Joe's Labo

城繁幸公式。
というか避難所。移行か?
なんか使いづらいな・・・

ホワイトカラーの生産性が低い理由

2009-06-30 12:40:01 | 経済一般
以前、残業が増えるメカニズムと、
(国民全体で頑張っているというよりは単に仕事が偏っているだけなので)経済全体も
ぱっとしないという話を述べた。

では、ホワイトカラーの生産性まで低いのはなぜだろうか?
家庭が崩壊しようが、会社の隣で失業者が倒れていようが、正社員はいっぱい働いて
いるわけだから、労働生産性自体は上がっていてもよさそうな物だが、実際には
むしろ逆である。要は無駄が多すぎるのだ。

これについては諸説あって、たとえばヨーロッパやアメリカには就労者にカウント
されない不法移民がいて、生産性がかさ上げされているとか、日本にはいわゆる
ノンワーキングリッチがいるからといった議論がある(両方、真実だろう)。

ただ、個人的には本質的問題はもっと深いところにあると考えている。
それは、現場レベルでの思考停止だ。
なにをしようが、処遇が大きくは変わらない状況で、人はどうなるだろうか。
何もしない、考えないというのが一番合理的であり、長くいれば大半の人間は
そうなるはずだ。
たとえば僕の知り合いの35歳の官僚は、自分が事務次官や局長にはなれそうに
ないことを直感的に理解しているが、かといって転職などは考えていない。
やれやれ、しょうがないなと自らに言い聞かせつつ、消化試合を淡々とこなす日々だ。
(まだ35歳なのに!)
別に「お国のために死ぬ気で働け」と言っているわけではない。
ここで重要なのは、彼のモチベーションだ。
果たして今の彼が、何か新しい価値を生み出そうと考えるだろうか?
ついでに言えば、彼は22歳の頃は、わき目もふらずに忠実に“言われたことだけ”を
こなす良い若手だった。自分がそこそこの仕事を任されるには、あと10年程度の
下積みが必要であり、それ以外のことは今は求められていないと知っていたから。
ひらたく言えば(そこそこいいエンジン積んでいるだろうに)ギア3速に入れっぱなし
のまま、最後までチンタラ走ってしまいそうなわけだ。
(しかも、あと10年ちょっとで天下りとして放出される)
これはとても虚しいことだ。人生にとっても社会にとっても。

年功序列型のシステムには、個人の創造力や爆発力といったものを眠らせてしまう
側面が、多かれ少なかれ必ず見られる。前例踏襲主義、お役所仕事、大企業病…
いろいろ呼ばれるが、中身は同じものだろう。

とはいえ、個人が好き勝手に振る舞うよりも、組織として統制が取れていたほうが合理的
であることも事実だ。実際、そういった組織力は、長く日本企業の強みとされてきた。
この場合、組織自体の方向性を考え適時修正するのは、経営陣を頂点とした管理部門
である。

ただ、彼らも万能ではないし、そもそも現場までは見えないから、必ず現実と業務
の間にズレが生じる。そもそも、管理部門というのは現場以上に前例主義に毒されて
いる傾向があるし、サラリーマン経営者の中には、自身が既に思考停止状態の人も
少なくない。
こういった、組織に蔓延する思考停止状態から生じるズレこそ
無駄の正体なのだろう。


人事部門で言うと、技術職として偏差値の高い大学の理系修士を採用し、配属先も
割り振るが、技術内容なんて人事にはチンプンカンプンなので、必ず現場からクレーム
がくる。
「おまえら、全然わかってないだろ」
「これじゃいかん」と技術部門の役員を入れて面接したら、もっとクレームが増えたり。
要するに、中央に近い人間が統制するのは、ある程度の規模以上の企業では無理なのだ。
ということは、意思決定機関が現場に近いほど個別対応力がありフットワークに
優れているわけだから、突き詰めれば各自が一定の裁量と責任を負い、柔軟に処遇
される組織が適応力が高いということになる。
少なくともマーケットインを意識している業種であれば、進むべき道は明らかだ。

