Joe's Labo

城繁幸公式。
というか避難所。移行か?
なんか使いづらいな・・・

ふと『東電OL殺人事件』を読み返してみた

2011-05-06 19:08:54 | 書評
東電OL殺人事件 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社




毎日のように“東京電力”という言葉が飛び交う中で、ふと本書が頭に浮かんだ。
もう14年も前の事件だが、当時、“東電”というアングルでは事件を見てはいなかった。
というわけで、改めて連休中に本書を再読してみた感想を。

事件について簡単に触れておくと、昼間は東京電力の課長というエリート、
夜は渋谷の街角に立つ女という2つの顔を持つ女性が、安アパートの空き部屋で惨殺され
放置されていたという事件である。
「なんでそんなエリートキャリアウーマンが、夜の顔なんてもってるんだ」
というのが、当時の人の率直な疑問だったと思う。同じ疑問を抱いた著者が、被害者の
心の闇に迫るため、夜の渋谷からネパールの山奥まで駆け回って書き上げたのが本書だ。

あらためて事件の経緯には触れないが、今読んでみると、この事件にはいくつかの
コントラストがあるように思う。

東電と、渋谷の夜の世界
父親と、被害者本人
日本とネパール

東電という半官半民のインフラ大企業で課長まで昇格した彼女は、間違いなく勝ち組だ。
事実、夜の仕事の合間にさえ、異常なほどのエリート意識を垣間見せている。

だが、それはタダで手にしたわけではない。いつも言っているように、終身雇用の
目に見えないコストはけして安くは無い。女性ならなおさらだ。

私は男女雇用機会均等法の施行から十年以上たった今も、女性にとって日本の会社は
きつい。男性にとってもきついだろうが、女性にとってはそれ以上にきつい職場環境と
なっている、そしてその状況は以前とほとんどかわらないどころか、“平等”の名のもとに
ますますきつさの度合いをましているのではないか、と思わざるを得なかった。
(中略)
「私も結婚したらやめようと思って銀行に入ったわけではありません。けれど日本の企業には
結婚と仕事を両立させるシステムはあっても、出産と仕事を両立させるシステムはまだ
ほとんどないんです。名の通った大企業ほど女性が長続きしないのもそのためだと思います」

(被害者と同じゼミの出身女性)

東電同期女性の証言も興味深い。

東電の面接試験を受けた時、うちは四大卒であっても女性は短大卒と同じに扱いますと、
はっきり言われました。(中略)入社してからは制服も決められた通りに着て、東大卒だと
いうことはおくびにも出さず、お茶くみもしました。ずるいやり方だとは思いましたが、こういう会社
では、ちょっと目立つことをするとすぐに足をひっぱられると思ったからです。
W(被害者)さんの態度は私とは正反対でした。自分はエコノミストのスペシャリストでいくと、
堂々と言っていました。けれど、こんなにつっぱって本当にやっていけるのか、という一抹の
不安があったことも確かです。


重要なのは、それだけの負担をしつつも、父親には勝てなかったという事実だ。
被害者の父は東電で役員手前まで進んだエリート社員だった。
本書では(主流から外れる)子会社への出向や派遣留学の挫折が重要なターニング
ポイントだったと示唆している。

こうしていったん主流を外れてしまうと、もはや個人の努力ではいかんともしがたい
ところが、閉じた終身雇用というムラの恐ろしいところだ。
今のようにネットでいくらでも好きなことが探せて、転職もオープンになっていれば
状況も違っただろうが、80年代末ではまず無理だろう。自分を押し殺して生きるしかない。
元々押し殺して入った世界でもう一回押し殺すのだから、どこかに無理が出る。

その無理が形となったのが、もう一つの夜の顔だったのだろう。
ネパールの寒村から出稼ぎにきた男たちに、渋谷の安アパートで向き合うことで、被害者は
何を埋めようとしたのだろうか。

2000年代に入って、30代正社員のメンタルトラブル増加が問題となっている。
激しさの違いはあれど、基本的には本書で描かれた絵と同じだというのが、個人的な実感だ。

※ネパール人容疑者には高裁で無期懲役判決が下されたが、本書もたびたび指摘するように、
 明らかに冤罪の可能性が高い。検察のご都合主義という点も含めて、本書の内容は
 まったく色あせていない。佐野眞一の最高傑作だと思うので、未読の人にはおススメしたい。



