相当に豊かで自由な社会だと思うが。
こんな日本で絶望する方が贅沢すぎるで異常。
甘やかせすぎでしょ、子供も大人たち自身も。
>意見が出るでしょう。
>ならば「卒業ランクを設け成績上位から
>甲種・乙種・丙種に分ける」上から3割
>4割3割てな感じで。
>当然学位も甲種学士・乙種学士・丙種学士とする。
>いままでの学士との差別化にもなる。
それはすでに文科省からの通達でGPAという形で導入していますが、うまくいきませんでした。
企業の採用側もあまり大学時の成績を重要視しないのが原因のようです。
企業さんって、自社でうまくやれる人間がほしいわけで、その要素は大学の成績とはまったく無関係なんですよね。人の性格を重要視します。となれば、成績悪くてもいいから、皆と遊びばかりやってきた明るい子をくれとなる。
なので頭の程度はあまり求められていなくて、かなりの大手でも、東大の試験問題には遠く及ばないレベルの筆記試験を実施しています。後は面接やGWを要領よく突破できれば問題なしとのことです。(唖然としますよ、日本の一流企業たるプライドはないのかとつっこみたくなります)
学生は会社入るために大学いっているようなもんなんだから、そりゃ勉強なんかしませんって。会社入ってからやりたいことがあるでしょう?と言ったって、会社も若手社員のやりたい仕事を若手社員にまわす気はサラサラないし、何年も教育という飼い殺し状態が続きますよね。
かといって起業も業界自体がかたくなに既得権益を握っているわけでうまくいかないわけだし。
結局、若者は皆そういう閉塞感を感じ取っているんですよ。「夢をもって勉強したってさ、社会のどこにもそれを発揮するところなんてないんだよ!」その結果、彼らは内にひきこもるか、遊びに逃げるかしてしまうわけです。
我々大人がつくった制度に大きな問題があるのだと言わざるをえないです。
商売としてみると、その収入は授業料である。
これは生徒の数に依存する。その上政府の金がくる。生徒に応じててである。
これが一番の問題だろう。
しかも一応取引と考えると学校側の条件は何もない。
卒業を難しくすれば生徒は減る。
ここに教育が商売でない要素がある。
これを私立でするか公立でするかだが、公立は生徒を絞ってもそれはつぶれないが私立はこまる。
困り始めたから高校授業料無料化だらう。
私立学校への政府補助をすべてなくして、公立に力をそそぐべし。そして商品としての卒業生を送り出すべし。
世の中に儲からないのが当たり前の商売が三つある。
それは医者と教師と弁護士(代言人)である。倫理を基にすればである。それを棄てれば、ぼろもうけの世界であり、それがわが国の原状だろう。
そしてそれは江戸時代からだろう。
いずれにしても。ばかげた社会的議論は別として、各人は大学や専門学校の社会的力を正確に把握して、それを元にして、生きていくことで、極端な話100年前から国内で議論されて、一向に解決がつかず、同じようなことをしている教育、学歴論など目もくれず、自らの人生を楽しむ算段をしたほうがよい。
とにかく100年いろいろ議論しているが、その議論とはまったく関係ない実質の教育、学歴論があり、それを元にして、選択して、行くことである。
娘には強く話したが、どうにも妙なものに毒されて、うまくいかなかった。この頃それを言い出した。
それは象徴的に言うと<東大を出ても、何も関係ない>で、それが我国社会の基層にに在る考えである。
Joe氏は多分それを自覚されていると推測される。
教育とは競争より絶対評価でいくべき。
さんざん、入試戦争で点取りゲームは高度化したけど、その結果なにかいいものが生まれましたか?
今日は時間がないからこのくらいで。
きっかけがあれば何か目標を見つければ 結果を出せるポテンシャルを秘めているのではないでしょうか?日経ビジネス最新号でうちのエースはアジアの若者を読んで変な意味ではなくて日本にだって良い人材はいるのではと普通に悔しくなりました。
一概に若者といっても色々な若者がいますよね?例えば今年の12月公開予定の マジでガチなボランティアという映画に 出てくる若者達は外見は今風ですがカンボジアでボランティア活動している若者達です。外見だけでは今風の若者が中身がないかどうか人材としてはどうなのかは判断出来ないと思います。むしろ物怖じしないで海外にチャレンジ出来るのは 凄いでしょう。私は今30代前半ですが 今風の若者の意見を聞いてみたいと思いました。
それならレベルの低い大学に行くほうが安全な気もしますね。今までレベルが低かった大学の入試も競争が激化することでしょう。大学間の均質化につながるかもしれませんし、出願締切り直前まで状況を伺う情報戦になるかもしれません。まあ想像ですが、意味のない規制を増やすのは一般的にいってよくないでしょう。
やはり最善の解決策は、望ましい変化を人々が自発的に起こすようにすることです。若い時から起業家教育をし、積極的な起業を促すように制度設計を改めるべきでしょう。
医療保険のような仕組みに徐々に変えて いくのはどうかという提案がありました。やはり社会保証が 全く無しでは難しい と思います。
社会保証改革と雇用流動化はワンセット で行うべきではないでしょうか?
すでに酷い社会になっているので、別に構わないのではないですか?
冗談はさておき、「排除されたくない」という甘えに対してどう考えればいいでしょうか?