僕がこの構造に気づいたきっかけは、佐藤優の「自壊する帝国」を読んだ時だった。
ソ連末期、既に社会経済・政治と言ったシステムが形骸化する中、ただ人々だけが
ソ連人として、上辺だけの国家を黙々と演じ続けている様子が描かれる。
建前と本音の交差するソ連ごっこの中、状況の変化に対処できぬまま崩壊していく
巨大な帝国。
そこに、なんとなく日本企業と同じ空気を感じてしまった。

考えてみれば、旧共産圏の計画経済と大企業の終身雇用というのは、似た点が多い。
大学卒業後、配属先や異動先を中央が決めるシステムは、既に中国ですら消滅したが、
日本企業内ではいまだに健在だ。終身雇用を前提とした閉鎖的なシステムも、同じ
といえば同じである。

ところで、霞ヶ関の若手官僚にも、佐藤優の一連のソ連本を読んで
「うちの職場みたいだ」
と言ってる人は多い。
官僚機構なんてどこもそうなのか。
それとも、日本も緩やかに崩壊しつつあるのだろうか。



自壊する帝国 (新潮文庫)
佐藤 優
新潮社

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映画 『精神』

2009-06-29 12:55:35 | その他
精神病院と聞いて、何が思い浮かぶだろうか。

具体的にイメージできる人は少ないだろう。かわって想像を補完してくれるのが、
映画や小説といったフィクションの世界であり、そしてそれらのほとんどは
完全な虚構である。
(正直言うと、僕の場合、真っ先に浮かんだのはドグラマグラだった…)

そういうベールの向こうにある世界を、ありのままに取り上げたのが本作だ。
映画『精神』公式サイト(リンク先、音声アリ)

そこは、びっくりするくらい普通の世界だった。
考えてみれば、当たり前の話だろう。同じ人間なのだから。
モザイクをはずすことで、見えてくるものもあるのだ。

彼らは自分の言葉で自身の経験と思いを語る。
時に明るく、時に重い。
そういった話を聞いているうちに、我々の暮らす世界と彼らの世界はつながっていて、
そしてその距離はそんなに遠くないことに気づく。

ベールとは何だったのだろう。

ベールの向こうにカメラを入れ、ありのままの場を撮影する手法は、前作の『選挙』と
同じだ。
時系列に沿った構成が組まれているわけでも、適時ナレーションが入るわけでもなく、
我々は監督自身の経験を追体験することになる。
それが、監督のいう“観察映画”というものだ。

ただ、編集は極力避けられているから、どう経験するかは見る側に任されている。
エンディングの意味について、質問しようと思っていたのだがやめた。
それは僕が考えれば済む話だ。

僕自身が本作を通じて経験したことを一つだけ上げれば。
それは、自分の中にも彼らと同じウェットな部分があり、
そしてそれを本能的に感じているからこそ、“タブー”として線を引こうと
していたのだと気づいたことだ。

各人がそれぞれの経験を得て欲しい映画である。

崩壊するテレビ局の日本型雇用

2009-06-28 08:54:16 | その他
テレビ局というのは、非常に古い年功序列制度を持っている。
中でも制作現場というものは、ああいう業界特有の徒弟制度的な古さも加わって、
そりゃあもう若者泣かせの世界らしい。
「城さんは『若者はなぜ3年で辞めるのか』なんて言われてますけど、
 制作会社なら3年続けばいい方ですよ」
なんて言われたこともある。

もっとも、花形業界なのでなり手はいくらでもいたし、そんな中からたたき上げて
制作会社を立ち上げる猛者もいたりと、それなりに夢のある業界ではあったようだ。

ただ、最近はそうでもないらしい。
要するに、テレビ自体に以前ほどの魅力が無くなったのだろう。
まだまだ影響力は大きいとはいえ、激務薄給に甘んじるのは割に合わないというわけだ。
そういう意味では、
「人生の意味を考えない」のではなく、「冷静に考えたらやってられない」
というべきだ。
というか、激務薄給でキャリアパスの見えない仕事の意義ってなんだ。