有縁社会も楽じゃない 書評『津山三十人殺し 最後の真相』

2011-02-17 10:58:49 | 書評
津山三十人殺し 最後の真相
石川 清
ミリオン出版



昨年に引き続き、NHK特集の『無縁社会』が話題となっている。
“無縁”の先にあるものが何なのか知っておくべきだと思うので、個人的には見て
おいて損は無い番組だと思うのだが、メディアの一部に「皆で有縁を取り戻そう」
的な回帰色が出ているのが気になる。
基本的に無縁とは我々が選んだものであり、時計の針を戻すことは不可能だ。
それを再認識させてくれたのが本書である。

中国地方の山間部の閉鎖的な村落で、つい近年まで(短時間での)殺人被害者数の
世界記録となっていた事件は起きた。事件のことは知らなくても、八つ墓村で電灯
を頭に巻いて猟銃と日本刀振り回すおじさんを覚えている人は多いはず。
あれのモデルとなったのが本件だ。

本書が優れているのは、従来の被害者側からの視点にくわえ、家族内の緊張関係や
ムラ社会との軋轢にも踏み込んでいる点だろう。
それにより、昔からある「本人異常説」や「痴情のもつれ説」といった表層的な事情の
背景に光を当てることに成功している。背後にあったものとは、ムラ社会との軋轢である。

農村のような有縁社会では、メンバーは共同体の一員として守られるが、失点を犯した
者は法とは別の論理で追及される。そういう情報は共同体内で共有されるから、
場合によっては“村八分”となってしまう。
犯罪者の家庭が事件後に夜逃げと言うのは、今でも田舎では珍しい話ではない。

その失点というのは、不祥事だけにはとどまらない。精神疾患のある家系はきつねつき、
肺病患者の出る家はろうがいすじと呼ばれ、家ごと差別されるケースも戦前まではあった。
ちなみに本件の犯人は両親が肺病で無くなり、自身も肺病により徴兵検査を不合格と
なった経緯がある。当時、兵役不適格とされた男子がムラ社会でどういう扱いを受けたか
は想像に難くない。
本当の疎外というのは、もともと縁なんて無い無縁社会ではなく、縁で形成された
有縁社会にこそ存在するのだ。

確かに縁は無いかもしれないが、その気になったら好き勝手に縁を作れる現代社会の
方が、出口の無いムラ社会よりかはなんぼかマシであるというのが、同じ中国山地の
山間で育った僕の感想だ。


※本書には(短いながら)最後の生存被害者のインタビューも収録されており、
 その意味でも貴重な一冊だ。

『七人の侍』と現代

2011-01-31 18:20:37 | 書評
『七人の侍』と現代――黒澤明 再考 (岩波新書)
四方田 犬彦
岩波書店



著者自身が世界各地で体験したクロサワ神話について考察する。

代表作である「七人の侍」をはじめとする黒澤映画は、本人の意図を超え、世界各地で
様々な解釈をされている。たとえば、キューバでは孤立した状況における独立の象徴
として、イスラエルでは古典の巨匠扱いだが、パレスチナでは現在進行形のテーマに
取り組む現代監督として、各地でそれぞれの神話を形作ってきたわけだ。

中でも興味深いのは、紛争により、地域全体が巨大な「野武士に破壊された村落」状態
になってしまった旧ユーゴスラヴィアだろう。
「戦犯たちは、村を守ろうとした侍と同じじゃないか」というセルビア人の声に、
そう言う見方もあったのかと驚かされる。
彼らにとっては、ラストの悼みのシーンは重要な意味を持つのだろう。

ユーゴスラヴィアの悲惨な戦争の中にあって、黒澤明はけっして日本やアメリカの
映画研究者がアームチェアで分析を試みるような古典なのではないのだ。
それは現実の惨事を認識し、苦痛に対し心理的な浄化を準備する現役のフィルムなのだ。


ちなみに日本では、階級色の強さに左派からはあまり評判がよろしくなく、逆に再軍備
を勝手に連想した自民党議員には評判だったそうだ。
もちろん、監督本人はどちらもあずかり知らぬ話だろう。

ところで、僕自身、本書を読んだ後で久し振りに「七人の侍」を見直してみて、いくつか
気付いたことがある。
要するに、農村という文字通りのムラ社会が外部専門職を有期雇用契約してムラ社会を
守るという話なのだが、彼ら農民は、けして自らは変わっていない。
悪く言えば、侍を使い倒しているわけだ。
(侍の側は、村を守るという選択をした時点で、農民側に大きく歩み寄っている)