そもそも「排除される」と考えるのはなぜか。
それは「結果平等」を求めているからでしょう。
大学に入ったら勉強しようがしまいが、みんな一緒に平等に卒業させてよね、という暗黙の願望がそこには横たわっている。
でも、そもそも大学卒業に競争があって結果平等ではないことが公言されれば、そこに自由意志で入ってくる人はそれを受け入れているのですから何も問題はないのです。
「教育の機会を奪わないで!」
と反論されそうですので制度を補っておきましょう。
大学の講義を聴講できる制度を一定の定員枠で義務付けます。
競争したくない、排除されたくない人は、昨今の社会人聴講のように、講義を聴講して学習成果を問わないようにすればいいのです。
もちろん聴講単位はあげますが、学位は授けない。
これで十分です。
排除する競争だけを高度化させたらさらにひどい社会になってしまいますよ。
暗記だけで東大には受からないでしょう。
それなりの思考力は求められます。
悲しいかな、その強大なる暗記力と未発達の思考力を伸ばす環境がない。
仮に全国暗記大会の勝者だとしても、それは1次試験であって、2次試験(卒業)は全国思考力大会であれば問題ないのです。
ここが日本のダメなところ。
中途半端なところでゴールにしてしまう。
自分に甘い。
そしてなぜか他人にも甘い。
だから外交でもなんでも相手を甘く考える。
そういう自堕落なところ、庶民にあって当然なのですが、国家の指導者である政治家や官僚がそうであってはおかしいのです。
話を戻して、簡単な解決方法は
「大学卒業をキャップ制にする」
総量規制です。
「東大だろうとFラン大学だろうと定員の絶対3割は卒業できない」
とするだけで効果抜群です。
大学生に競争を強要するのです。
それだけで十分。
こうすることにより、ただ履歴書のためだけに4年間嫌いな勉強をする学生も減ります。
卒業するために熾烈な競争をするのメンドクセと思う学生は無駄に進学しなくなるでしょう。
ま、卒業できないのは厳しすぎるという意見が出るでしょう。
ならば「卒業ランクを設け成績上位から甲種・乙種・丙種に分ける」上から3割4割3割てな感じで。
当然学位も甲種学士・乙種学士・丙種学士とする。
いままでの学士との差別化にもなる。
これをやるだけで本当の意味で受験競争が起こり、バカ大学は自然に淘汰され、助成金支給を減らしつつ、教育の質を高める素晴らしい効果が期待できる。
障害は文部科学省の天下りポストが減ることだけw
自由市場においては、この人を採用してはいけないなと言う事は分かるが、ものになるかは不明である。
>私は私立文系卒女子 (なごやん)
>なにごとも個人の努力次第・・・と言いたいところですが、大学を出て約10年がたち、いま私が実感しているのは「分(ぶん)」ということ。
これが正しく、欧米はそれをはやく子供に悟らせるために、教育に負荷をかける。
わが国学校教育はその責任を果たそうとしない。
私も娘にいろいろいったが、少しできそうだったので、地方私立大学へ行った。そしてアソンダ。
今は事務員で一応正社員だが夜アルバイトを密かにしているようである。
この<分、もしくは分際>は悪いほうを言う事が多いが、よいほうにも言う必要がある。
それは<あなた東大出でしょ。もっと有用な仕事をやりなさいよ>と公然といえる社会がいい。
事、金なら、現代は種銭をためて、一発勝負をしてあたれば、ソレデお仕舞いだが、学歴についての考察はそれではない。
そこが大きな問題で、一度外国へ行くとわが国の学歴は何かがよく分かる。
ちなみにわが国の有名進学校卒業生は亜米利加の大学卒業生レベルだそうである。
つまり教育レベルが異なるということと、その目的とすることが異なる。
犬の世界には何もないがそれを扱う業者には、アレはコリーだ、これはブルドック、これはポメラニアン。 アレは雑種,これは<どら>とかいうが、学歴もそのようなものに過ぎない。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20101101/250369/?P=1
少なくとも輸出企業に対しては、政府は「海外に出て行け」というシグナルを明確に発し続けている。それでいて菅総理は「一に雇用、二に雇用、三に雇用」などと寝言を言っている。
国内から企業を駆逐しておいて、雇用が増えるわけがないではないか。
民主党は経済をわかっていないのではないか。政府は、日本経済の出口をどこに見出そうとしているのだろうか。
その時に最善の行いをしたのなら、それは正解だと思っています。
>暗記は得意だが、主体的に物事を考えない
>自分のPRポイントがわからない
>志望動機が語れない
>何がしたいのかわからない
採用面接(文系総合職)の1次、2次を担当している者として上記の件は最低限どんな学生でも就活本、ネット等で自分なりに考えるので言うことができない人は皆無です。また目的があって大学生活を送った学生が複数の内定を得ているというのも違っていると思いますよ。城さんも大学の同期で司法試験、国1など目的があった人は回りにも居たでしょうがすべての人がそうではなかったでしょうし現在の東大でも確実にこの目的っていう人はそれほどいない気がする。むしろファーストインプレッションがいい人、何かやってくれるんじゃないかというオーラを持ち合わせた人、この人たちが最終面接にまでたどり着き内定を得ている気がしますよ。また何がしたいのか分からないという点はベンチャーで単一製品をプロデュースしている少人数の企業でなければ何がしたいのかは分からないでしょう?それなりの規模の企業であれば部署が幾つにも分かれていてそれぞれ全く違うし配属されて仕事をしてみないと全く分からないし本当に適正があるかはわらなないのですよ。娯楽系週刊誌が書き立てることは殊更不安をあおる若しくはセンセーショナルな内容にせざるを得ないのでこんな内容になるんでしょうし、まじめな内容であればメインを城さんに執筆してもらうのが筋でしょうね!!!
