Joe's Labo

城繁幸公式。
というか避難所。移行か?
なんか使いづらいな・・・

ゴネても失うモノの無い社民党

2010-05-28 13:36:52 | その他
議員数12名の社民党が、連立政権をひっかきまわしている。
内輪では色々揉めているようだが、少なくとも党首はまったく妥協する気はないようだ。

ところで、社民党のような末期政党が、一切妥協せずに意固地になるのは、党の運営上は
とても合理的だ。もはや無党派層への支持拡大など望むべくもない以上、古くからの
支持者だけにサービスしたほうが確実に票が稼げるからだ。
このことは、連立入りして総理ポストまでもらう代わりに「自衛隊も安保も容認」など
大きく路線転換し結果的に支持基盤を激減させた社会党時代に身を持って学んでいる。
おいそれと妥協はしないだろう。

同じことは共産党についても言える。
偏差値エリート揃いの彼ら全員が本気で“階級闘争”なんて信じちゃっているとはとても
思えない。
といって今さら規制緩和や雇用流動化なんて言い出したら「今までの言説は何だったのか」
と赤旗定期購読者からお叱りを受けるだろうから、惰性でやっているだけだろう。
もはや宗教に近いと言っているのは、そういう柔軟性にかける点である。
(というか共産党はもともと大企業主導の終身雇用に否定的だったのだが)

いずれも先の無い政党なので、今ある資源(=高齢の党員)を大切に使いましょうという
エコロジーな党運営と言える。

ついでに言うと、歴史は浅いが、国民新党も同じく後ろ向きな政党だ。
彼らの場合はシンパではなく全国郵便局長会という圧力団体だが、彼らの歓心を繋ぎとめる
だけの政策を今後も提言し続けるだろう。

以上のような理由から、上記の三政党については、僕はまったく評価していない。
彼らは問題を解決できないし、最初からする気もないだろう。

考えてみれば、こういう「ごねちゃった方がトク」だと分かっているロビー団体を
よりによって2つも身内に抱え込んでしまった鳩山政権というのは、最初から失敗すること
が約束されていたようなものだろう。
このまま行けば参院選でタッグパートナーの交代劇があるだろうけど、組むなら、お得意様
じゃなしに課題解決を指向しているまっとうな政党と組んでいただきたい。

「人数が少ないから高くていい」というセリフは、完全流動化の後に言うべき

2010-05-25 10:29:46 | その他
事業仕分け第二弾で、日本宝くじ協会の仕分けにおける伊藤・鹿児島県知事の発言が話題となった。
役員の年収が2千万近い点を追及された際のものだ。
「それは簡単です。人数が少ないからです」

この発言は2種類の解釈が可能だ。
まずは、「少ない人数でやっているのだから、高くてもいいだろう」
確かに、大変な仕事は報酬が高いというのは正しい市場の論理だ。だが日本はこと労働に関しては
そういう市場原理は働きにくく、まして公益法人の役員報酬がそういうロジックで根付けされているとは
とうてい思えない。

よって、もう一つの解釈が妥当だろう。
つまり「人数が少ないのだから、報酬総額としては常識的な範囲内でしょう」という意味だ。
この常識は、世間一般のそれとはずいぶんズレている。

理想的な組織とは、組織運営上もっとも合理的な人数の役員がいて、その給与は市場原理に従って
決定されている組織だ。各事業部門ごとに権限を持つトップがいて、その給料は業績によって決められ、
かつヘッドハンティング等の流動化が進んでいる国であれば、民間企業はたいていこうなっている。

次に偉いのは、まあそんなに働いていないしお飾りのポストも多いけれども、経済状況の許す範囲で定員と給料を
決めている組織だ。多くの日本企業はこれである。必ずしも合理的な人選とも言えないけれども、
少なくとも企業自体は市場の洗礼を日々受けているわけで、そんなにむちゃくちゃなお手盛りはやれない。