年功序列制度や、そのアップグレード版である徒弟制度というのは、将来的に
出世や暖簾わけにより、一定水準以上の対価が保証されている場合にのみ機能する。
この条件が崩れれば、きちんと労働対価を交渉するほうが合理的になるから、
年俸制のような流動的なものにシフトしていくことになる。
労働者と企業の間で市場原理に基づいた交渉が行なわれるわけだから、徒弟制度
なんかよりよっぽど健全だ。

それが嫌だと言うのなら「最近の若いもんはなっとらん」とか「たかが選手の分際で」
と愚痴を垂れるような老人だらけのまま、ズルズルと地盤沈下していくだけだ。
まあ、僕はテレビ見ないのでどっちでもいいけれど。

テレビ局については、規制業種ということもあって、年功序列が今後も維持できる
かもしれないと思っていたが、意外なところから崩れ始めるかもしれない。
結局、いかなる業種であれ、業績に応じた雇用調整は必要であり、それを一手に
引き受けてくれていた下請けが崩壊すれば、上半分の年功序列も崩壊するわけだ。

それでも民放労連が「組合員の賃金を下げるのはおかしい」というのであれば、
制作会社の労働者に、これからも忠実な奴隷として奉仕してくれるよう説得することだ。※

そういえば、映画監督の想田和弘氏との対談において、まさにこの点が話題となった。
氏はNYの番組制作会社に就職し、その後、日本のテレビ局とも仕事をした経験がある。
アメリカ的価値観からみた日本のテレビ制作現場は、不条理さのオンパレード
だったらしい。

・やたら残業が多い
・しかも、残業するのが偉いという空気がある
・疲れた顔してないと怒られる
・その割りに出来上がったものはパッとしない

うーん。文字にするとバカバカしいけど、そういえば身に覚えがあるような…。


※現状、下請けからキー局社員に所得移転しているわけだが、流動化というのは
 その配分を変えるだけで、業界全体のパイの量は変わらない。

進歩していないのはテレビか、視聴者か

2009-06-26 09:28:59 | その他
現代日本における“格差”や“貧困”というものの本質は、日本型雇用にあると
何度も繰り返し書いているので、少なくともここの読者なら理解されていると思う。
また、経済学者やエコノミストの99%も同じ意見であり、コンセンサスはとっくに
成立している。

ただし、テレビ局だけは違うようだ。

今夜の朝生のメンツがものすごくアレだ。
一応、上記の“正論”にしたがって、今夜出てくる人を分類するとこうなる。

【課題はあるけど、従来どおり日本型雇用で行きましょう】
福山哲郎(連合バンザイ!)
山井和則(連合バンザイ!)
小池晃(階級闘争貫徹)
湯浅誠(わかってない)
雨宮処凛(わかってない)
大村秀章(雇用問題に興味ない)
片山さつき(雇用問題に興味ない)
板倉雄一郎(雇用問題に興味ない)
森永卓郎(最悪。分かってはいるけど大衆受けすることしか興味がない)

金美齢(雇用問題に興味ない。というかなんでいるのか分からない)
勝間和代(分かってはいるけど興味はない)
堀紘一(分かってはいるけど興味はない)
松原聡(分かってはいるけど興味はない)

【日本型雇用が問題なので、正社員も含めた労働市場改革が必要】

空席!