>トムさん
>城さんは私立文系は行く価値がないと思っていますが
>ここを見てる人達も同じ意見ですか?
私は地方の私立文系卒です。
私の人生に関して言えば、まあ「大学」はムダでしたね。
けっきょく、ハケンOLで年収はココ10年、ずっと250万円ぐらい。
短大や高卒で、学校の推薦をもらって就職した子は、薄給OLでも正社員の仕事についてます。
もちろん、私だって大学入学時点では、それなりの「希望」も「夢」も「目標」もあったんですよ。
個人でのそれなりの努力もしました。
しかし、私の地アタマでそれを叶えるには、独力ではムリだったようです。
同じぐらいの偏差値の子でも、ダブルスクールしたり、就職留年したり、お金と時間をかけられた子たちは夢を叶えていきましたが、私には「4年の学費」以上のお金は無かった。大学生活を続けるためにアルバイトも必要だったので、ひとつのことに「完全に没頭する」というわけにもいかなかった。
親は「大学を出せば、一流企業に入る」と思いこんでいたようで(笑)、卒業後ハケンにしかなれなかったことを、ずいぶん責められましたが・・・。
まあ、就職試験に受からなかったものは、しょうがないですね。
新卒の就職活動時代(2000年頃)、採用数は若干名っていう中小企業の説明会にも、百人単位で学生が来ていて、とても受かる気がしない・・・と思っていたら、ホントに受からなかったです。
しかし同じ大学を同じ時代に卒業しても、「○○○自動車」とか「××銀行」に入った人もモチロンいるわけで、そういう人たちにとっては、地方私大文系の学歴でも、有用であったといえるでしょう。
なにごとも個人の努力次第・・・と言いたいところですが、大学を出て約10年がたち、いま私が実感しているのは「分(ぶん)」ということ。
私が持っていた能力と環境では、塾に通って努力して、一流でない大学にムリして入ったところで、たいした意味はなかったということ。
頑張った過程に意味はあった・・・という言い方はできても、けっきょく「結果」が出ていないから、世間からの取扱いは「ハケンで将来どうすんの?ずっとフラフラしてんの?」です。
学歴の話題は苦いですね。
とはいえ、(姉の失敗を見たせいか)大学に行かず、専門学校を出て専門職についた妹の周囲を見ていると、本当にキビシイので・・・。
(個人商店とかに正規雇用で入るけど、給料安いし、ヒドイ現場が多い。
話を聞いていると、非正規の私のほうが恵まれていると思うぐらい)
安易に「アタマ悪ければ、さっさとあきらめて専門職につくべし!」とも言い切れない自分がいます。
目的があって大学に行かなかったり、就職しなかった人間も評価されるといいなと思いました。
如何にしてお金を稼ぐのか?その手段を、自分で考えて実行できる人間こそが、これからの時代に対応する人間と考えます。
学歴はあったほうがいいかもしれませんが、絶対必要と言うわけでもありません。
必要なのは、仮説力+行動力です。
ダ・カーポという
雑誌で上杉隆さん自身にインタビューした記事が掲載されていました。
上杉隆さんは国会議員の秘書をしていた 時には本当に大変だったとインタビューに答えていました。 国会議員の秘書は自分の仕えている議員が明らかにおかしな ことを言っていても いや自分の先生は間違っていないと先生を庇って自分を犠牲にしなければいけないと国会議員の秘書 は実は与野党関係なく辛い仕事を耐えているつながりで仲が良いとその時できた 人脈で普通の記者とは違った取材が出来ると上杉隆さんはインタビューの最後に 「遠回りだと思ったのが意外と近道だった」と言っています。どんな仕事も必ず自分の身になるということでしょうか?
私の知る国立大学教員にも、大学院進学や就職の際、企業に就職をする学生達やリクルーターの先輩に「社畜」「社会の歯車」と言い放ってみたりとか、企業に就職しても「私の専門性が活かせないから」と半年程度であっさり会社を辞め、その後指導教授にビッタリつきまとってどうにか大学教員のポストを分けてもらった人達がいます。彼らが今何を言っているかというと、「産業界に通じる人材の教育を日々実践しています。」なんだそうです。なんとも笑ってしまいますが、学会などで会った際に彼らの研究室の学生にこそっと聞いてみると、意外と冷静に彼らの実態を見抜いていたりします。
ノーベル賞受賞者の野依先生は、「日本の企業が不振なのは企業のだらしがないからであって、大学に責任を転嫁するのは間違っている。」といったことを発言していますね。これはまだ理があるほうで、他の方だと、今年受賞された方も含めて「最近の日本が振るわないのは最近の若者がだらしがないからだ。」となってしまうようです。
学生にとっての大学は、あくまでも研究や勉強をしっかりと進め、学生生活を通じて人間的な成長をはかる場でしかないと思います。
それは人を見る時何を一番に、知ろうとするかである
1)イギリス人はこいつは何を好むかな。または楽しむのかな
2)ドイツ人はこいつは何を知っているんだろう
3)フランス人はこいつは何の資格を、もしくは何の試験を通過したんだろう
4)アメリカ人はこいつは何ができるのかな
では日本人は?