氏の発言が失笑を買ったのは、そういうガバナンス、民の常識が完全に欠落していたからだ。
だいたい、お世辞でもいいから普通は「いろいろ御批判はあろうかと思いますが大変な仕事であります」
くらい言いそうなものだが、悪びれもせず「人数×給与で予算内でしょ」と言い切ってしまうあたり、
さすが旧自治省出身のセンスを感じてしまう。
そういう視点しかないから、ひたすら天下り先という入れ物を増やそうとするわけだ。

というわけで、何気ない発言とはいえ、霞が関のロジックを垣間見た気分である。
この体質を変えるには、人事システムを180度変えるしかなく、それは天下りという出口を禁じるだけでは
不可能だろう。霞が関が理想の組織になる日はまだまだ先になりそうだ。

今、そこにあるバブル崩壊

2010-05-22 15:43:01 | その他
「じぶん年金プロジェクト」というサイトに寄稿させていただいたので紹介しておこう。
残念ながら、既に公的年金は実質破たん状態にあり、国家財政も破たん危機に瀕している。
好むと好まざるとにかかわらず、各人は自分で老後の資産設計を行う必要がある。
というわけで、趣旨に賛同したというわけだ。

余談だが、菅氏の「消費増税で消費を増やす」という発言は、財政や社会保障システムを適正化して老後の
貯蓄機能を復活させれば消費も増えるだろうという意図だと思われる(何に使うか言ってないから若干怖いけど)。

ところで、名目上存在はしていても、実質的には大いにあやしい資産というのは、年金だけにとどまらない。
たとえば、学歴がそうだ。
日本の大学生が入学後に勉強しないのは、する必要が無いとわかっているから。
昭和の世界で必要なのはあくまで学歴であり、入学時点でその目的は達せられてしまっている。
ただし、これは日本型雇用を柱とする日本社会限定の話であって、
「東大に進学しました、でも4年間ほとんど遊んでました」とトップが堂々と語っても
OKなのは日経新聞の「私の履歴書」だけである。

つまり、4年間実質的な知識を磨かなかった人にとっては、学歴というのは名目上の資産であり、
一歩日本ムラの外に出れば大暴落する可能性が高い。

企業名もそうだろう。
いつも言っているように、日本型雇用では、若いころに働きためた報酬を40歳以降の出世で受け取る賦課方式だ。
そして内閣府も認めたように、このシステムは既に崩壊し、現在の2,30代の過半数は大手であっても
取りっぱぐれが確定している。会社名をあてにしてローンとか組んじゃった人は御愁傷さまと言うしかない。

さらに言えば、スキルという意味でもリスクはある。
大企業というのは日本型ヒエラルキーが上手く機能していたからそこそこ給料が良かった
だけの話で、たとえば「中小の2倍貰ってるから2倍優秀だ」というわけではない。

残酷なようだけど「東大出て大手の担当部長やってる45歳」というような人で、恐らく転職して同じ水準の報酬が
貰える人は5%もいないだろう。
彼の持つ学歴・企業名という資産の実質的な値段は、予想以上に低かったというわけだ。
2,30代の若者は、市場価値を意識したうえで、自分の人的資本にも磨きをかけておくべきだろう。

80年代の土地バブルは、「土地は値下がりするわけがない」と人々が信じることで発生し、パーンと弾けて
多くの人が資産を失った。
学歴や社名バブルは注目されることことはないけれども、こうしている間も日本中でぷちぷちと弾けつつある。

週刊朝日 最新号

2010-05-19 14:14:31 | その他
特集『2010年上半期ベストセラー新書 著者が語るニッポンの新「正論」』

に、拙著「7割は課長にさえなれません」が紹介されているのでご報告。
インタビューも掲載中だ。

終身雇用とは一見すると安定した楽園に思えるが、人によっては出口の無い牢獄でもある。
そういえば昔、「俺たちはみな終身刑だ」と言っていた先輩がいたっけ。


内定率と基礎学力を同時に向上させる方法

2010-05-17 09:04:03 | 採用
国が学生と企業のマッチングサイトを立ち上げるらしい。
民間企業にやらせればいいじゃないかという意見もあるとは思うが、国の看板の下、低コストで利用できる
全国一律の仕組みを作ることには大きな意義があると思う(実態としてはリクルートに丸投げと思われるが)。

