Joe's Labo

城繁幸公式。
というか避難所。移行か?
なんか使いづらいな・・・

名誉毀損 表現の自由をめぐる攻防

2009-11-30 10:35:18 | 書評
名誉毀損―表現の自由をめぐる攻防 (岩波新書)
山田 隆司
岩波書店

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名誉毀損とメディアの関係について明快に説く一冊だ。

21世紀に入り、名誉毀損による賠償額が高額化し、それは結果的にメディアの萎縮を
もたらしている。戦後、どのような判決が積み重なって判例を形作ってきたのか。
また言論国家アメリカでは、どのようにして言論の自由とプライバシーのバランスを
とっているのか。

法律本というと門外漢には分かりにくいという印象があるが、本書はとても読みやすく
事例だけでも面白い良書だ。

ところで、メディア相手の訴訟が増えた理由とは何だろう。
直接的な理由は、「勝てるようになったこと」であるのは間違いない。
ターニングポイントとなったのは、2001年に某女優が『女性自身』相手に起こした
名誉毀損訴訟だ。

ではなぜ勝てるようになったのか。本書は、立法府と司法の間の政治的なつながり
について示唆する。具体的に言うと、メディアを萎縮させるような何らかの意図が、
彼らの間に存在したのではないか、という推測だ。

そんなまさかと思う人も多いだろうが、最近の主なメディア案件を見ても、その傾向
は強く感じられる。特に雑誌が徹底してやられている印象だ。
   原告      被告     賠償額
06年 広末涼子    週刊現代   440万円
07年 谷垣禎一    文春     330万円
08年 JASRAC    ダイヤモンド  550万円
09年 日本相撲協会他 週刊現代   4290万円

この辺は個人的にも気になっていて、いろいろな人に聞いているのだが、いくつか
見方があるようだ。

・10年ほど前、司法自体が関係するスキャンダルの報道をきっかけに、
 雑誌が目の敵にされるようになった。
・裁判員制度を巡る協定などに非協力的な雑誌協会へのプレッシャー

ちなみに、僕の知人で本書収録ケースにも登場する記者は、最初の見方をとっている。

本書の提言は、原告が公人であれば「名誉毀損であるという立証責任」を負わせ、
メディア側に「現実的悪意の有無」を求めるというもの。
たとえば「森さんに検挙歴がある!」とどこかが書いたとして、訴えるということは
自分で自分の検挙歴の有無を照会しないといけないわけだ。
(+「嘘と知っていてネタにした」という点も立証しないとダメ)
こうなるとよほどのことが無い以上、メディア相手の訴訟なんて出来なくなるわけ
で、表現の自由は守られる。

メディアは神様ではないので、司法という歯止めは必要だ。
ただ、それによって社会が喪失するものも存在するわけで、重要なのは両者の
バランスである。




政治というコスプレ

2009-11-28 11:31:34 | その他
若者マニフェスト策定委員会のメンバーで、10月の朝生にも出演した市川市議会
議員の高橋君が、市川市長選に出馬した。
というわけで昨日、2時間ほど応援に行ってきたのだが、本人がげっそりしていて
驚いたのなんの。
「選挙のたびに10kg痩せる」と聞いたことがあったけど、話半分というわけでも
なさそうだ。

そういえば以前、別の若手議員がこんことをこぼしていた。
本当は政策的な勉強会や活動をもっとやりたいのだが、地元周りを減らすだけで
「最近、天狗になった」とか「○○さんは真冬でも毎朝7時に駅前に立ってるのに」
なんて地元で言われるのだそうだ。
昭和というかなんというか、“おしん”みたいな世界観である。
きっと、過去には勉強熱心だったり、高度な専門性を持つ候補もいたのだろう。
が、スポ根と浪花節が大好きな国民の下、選挙という自由競争を通じて淘汰され、
気が付けば選挙バカが適者生存する国になってしまったのだろう。
「新人は役職なんかつかずに選挙に専念しろ」と言う小沢さんなんて、まさに
昭和型政治家の典型だ。

実をいうと、車があるのにわざわざ自転車で回ってみたり、金持ってるくせにドンキ
でスーツ買うようなヤツは大嫌いだったのだが、少し考えが変わった。
あれは“おしん”のコスプレみたいなものなのだろう。
彼らにそれをさせているのは有権者なのだから仕方がない。

