城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

八朔の収穫と12月の野菜 22.12.23

2022-12-23 17:05:50 | 野菜作り
 この時期、畑では大きな仕事、すなわち八朔の収穫がある。八朔を植えたのがいつか覚えていないが、少なくとも25年くらいは経っており、木の高さは4mくらいにもなる。このため、収穫作業は大変であることもあり、ここのところ山とものEさんにお手伝いしてもらっている。

 12月22日収穫前
 22日にはおじさんの背の高さくらいまでの八朔を収穫した。これだけで300個以上あると思われる。
 そして、今日だが外側は三脚を使い、内側は木に登って収穫した。袋に紐をかけ、首からぶら下げる。10個も入れると相当重くなる。15個くらいで一端下まで下りて(たまたま下にEさんがいると受け取ってもらうことができる)、再び登る。木の上では太い枝に足をかけて、収穫する。今年は内側(外から見えない)に多く結実している。3月にかなり剪定し、陽の光が入るようになったためだろうか。

 Eさん収穫風景 これで4m近くある

 内側に多い
2人で作業したが、2時間半以上要した。

 収穫した八朔 これで全部ではない 全部では800個から1000個? 今までの新記録かもしれない!! 
 また、実も大きい

 12月の畑の状況を書くことにする。

 大根残り40本くらい ここのところの寒さにより大根の上の部分が凍っていた 何回もこれを繰り返すとまずくなるのではと考える
 そこで葉をとり、土の中に逆さまにして、鮮度を維持する

 このあと土をかける

 12月7日に苗を植付けたスナックエンドウ(去年より遅くなった)
 さらに去年はマルチをした(これがモグラの活動を高め、成長の途中で枯れてしまう苗が続出)が、今回は藁を敷いて保温することにした

 タマネギ 今年の欠落は非常に少ない 来年1月に追肥する予定

 菜花 ぬきなが大量にできたので、酢味噌で食べたり、鍋物に使った

 今年の畑の作業は以上で終了となった。 
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揖斐アルプス 22.12.18

2022-12-18 18:56:16 | 山登り
 城ヶ峰(「351.5m)から東ノ山(349.5m)、西ノ山(404.4m)へと至る山稜をおじさんたちは勝手に揖斐アルプスと呼び始めて、7、8年になる。この名称が定着したかどうかはわからないが、お国自慢の一つとして各地に何々アルプスというのがある方が面白いとは思う。今日は元々は揖斐アルプスとは城ヶ峰から逆の方向へ進み、大野アルプスの雁又山まで行くつもりであった。しかし、天気予報を見ると、今日は朝から雪の予報で前日からの積雪も予想されたところから、積雪がなければ西ノ山まで行くことに変更した。積雪があれば城ヶ峰までとすることも考えた。

 三輪神社に8時集合とした。今日の参加者はおじさんと20歳違いの2人の女性、先頭をそのうちの通称Junさん、 二番目はYさん、おじさんは最後尾でJunさんには少しでも経験を積んでもらうとのもくろみがあった。女性2人はとにかくお話し大好きで行程中ほとんどしゃべりぱなし、でも話しに夢中で重要なサインを落とさないように注意は年長者として行った。こんな天気なので誰にも会うことはない。天気は時に風強く、雪が舞う。また、突然青空も見えたりする複雑な空模様。西ノ山から来た道を戻る予定だったが、仁坂峠から北方小学校に出る道(Yさん未経験)を選んだ。この道は随分長いこと通っていない。意外とこの道長いのと北方小学校に車がデポしていない場合、国道等を三輪神社まで戻る道が長いのが理由だった。しかし、この道には体験学習のための建物が何棟か整備されており、そこは開放されているので、ここでお昼を食べることができる。寒い時に震えながらお昼を食べるのは楽しくない。

 国道は車が多く通るし、三輪神社までの行程は結構長いうえ、さらに退屈だ。それを少しでも紛らわせてくれるのが、沿道にある家の庭木の剪定具合とみかんや八朔などがすずなりになっているのを眺めることだ。我家の八朔の収穫は23日にするつもりである。スマホによると今日歩いた距離は約15km、所要時間5時間半だった。