現在、日本企業というムラ社会は、グローバル化に対応した人材の採用に血道をあげている。
ターゲットとなるのは、自立型人材とか即戦力とか留学生とか色々と言ってはいるが、
要するにムラ社会からすれば“侍”である。
彼ら日本企業は、今度は侍に歩み寄れるのだろうか。

そう考えると、クロサワが古典になるのは、日本においてもまだまだ先の話だろう。


35歳までに読むキャリアの教科書

2011-01-04 14:10:05 | 書評
35歳までに読むキャリア(しごとえらび)の教科書 就・転職の絶対原則を知る (ちくま新書)
渡邉 正裕
筑摩書房



いきなり起業したりベンチャーで頭角をあらわすのはハードルが高い、かといって社畜に
なって飼い殺されるのもまっぴらだという人にとって、やはり普通の日本企業に入って
そこでキャリアを磨いておくのがもっとも現実的なキャリアデザインの方法だろう。
本書はそのための非常に優れたテキストとなっている。

「バカじゃない、でもやる気が出ない人へ」という帯のコピーは秀逸。

基本的に仕事というのは千差万別であり、さらに日本の場合、会社ごとにガラパゴス化
してしまっているため、共通のセオリーのようなものを理論化するのは難しい。
本書の優れた点は、いくつものケースを分析することで、ある程度の一般化に成功して
いる点だろう。すごく大雑把にいえば、
「動機とスキルの洗い出しをした上で、そのコアな部分にキャリアを寄せていく」
ということになる。これがケースごとに解説されているため、仕事内容まではイメージ
できなくても、なんとなく全体のアングルは頭に入ってくると思う。

ただ、こうして“キャリアデザイナー”達のそれぞれのアプローチを示されてみると、
必要な能力もモチベーションも結構ハードルは高いかな、というのが正直な感想だ。
(同じことは、僕自身が「アウトサイダーの時代」を書いた時にも感じた)

自分のキャリアを早い時期で見定め、そのために転職も含めた様々なアクションを
自分から打っていくというのは、日本の教育システムではまったく教えていないことだから。
いや、むしろ現状はまだまだ「いい子ちゃんで座ってなさい」的なカルチャーに近いのでは
ないか。

もっとも、グローバル企業のホワイトカラーというのは本来そういうシビアなものであり、
日本のホワイトカラーも他国並みになっていくというだけの話なのかもしれない。
いずれにせよ、これからはホワイトカラーの2極化は大きく進むと思われる。

ちなみに、2極化した下の方はどうなるか。遅かれ早かれ昇給ピークが40歳を下回るように
なるから、本書も言うように、もっとも生活費のかかる50歳前後に「地位も金も無い団塊世代」
みたいな、なんとも夢のない“カツカツ世代”が生まれることになるだろう。

僕には今から十数年後、「子供の学費が!家のローンが!お上はなんとかしろ!」と泣きわめく
同世代の姿が目に浮かぶが、もはや国になんとかする余力はない。頼りになるのは自分だけだ。

世の中には「そんな厳しい話を20代にするな」という採用側の人間もいるが、今向き合って
おくか20年後に気付くかという違いでしかない。
もっとも、40歳を過ぎて気付いても手遅れだろうから、ポジティブに考えるなら今向き合って
おくべきだろう。




2020年、日本が破綻する日

2010-09-30 13:11:06 | 書評
2020年、日本が破綻する日 (日経プレミアシリーズ)
小黒 一正
日本経済新聞出版社

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既に各所(こことかこことか)で本職の方が取り上げているので、いまさらながらという気も
するが、本ブログ読者向けに紹介しておこうと思う。
『世代間格差ってなんだ』の共著者である小黒氏の新刊だ。
世代間格差という大きなテーマに沿いつつ、財政と社会保障の課題と改革の方向性について
解説する。

本書も指摘するように、日本の財政が急速に悪化している原因は、増大する社会保障給付に
ある。75年、給付12兆円、保険料収入10兆円に過ぎなかった社会保障予算は、07年には給付
91兆円、保険料収入57兆円の規模にまで拡大し、公費で負担しなければならない差額は34兆円
にまで拡大した。
しかも、この差は、毎年約1兆円ずつ拡大すると予測されている。