要するに、論点と全然関係ない人達が集まって、論点に
触れないような議論ごっこを延々と3時間以上も続けるわけだ。

もう僕は見ないからどうでもいいけど。

たぶん、局側としては弱者の代弁者として民主や共産、派遣村あたりに期待している
のだろうけど、たちの悪いジョークとしか思えない。
彼らの主張の先には、なんの希望も感じられない。

もっとも、(これは推測だが)テレビ側も実は理解はしている気がする。
理解した上で
「でも視聴者はそういう構図しか理解できないじゃないか」
と割り切っている節が見られる。
ちなみに自民・民主といったまともな政党の(少なくとも)若手議員については、
問題の本質をちゃんと理解している。
「あなたの言っていることは正しいが、
それを主張すると我々は選挙では勝てない」

とは、複数の若手議員から言われたセリフだ。
要するに今夜の朝生なんて、社会全体が若者や非正規を
踏み台にすることで一致し、そのためのアリバイ作りか
本や政党の宣伝番組だと思えばいい。


結局、メディアや政治とは、あくまでも民意を映す鏡でしかないのだろう。
だから、重要なのは市民の、特に若者自身のリテラシーを引き上げることだと
個人的には考えている。

そういう意味では、少なくとも僕が朝生に出た3年前に比べれば、世論はものすごく
変わったと思う。
現在、テレビ自体の視聴者が減り続けているわけだが、彼らと視聴者の価値観のずれが
大きくなっていることも無縁ではないだろう。

彼ら自身がそのことに気づき、三年後には、上記の区分けにしたがって番組が
組まれていることを祈りたい。

残業バカ一代

2009-06-24 14:43:51 | 人事
日経のコラムで、残業時間が取り上げられている。
まあ概ね正論なのだが、少々退屈なのでちょっとフォロー。

まず残業が多いのはその通りだが、厚労省統計の実労働時間は給与ベースなので
いまひとつ信用できない(要はサービス分やみなし残業が抜けている)。
総務省の出口調査を使うならさらに500時間は働いている計算になるが、
どうだろうか。
僕個人は30歳当時、月平均で50時間くらい残業していたから、年間ではだいたい
2500時間くらい働いていた計算になる。
ちなみに、2,30代の中では“ごく普通”の残業量で、3000時間近いヤツは
結構いた。
今いろいろな会社を見ていて思うに、やはり総務省の数字のほうが実態に近いと思う。
要するに、ドイツ・フランス人より600時間以上長く働いているわけだ。

では、なぜ残業が多いのか。
これはしばしば言っているように、正社員の雇用調整ツールが残業以外にないためだ。
定年まで賃金保証した上で雇用し続けるほど仕事がいっぱいありますし今後もある
でしょうという会社はいい。
だがそこまで強気ではない会社は、正社員の労働時間を増やすことで対応しようとする。
だから(他にも雇用調整ツールを持っている)外資などに比べて、日本企業の労働時間は
アップダウンが激しい傾向がある。
一般的に不況になれば残業時間が減って暇になるものだが、新卒採用抑制や発注減で
逆に忙しくなる人も結構いる。その一方で失業者がいるのだから、皮肉な話だ。

そう考えると、社会全体で見れば仕事の量が増えているわけではなく、
単に労働力の効率的な活用がされていないだけなので、
お昼寝国家に負けてしまうのも仕方が無い。

「残業は美徳だ!」というアホな管理職も、
「労働者の権利を守れ!」といって長時間残業に無為無策な労組も、
このマヌケな残業製造業の担い手だ。
もちろん、「規制さえ作れば人件費も増やせるし、労働時間も減らせるのだ」
と無邪気に信じている某省庁も同罪である。

週刊東洋経済 最新号

2009-06-23 10:45:21 | work
特集『「古典」が今おもしろい!』に回答しているので紹介。

僕が推薦したのは、スマイルズの自助論。
現代語訳も出ているので、未読の人はこちらの方がいいだろう。

たぶん、「成功のパターン」的なものを期待すると、肩透かしにあうかもしれない。
そういうものを期待する人は、勝間さんの本でも買うといい。

僕が本書を気に入っているのは、もっと地味で本質的な部分である。
全編、よくもこれだけ集めたなと驚くくらいの、成功者のエピソード集だ。
学問、社会貢献、ビジネス、発明。多岐にわたる登場人物たちが成功した理由は、
頑張って努力したから。
これ。これだけなのだ。これが全編、延々と続けられる。