 一心寺 8:02

 城ヶ峰手前 8:50

 城ヶ峰 9:00

 ウラジロ 雪をかぶって表も白 9:23

 林道に出る 9:31

 東ノ山 9:42

 枯れ枝に雪が咲く 9:59

 西ノ山 10:20

 仁坂峠 10:46 標高281m

 有鳥(あっとり)スカイラインを歩く

 この建物の中でお昼を食べる 11:05~11:35

 林道終点 12:23

コースタイム 三輪神社7:55→城ヶ峰9:00→東ノ山9:42→西ノ山10:20→仁坂峠10:46
       →昼食11:05~11:35→林道終点12:23→三輪神社13:30

  
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城ヶ峰初冠雪 22.12.15

2022-12-15 17:32:34 | 山登り
 いよいよ本格的な冬の到来である。昨夜から今朝にかけて雪が降り、周囲の山々は白くお化粧した。しばらくは雪か時雨気味の天気が揖斐では続くことになり、野外での作業は億劫となる。

 揖斐小学校から眺める城ヶ峰 8:47

 地蔵さんと城台山

 展望台・寒空に立つ観音様 8:56

 池田山の眺め 二回目か三回目かの冠雪 「山に三回降ると里にも降る」という言い伝えがある

 小島山

 長年行ってきた腐葉土にするための落ち葉拾いは今年から辞めた(とにかく面倒くさいので)

 城台山 9:11 いつも左側の揖斐城址の石柱にタッチする 通算3729回目となる

 揖斐市街

 お昼から車を冬タイヤに交換した。タイヤは重く、腰が痛くなる。
 年賀状の図案を今考えている。随分数は減ってきたが、なかなか辞められない。意志の強い?友達などは辞めていき、ラインでの年賀に代えていく。思い切りの悪いおじさんは勝手に切ることはできないので、仕方なく(賀状をもらう方には随分失礼かと思うが)書いている。でも考えてみれば、その手間たるやたいしたことはない。裏面(図案)は、バラ派と山派に勝手に分けて、それぞれ過去の写真から画像を選ぶ。画像さえ選べば後は簡単で、これらの作業は全てパソコンで行う。プリントするのが少々面倒なのだが、時間が一杯あるおじさんには問題ない。

 昔は手書き派か印刷屋派に分かれていた。おじさんは前者だったが、字は上手くないし、かといって版画のような器用なことはできないので、少し苦労した。勤め人ともなれば、友達、親戚以外に上司や同僚に儀礼上出す必要があった。プリントゴッコが発売されてからはそれで裏面は作った。パソコンが出てきてからは、さらにその作業は短時間で済むようになった。退職後もお世話になった上司や同僚にはできるだけ年賀状を出していた。返信等が来ない方や亡くなった方は当然翌年のリストから消えていった。毎年きちんと賀状をくれる方を勝手にきることはやはり出来ない。今年の賀状に「今年をもちまして欠礼させていただきます」と書いてあるのがあったが、この方は私よりかなり年上でおそらく80歳台後半以降だと思われる。今まで出していただいたことについて感謝するばかりである。また、若い頃お世話になり。ずっと賀状を下さった方(おじさんより10歳年上)で今年の賀状が来ていないことに気づいた。来年の賀状が来ることを願うばかりである。
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読書の楽しみ 22.12.14 

2022-12-14 14:46:59 | 面白い本はないか
県図書館が図書整理をしていた(11月28日~12月12日)こともあって、地元の揖斐川図書館で数冊の本を借りてきた。一つは後半で取り上げるノンフィクション3冊、村上春樹と前半で取り上げる石井光太のフィクション(後者は小説と読んでい良いのかよく分らないが、事実と作者が創作した部分が入り交じっている)。おじさんと同年の村上春樹の本は、最近エッセイの類から読み始め、その後「アフターダーク」「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の旅」そして今回「ノルウェイの森」を読んだ。この中では2冊目が一番面白かった。2冊目と3冊目に共通するのは、高校時代の親しくしていた仲間との不可思議な別れや自死が起こり、その謎が明かされていくような展開とっている。白状するとノルウェイの森は、ノルウェイが舞台だとばかり思っていて、これがビートルズの同曲名であることを知ったばかりである。彼の小説は読みやすい(彼自身こんな小説なら誰でも書けると言われたそうだ)ので、もう少し読んでみたいと思っている。