医療や年金といった社会保障の見直しもせず、かといって保険料引き上げや増税による財源確保
にも手をつけないことで、何が起こっているか。
聖域なきコストカットの対象とされているのは、教育や子育てといった現役世代向けの給付
である。著者の言うとおり、まさに「二重のツケの先送り」というわけだ。

そういった負のスパイラルを断ち切るためには、社会保障を一般財政から切り離し、財源を
規定する“ハード化”が必要だというのが、本書の提案である。制度としては、賦課方式
ベースから事前積立方式への移行が望ましいとする。
高齢者にとっては、社会保障の見直しも財源確保もされない方がトクだろう。今の日本では
どうやっても給付カットにつながるからだ。そういう意味では、政治がこの問題に目をつぶる
のも当然かもしれない。

もっとも、既に終わりは見えている。多くのエコノミスト同様、著者も2020年に家計が財政を
ファイナンスできなくなると予測し、それまでに何らかの異変が起こると指摘する。
ただ、ギリシャの例を見ても分かるように、必要なあるべき改革は、そういう形で危機が
顕在化しない限り不可能なのかもしれない。

非常に充実した内容で、ある程度関心のある人から学生まで、幅広い層に推奨できる良書だ。

さて、本書では全編通じて、様々な“民間信仰”について、オーソドックスな立場からの
解説が加えられている。以下、よく目にする迷信とそれに対する回答をピックアップしてみよう。

・「景気回復まで財政再建は進めるべきではない」
→不況だから安定しているにすぎない。むしろ好況になればより痛みは大きくなる。

・「経済への影響から、段階的な増税が望ましい」
→むしろ一度に増税した方が、経済的損失は少ない。

・「国の債務は、資産を引いた純債務でみればそれほど多くは無い」
→売却できない河川や道路、企業であれば負債に計上すべき年金預かり金までカウント
するのは間違い。さらには、社会保障における暗黙の債務1150兆円を、これからの世代は
負担しなければならない。

・「なんだかんだいっても、厚生年金は払った以上に返ってくる仕組みだ」
→企業負担分は結局は本人負担と同じであり、そう考えると45歳以下は既に払い損。

・「借金してでも景気対策を優先すべき」
政府借金の増加で世代間格差が拡大すると、経済成長率は低下する傾向が
ある。

前回の参院選に際し、若者マニフェスト策定委員会の出した各党マニフェスト採点において
「みんなの党」の財政・社会保障政策に対する評価があまり高くはなかった(11党中5番目)。
結構、あちこちで理由を聞かれる。
確かに、小さな政府を目指す政党なので若年層にとっては魅力ある政党には違いないのだが、
“みんな”の一部の政策は上記のようなスタンスからは若干ずれたものだ。
特に「純債務でみれば財政危機ではない」といって財政再建を先延ばし
にするのは、若手 からすればとうてい看過できない誤魔化しである。

何か別の意図があるのだと思うが、自民党などがきっちりとオーソドックスな政策を
打ち出している以上、我々としてはその部分は減点せざるを得ない。
これが、同党の評価を下げた理由である。

ピースボートに乗ってみたくなりました

2010-09-20 11:22:39 | 書評
希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)
古市 憲寿,本田 由紀
光文社

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僕は正直いって社会学系の本というのがあまり好きではなくて、
「そんなこと実社会で働いてれば誰でも知ってるだろう」的なことをぐだぐだ書いている
という印象しかない。
そんなわけで、本書も東大の総合文化研究科博士課程在籍の若手社会学者の本ということで
あんまり期待せずに読みだしたのだが、途中でやめられずに一気に最後まで読んでしまった。

一言でいえば、ピースボート乗船日記である。

ピースボートといえば、辻本センセイ率いる左翼団体というイメージしかなくて、よく
わからないけれども代金払って数カ月して帰ってきたときには筋金入りの活動家にされて
そうな印象しかなかったが、全然そんなことはないらしい。
一応「9条勉強会」みたいな自由参加式のイベントはあるらしいが、熱心に参加する人は
少数で、実態としては若者から定年した団塊世代まで、いろいろな年代、職業の人達の参加
する賑やかなツアーだそうだ。

著者は乗船する若者を、4つに分類してみせるが、九条や世界平和など、政治的な関心を
抱いているのは全体のごく一部だという。
では、大多数の人にとって、ピースボートに参加する目的とは何なのか。
お祭り好きタイプや観光目的など人によって違いはあるものの、そこには大きく共通した意識
が横たわっている。それは“自分探し”だ。
そして著者は、その自分探しが、けして最近の若者だけに限られた風潮
ではなく、若者に普遍的なものであり、たとえば学生運動なども
一種の自分探しだったとする。