拙著でも書いたとおり、本書の初邦訳は明治維新直後に出され、大ベストセラー
となった。江戸時代と言う退屈だが安定した枠組みが崩壊し、価値観がゼロリセット
される中で、本書の果たした役割はとても大きいと思われる。
「もう藩も幕府もおしまいだ!どうすればいいんだ!」
という人々に、黙って唯一の方向性を示したわけだ。

そう考えると、今の時代にも本書は同じく意味を持つのではないか。
260年続いた江戸時代に比べれば、戦後の昭和的価値観などたかだか50年だ。
乗り越えようとして乗り越えられないものではないだろう。


トヨタ型雇用モデルの崩壊

2009-06-22 10:56:35 | 経済一般
「雇用を守れない経営者は、腹を切れ」

なんというかすごく昭和的で、共産党から国民新党まで泣いて喜びそうな発言である。
ちなみに発言者はトヨタの奥田会長(文藝春秋99年10月号)。
と聞くと、ちょっと意外に思う人も多いかもしれない。

トヨタといえば下請けへの苛烈さに加え、期間工・派遣などの非正規雇用を使って
減産時に雇用調整するスタイルを確立した企業で、保守・左翼問わず、
構造改革否定論者からは“新自由主義”の代表みたいに言われている企業だ。
(この新自由主義という言葉が何を指しているのか全然わからないのだが、
 どうも派遣切りのように「人を大事にしないこと」を指しているらしい)

その家元がこういう日本型雇用バンザイという発言をしているわけだ。
少なくとも雇用に関する限り、悪いのは日本型雇用そのものだろう。
「新自由主義のせいでいっぱいクビになったのよ!」ではなくて
「日本型雇用のせいでクビになったのね!」である。


「全員終身雇用なのが本来の日本型雇用だ!」なんて無茶苦茶なことを言う連中も
いるが、
雇用調整せずに組織が存続可能かどうかは、余剰人員を
指名解雇して不当解雇だと訴えられている社民党に聞いてみるといい。

弁護士でもある代表が懇切丁寧に答えてくれるはずだ。

現在の正社員と非正規の二本立て(および後者による雇用調整)は、よく言われるように
95年経団連(当時日経連)の「新時代の日本的経営」がベースとなっている。
前回述べたように、トヨタという会社は、このスタイルの典型企業であり、言い換える
なら新時代的経営の壮大な実験モデルと言ってもいい。
なにせ、現役の人事部長が
「トヨタ社員と期間工は身分が違うのである」と言っているような会社なので、
間違いない。

このモデルの概要は以下だ。
・コア業務を正社員に、単純作業を非正規に切り分け、不況時は後者で雇用調整
・労使は従来どおりの年功序列・終身雇用を維持(要するに労使の一体化)

上の奥田発言は、まさに労使の一体化を象徴するものだ。
トヨタにとっては人材流動化なんぞもってのほか、終身雇用こそ日本型経営の真髄であり
従業員は守るべき家族なのだ。
下請けや非正規雇用という存在は、そのための人柱という位置づけになる。

ところが、トヨタ型雇用モデルには死角があった。
切られた非正規雇用が「ああそうですか」とすんなり引き下がらなかったことだ。
トヨタにしてみれば不況になったので想定どおりに解雇し、組合にしてみれば下界の事は
露知らずとばかりにベア要求しただけなのに、全国からバッシングされてびっくりした
はずだ。