ところで、スポ根も浪花節も、社会的には明らかに退潮気味である。
Webの選挙活動を解禁し、ネット投票などもできるようにすれば、そういう活動を
通じて得られる票の方が浪花節を逆転するのではないか。

選挙バカ一代はいやだという若手政治家は党派を超えて、時代遅れの公職選挙法の
改正に尽力していただきたい。


日本には大和魂が足りない

2009-11-27 12:47:37 | その他
まあやるだろうなと思っていたら、案の定「雇用調整助成金の緩和」である。
「助成金が雇用を支えているって言うので緩和します」という菅さんの言葉からは
まったく戦略を感じないのは気のせいか。
以前も述べたように、半年なり一年なりバラマいて、それからどうするかという
ビジョンが完全に欠落している。永遠にばらまき続けるわけにはいかないのだから
出口を意識しないといけないはずなのだが、誰も意識しているようには見えない。

「一円もまくな」とは言わない。でも、せめて失業給付という形でまくべきだ。
それなら、リソースの移動を通じて(ある程度は)経済の新陳代謝が進むだろうし、
労働者も再就職という目標に向かって自助努力するインセンティブを持つ。
こういった一定の痛みを引き受ける覚悟が、今の日本には決定的に不足している。
助成金では、企業にも労働者にも、社内失業状態のまま
亀のように縮こまれというインセンティブしか与えられないのだ。


こんなことは現実を見れば明らかだろう。昨年末以来200万人規模でばらまいてきた
日本が、市場からどういう評価をされているかといえばこのザマである。
いったい国家戦略はどうなってるんだ!と思っていたら、国家戦略室のボスは
「今、考え中」らしい。
そういえば金融担当大臣は、日本企業に必要なのは「大和魂」と言っていた。
友愛から大和魂まで、もうてんでんばらばらである。
そりゃビル・エモットも混乱するわけだ。

キャリアセミナー2009

2009-11-26 11:04:48 | work
12月6日に、MyNewsJapanの渡邉代表とコラボでセミナーを行なうのでお知らせ。
会員以外でも参加可能とのこと。

今回は転職やキャリア構築といった“ミクロ”な話題になると思う。
年末だし、固くない話をする予定。
しかし写真がほとんど別人である(笑)



民主党が同一労働同一賃金を絶対に実現できないわけ

2009-11-25 10:50:41 | 経済一般
26日(木)のテレ東WBSにインタビューにて出演予定なので報告。
テーマは“同一労働同一賃金”だ。
先の選挙では、自民を除く主要5党が掲げていたから、おぼえている人も多いだろう。
だが、絶対に実現しないマニフェストでもある。
非正規雇用労働者と正社員が並存している企業は、大きく分けると2種類ある。

(1)大手製造業のように、業務を明確に切り分けているタイプ

最初から切り捨て可能な単純作業に特化させているので、そもそも同一労働と
なる余地がない。「同一価値じゃないんです」と労組と会社に主張されれば、
何も変わらない。※

(2)正規、非正規が混在する事務系の職場

実際に仕事内容が非正規≧正規となっているケースも少なくない。

ここではとりあえず、同一労働同一賃金の成立余地のある(2)について述べたい。

成立余地があるといっても、一つ大きな問題がある。
正社員のいったい誰に合わせるのかという基準がないのだ。
20代と50歳、さらには男女によっても、同じ正社員とはいえ大きな格差が存在する
のが日本型雇用である。
 
結局、その前に「担当する職務グレードに値札をつける仕分け作業」が必要となり
「~さんは貰いすぎ」「~さんは給料安すぎ」という現実をはっきりさせないと
いけない。もちろん、一定の原資の中から非正規側に再分配するわけだから、貰い
すぎ正社員の賃下げは不可欠だ。
要するに、本気で同一労働同一賃金を実現しようと思ったら、
職務給の導入と処遇の流動化が不可欠ということだ。