「カニ族」(70年頃の貧乏学生旅行者)たちは、北海道で「現代的不幸」に
向き合った後は、ちゃっかり髪を切って企業戦士になっていった。
つまり旅は子供から大人への通過点、通過儀礼としての役割を果たしていた
とも言える。若者たちは旅を終え、色々な夢や希望をあきらめた。
そして、企業社会の一員となるというレールを歩んでいったのである。
しかし、今やそのレール自体がなくなってしまった。


団塊世代ってなんであんなに節操無いのか不思議だったが、学生運動を自分探しと考えると
よくわかる。

さて、問題は現代だ。
卒業旅行やなにやらで旅という儀式はしてみたものの、帰ってきても乗るレールはない。
レールなんてないのだから、旅なんて行くわけないじゃん、でも、これからどうすればいいの?
そんな悩める若者たちにとって、ツアーほど丸投げするわけでもなく、かといって自分の足で
歩きまわる必要もなく、通常の半値以下の格安料金で世界一周引きまわしてくれるピースボート
はとても好都合というわけだ。

そんな四か月にわたる旅も終わりをつげ、彼らはそれぞれの現実に戻っていく。
興味深いのは、ほとんどの人が、海外で得た交流や知見ではなく、船内での人間関係を印象
に残ったとあげている点だろう。結局、彼らが獲得したものは、アフリカでもアメリカでも
なく、濃密で逃げ場のない集団生活から得たものだったというわけだ。
「四ヶ月間横浜沖にでも浮かんでれば良かったのではないか?」と思う人もいるだろうが、
人間関係にせよやりたい仕事にせよ、何かに気づくためには、やはり“旅”というキーワードは
必要だと思う。

実際、そうして得た交流関係は、その後も長く続くという。ルームシェアや共同事業等、
様々な形で共同体を発展させるものもいる。著者は中でも、200人近く参加した一周年記念
パーティに注目する。
200人も集まるということ自体凄いと思うが、かつて九条や世界平和といった政治性を熱く
語っていたグループから、そういった熱がきれいに消え去っていたという事実はとても重要
だろう。

つまり、ピースボートは「社会運動や政治運動への橋渡しをしよう」という創設時の理念と
はまったく逆に、元気はあるが発散方法を知らない若者たちを船腹いっぱい詰め込んで世界中
を連れ回し、その希望や情熱を放棄させる機能を担っているわけだ。
著者はそんなピースボートを「あきらめの船」と呼ぶ。
なるほど。自分探しは多くの人間にとって、何かを諦めるプロセスでもある。


著者はとかく抽象的になりがちな社会学というものを、ルポを絡めて生き生きと描く才能がある。
宮台先生あたりに染まることなく、これは大事に伸ばしていってほしい。


以下、個人的にツボだったポイント。

・「若者の性処理」に異様な関心を見せる上野千鶴子センセイ。

・基本的に草食系で大人しい若者に対し、船のトラブルに切れて団結、抗議運動を展開する
 元祖学生運動世代。

・わざわざ後書きで反論する肉食系の本田由紀さん。


それにしても、本書を読んでわかったことは、ピースボートというのはいっぱしの旅行会社
だということ。これだけ充実したツアーを毎年動かしているわけだから、そりゃ辻本さんの
実務能力がそこらの民主党議員なんかより高いはずである。
社民党という変な厄を落として、より現実的な目線からご活躍いただきたい。

書評:地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?

2010-09-01 11:16:48 | 書評
地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)
久繁 哲之介
筑摩書房

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以前、映画『国道20号線』の富田監督と対談した時、社会がどんどん発展して、インフラや
衣食住の地域差がなくなるほどに、逆に地方と東京の格差は拡大するよねという話題となった。
国道というインフラを通じて、地方は物流から価値観にいたるまで東京型に組み込まれ、
都市から流される情報の受け手に成り下がる。その中で育った若者の多くは都市へと流出し
後にはチープで金太郎飴的な寂れた地方都市だけが残るというわけだ。
その時は解決案までは思い浮かばなかったのだが、たまたま手にした本書の中にそれがあった。

もはや日本は全国一律のインフラは維持できないので、今後は過疎地域から中核都市への
集約が進むはずだ。その中で、駅前の再開発や大規模ショッピングセンターの誘致は、一見
すると時流に即したアプローチに見える。

