本日の思い出シリーズは53年前の青函連絡船の思い出です。丁度当時、北海道電力殿向けの札幌からさらに北の町の石狩川のほとりの、奈井江火力発電所の設計建設が終わって試運転に入っていた時期でした。当時は北海道の火力発電所への出張も飛行機ではなく東京から列車で行っていました。記憶では24時間位かかったと思います。当時は北海道電力殿との技術打合せは、北海道電力殿の日本橋にあった東京支社殿を結ぶ専用電話回線を利用する便宜を図って頂き、その都度3時間以上の電話打合せをさせによって、業務の遂行をさせて頂いていました。試運転が始まってある時、奈井江火力発電所まで、発電所の運転員や補修維持の技術者たちにある装置の制御システム(当時はリレー回路の自動制御回路)、運転方法、装置の特徴、構造、維持管理方法の教育に来て欲しい、と依頼がありました。それで列車で東京から北海道まで行くことになりました。当時は当然ながら北海道に渡り、帰るには青函連絡船を利用しました。当時の青函連絡船は7,500トンクラスだったと記憶しています。
それまで、私は瀬戸内海の宇高連絡船(四国の高松と本州の宇野を結ぶ連絡船)(4,000トンクラス)の経験しかなく、海も瀬戸内海の静かな海しか経験していませんでした。
ところが青函連絡船で渡る津軽海峡の海のうねりは大きく、7,500トンクラスの連絡船が大きな波にゆっくり持ち上がり、そしてゆっくり下がりながら進んで行くのです。そのためすごい船酔いになり、耐え難くゲロをしました。船の席にはどの席も大きなビニール袋が備えられ、ゲロはその袋の中にするようになっていました。それは経験したことのない耐え難い船酔いでした。船酔いは船を降りればすぐに治まります。
この耐え難い船酔いの経験をしたので、会社にその苦痛を報告した結果、次の北海道への出張は飛行機を利用して良い許可が出て、楽々北海道の出張業務を遂行できるようになりました。
後には、苫東厚真の火力発電や苫小牧の火力発電にも度々行くようになりましたが、北海道も日帰り出張が出来ました。札幌から東京への最終便は21時頃でしたので、発電所で17時過ぎまで業務に携わっていても最終便で帰ることができ、飛行機はとても便利でした。
今は津軽海峡も海底トンネルで結ばれている時代ですが、53年も前のすごい船酔い経験は、瀬戸内海の静かな海の経験しかなかった私には、今でも忘れがたい思う出となりました。現在の青函フェリーは如何でしょうか。
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