そしてそのことは、連合を支持基盤とする民主党や社民党には、絶対に実現不可能
な話だろう。

そういう意味では、選挙前に出演したサンプロは、実に奇怪な空間だった。
5党の代表たちは「同一労働同一賃金の達成!」「格差の是正!」なんて聞こえの
いいことは主張しつつ、誰一人として労働市場の流動化には賛成しないのだ。
よっぽど頭が悪いか、そもそも真面目に考えてないんじゃないか。
「格差是正って響きがいいし、既得権とも関係無さそうだし、うちも入れとくか」
くらいの感覚なんだろう。
こういうのをマニフェスト詐欺というのだ。※2

というわけで、鳩山政権の下では「雇用における格差」という問題は一向に片付かない。
格差是正に期待して民主党を支持した人たちは、お上の都合で派遣-請負-パートという
具合に非正規内部をグルグル回されるという、なんとも夢の無い状況になりそうだ。

長妻さんは知らないけど、少なくとも雇用問題担当の議員は、この程度のことは
よく知っているはず。思い出したように「農業や医療に移す」と言い出したのは、
彼らの政策の先にあんまりにも希望が無いので、風呂敷を広げて見せているだけだろう。
ビジョンというよりは先送りである。

あ、でも非正規雇用を規制で減らして、農業や医療に回せば、ある意味で
「同一労働同一賃金の達成&非正規雇用比率の抑制」かもしれない。
公約違反にはならないかな。


※ (1)については、流動化すれば切り分ける必要がなくなるので、自然消滅していくはず。

※2 「同一労働同一賃金って共産主義のことですか?」と真顔で聞いてきた自民党は論外



海外脱出する覚悟

2009-11-24 12:08:56 | その他
若者の海外流出がちょっとした話題になっている。
まあ、したくなる気持ちはよくわかる。
もはや手に負えない少子高齢化、にも関わらず消費税導入に反対する頭がアレな人達、
進まない規制緩和…こんな日本からすると、シンガポールなんて天国に見える。
実際、僕の知っている中でも出て行った人は結構多い。
ただ、よく見ていくと、流出といってもいくつかパターンがある。

1.キャリア的にゴールしてしまって、海外へ拠点を移すケース。
起業等で資産とキャリアを築いた人に多い。年の半分をハワイで暮らしている
本田直之氏などが代表だろう。理由は人それぞれだろうが、少なくとも各人が
その国に何らかの魅力を感じているのは事実だ。

2.働く場として、海外を選んだケース
香港や上海、台湾といった国に転職するエンジニアや金融マンが増えている。
拙著「アウトサイダーの時代」にも登場した人は、昨年上海で起業した。
日本人が好むと好まざるに関わらず、東アジアのホワイトカラー層では、横断的な
労働市場が出来つつある。

ただ、ここで重要なのは、1、2番とも、別に日本との関係が切れたわけではない
ということ。日本人向けのビジネスが中心だったり、国内にも拠点があったりと
いう風に、関わりは残っている。なにより、実家や親戚、友人がいるわけで、
そういう意味ではやっぱり日本人である。

脱出とか流出というと、なんだか絶縁したような印象を持つが、そんなゴルゴ13
みたいな人は僕は知らない。
なので、上記のような人たちは、もちろんキャリアのためにものすごく努力して
いるのだけど、たいていは人並み以上の視座の高さも合わせ持っている。

よく「政治の話なんて興味ない、そんなこと考えたって得にならない」という
ようなことを言う人がいる。
なるほど、「個人として生きる」という意味で、それもまた一つの価値観だろう。

ただ、そういう人は上記のような人たち以上の努力をしつつ、いろいろなしがらみ
を絶つ覚悟があるのだろうか。

実は、自分の目の前のことしか考えないという姿勢は、長期的にはとてもリスクの
高い生き方だと思う。
僕にはとてもそんな勇気は無いので、これからも大きな話をし続けるつもりだ。

なぜ経営者は「竜馬がゆく」が好きなのか

2009-11-22 16:01:33 | その他
今年はなぜか重厚長大ドラマが流行っている。「官僚達の夏」「不毛地帯」
がそうだが、やはりトリは今月末からNHKで始まる「坂の上の雲」だろう。
そういえば来年の大河は「龍馬伝」だし、プチ司馬ブームが再来するかもしれない。

と思っていたら、今週号の週刊SPA!で、文芸評論家の福田和也と坪内祐三が
司馬作品について面白いことを語っている。詳細は書かないけど、要するに、
「あれは大衆文学なんだから、政治家や企業トップが愛読書にあげるな」
という話だ。