だが“宇都宮109”のように、失敗するものが少なくない。
むしろ、松江の天神町商店街や善光寺前のぱてぃお大門のように、成功事例として取り上げ
られていても実際には地域活性化につながっていないケースが少なくないと著者は指摘する。

理由は、トップダウン式の押し付け再開発にある。
国や自治体、都市計画者や建築学者には、各々がイメージする理想郷がある。そして、それは
必ずしも地域に適合するものではない。たとえば欧米の大学院で学んだ都市計画とやらを
持ち込まれても(文化が全然違うわけだから)山口や島根の人が喜ぶわけではないし、
お役所の縦割りから生まれた行政サービスが非効率なのは今に始まったことではない。
エコを掲げつつ車社会重視で路面電車を廃止し、43階建ての高層ビルを駅前に立てた岐阜市
が典型だろう。開業三ヶ月で一階テナントが撤退した岐阜シティタワー43は、様々な人達の
理想と妥協の差物である。

では、地域再生に必用なものとは何か。
著者は地域再生の本質は「交流、心の再生」にあるとし、そのために交流や地域愛を柱と
する7つのビジョンを掲げる。
その内容まではここでは書かないけれども、そこまで読み進めた後なら、宇都宮109が流行
らなかった理由はすっきりと頭に入ってくるはずだ。
渋谷の109の劣化コピーを持ってきて、地元の姉ちゃんに売らせたところで、カリスマ店員
のようにはいかない。そういうのが好きな人は「やっぱり渋谷じゃないとダメだよね」と
なり、もともと興味のない人は最初から寄り付かないだろう。

自治体の担当者はもちろん、町おこしに少しでも興味のある人には強くおススメしたい一冊だ。

書評:「若者はかわいそう」論のウソ

2010-08-06 14:15:45 | 書評
「若者はかわいそう」論のウソ (扶桑社新書)
海老原 嗣生
扶桑社

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ほぼ一章割いて批判されているので、反論しておこう。
著者の主張は一見すると精緻だが、言っていることは実にシンプルだ。
「非正規雇用が増えたのは、大学進学率が上昇し、大卒者にアホが増えたから」
とくに頭数の多くてあんまり勉強もしてない団塊ジュニアは食いつめて当然というロジック
である。

なるほど、たしかに大学進学率の上昇は“大卒者”の質を下げているとは思う。
ただ、著者のロジックには致命的な欠陥がある。
「じゃあ正社員のおっちゃんたちは、学生に文句垂れるほど勉強してたのか?」
ということだ。

もし仮に、日本の労働市場にまったく規制がなく、新卒者と既存正社員の間で完全な自由競争
が行われていたとしたら。
現在30代の派遣社員は、派遣以外の道は無かったのだろうか。
彼はやる気も能力も、本当にすべての正社員より劣っていたのだろうか。
好況に挟まれ、先輩後輩に比べて不本意な就職先しかなかった30代の正社員は、本当に
それ以外の選択肢がなかったのだろうか。彼は本当に大学4年間、バブルやそれ以前に入社
した先輩たちより自堕落に過ごしてしまった無気力学生だったのか。

そんなことはありえないだろう。50代一人を切るだけで新卒3人が雇えるのだから。
新卒の三倍以上の生産性があるとはとうてい思えない。
大手の社内には、世間話と雑誌整理だけで一千万近く貰っている正社員がゴロゴロしている
が、彼らがそれだけ貰っている理由は、単に「景気が良い時に入社したから」に過ぎない。
その一点のみで、「しょうがないよね、君たちは数が多いんだから」とすべての格差を
正当化することは、断じて認められない。

要するに著者の主張は、
「フリーター博士が増えたのは大学院を増やしたから。だから大学院を減らせばいい」
という大学教授や、
「司法試験合格者数が増えたから収入が減って弁護士の犯罪が増えたのだ。合格者数を
以前のように減らせ」という宇都宮日弁連会長とまったく同じ。
既得権100%温存で入口を締め上げるという典型的な年功序列的発想に過ぎない。
雇用流動化論者が言っているのは、求職者と既存社員の間で公平な競争を実現しろと言う話
で、割合がどうのという次元の話ではない。
競争なくして、いかなる組織も社会も成長しないのだ。

ついでに言っておくと、著者はこうも言っている。

高齢者世帯は所得が低く、中央地で240万円、200万円未満が約4割となる。
(中略)非正規対策も不要なわけではないが、圧倒的に優先順位が高いのが
「高齢者問題」ということが見て取れないか?