だが最大の誤算は、想定をはるかに上回る大波が来たことだろう。
期間工を少々減らした程度では収まりきらない。
こうなると、強固な年功序列組織を維持してきた企業ほど、かえってそれがアダとなる。
組織拡張のDNAが強いから、組織が肥大しきっているのだ。
他社に比べてトヨタだけぶざまな醜態を晒す理由はここにある。
80年代、関連する事業に手を広げ続けた電機と同じ轍を、今頃になって踏んだわけだ。

正社員にメスを入れるかどうかはギリギリのところだろう。
ただし、比較的機能していた報酬システムとしての年功序列制度は
これで完全に破綻するはずだ。

そうなると、他の大手で起きているのと同様、社内では過半数の30代飼い殺し状態が
出現し、それを見た若手の流動化が進むことになる。
(従来も3年で辞める人間はいるにはいたが、極めて少数だった)

そうなれば、正規と非正規をわけて、前者を過保護に包み込む必要性などなくなるわけだ。
壮大な実験モデルは破綻したといっていいだろう。
総括するなら、確かに長期雇用自体に「高い忠誠心」「ノウハウの蓄積」といった
メリットはあるのだが、それを引き出すためには組織の成長が不可欠だということだ。

従来、労働市場の流動化論者に対し、日本型雇用論者が決まって持ち出す成功例が
トヨタだった。
そういう人々はとても不思議な思考回路を持っていて、
「トヨタはこんなにひどいんです!下請けや非正規を搾取してるんです!」
と、普段はけちょんけちょんにトヨタの悪口を言うのだが(これ自体は間違いではない)
「そうですね、ダブルスタンダードは良くないですね、では格差の元凶である終身雇用を
廃止して、労働市場を流動化しましょうね」と言ってやると
「日本型雇用は素晴らしいんですよ!トヨタを見てください!」
と調子の良いことをぬかすのだ。
ついでに、こういうバカたちもしおらしくなってくれることを期待したい。

格差の原因は日本型雇用にある

2009-06-20 09:41:54 | 経済一般
実は、日本型雇用の支持者には2つのタイプがいる。

多数派はなんとなく流れ的に支持しているグループで、自己責任論から規制バカまで
含まれる。※
彼らは自分の目で見える範囲のことには敏感だが、問題意識を広げて社会全体の
システムを考えたり(トレードオフ)するのは苦手で、非正規雇用や下請け企業が
自分たちの既得権を支えているという事実も理解していない。
(理解しようとしていないのかもしれない)

こういう連中は芯が無い分、マルクスから教育勅語まで、あらゆる理論を掘り出して
節操無く身にまとうのだが、薄皮をむくように一枚一枚はいでいくと、たいていは
卑小でうすっぺらいエゴが顔を出す。
薄皮をはがすには、具体的なビジョンを聞いてみるといい。
目の届く範囲以上のことは考えていないから、
中身のある答えは返ってこないはずだ。


だが、2番目のタイプは少々手ごわい。
積極的な日本型雇用論者とでも言うべきグループだ。
要するに、長期雇用が日本のメリットなのだから、従来どおりの日本型雇用を軸に
雇用調整は非正規雇用でカバーしようとする理論で、現在の大手のモデルは
まさにこれだ。連合系の御用学者はもちろん、経団連の中にも支持企業は多い。
(国内生産比率の高いトヨタが代表)

彼らの主張は合理的だろうか。

長期雇用のメリットについてはいろいろ議論があるが、個人的にはそれほど残って
いるとは思えない。たとえば、企業が早期退職を募集する際、きまって募集要件は
45歳以上だ。
本当に長期雇用を重視しているなら、逆に45歳以下で募集するべきだろう。
結局、長期雇用のメリットなるものは、あるとしても一部の業種の話だろう。
守りたきゃ勝手に守ればいいだけの話で、少なくとも規制で一律に強制すべきものでは
ないはずだ。

なにより、日本型雇用はあまりにも弊害が大きすぎる。
コストカット圧力はすべて非正規側におしつけられるので、
結果的に非正規側から正社員側への所得移転が行なわれる
ことになり、格差は決定的に拡大する。