これは説明必要ないでしょう
5)日本人はこいつの学歴は何か
それからさらに付けくわえると
6)ロシア人はこいつから何を盗めるかな
7)史那人はこいつからもしくはこの事態からどのような利益が得られるか
8)朝鮮人はこいつは親分だろうかまたはこいつの親分は誰か
かな。
わが国の大学については各大学の卒業生がどのような分布をしているかをしらべればいい。
特に自然科学においてはそれがよく分かるはずだから、それを資料としてみたいが、意外とない。
やはり、かなり功績があるのではないかと思うがよく分からない。
しかし何故日本人は学歴を気にするのだろう。
犬なんかはまったく気にしないが
たとえば東大の在る学科を出た人と、別の大学のそれを出た人を比べればソレデ理屈は十分であるが、それでも収まらないものがある。
知人に聞いた話によるとある会社においては東大出が研究を主催して、其の他の大学出はオてこにすぎず、やらせてもらえない。そのような会社が大会社だと。
これは事実でしょうか?
再び日本人に聞く
各人は何故自らと他の人の学歴を気にするのか?
このわけを知る必要があるが、それは大正時代の初めにはもうあり、何故であろうか?
ただ単に学歴ではなく別なものが大学にはついている。
一つの秩序の指標として、学歴を見るとそれぞれの大学を出た人は、まったく同じ構造の意識を持っている。
一種の線形秩序だが。何故それができるのかなとは思う。外国へ行くとそれらはまッたく、関係なくなるから、外国へいくと日本人の意識は二つに分かれる。
どのように別れるか?
それは説明の必要はない。
知り合いの娘がさる一流会社に勤めて回りが東大出や其の他一流大学出のなかで仕事をしたそうで、家で親には<あんな嫌な人々はない。それほど仕事ができるとは思われなかった。>と話したそうである。<とにかく嫌な人々だ>
とのことであった。
年頃の娘さんがそのように感じた元が<日本人はこいつはどの大学を出ているかな>と最初に心底思うことの裏返しだが。
でも娘さんにも二種類いる。
つまり日本人には二種類の人々がいるということである。学歴を指標として。
中小企業はどんなに採用側の意欲があろうとなかなかマッチする人材が来てくれない。
大手有名企業は赤字でも学生がイメージで押し寄せてくれる。大手企業で年齢制限を緩めたとし、3年間は同じ新卒扱いとして採用することにしましょう。結局、希望者が3倍になるだけで根本的な解決にはならないかもしれません。自分の後輩でも私より優秀なのは沢山いたのでもし自分が一年後に再度同じスタート台に立たされても優位に立てる保障はまったく無い。それどころか何回も就職活動をしなくてはいけないという人生の無駄を費やす事にもなりかねない。
この点は城さんもどう思うのでしょうか。
東大であれ一橋であれ上位校の脳内筋肉の鍛え方にはそれなりの評価はしています。60キロのベンチプレスはそれなりの練習をした人間には簡単、ですが練習をしていないと難しい。やはり基本の脳味噌筋肉を鍛える為にはある程度の受験勉強はしておいた方がいつかの人生に役に立つと思う。
公認会計士の勉強をしていたときに上位校から通ってきている連中の理解力の早いこと。受験生あたりの合格率も高いし。
ある意味、その鍛えられた脳味噌筋肉を羨ましく思った時期もあります。英単語の覚え方もノウハウがわかれば大した事が無いのだろうけれどそれがないと遠回りをさせられる。
最近は高校生でも公認会計士短答試験に合格するようだから筋肉の付け方さえ上手く知っていれば別に東大、一橋でなくとも良いのだろうけれど。
公務員から民間への 人材交流を推進してはどうでしょう。
という意見はいかがでしょうか?
水野 清前衆議院議員は構造改革を行う時に非公式ではあるが 改革の必要性を理解して協力してくれる方もいたと書いています。公務員の世界でも話しが通じる方が干されて潰れされない方がいいと思いませんか?
医師で政策大学院教授の黒川清先生のブログを紹介します。もしかしたら、城さんや皆さんは既にご存知かもしれません。
ボストンキャリアフォーラムでの日本企業の就職案内についての情報ですが、もう人材採用について「国籍は関係なくなる」とのことです。つまり、もう日本企業も日本人にこだわっていない、ということでしょう。
http://www.kiyoshikurokawa.com/
また、このブログで、黒川先生は、
「...一方で企業側の3年生での一括内定とか、新卒でなければ、などという価値はもうなじまないのです。」とおっしゃっていますね。
ということは、将来的には、日本国内での就職戦線も大きく変わる可能性があると思います。
最後に、城さんも黒川先生もそうですが、なんで東大卒が東大をけなすのか、私はよくわかりませんね。金持ちがお金だけで幸福は決まらない、というようなもの。世界の有名大学卒は記憶力がかなりいいですよ。
今年も卒業生でノーベル化学賞受賞者も出たし、もっと健全な自信と愛校心を素直にもつべきでしょう。ただ、大学での教育方法や内容が、就職の際や就職後の活動にうまく生きてないだけですよ。
普段役所に責任を押し付けておいて景気が悪いのは全部行政の責任にするのはおかしくないですか? 規制緩和はまず役所に一方的に責任転嫁をしない所から始まるのではないですか?
>この場合、結果的にわたしは何の目的も持たずに4年間を過ごしてしまったということになるのでしょうか?