仮に、鳩山さんが政界引退して、取材対応で年収200万程度の収入を得たとすると、統計上は上記の
「可哀そうな老人枠」にカウントされてしまう。フリーターは自らの所得税で鳩山さんを養うべきなのか。
この意見に素直にうなづける若者は、多くはないはずだ。

他には、「42歳で5割が課長になれる」というデータも誤り。
データには“課長補佐”が入っているが、そもそも課長補佐って、担当部長や参事と同様、
ほとんどはポスト不足をカバーするためのお飾りであり、部下もデスクもついていない
なんちゃって管理職である。
課長補佐になって「やった!俺も幹部候補だ!」と言っているおめでたいおじさんなんて
おらず、多くは自分の会社とキャリアを呪っているはずだ。

「最終的には7割超が役付きに出世できている」とも言っているが、
役付きに係長(主任、リーダー) を含めちゃダメだろう。

今どき電機なら20代で主任になれますよ。
とりあえず「わが社で30年頑張れば、係長クラスにはなれますよ」と言って学生を募集して
みることをおススメする。普通の人材はまず集まらないはずだ。

というわけで、雇用問題の分析としては、正直おススメできない。

ただし、変な話だが、読んでいて不思議な安定感があるのも事実だ。
そういえば僕自身、それほどぱっとしない後輩に進路を相談された際に、本書と同じような
アドバイスをしていたことを読後に思い出した。
別にやる気もやりたいことも見つからない。それでも運よく大企業に入ることのできた人間
へのキャリア指南書としては、本書はとても有効だろう。

著者の言うように、大手のスローライフで身に付くモノも確かにあり、ぎらぎらしていない
人間がそれ以上を求めて飛び出すのは、僕自身もおススメしない。
「やってられるかよ!」というやんちゃな人間は、著者の言うとおり10%もいないかもしれない。
要するに、多くを求めない安定志向の人向けの精神安定剤的な役回りの本なのだ。

著者もこの点には気づいているようで、上記のデータのブレ(課長補佐、係長を役職にカウント)
はそれを一つの物語にするために書き入れた筆なのだろう。
著者の本音は、恐らく以下の言葉だ。
「係長止まりの緩い人生でいいじゃないか」(86P)
案外、見えているものは同じものなのかもしれない。

それでもなお、僕は日本型雇用というシステムのゼロリセットが必須だと考える。
その10%全員が腐ることなく普通の企業や官庁で活躍できるようになれば、日本は大きく
変わると思うからだ。そしてそうなれば「やんちゃな人間」は10%より増えると思うからだ。
その時こそ、再び坂の上に雲が見えるような気がしている。

書評『私が自民党を立て直す』

2010-08-02 12:39:57 | 書評
私が自民党を立て直す (新書y)
河野 太郎
洋泉社

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自民党の若手~中堅議員のホープである河野氏の新刊。

「正直に申しまして、今日ここにお集まりの皆さまは、国民が現在自民党に対してかなり
根強い不信の念を持つようになっていることに、あまり気づいておられないかもしれません」

という実にタイムリーなセリフから本書はスタートする。
ところでこのセリフ、最近のものではなくて1989年の党大会における曽野綾子氏の来賓挨拶だ。
自民党という組織は、20年前からポスト冷戦における存在意義が無いと指摘され、そして
20年間それを作ることが出来なかったわけだ。

著者は下野をむしろ好機ととらえ、この機に自民党の新たな理念を作るべきだとする。
その理念とは、小さな政府と健全な競争を背景とした経済成長であり、地方分権や新たな
セーフティネットの構築も含まれる。

主な論点のみ書きだしておこう。
・規制緩和によるサービス産業の生産性向上
・アジア諸国、特に韓国との速やかなFTA締結
・法人税引き下げ、空港、港湾等のインフラ整備。
・消費税引き上げをともなう税制の抜本改革

世代間格差にもかなりのページを割いて言及している。
たとえば基礎年金の保険料方式から消費税方式への移行について。
国民年金は現在4割が未納だが、未納者の多くは将来、生活保護になだれ込んでくると
思われる。このままでは「真面目に年金を払った人より多くを受け取る」というねじれ現象
がありふれた光景になるだろう。
ついでにいうと、その費用は消費税としてみんなで負担することに
なるだろうから、払った 人はもう一回、乏しい老後の生活費の
中から負担させられるわけだ。

