城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

アンナ・カレーニナの冒頭の言葉

2019-02-28 14:25:59 | 面白い本はないか
 今日は朝から雨。外に出ることがないので本を読み、そしてこのブログを書いている。読んだばかりの本は石井光太著「43回の殺意ー川崎中1男子生徒殺害事件の真相。県図書館に行っても、いつも貸し出し中でなかなか借りることができなかった。この著者が人気があるのか、それともこの事件に関心があるのか。

 この著者の本は何冊か読んだ。最も強い衝撃を受けたのは「遺体」、東北大震災の時の遺体安置所での出来事をルポしたものだ。小説だが「蛍の森」もハンセン病を扱ったミステリー風なものだが今でも覚えている。それ以前のアジア等絶対貧困にある国の少女売春のルポはすごいと思った。

 さて、「43回の殺意」だが、最初の印象はささいなことで殺害に到ったものだということだ。しかし、読み進めていくうちに、事件の背景となるものは今の日本の多くの国民を覆っている「生きづらさ」「居場所のなさ感」に由来していることがわかる。青少年達が家庭や社会に十分包摂されていない結果、不良とは知りながらそのグループの居心地の良さにずるずると巻き込まれてしまう。徹底した悪者はいない、環境次第では誰でも間違った道に進む可能性のある社会というのは実に恐ろしい。

 殺害に加わった少年達3人、そのうち2人は保護観察中であった。なぜ行政の手は届いていなかったのか。人数が足りないのか。最近起こった児童虐待でも行政の目が届いていないことも事件が起こった理由となっている。しくみはあるのに、予算不足あるいは人員不足のため十分機能していない。こんな社会を作ってしまったのは、政治家でなく私たち国民なのだということを再確認したい。

 「幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭はそれぞれに不幸」というのが、冒頭の言葉。しかし、私は貧困の理由を個人の努力や能力に帰するのでなく、社会に多くの問題があるからだと思う。貧困、その結果としての犯罪の背景を探ると意外と同じような事情が多いことに気づかされる。
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