少しフォローしておくと、いわゆる「採用におけるミスマッチ」というものの最大の原因は、
大手と中小の“格差”にある。
たとえば就職媒体に広告出すにしても、安いモノで数十万円、高ければ百万以上の広告料が発生する。
100人以上採用する大手ならペイするが、一人や二人しか採らない中小ならどう考えても割に合わない。
「自社でサイト作ればいい」という人もいるが、ネームバリューの無い企業の求人なんて誰も見にこない。
(そういう意味では、twitterで母集団形成から採用までやってしまうベンチャーは凄いと思う)
学生の側にしても、みんながみんな「絶対に大手限定」なんて考えているわけではなくて、草の根を
かき分けて探すよりも、どーんと高く伸びている木に群がる方が楽だからそうしているにすぎない。

こうして、「この~木何の木気になる木~」なんてゴールデンでCM流してる巨艦企業にはますます人が
集まり、隠れてはいても優良な中小には誰も人が来ないなんてことになる。
実際には後者の方が高待遇なんてことは結構あるのだけど。

「求人出しても誰もこないじゃないか。若いもんはなっとらん」というのは、たいていこういった中小企業の
おっちゃん達だ。まあ自分で探し出して応募する力が無いという点はおっしゃる通りだが、そもそも
草の根に求人が埋もれているという事実すら知らないのではないか。

そこで、公共マッチングサイトの登場だ。国の看板で大々的にやり、全国の大学に積極的に利用させれば
それなりに強力な“出会い系サイト”になると思われる。
ついでにいうと、ハロワレベルの求人情報照会だけではなく、一次選考機能までやらせればいい。
たとえば筆記試験+SPIくらいまでを受けて登録し、
「あなたの希望職種で合格可能性90%以上の企業は、北海道3社、広島2社~」
なんて具合にマッチングできるようにすれば、より効率的な市場になる。
センター試験の就職版というわけだ。

実際、自分の高校時代を振り返ると、二年生の時に全国共通模試を受けて、その結果をもとに
「自分が進学できる大学」をみんなで探していたものだ。
「うーん、医学部なら広島、長崎、頑張って東北か」的なノリである。
全国共通テストという土台を通じて、全国大学マップとその中での自分の位置づけが把握できたからこそ
そういった選択が可能だったわけだ。
大学入試というのは、日本でもっとも効率的な市場だと思う。

余談だが、試験内容をある程度大学の専攻内容とリンクさせれば、一種の卒業検定試験的なものとなり
学生の基礎学力向上にも貢献するだろう。

これからは「大手で日本型雇用で定年までまったり」なんて出来るのはごく一部の日本人だけだろうから
こういった仕組みを上手く使ってキャリアをデザインしていく努力はとても重要だろう。

もちろん、この公共の労働市場の需要をさらに高めるには、“正規雇用”という商品の再販制度廃止が
有効なのは言うまでもない。

書評:保守の遺言

2010-05-15 11:24:46 | その他
保守の遺言 (角川oneテーマ21)
中曽根 康弘
角川書店(角川グループパブリッシング)

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左翼の壊滅についてはわざわざ説明の必要もないだろうが、最近、保守の凋落ぶりもすさまじい。
保守と名乗る人はいても、話題になるのはせせこましいムラ意識丸出しの発言くらいだ。
国民新党なんて、バラマキや郵政国有化というトンデモ政策で支持率が低下するや、思い出したように
「夫婦別姓反対!」と撒き餌を投げる。「みんな、こういうの受けるんでしょ?」というわけだ。
こういった問題を真面目に考えているという人は、足元見られてバカにされているわけだから怒った方がいい。