実際、知人の60代曰く、(学生時代に)「坂の上の雲」の新刊が発売されるのが
待ち遠しくて仕方なかったのだそうだ。DVDやゲーム、ネットなんて無いわけ
だから、新刊のインパクトが今とは全然違うわけだ。

ところで、当時は学生運動の真っ盛り。左翼じゃないとバカ扱いされた時代だ。
左翼的にはああいうのはどうなんですかね?と聞いたところ、
「いや、そういう本じゃないから皆楽しんでたよ」とのこと。
なるほど、確かに大衆文学である。
今で言うと、「派遣の品格」見て雇用問題を語るやつがいないのと同じだ。
逆にいえば、当時のエンタメとして受容した世代が経営者層になってるわけだから
「トップがすすめる司馬作品」なんて特集がプレジデントあたりで成立してしまう
わけだ。

ただ、それより下の世代による司馬作品の捉えかたは、団塊以上とはかなり異なって
いるはず。悪いけど今の時代、少なくとも2、30代にとっては、歴史小説なんて
大衆文学にすらなりえないわけで、各自が各自のエンタメをこなしつつ、+αで
そういったものも消化していると思われる。
その+αが何かというのは人によるけど、僕の場合は『生き方』だと考えている。

僕自身、何かの雑誌の特集で「好きな司馬作品は」と聞かれて答えたことがあるけど
「時代の転換期において、生き方として知っておくべき」という観点から回答して
おいた。
一世紀前の日本には、枠組みを壊すことで斜陽国から新興国へ脱皮した時代が
あったという事実は知っておくべきだし、その空気を嗅ぐには、小説というツール
は実に具合がいい。

そう考えれば、「エピソードなり生き方なりに、それぞれの価値を見出す+α世代」
は割と健全な一方、若い頃に読んだエンタメ小説を嬉々として語るノスタルジー世代
というのは、実はむちゃくちゃ視野が狭い生き方をしてきたのではなかろうか。
定年退職後にボケたりアル中になったりする人の話は実際に聞くことがあるが、
引き出しの少ない人生の裏返しなのかもしれない。

ついでに言うと、“大衆文学”という死語で区切っちゃってる福田、坪内の両氏も
「竜馬がゆく」をあげて悦に入る(宮仕え一筋ウン十年の)サラリーマン社長と
どっこいどっこいである。

映画『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』

2009-11-20 09:42:00 | その他
明日から公開の映画『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』
の試写会にお呼ばれしていたので、簡単にレビュー。
労基法無視、低賃金低待遇の“ブラック会社”に勤めることになった若者の奮闘記
である。

卒業してからこのかた、職歴のない主人公に二つ返事で内定をくれたのは、従業員
数名の小さなIT企業だった。その数人の同僚というのがまたくせ者ぞろいだ。
怒鳴るしか芸のないリーダー、腰巾着、有能だがどこか陰のある男…。

もとは「電車男」同様、ネット発のストーリーらしいが、エンタメとしてソツなく
まとまっている。個人的にはリーダー役の品川祐が存在感を出していたと思う。
(あれは演技ではなく地だろうが)
いるよなあ、ああいうの、どの職場にも(笑)

ところで、そういう連中をなんとかまとめていくプロセスを見ていて気づいたのだが、
こういう展開は実は東西問わず映画の王道なのではないか。
古くは『特攻大作戦』、『地獄の7人』なんかがそうで、はぐれものを集めて、
でもはぐれものだけにすんなり行くわけなくて、それでも一致団結してプロジェクト
を進めていくという流れが共通している。
プロジェクトの舞台がアメリカの場合は戦争で、日本だと残業というわけだ。

「なんでそんなに残業するんだ、きついなら転職すればいいだろう」
と健全な人権意識と労働市場を持つ自由主義国の人間なら思う
だろうが、労働市場が硬直し、市場というより身分制に近い日本
ではそうはいかない。