ならば今のうちから皆で薄く、それも高齢者にもお願いして負担してもらった方が合理的だ
というのは明らかだろう。

個人的に面白いと感じた政策は「大学入試の一元化」だ。
二次試験を廃止して、共通試験と論文や面接、高校時の成績での選抜に切り替えれば
不毛な受験競争は回避でき、多様な人材を確保できる。
合わせて卒業時の共通検定試験を導入すれば、大学教育の質を底上げできるはずだ。
付け加えるなら、それによって私立校と公立校の格差も一定程度は是正できるだろう。
いつも言っているように、今の時代に重要なのは「受験で何点取ったのか」ではなく
「大学で何を学んだか」である。

編集の腕が良いのか本人の筆が立つのかは分からないが、非常に読みやすい内容に仕上がって
いる。
彼の政策スタンスはとてもオーソドックスなものなので、日本の課題を考える上での入門書
としてもおススメだ。若者マニフェストのスタンスにももっとも近いかもしれない。

ただし、それはあくまで政治家個人の話。自民党という大所帯を通ってマニフェストになる頃
には、だいぶその色も薄れてしまう。彼は日経ビジネス誌のインタビューで
「自民党再生には10年かかる」と述べていたが、恐らく本心だろう。

書評『成熟日本への進路 』

2010-07-27 20:09:55 | 書評
成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ (ちくま新書)
波頭 亮
筑摩書房

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本書の主張はシンプルだ。
今の日本には、長期的なヴィジョンが欠けている。
そして、清国や共産圏を引き合いに出し、ヴィジョン無き国は滅びると説く。

そして、著者の掲げるヴィジョンもまた明快である。
日本は人口や生産性といった点で既に成熟フェーズに突入しており、どうあがいたところで
成長フェーズには戻れない。
ならば、効率的な再分配で国民の幸福度を高める方向にシフトしようというもので、
そのための具体策が本書では様々に展開される。

「何が何でも成長で増税回避」という上げ潮な人とはかなり異なるスタンスだが、現実には
同様の立場の人の方が多数派ではないか。要するに、社会保障の効率化である。

ところで、著者はかなりのリベラルな発想の持ち主で、医療、介護の全額無料化および、
生活保護の拡大による全貧困層の救済を提言する。
そのために必要な追加予算は24兆円、消費税にして約10%で、それでもヨーロッパの
国民負担率に比べればむしろ低い方だとする。※

一方で、著者は社会保障と同様、市場メカニズムもとても重視している。
著者はデンマークやアメリカを引き合いに出しつつ、解雇規制が緩やかで流動性の高い
労働市場が、両国の高い経済成長の原動力だとする。
雇用の自由度はそのまま企業の競争力につながるためだ。
一方、同じアメリカ企業でも、労働組合のせいでその自由度を享受できなかった自動車産業
は凋落した。

労働者は従業員として企業に守られるべきなのではなくて、
国民として国家に守られるべきなのである。


これが、著者の主張の本質である。
「労働者は保護されるべき」「企業は社会的役割を果たすべき」というべき論は、現実社会
ではなんの価値もない。必要なのは、知恵を絞ってよりよい結果を追求することだ。

これはとても重要なポイントだ。
本来は国が行うべき社会保障を、終身雇用という名の下で企業に担わせてきたために、
企業倒産をほっておくわけにいかず、バブル崩壊以降はひたすら景気対策でバラマキを
続ける原因となった。
著者も指摘するように、早期に増税によって企業から社会保障を
切り離して独自のセーフティネットを構築しておけば、ここまで惨憺たる
財政状況にはならず、逆に産業構造の転換も進んでいたはずだ。


社会保障のための増税と、その幅を決めるための「日本のヴィジョンに対する議論の必要性」
という点で、本書の主張には強く同意する。

ところで、僕は著者のスタンスがとても新鮮に感じられた。
はっきりいうと、かなり大きな政府志向であり、個人的に全面的に賛成というわけではない。
ただ、高負担で高福祉、かつ市場メカニズムを追及して持続可能な社会を模索するという
スタンスは合理的だと思う。要するに、持続可能な社会を構築するという延長線上に立って
議論しているからだ。
社民党は既に死に体だが、新たな社民主義は本書の延長線に出現するはずだ。


※既に毎年垂れ流している分を増税でまかなうとすれば、あと20%以上の引き上げが必要
 であり、個人的にはハードルの高い目標だと思う。