なんか違和感。
1.「院の実態」なるものは大学関係者が必死でひた隠すかもしれませんが、一般的に大学関係のポストが不足するであろう事(=少子化)は、シロガネ様が大学入学する時点で分かりきっていることじゃないですかね?18年後の18歳人口は確定しているわけですから。私が企業の採用担当だったらそう聞きますね。
2.研究者になるつもりで勉強していたのなら、「目的をもって」の部類じゃないですかね。
3.諸処事情はあるとおもいますが、それでどう成長したのかを企業は見たいんだと思いますけどね。
このネタ、もう何十年も繰り返されていますよね。暗記馬鹿
はむしろ中堅私大以下で日本史・世界史の短答式テストで満
点取って入学できた人や、推薦入試で学校のテストだけがよ
かった人たちのことを指します。
そもそも東大の試験に単なる丸暗記で入れた人はとてつもな
く記憶力の良い化け物です。そういう人並みはずれた記憶力
を持つ人は社会で通用しますよ。
多くの東大生は小学生の頃から地道に勉強して、受験のとき
にガリ勉して東大に入ったのでしょう。
そろそろ東大=暗記馬鹿が入るというコンプレックスむき出
しの発言は止めて、「凡人が努力して東大に入るから、その
凡人が実は使えなかった。」という議論に変えませんかね?
もちろん、東大に入るという努力は凡人には中々難しいです
が。
精神科医の和田秀樹 さんが監督した
「受験のシンデレラ」を見たことがあります。東大受験にしろ何か資格取得のために勉強するにしても相当な努力が必要だと思います。
それはそれで評価されてもいいことでしょう。週刊プレイボーイの就職活動に関する記事を読むと
採用する側の考えている人材求める人材 は高学歴にこだわっていないような気がします。だから採用する側と採用される側のミスマッチということでしょうか? 確かドラゴン桜ドラマ版では山下智久さん演じる受験生は東大合格しますが東大進学しないで働きながら弁護士を目指す終わりかたでした。 結局自分の人生に対して人生がどう決断するかでしょう。
大学1年のうちには本田先生の著書でも読んで気づいておくべきでしょうね。
>新卒限定と過度な年齢制限はやめてほしい。
民間企業について言えば各企業の自由だと思いますけどね。
年齢制限を禁止するならまず役所・公務員からね。(治安・防衛等の現業組も含め)役所がしないのなら、民間はする必要なし。
>>東大生なんて全国暗記我慢大会の勝者でしかない
>国立大学は一般に単に暗記しただけで入試突破できるようなもんではないのでしょうが・
入試の形式や難易度がどうだと言っているのではないと思いますが。。。
>少なくとも”全国暗記我慢大会の勝者”は、その敗者よりも有能である確率が高いです。
暗記能力もそうですが、東大生の親はは全国でもっとも経済的に裕福だと言われていますからね。
きっと、こういったものが絡み合って昨今のハイパー・メリトクラシー的なもの重視とつながっているのだと思います。
>グローバル化に対応できずにデモとかやって国の足をひっぱるお荷物をどうするかが
まったくそうですね。あと、現在の政権与党のコアな部分はどうゆう志向なのかは、じっくり見極める必要がありますね。
もちろん、民主主義ですからドメスティック志向重視の政党もあって良いですが。
>自分の将来の職業に繋がらない教育を受けるのは、鳩山由紀夫さんみたいな人だけでいいと個人的には思っています
かなり珍しいというか、特異なご意見ですねえ。まあ、義務教育以降は個人の自由ですから、職業につながらない教育は自分には不要だ、という考えもアリでしょうね。
就職を前提にした目的ということですか?
わたしは院に進んで研究者になるつもりで大学に入り、勉強していました。
しかし院の実態(ポストがないので30過ぎてもただの院生や非常勤の先生がゴロゴロ、
そのためいつまでたっても経済的に自立するのが難しい、
院の先生にも「安易にドクターに進めとは言えない」と言われた)を知り、
就職に切り替えました。
この場合、結果的にわたしは何の目的も持たずに4年間を過ごしてしまったということになるのでしょうか?
一体どうすればよかったのだろうかと考えてしまいます。
就職と進学両方を考えて過ごすべきだったのでしょうか。
わたし以外にも、「結果的に何の目的も持たなかったことになってしまった」という人はいると思います。
留学するつもりで今まで勉強してきたけれど、
家庭の事情等で就職に切り替えなければならなくなったとか、
この職種につくつもりで業界研究や資格取得をしていたけれど、
業界内の実態などを知って他の職種を選ぶことにしたとか。
わたしを含め、こういう人たちは就職活動では「なんの目的も持たずに大学に行っていた」と言われてしまうのでしょうか。
正直納得できません。
一度決めた目標(わたしの場合は研究者)は何があっても歯を食いしばって貫くべきだったと言う人もいるのかもしれませんが、
そういう精神論に近いものでは納得できないし、
疑問を感じた時には、
自分が「やっぱりこうしたい」と感じた方向に随時軌道修正するほうが健全じゃないかとも思うし…
少し攻撃的?な文面になってしまいましたが、
大学では自分なりに「こうありたい」と考えて頑張っていたので、
それが就職活動が絡んだ瞬間無意味になった時に、
ふらふらしていたように言われるのはどうも耐えがたいと思って書きました。
DVD鑑賞はいかが ですか?
例えば海外テレビドラマ ティムロス主演の ライ トゥ ミー や 松岡けいすけさんの驚異的な動体視力を武器に人の表情から一瞬で感情を読み取る 千里眼シリーズはいかがでしょうか?