要するに、もともと“反共”同好会でしかなかったから、“共”が無くなればせいぜい「日本最高!」
程度のフレーズしか出てこない薄っぺらい方々なのだろう。
「ギリシャ暴動は資本主義崩壊の号砲」といって絶賛しちゃう人たちもたいがいだが、たぶん、
おつむの程度はどっこいどっこいだ。
なんてことを考えている時に、ふと手に取ったのが本書である。

氏は冒頭、保守の本質を、英国のエドマンド・バークの言葉を引用しつつ、こう定義する。

「保守せんがために、改革する」
保守政治をするためには常に改革し続けなければならず、それを忘れたら単なる守旧派にすぎない。
自民党が敗北したのは、彼らが改革を忘れて守旧派になり下がっていたためだ。

では、なにゆえ日本は保守であるべきなのか。それは、日本の歴史を見れば明らかだろう。
古くは仏教や漢字といった中国文化を、近代以降は西洋文明の数々を受け入れ、独自に消化吸収できたのは、
変わらぬアイデンティティーを持ちつつ、進取の気性も失わないという「不易と流行」の精神を
受け継いできたためだ。
つまり、日本社会そのものに保守が備わっていたということになる。

以上、とっても明快な論理である。

確かに、氏の保守政治家としての改革力は戦後史の中では群を抜いている。
「しょせん政権などというものはいつか変わる。頭の上を嵐が過ぎるのをじっと待っておればよい」
と(労組どころか)総裁自身がいってのける国鉄を分割民営化できたのは、「常に改革が必要である」
という信念のゆえだ。
デフレでもない80年代に、第二臨調を立ち上げてゼロシーリング(予算の伸び率ゼロ)を達成したのも、
旧きを守ることを潔しとしなかったためだろう。

そんな大勲位から見れば、小泉改革なんて中途半端なぬるま湯で、安倍・福田の両首相は所詮金持ちのぼんぼん
にすぎず、麻生さんにいたっては「アホの子」に見えるのも当然かもしれない。

保守というものに少しでも関心のある人には、おすすめできる入門書である。

ただし。
氏の言葉で、憲法改正以外、具体性のある政策が語られることは遂に無い。
どうやって破綻寸前の財政を再建し、老衰しつつある地方を再生し、どうやってそのための銭を稼ぐのか。
その点はきれいさっぱり欠落している。
申し訳ないけれど、30代の一人としては、憲法改正が
これらの問題より優先度が高いとはどうしても思えないのだ。


なんてことを言われれば「そんな下世話な実務の話は俺に振るなよ」と返されそうだが、
だったらそんな人物を「終身比例代表一位」に飾っておくわけにはいかない。
だって、保守とは常に前に向けて改革していくグループなんでしょ?

結局のところ、かつて保守なるものを理解し体現していた大勲位も、いつしか55年体制の枠内に守旧する部分が
出来てしまったということか。もちろん、それを乗り越えて先へ進むのも“保守”の役割である。
保守とは、守旧とはもちろん、年功序列とも違うのだ。

テレワーク普及のためには、人事制度も進化しないと

2010-05-13 11:17:38 | その他
アゴラに興味深い記事があったので少しフォロー。
確かに、インフラという点では、テレワークはとっくに実現可能な環境になっている。
ただし、それだけでは不十分だ。合わせて日本企業の人事制度も進化する必要がある。
簡単に言えば、日本企業のそれはタコ部屋でばりばり働かせるためのもので、
個人の自主性に任せる風には設計されていないのだ。

学生の課題レポートを想像すると分かりやすい。学生に課題を持って帰らせて後で提出させるには、
「あなたの課題は○○ですよ」とテーマ・範囲を明確に切り分けることと、
「提出されたレポートを評価する」という評価システムの両方が必須である。

言うまでもないが、一般的日本企業は属人的な職能給だから、担当業務の明確な基準なんて誰にもわからない。
評価システムにしても、年齢給なんてわけのわからない積立式のものなので成果評価はほぼ不可能だ。