 冬のバラ

 石井光太の本はフィクションでは「蛍の森」(ハンセン病と四国お遍路が絡む謎多き物語)、ノンフィクションではアジアの子どもの貧困による売春、そして菊田昇医師を書くきっかけとなった東日本大震災によって亡くなられた被災者たちを書いた「遺体」など。そして昨日と今日「赤ちゃんをわが子として育てる方法を求む」(2020年4月)を読んだ。この小説は、菊田昇産婦人科医師の生涯とその苦悩と闘いについて、細かいところは別として忠実に再現している。菊田昇事件として知られている(おじさんも新聞で読んで名前を知っていた)。その前に望まれない出生は現在でも多く、このための処置として産婦人科医による妊娠中絶手術が行われている。日本では1950年代に100万件以上の中絶が行われ、中絶大国として有名だったという歴史を知っておくことが必要であろう。菊田医師は中絶(法律上は7月までの胎児の中絶が認められ、以後は認められていなかった)を沢山手がけ、それによる収入が医院の主たる収入源ともなっていた。しかし、妊婦の中には8月以後の者もいたが、本人、親族の意向により中絶が行われていた。菊田医師は中絶したものの、生きて生まれてきた胎児の処置に苦悩するのである。もちろん、より深く苦悩する理由として、彼は遊郭経営の家に生まれ、兄弟同然に育った遊女(身売りされた)の死(妊娠し、経済的理由等で中絶婆に堕胎を頼んだ結果死亡した)があった。そこで菊田医師は妊婦に密かに出産させ、乳児の出生書を偽造するとともに、赤ん坊を希望する夫婦に実子として育てるようマッチングする。最初は密かに行われていたこのマッチングだが、経営する医院の不妊に悩む患者等だけでは斡旋が不可能になり、ついに地元の新聞に「急告!生まれたばかりの男の赤ちゃんをわが子そして育てる方を求む 菊田産婦人科」という広告を出した。

※優生保護法(1948年~96年)優生思想・優生政策上の見地から不良な子孫の出生を防止すること、母体保護という二つの目的を有し、強制不妊手術、人工妊娠中絶、受胎調整、優生結婚相談などを定めた法律。この法律には当初経済的理由による中絶は認められていなかったが、後に経済的理由も加えられ、中絶が増えた。現在この法によって強制不妊手術が行われたことについて訴訟が起されている。

 この新聞広告から新聞社の取材を受けた。菊田医師の願うことは、妊娠7月以上の中絶の禁止(その当時8月未満すなわち7月までは中絶が認められていた。これ以後の中絶は生きて生まれてくる可能性があることと母体への大きな負担となる)と生まれたばかりの赤ちゃんを養子縁組できる制度の確立であった。しかし、産婦人科医が殺人鬼とも言われかねない事態を招いた菊田医師に対する反発は産婦人科医の中で強く、ついには優生保護指定医の取り消し(中絶手術ができなくなる)、愛知県産婦人科医による告訴、そして罰金刑、医師免許の停止6か月という思い処分が下る。斡旋を行わないと約束させられ、ハワイへの養子縁組(アメリカでは認められている)に打開を求めた。やっとのことで妊娠7
月以後の中絶が禁止され、念願の特別養子縁組が1988年から認められた。菊田医師は1991年4月国連の非政府機関である国際生命尊重会議が設けた「世界生命賞」を受賞した。この賞は一回目がマザー・テレサに次ぐ者であった(実は彼女自身が日本を先進国であるのに多くの命が奪われていると非難していた。菊田医師はこの受賞を受けたとき、既に末期がんに冒され、その年の8月永眠した。
 