政治の世界に入って何年もいると世間の常識からかけ離れた人間になってしまうのではないですか?
東大は入試問題も暗記すれば解けるような問題でもないし、卒業論文もいいものは沢山でています。受身の大学ということはまったくなく、日本の数多の大学の先頭にたって教育界を引っ張っている印象です。まさに、日本の知的エリートなのではないでしょうか。
ただ、では会社で東大卒を採用できるかというと、それは難しいと思います。まさか東大卒を単純作業やる部署に配属させるわけにもいかないし、かといって経営者はすでにいるわけで。
東大にいく人間は、会社に入るというより会社をおこすという考え方をしたほうがいいかもしれません。
コンピュータエンジニア目指してます。
東大京大クラスは論理的思考力がないと受かりませんよ。
まあ早稲田くらいなら暗記でも受かるんでしょうが、たかが早稲田しか受からなかった人間が東大生を「受験エリートは暗記馬鹿」と語るなんて片腹痛いですね。
何か議論でこれが一人歩きしているようですが
自分は海外で学生に原価計算を教えています。
確かに日本から来た学生さんと話をしてみると自分はいい会社に入って安定した仕事につきたいといい気持ちが強いのには驚きます。ただし、自分が20年以上前に遡ってどうだったかと考えるとそんなには違いは無かったような気がします。いい会社に入って課長、部長に進んで、常務までいければ双六上がり。
逆に就職難からか自分の時代から比べると専門の学習に対する関心、知識は私の頃より遥かに優れているかもしれません。自分のときは歓心を持った講義は全てA狙いでしたがそれ以外はCの連発でよく会社に入れたなと感心します。興味のない講義は眠くて。今でも単位が足りなくて卒業できない夢を見て飛び起きたりします。
日本の学生さんと話すと平均で4.0とか3.8とかのポイントを稼いでいかないと書類で落とされるからしょうがないとか。優秀な学生さん増えましたがなにか寂しい時代になりました。
アメリカの学生が目的意識が強いのは新卒で入社と言うシステムが無いので自分で仕事を探し、隙間に入り込んでいかなくてはいけません。逆に言えば大学3年であくせくしないで自分を見つめていく時間的余裕が沢山あります。
もし自分に自信があれば会計士をとって会計事務所の丁稚から金融機関に行けばいいし、一発勝負の野心家なら不動産屋に入り使いっ走りからトランプを目指すのも良し。
日本の場合、それができないのは極度に年功序列が進み、いいアイデアを持った若者が来ても“まだ若いんだし”と言う目に見えないフィルターを掛けて見られているかもしれません。
それを見ると気の毒だなと思います。年老いた人(自分もかな)たちから見ると若い人を認めるには心の葛藤、努力が必要です。
日本の閉塞はここにあるのかもしれません。
個人的には日本の最近の若者は十分な能力を持った人が多いと思います。ただしそれに向けた環境が育つかどうかはこれからの日本のぶっ壊れ方だと思います。ただ思考を止めてしまった年とった人は韓国のIMF危機のようおきたような大掃除に耐え切れるか。
型破りな変人はメリットのある人材かもしれないけど、失敗によるリスクを天秤にかけちゃうと中々動けないのです。
集団の中でしか学べないものもあるでしょう
しかし、重きを置くべきは勉強であり
集団教育は二の次です
自殺してしまっては元も子もありません
どうしても学校の中で学ぶべきと言うのなら勉強だけ教えましょう。
午前中に国数英のみ教えて後の時間は帰宅させればいい。理科室などは開放しておき、学びたい子は好きにさせればいい。
運動会も必要ありません。北朝鮮ばりのマスゲームなど将来何の役に立ちますか。
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51685360.html
型にはめるだけがすべての日本の教育では知価社会を担う人材は育成できない。
学校よりも公文式とかで勉強した方がよっぽど効果が上がりますよ。
教育バウチャーにはいじめをなくす効果もあります。いじめに耐えなければいけない学校教育から自由に逃げて塾で勉強することができるからです。
http://d.hatena.ne.jp/izime/
寺子屋の伝統から続く日本の児童教育の競争力は世界一です。
成果の出せない学校教育なんてやめて教育はベネッセとか公文式に任せればよい。
しかしまあ日本人の(中でもとりわけ男の)間では学歴ネタは、いつでもどこでも盛り上がりますね。国民全参加型で単一の価値機軸で数値化された指標で優劣を競うゲームなんて他にないわけですから当然なのかもしれませんが。
徴兵制の敷かれている韓国では男が3人集まると軍隊話に花が咲き、それを聞かされる韓国人女性はそれをとても不快に思っているそうですが、実は日本人女性も学歴やら教育やらで熱く語りたがる(いつも必ず床屋談義で始まり百家争鳴で終わる)日本人男性の風潮に辟易しているかもと思いました。
あと僕はこのブログの読者ですが、
>城さんは私立文系は行く価値がないと思っていますが
ここを見てる人達も同じ意見ですか?