身分制だから、一度落ちてしまった人間は、努力してもなかなか挽回できない。
他に行く場所があったとしても、やはり同じ身分の同じ待遇である。

僕がこの映画で感心したのは、ちゃんと、その「どこにも逃げ場所が無い感」
を描いていること。主人公は元ひきこもりで、ここ以外に採ってもらえないと
分かっているし、リーダーでさえ、「IT業界というのはゼネコンみたいなピラミッド
社会で、うちみたいな零細下請けは汚れ役」だという事実を理解している。

生死を賭けたシチュエーションが労働の現場で成立してしまう国と、
とりあえずドンパチが舞台になってしまう国と、どちらが良いのかはわからないけど、
とりあえず身分制が無くてドンパチも少ない国の方が幸せなのは間違いない。




からっぽな国

2009-11-18 12:17:04 | その他
ところで、半日ほど仕分けを眺めている間中、ずっと感じていた疑問がある。
今まで、誰がこの国を動かしてきたのか、ということだ。

とりあえず、一番偉かったのが官僚であることは間違いない。
制度設計者自身がまともに説明も出来ないような事業を乱立させ、維持のために
税金や年金積立金、郵貯などをつぎ込んできたのだから。
(当然、相当な額がパーになっているはず)
しかも説明責任も結果責任も問われていない。

いつのまにやら日本の中心に、霞が関という大木がどっしり生えていたようなもの
だろう。ついでに言えば、その大木の根元で言われるがまま、ずっとうたた寝を
していたのが自民党である。社会党のことを
「政権運営のことなんて何も考えちゃいない無責任政党だった」という人がいるが、
考えていないという点では自民党もまったく同じだろう。
いざ野党に落ちてみると、逆さにして振っても何も出てこないわけだ。

しかし、官が偉かったのは事実としても、じゃあ官を動かしていたものは何かというと
それがまったく見えてこない。理想、欲得、エゴ、そういった生々しい熱のような
ものが、彼らからはまったく感じられない。
昭和40年代に立ち上げた事業を維持し続ける必要性を問われ、困った顔をする官僚は、
どう見ても大悪人などではなく、無理難題を言われて困っている普通のサラリーマン
そのものだ。

結局のところ、官僚自身、何も考えてはいなかったのだろう。
ただ、組織とともに“自転”し続けてきただけなのだ。

そう考えると、意志のない霞が関という大木が、しゃにむに根だけを伸ばしていった
というのが、戦後60年の現実ではないか。
三島由紀夫じゃないけれど、まさに「無機質でからっぽな日本」である。

もちろん、何も考えてこなかったという意味では、国民も同じである。
この事業仕分けは、そういうからっぽの事実をあけすけにし、
「おまえらも無為無策の片棒を担いできたんだぞ」という赤裸々な事実を、有権者に
突きつけているような気がする。

ならば、一回こっきりとはいえ、この会議の意味はとても重い。
後半戦は24日からスタートの予定だ。
本丸的なもの以外は座れると思うので、興味のある人は一度行ってみることを
おススメする。

多くの人はなんとなく「自分は歯車だ」と感じて日々を生きているだろうが、
歯車だけで一国が成り立っていたと知れば驚くに違いない。

ルポ@事業仕分け

2009-11-17 16:19:10 | その他
複数の人から「アレは見ておいた方がいい」とアドバイスされたので
例の事業仕分けを見学してきた(16日午前)。
というわけで、以下簡単にルポ。

場所は市ヶ谷にある財務省の研修センターだ。
なるほど、こんなところにも財務の仕切りを感じてしまう。
「全然普段着でいいですよ」と言われたのでジーンズにミリタリーパーカーで
行ったら過激派かなにかだと思われたのか、厳重にセキュリティ検査をされる。

会場(というか体育館)は3会場に別れ、それぞれ同時並行で進められる。
僕が見学したのは午前の三つだ。
(1)高年齢者職業相談室運営費
(2)関空補給金
(3)キャリア教育※
入り口で渡されるイヤホン無しでもいいが、中には小声の人もいるので、付けた方
がいい。

最初の仕分けでは、厚労省が矢面に立たされる。財務省スタッフの論点説明の後、
委員がてきぱきと質問をぶつけていく。
「ハローワークとの違いは?」という質問に対して、いまひとつ要領を得ない
厚労省の回答。当たり前の話で、「ハロワだけでは実力不足だから」なんてこたえ
ようものなら、職業紹介自体を自治体へ移管してしまえと言われるので、モゴモゴ
と誤魔化すしかないのだ。