社会保障である程度の再分配は可能だろうが、先行した韓国の事例を見ても
わかるとおり、地盤沈下的に非正規比率が拡大し、処遇は低下すると思われる。
この理由は、単純労働に固定化される傾向のある非正規雇用は、新興国の労働者と
バッティングし、賃金水準が連動してしまうこと、そして、正社員長期雇用が以前
ほどメリットを産まなくなっており、パイが増えなくなっているためだと思われる。

これまでの道を行くのか。それとも別の道を模索するか。
現在の問題は、そういった論点を提示する作業を、
政治はもちろん官も一切怠っていることだ。

連合の主張をコピーして労働経済白書なんて作っている役所など論外だろう。

総選挙を気に政治家の薄皮が全部向けて、こういった論点が浮上してくることを
祈るばかりだ。


※自己責任論:「ワーキングプアは努力が足りない」
 規制バカ:「派遣さんが可哀そうだから、規制で派遣を無くしてしまえばいい」
本人たちは気づいていないが、どっちも本質的には変わらない。

車は買わないが勉強はしている学生たち

2009-06-18 12:26:40 | 世代間問題
週刊ダイヤモンドの今週号「自動車100年目の大転換」特集。
大学生の関心ランキングの推移が面白い。
現在の4,50代と比較すると顕著なのだが、大学生の嗜好がとても多様化しているのだ。
ぱっとみただけでも、携帯音楽プレーヤー、携帯、PC、アニメ、ゲームといった新顔が
ランキング上位に名を連ねる。
一方、ランキング7位から17位へ急落しているのが自動車だ。

もうあちこちで言われていることだが、国内自動車市場の低迷は自動車自体に魅力が
なくなったのではなくて、多様化の結果にすぎない。
巨人やプロレス、ドラマの視聴率が下がったのも、というよりテレビ自体の視聴者数が
低下しているのも同じ理由だ。

素晴らしい。
みんなで巨人戦みて、トレンディドラマ(死語)に出てきたお店に並んで、ローン組んで
月に数回しか乗らない車買うような社会より、今のほうが全然楽しいから。
いくら補助金つけて買い替えを煽っても、この流れは止められない。

そしてもう一つ、このランキングからは重要な変化が読み取れる。
「語学・資格試験」と言う項目が、三世代の中で
もっとも高いのは、現在の大学生なのだ。

(書籍についても、2、30代よりは上位につけている)

いつも言っているように、大学のレジャーランド化は年功序列の副産物だ。
かばん持ち雑巾がけからスタートするのが明らかな社会において、それでも熱心に
高等教育に取り組もうとするのはごく一部の人間だけだから。
当然、日本型雇用の崩壊が進めば、以前の(というか当たり前の)健全なアカデミズムが
復活してくると思われる。
この図には、その兆候がすでにあらわれているように思う。
「最近の新人はバカだ」という意見はきわめて一面的である。

もちろん、依然としてレジャーランド脳の人も多いので、当分は二極化という形を
採ることになるのだろう。
21世紀のエリートがどちらから生まれるかは、言うまでもない。

ところで、20年以上勤められているような大学の先生に、一番勉強しなかった世代は
どの辺ですかと聞くと、なぜだか“団塊ジュニア”が上げられることが多い(笑)
言われてみると、そういう気がしないでもないが、なにか理由があるのだろうか。

友愛

2009-06-17 00:23:56 | その他
政権交代は必要だろうけど、民主に投票すると変なのまでオマケでついてきそうだ
と危惧している皆さん。
みずほちゃんが厚労相になって失業率二桁なんて悪夢にうなされているあなた。

単独過半数さえいければ、そういう関係は整理するとのこと(笑)

こういうことを素直に言ってしまう代表は、すごく良い人なんだろう。
でも多分、今頃いろんな人に怒られているような気がする。