基本的に同じ意見です。逆にどんな費用対効果があると考えているのかその価値観を聞かせてほしいですね。
自分の将来の職業に繋がらない教育を受けるのは、鳩山由紀夫さんみたいな人だけでいいと個人的には思っています。だからそういう意味では私立文系よりも国立文系の方が罪深い。個人が私費で趣味なりシグナリングなりを目的に文系学問の習得に勤しむのは勝手ですが、税金を投じて(私大にも私学助成金の問題はありますが)公共サービスにそれを持ち込むのは反対です。
確かに、今の日本の大学がどこまで社会的に有用かという疑問はありますが。
学校は、子供に知識を解放する場所でなく、教育学や心理学、社会学などといった社会科学の「実験室」にすぎない。子供たちに様々な刺激やストレスを与え、条件付けして、知能や心身の反応を教育学者らが観察しているにすぎない。これは、モルモットを使った生物医学実験と同じ。
親や兄姉、もしくは家庭教師が一日二~三時間程度、科目の要点を解説し、前回の課題を出来具合を確認し、質問に答える。そして次回までの宿題を出して、あとはその子供の能力とペースに任せてやらせればいい。親が数学・理科が分からない、英会話などが出来ないなら、家庭教師を雇ったり、英会話学校に行かせればいいだろう。
東大対策なら、鉄緑会の過去問解説集、駿台や河合塾の問題集を買ってやればいい。あと、予備校の全国模試を受けて、全科目偏差値75のA判定を目指させる。こうすれば日本全国、どこの大学でもほぼ合格できるだろう。
一日、一週間の時間割の作り方は自分で決めさせる。それでも課題をサボったら、食事やおやつを食べさせない。でも、顔面殴打などの体罰は禁じる。
文部省の役人と御用学者が作った教育内容が気に喰わない、面白くない、ウソだと思うなら、自分で教材を探せばいい。インターネットや学習ソフトだってある。
あと、他人との協調性を身につけるために、一週間に二回くらい、近所のサッカーや野球チームでも入ればいい。劇団も悪くない。そこでウソのつき方を学べる。これは将来、ビジネスで役に立つ。なぜなら、ビジネスの本質は、「価値がそれほど無い商品やサービスを如何にして付加価値をふっかけて顧客にもっともらしく高く売りつけるか」、に要約されるから。
人との面会や、約束の場所に15分くらい前に到着することはビジネスの世界の常識で、何も学校で12年間もかけて教師が子供を躾ける必要もない。校長や教師は基本的に公務員だから、子供の事故や事件の責任を取りたがらない。だから、イジメで子供が自殺しても、「私は知らなかった」と他人事のように言うだけ。自殺した子供は、もう戻ってこない。
話が城さんのブログの本題に戻るが、なんだかんだ言っても、大・中小企業の人事部の人間は、型破りの人間を採りたくない。つまり、リスクを取りたくない。日本人による日本人の能力の評価は、未だに出身大学名(場合によっては出身高校名も)と、日本と韓国だけで流行っているTOEICとかいうくだらない試験の点数だ。あと、せいぜい面接の出来くらいだろう。
新卒限定と過度な年齢制限はやめてほしい。
仕分けの対象です。 21世紀に日本が生き残るためには理系が文系よりも優先されるのではないでしょうか?
ここを見てる人達も同じ意見ですか?
いつも応援していますよ~。
お仕事頑張ってくださいね!
また遊びにきますね。
当面は必要と考えます。
学校の役割とは、
1、近代社会の生活スタイルを体に叩き込む。
近代社会においては労働者は決められた時間に従って動ける身体にならなければならない。だから「出欠」「チャイム着席」といった時間に関する規律を叩き込まれるわけです。
2、子供の託児所
労働者が外で働いている間、子供を預かり、大人社会の邪魔にならないように隔離しておくための施設です。
近代社会にはこの2点が不可欠です。これらが重要なのであって、学問のほうはそれほど重要ではありません。実際、多くの人は日常生活で必要な読み書き計算以外の知識はほとんど忘れてしまっているでしょう?
学校でのいじめは根絶することは不可能ですが、システムを変えることである程度無害化できると思います。日本の初等中等教育は集団主義で、班活動や学校行事が多く「全員参加」を強制されて独りで過ごすことができません。“仲間はずれ”がいじめとして成立するのは、学校が“ともだち”をつくらなければ過ごせないシステムになっているからです。だから集団主義を弱め、行事などはすべて自由参加制とし、友達がいてもいなくても過ごせるシステムにする必要があります。塾や予備校、自動車教習所のような感じで。
>小学、中学、高校くらいの勉強内容なんて、自分でできますよ。
よほど本人がしっかりしているか、親のサポートがないと難しいです。いまの世の中、勉強以外に面白いことがいくらでもあります。たいていの子供は易きに流れてしまうのでは?また親が生活に追われていたりだらしのない人間だったら、子供のサポートなんてできません。
だから学校による学習指導は今後も必要だと思いますよ。
もちろん大検とか中卒検とか学校以外のルートはたくさんあったほうがいいと思います。
少なくとも”全国暗記我慢大会の勝者”は、その敗者よりも有能である確率が高いです。
「入試突破時点で人間として歩みを止めて」しまっているとしても、若くしてその努力を怠ってきた者達よりは、鍛え甲斐があることが多いです。
もちろん、”敗者”の中にも有為な人材は居るのかもしれません。しかし、これを拾い上げるには採用サイドのコストパフォーマンスが悪すぎます。
また、得てして「敗者の中で有能な人材」は、会社組織に向かないことが多いですし。