といって、昭和40年代に設置され、オンライン化もされず、紙中心の相談室への
ニーズなど多いわけがなく、結局、最後は「利用者数も減っていく中、独自性など
の検討をしているのか」という問いに対して「…していません」という回答を
引き出されてジ・エンド。実に手際の良い流れだ。

続いて、隣の国交省の仕分け会議へ移動。ガラガラだった厚労省と違い、立ち見が
列をなしている。そして会場でのやり取りもピリピリしたものを感じる。
それもそのはず、空港整備事業、関空補給金など、まさに旬なテーマがずらりと並び、
かつ金額も他とは桁違いだ。主な流れとしては。
「国交省側の予測の甘さのツケを、税金で補填するのはおかしいのではないか」
「昭和50年代の経済成長率などで予測した結果です」
「既に90億払い続けている補給金を160億にして、それで黒字化する見込みは?」
「空港利用料の値下げによって、発着回数を増やすことで対応したい」
ここで、財務省主計局の参加者がすかさず突っ込む。
「我々の試算では、値下げで発着回数は増えませんが」

仕分け委員や橋下知事が言うように、これは関空だけの問題ではない。伊丹、神戸
の両空港との関係を含めて抜本的な見直しをしない限り、赤字は増えることはあっても
減ることはないはずだ。ということで、予算が凍結されたのは報道の通りである。

さて、以下は気づいた点。

初日の報道を見ていると、仕分け委員の質問がなんだかずれているような印象が
あったが、僕が見た限りではそういったズレはほとんど感じられなかった。
むしろ、的確に質問を繰り出していたように見える。
恐らく、初日については絵的に面白そうなものが選ばれたのではないか。
(ただし、学術系のものならトンチンカンな質問が出そうではある)

財務省は資料を作るだけかと思っていたが、要所要所で適時援護射撃を撃っていた。
要するに、官僚側が“官僚用語”で煙に巻こうとすると、「ちょっと待った」と
議論の軸を戻してくれるわけだ。特に、国交省側が困惑している様子が遠目からでも
よくわかった。

仕分け対象には、とりあえず点数稼ぎで出してきた数合わせ用の事業と、以前から
削りたくて仕方のなかった本命事業が、明らかに混在している。
これは単純に、予算額と会場の空気を見ればすぐわかる。
たとえば、「高校でのキャリア教育推進プラン」なんて予算3億。会場も関空事業
とは違って空席も目立つし淡々と進む。
要するに本丸以外はどうでも良いのだけど、全省公平に見直すよというパフォーマンス
なのだろう。

総括として、良かった点。

典型的な年功序列型組織である官僚機構には、軌道修正という機能が完全に欠落し
ているということがよく分かった。
昭和40年代に作った事業を「理由は自分達でも分からないけど辞められない」と
いうのはもはや末期症状だ。
今回の基準を類似事業にも適用し、来年度以降もびしびし絞っていくと言っている
わけだから、(財務省的な基準であるにせよ)とりあえず一定の歯止めをかけられた
のは評価すべきだと思う。
ちなみに、財務省が分かっていながら予算を削れなかった理由は、自民党の族議員
の存在だ。小泉さんですら手を焼いた族議員を、霞が関から一掃したわけだから、
やはり政権交代は必要なのだ。

一方で、既に穴も見えていた。
「たった3億円の見直しを議論しても意味が無い」という声はその通りだと思う。
今年は潰せても、来年以降はどうか。鳩山さんのいうように、民主党(+財務省)が
がっちり手綱を握って、すべての無駄を潰せるだろうか。
僕はそうは思わない。必ず、何らかの形で無駄は残されるはずだ。
結局のところ、官僚自身に「組織肥大以外のインセンティブ」
を与える公務員制度改革が必須なのだ。

そして、そういう方向性は残念ながら民主党からは見えてこない。

自民党が更正してくれればいいのに、総裁が自転車でこけたことくらいしか
ニュースにならないのでもうダメだろう。
わけのわからない新党も出来るそうだし、二大政党制の実現までは、
もうしばらく時間がかかりそうだ。


※三つ目は時間的に全部はヒアリングできなかったので詳細はパス