というわけで、普通に考えれば、“テレワーク”の普及は、あるとしても職務給(役割給といってもいい)
が浸透し、年俸制などの出来高払いのシステムが一般化してからだろう。
21世紀になった今も懲りずに「35歳モデル賃金」とか「ベア貫徹」とか言っている連合を支持基盤とする
民主党が与党にいる間は、絶対に実現しないのは言うまでもない。

と書くとなんだか明るい展望ゼロの話になってしまうのだが、最近は逆の流れでの普及もあるような
気がしている。つまり、革新的なITツール等が発売されて、それを使えば固定費が大幅に削減できて
しかも労働生産性が上がる、的な状況になって、ノマド的なワーキングスタイルの需要が高まるということだ。

実は20年くらい前(つまり日本型雇用が別に崩壊も機能不全も起こす前)から、
出向や留学で海外へ→日本型雇用の異常さに気付く→「やってられるか!」といって外資へ脱北
という王道は存在していたのだけど、要するにこんな感じで覚醒する人が増えるかもしれない。
iPadバカ売れで雇用流動化!なんていうのは夢を見すぎだろうか。

最後の世代から、最初の世代へ

2010-05-09 10:24:30 | その他
なんでも、うちの実家近所の寺の住職(80代)が入院し、あたりの老人たちの間では
「死んだら誰が読経してくれるんだ」という話題でもちきりだという。
なんだか冗談みたいな話だが、これは地方の本質を表していると思う。

ちなみに跡取りはいないから、寺自体が今後どうなるのかわからない。
もともと世襲や妻帯を認めている宗派は少なかったが、なし崩し的に多くの寺がそうなっていて、
一般的な自営業同様、多くが後継者問題を抱えている(拙著「アウトサイダーの時代」でも少し触れている)。
地域共同体と一体化していた檀家制度は、共同体と時を同じくして崩壊するだろう。

戦後、医療の進歩で乳幼児死亡率が低下し、若い人口が急激に増えた。そして、養うべき高齢者も
子供も少ない人口ボーナス期がはじまり、日本は高度成長期を迎えた。その中で第一次産業から
二次産業への移動が起こり、若い労働力は地方から都市へ向かった。

この過程で、地域コミュニティだけでなく、家族制度自体も希薄化していった。先代や先々代の実家が
同じというだけでは、普段は別の場所で暮らす他人同士、なかなか親戚づきあいなんてできない。
たまに法事で顔を合わせる親族の付き合いも、たぶん、僕の代で終わるだろう。

つまり、僕自身がかつて育成されて送りだされたコミュニティは、
地域も一族も宗教も全部ひっくるめて もう終わりが見えているわけだ。

ちなみに働き手のうち70歳以上が4割、60歳以上で7割という農業は
遠からず老衰することが確実なので、産業面でも地方は崩壊するはずだ。

出生率が2.0を割った70年代が、ターニングポイントだったのだろう。
地方出身の30代には、同じような感覚を背中に感じている人が少なくないのではないか。
ひょっとすると、若年層のもやもやとした閉塞感の中には、そういった寂寥感のようなものが
混じっているのかもしれない。前に向かって走り続けてるんだけど、「なんだか後ろの方が寂しいぞ」
みたいな。

自称“保守”の一部には、郵政や土建屋と結託して“地方再生”とか言っているのもいるが、
日本にはもう金が無いので無理だ。可能性があるとすれば(橋下新党の言う)地方分権による活性化だが
それも中核都市への集中を促すだけでインフラが維持できなくなった地域を中心に急激に過疎が
進むと思われる。無いモノは無いのでしょうがない。

とはいえ、個人的には新しい時代にメリットも多々感じている。
都市へ流入した人間の間にコミュニティが希薄だったのは、
良くも悪くも日本企業というタコ部屋が機能していたからで、それが崩壊して
(若手を中心に)流動化が進んでいる以上、多様なコミュニティが社会の中で花開く気がする。