 妊娠中絶問題は、日本では大きな政治問題となることはない。しかし、海の向こうアメリカでは今や大変な問題となっている。中絶賛成と中絶反対はプロチョイス(女性の選ぶ権利)とプロライフ(胎児の生命の尊重)と言われ、今や政治的大問題となっている。その問題を激化させたのは、連邦最高裁判所が「中絶は憲法で認められた女性の権利」という判決を22年6月にそれを覆す判決をした(トランプ政権が保守派の最高裁判事を任命し、保守派が多くなった)ことによる。この判決の結果、オハイオ州では妊娠6週間過ぎの中絶(それ以前の中絶ほとんど不可能に近い)を禁止した。共和党はプロライフに賛成し、民主党はプロチョイスで真っ二つに分かれている。日本は今や世界と比べて中絶が多くないようだが、日本の社会は未婚のカップルによる出生に厳しく、あるいは戸籍に出生の記録が残ることについて未婚者とその親族が忌避する傾向にある。こうした傾向は中絶を生むか、あるいは妊娠を避けることにつながっていると思われる。そしてそれは少子化問題とつながってくるのである。

 話は変わって、社会に飛び交う様々な情報に私たちはどのように対処していけばよいのだろうか。各種メディアを遠ざけ、人からも離れてしまうような暮らしをすれば良いのだろうが、そんなことはたいがいの人には不可能である。このブログを書くのにグーグルを駆使しているが、そこに書かれていることが真実であるという保証はない(もちろん確かな記事を参考にしているが)。1923年9月1日関東大震災が起こった(関係ないことだがおじさんの母親は23年9月22日産まれで現在99歳)。この時、「朝鮮人が殺傷や略奪をしている」「井戸に毒薬を投げ入れた」とのデマが流れ、自警団によって多数の朝鮮人が虐殺された。そして2011年東日本大震災の直後に被災地で「外国人による犯罪が横行している」とのデマが流れ、多くの人がそれを信じた。情報が溢れる時代となっても、むしろそれ故にそれが正しい情報であるかどうか判断できなくなっている。特に誰でもSNS等を通じて情報を発信できる時代になり、人の関心を集めることが経済的価値を生む「アテンション・エコノミー」(この用語初めて聞いた)(例えばSNSでPVを沢山集め、それにより広告収入が個人に入る)の時代になると嘘であろうがなかろうが人が驚くような内容を発信するようになる。こうしてデマが生まれ、人はそのデマに踊らされ、場合によっては不幸な結果を招く。

 読売新聞大阪本社「情報パンデミックーあなたを惑わすものの正体」(22.11)はコロナをめぐるデマ等に焦点をあて、その実態とそれがなぜ起きたのかについて分析している。ネットニュースを見たり、ネットで買物をしているとお薦めの記事や商品が次々と現れる。ニュースではいつも見ていると同じような記事ばかりが並ぶようになる。こうしたことを続けているとそれとは見解を異にする内容の記事は現れなくなるのである(これはAIによるアルゴニズムによる)。これはSNSの特徴であるエコーチェンバー。フィルターバブル、確証バイアスンなどによるものであり、結局「人は見たいものを見て、信じたいものを信じる」ということになる。こうなると違った見解を持ったグループの間で有益な話し合いは不可能となる。

※コロナワクチンにまつわる誤情報 ①不妊になる、②遺伝子が組み替えられる、③卵巣にワクチン成分が大量に蓄積される、④死亡リスクが高くなる、⑤体から毒素が流れ出して周囲の人々に悪影響を及ぼす、⑥マイクロチップが含まれていて、行動の監視をされるおそれがある。調査によるとこうした情報を信じる人々が約1割強いるということだ。こうした誤情報を信じる者たちは時にはデモに参加し、また家族を巻き込んだり、家族間の関係悪化を招いたりしている。
※※エコーチェンバー・・・小部屋で音が反響するように、似た価値観を持った者同士、競合する意見に耳を貸さない
  フィルター・バブル・・見たい情報だけを通過させるフィルターによって(泡に包まれたように孤立した)それ以外の情報から遮断させるしくみ(AIが人の好みを分析し、それに合った情報のみを提供する
  確証バイアス・・・・・人にはそれぞれ価値観や主義主張、物事に対する意見や願望がある。知らず知らずのうちにそれに合致する情報を集め、相反する情報は排除してしまう