就職する段になってそれを攻められる学生もちょっと可哀相ですね・・・
そこで気付かされた後、どう行動するかでしょうね。
あとSPA読みました。
グローバルに落ちていく人間がいるという話、面白かったです。
グローバル化に対応できずにデモとかやって国の足をひっぱるお荷物をどうするかが
今後の各国の課題になりそうです。
誰もが自分の将来の道筋を明確にイメージできているわけではないので、自学自習をするのは志の高い一部だけで、残りは何もせずにだらだら時間を過ごすといった事になりかねないと思います。
高校生、大学生なら勉強することの意義が解るかも知れませんが、小学生、中学生にとって高いレベルを目指して、自分でコツコツ勉強するというのはなかなか難しい事だと思います。
(勉強など)必要だとわかっていても自分では出来ず、外からの強制力(学校、塾など)を必要とする駄目人間も世の中には居ます。(私です^^)
切り捨てるのも手ですが、利用できるものは利用した方が社会の生産性にとってはプラスではないでしょうか。
少なくとも小中にあたる義務教育は必要だと考えます。
親任せにするには不安が残ります。
東大めざす人たちって、最初から自分の意志で全国暗記我慢大会に飛び込んでいったんですかね。
おそらくほとんどの人は10代初めにはもう東大目指して勉強に生活の大半を費やしていたんでしょうけど、それは最初から自分の意志だけだったんでしょうか。
そうしてやっと入学・卒業したら今度はバッシング。
彼らは平均寿命の最初の1/4の時点で色んな意味でスケープゴートとして生きてきて、残りの人生はそれを抱えて生きていくのかと思うと、
そして、その人生が日本の最高学府に通うために払わなけらばならない犠牲だとすると、そこにすら至れない人間も含めて今の日本にはあまりに希望も未来もなさ過ぎる。
年功序列が関わるずっと以前、子供の頃からもう若者の未来は奪われ始めてるのかもね。
ずいぶん週間プレイポーイも変わりましたね。感慨深いや。
今回のプレイボーイに関するこのブログ記事とは直接関係ないですが気になりましたので・・・><
ちなみにひろゆき自体は中央大学・・
負けが決まってる勝負を死ぬまでやらされる若者世代。 :http://hiro.asks.jp/74599.html
まあ、受験だけで大学入学後になんとなく過ごしていたら数年の内に他の学生と差が出来るという事でしょう・・
国立大学は一般に単に暗記しただけで入試突破できるようなもんではないのでしょうが・・・
早慶を初めとする私学の方が影響は大きいんじゃないのかと思ってます。
城さんの本の「7割は課長にさえなれません」にもコラムで書かれていたように学歴は絶対的なものではなく、会社受ける時の受験票くらいの価値はあるという事でしょうかねえ。
だからって、学歴なんかくだらない個性の時代だ、と思いつく限りのバカをやっても、十代の脳配線と知識では社会的に何の価値もないことをやってフリーターになるのが落ちです…少なくとも99.9%は。
東大なんかクラスメートと遊びながら入れる頭脳、クラスでも浮かずいじめでドロップアウトしないようなEQ、企業人事担当者が求める「主体的な」人格を演じられる自己プロデュース力、十年後に必要になることを学べる予言能力…
それがない大半の子供はどうしろと?
こういう高学歴批判のとき、東大卒の人って、
いつも
>全国暗記我慢大会の勝者
みたいな、低学歴の僻みいっぱいの
揶揄を受けてくれて、マジ乙っす!
これからも楯になってくらはい!よろすく。
城さんや皆さんの批判を覚悟の上で、言わせてもらいます。
ぶっちゃけ、日本の教育って、学校の存在意義がないと思いませんか?もっと、ストレートに言えば、「学校は要らない。」
難関中学受験、難関大学受験、司法試験、公務員試験を考えた時、学校や大学の勉強はあまり役に立ちません。だから、塾や予備校は「必要悪」とされ、世の受験生は大金をはたいて通い詰めるのでしょう。事実上、学校や大学の教育内容は形骸化されており、入学試験の難易度にもとづく生徒の能力のラベリング機能しか果たしていません。つまり、門構えだけが立派なだけ。
昨日、母親が外国人(といっても日本に帰化していると思われる)の小六の女の子が首吊り自殺する事件がありましたね。ぼくがよく思うのは、学校でのイジメや体罰やセクハラで悩んだ末、子供が首吊って息苦しい思いをしたり、高い所から飛び降りたりして自殺するくらいなら、学校なんかまったく行く必要がないと思いますね。学校という、工場と役所と刑務所の複合体みたいな組織に忠誠尽くすことないって。それだけの価値はありません。
それに、小学、中学、高校くらいの勉強内容なんて、自分でできますよ。要するに、分かりやすい参考書と問題集を本屋さんで買ってきて、自分で勉強すればいいだけ。それで大検受けて、どっかの難関大学受ければいいじゃん。もしくは、徹底的に英語を勉強して、TOEFLで550~600点くらいとれるようにして、英語圏の大学通信教育も悪くない(高卒の資格さえあれば、入学可能)。
あとね、今の大学生も覇気がないのかもしれないけど、私からいわせれば、大・中小企業の管理職の人間も悪いね。それなりに日本の大学で、海外でMBAとか取っているかもしれないけど、メンタリティーは1990年以前と大して変ってない。要するに旧世代の人間だと思うね。
若者にそれだけのことを要求するのなら、自分がまず見本を見せてみたらどうか。
等の特集が本当に多いと思います。
こういう所で城先生や森永さんや池田信夫さんや
勝間さんや湯浅さん等がどんどん議論して欲しいです。そうすれば雑誌ももっと面白くなるのではないでしょうか?