それは共同住宅やルームシェアのような住居ベースかもしれないし、あるいはネットを介した文化的、
趣味的なものかもしれない(個人的には、宗教が来るような気がしている)。
家族というものについては、もともと北欧やアングロサクソン系では成人と同時にほぼ完全に独立して
老後のケアすら人任せなわけで、そんなに心配する必要はないだろう。
というわけで、古い共同体を懐かしみつつも、我々は新たな共同体を作り、その一員となるべきだ。

「ALWAYS 三丁目の夕日」は団塊世代にかつての社会を見せることで成功した映画だが、30年後の
「ALWAYS~」では「盆暮れ正月は田舎に帰省して実家で酒飲んで~」なんてノスタルジーが
団塊ジュニア向けに描かれているかもしれない。
もちろん、若者はそんなオッサン臭い映画なんぞ観ずに、彼ら自身のリアルに向き合ってくれていることだろう。

「パンとサーカス」は無料ではない

2010-05-03 14:12:56 | 経済一般
先日のアエラ特集(及び先のエントリー)にはネット以外からもいろいろなレスポンスがあって、
あちこちでこの話をした。やはり「財政がこのままじゃいかん」という危機感が高まっているのだろう。
既に世論の潮目は変わったのだ。
文藝春秋5月号「あと4年、財政と年金は同時に破綻する」のように、
ぼちぼち具体的リミットもつぶやかれ始めている。

基本的には、増税か社会保障のカットか、あるいはその折衷という道しかない。議論はここから
スタートすべきだ。
(というわけで、とにかく消費税35%にしろという気はないし、消費税にだけこだわっているわけでもない)

ところで、日ごろは自助努力の大切さを伝道しているような人なのに「社会保障給付のカットはダメだ」
という人がいたのは面白い。
どうやら自分が貰うことになっている分は既得権として認められるべきで、そこから漏れちゃってる人たち
は自分で何とかしろということらしい。おいおい。

逆に、貧乏人の味方面をしていながら、「増税には反対です」という人もいて興味深かった。
いや、反対なのは別にいいんだけれども、将来、緊縮財政と大増税が実施された場合、
「僕達私達は弱者だから助けてください」なんてことは、同世代として恥ずかしいから言わないでね。
必要な改革を拒否したわけだから、若いもんに迷惑をかけるべきではない。
最後まで政府による介入を拒否しつつ安らかに逝ってください。

要するに、こういった人々は、普段は自己責任論や再分配重視というスタンスを掲げてはいても、
実体としては「パンとサーカス」を求める大衆に過ぎないわけだ。

これからの保守というのは、社会保障給付を大きくカットし、自助努力を促すことで財政を維持する路線を
主張する人たちがコアになるだろう。つまり、小さな政府という理念を共有しているグループだ。
この理念があるというのなら、増税には反対だろうが、当然、社会保障のカットも受け入れるべきだ。
ちなみに、国民新党にしろ平沼グループにしろ、片手間に保守と称している族議員か、55年体制から
頭が切り替わらない老人の集団なので、若者は無視してかまわない。

一方のリベラルは、再分配機能を重視するのであれば、負担も合わせて受け入れるべきであり、
最も公平で経済的影響も少なく、税収も安定していて世代間格差是正効果もある消費税を中心に考えるべきだ。
「大企業の内部留保に課税せよ」しか言わないバカ政党は論外だし、「どちらもイヤだ」というのも
ありえない。

僕自身は、社会保障給付に混合診療やキャップを導入することで増加分を抑え、消費税の増税幅も
抑えるのがベストだと考えているので、そういう意味では“保守”に入ると言えるかもしれない。

さて、先の「パンとサーカス派」の人々だが、恐らく彼らは互いをシンパだとは認識できていないだろうが、
このままいくと、やがて同じゴールでばったり顔を合わせることになるだろう。
ひょっとすると、みずほちゃんと亀井さんの相乗りする現政権は、彼らの野合の走りかもしれない。

ただし、ギリシャを見てもわかるように、「社会保障を守れ」という声も「増税反対」という叫びも、
増税と緊縮財政を求める市場の圧力の前にはあまりにも無力だ。