 京都大学の佐藤卓己教授は、人々がストレスと不安の解消を求め、コミュニケーションを重ねる中で尾ひれがついてしまう。今や大量の情報が溢れ、真偽がわからないものに囲まれている。不安な時、あやふやな情報に接すると早く答えが欲しくなるし、都合の良い話だけに接していたいという感情もある。だがそこで焦らずに正誤の判断を先延ばしにすることを心がけて欲しいと言っている。また同書では偏りを強化するSNS空間に閉じこもらない、自分からできるだけ異なる意見に触れ、拒絶せずに話を聞いてみる経験を積み重ねることが必要であると。
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城ヶ峰を登る会12月例会・池田山 22.12.10

2022-12-10 19:19:34 | 山登り
 今日は「城ヶ峰を登る会」の12月例会で池田山を登ってきた。今回は一般の霞間ヶ渓からではなく、あえて急登の連続する大津谷からのコースを選んだ。11月の貝月山は標高差400mと少し(避難小屋800m→山頂1234m)でなだらかな登山コースだった。これに対し池田山は登山口が140mで山頂が923.7mだから標高差800m弱ということで、貝月山の約2倍となり、低山ながら標高差は結構あるので、自分がどれくらい登れるのかを知るための良いバロメーターになるとおじさんは考えている。もちろん今回の参加者でおじさんの考えに同意してくれる人はあまりいないと思っているのだが。

 今日は快晴で無風まさしく「小春日和」と呼ぶべき登山日和であろう。8時大津谷登山口には先行車両は1台のみ、わが方の参加者は総勢12名で各自車で来るので2台ずつ縦列駐車にしてもらった。8時過ぎ登山口出発、おじさんは先頭、共同代表のEさんは最後尾、我が会は年齢が50台から70台、また体力も相当格差がある。こうした場合、先頭は最も遅い人のペースで歩かなければならない。しかし、これは意外に難しい。始めのうちはゆっくりと歩くのだが、だんだんといつものペースになってしまう。2番目がピタリと付いてくると余計に速くなる。2番目はむしろ先頭をゆっくりと登るように注意をするのがいいのかもしれない。後続と離れた場合、ときには少し立ち止まり間が詰まるのを待つ必要がある。


  8:00 大津谷登山口

  8:20 最初の急登終了

  8:37 休憩

  先頭はおじさん

  9:26 あくまでもゆっくりと歩く!!

  9:49 林道に出る

  9:54 林道終点

  10:17 パラボラ 白い木はまるで墓標のよう!

  10:32 伊吹山 先週降った雪も随分融けた

 伊吹山を展望する峠の登山口には入場料を徴収する夫婦(土日はお見えになるらしい)がみえたので、私たちはかつての無料の登山道(かつては池田町が峠から山頂に至る道のうち半分程度の地権者にお金を払っていた。町が払わなくなってから地権者が入場料を取るようになったと理解している。)を避け、手前の林道(ここには池田山山頂への標識がある)を進み、途中から尾根に上がり、山頂に達した。

 10:59 山頂着
 お昼休憩後、11時半下山開始。ここは登山者が多い、そして若い人たちが多いのに気づく。
 パラボラが林立する尾根の道は能郷白山、白山、乗鞍を展望できる道。

 12:09 能郷白山

 12:15 加賀白山
 パラグライダーが澄み渡る空に一機、そこに鮮やかな赤い色の機が近づく。まるでランデブーでもしているかのように。

 コースタイム 登山口8:00→山頂11:00~11:30→登山口13:35
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