詩編78編12節~21節には、イスラエルの民をエホバがモーセを用い、紅海を裂き、紅海の「水をせきのように立て」導き出し、民の前後を守り導かれたことが記されていました。また、荒野では岩を裂き、水が流れるようにし、水を与えたことも記されていました。しかし、イスラルの民は、そうしたエホバ神の行われた救いの業を忘れ、神エホバに罪を犯したことが記されていました。今日も多くの人々は神エホバが宇宙を造り、その中に美しい地球を造り、私たちが生きて行けるようにすべてを秩序正しく創造して下さった偉大な創造者エホバ神について、忘れています。今日紹介する詩編78編22節~32節には、イスラエルの民を紅海を裂き、渡った後、荒野で食べる物がなく、民が不満を述べた時、神エホバは天からマナを与え、満ち足りるように食べさせたことも記されています(詩編78:24、25、29)。しかし、イスラエルの民はそうしたエホバの救いの業を忘れ、神エホバに信仰を置き、救いの神エホバに依り頼むことを怠り、神エホバの怒りが燃えることになりました(詩編78:22,32)。神エホバは感情をお持ちであることを聖書は教えています。神エホバは不義を憎まれます。
今日紹介する詩編78編22編~32編には次のように記されています。あなたはみ言葉の中からどのような宝を見いだされるでしょうか。
「22 彼らは神(エホバ)に信仰を置かず、
その救いに依り頼まなかったからである。
23 それで、神は上なる雲のかかった空に命じて、
天の戸を開かれた。
24 そして、マナを彼らの上に降らせて食べさせ、
天の穀物を彼らにお与えになった。
25 人々は強力な者たちのパンを食べたのである。
神(エホバ)は食料を彼らに送って
満ちたらせた。
26 天に東風を起こし、
ご自分の力によって南風を吹かせ始めた。
27 こうして、彼らの上に食糧を塵のように、
翼のある飛ぶ生き物を海の砂粒のように
降らせて行かれた。
28 そして、神(エホバ)はそれ(マナ)をご自分の宿営の中に、
幕屋の周囲に落ちて来させた。
29 それで、彼らは食べて、大いに満ち足りるようになり、
神は彼らの欲するものを引き続き
民にもたらされたのであった。
30 彼らがその欲望から離れてゆかず、
食べ物がまだその口にあったとき、
31 そのとき神(エホバ)の憤りが彼らに向かって立ち上がった。
そして、神はその強情な者たちの中で
殺してゆかれ、
イスラエルの若者たちを
くずおれさせた。
32 このすべてにもかかわらず、彼らは
なおも(神エホバに)罪を犯し
そのくすしいみ業に
信仰を置かなかった」(詩編78:22~32)。
上記の聖句に示されている通り、アサフはイスラエルの民が紅海を渡り救出された以降に、荒野でエホバが天の戸を開き、民に大いにに満ち足りるまで食糧のマナを与えられた、神のエホバの救いの業に言及し、それでも民がそのエホバの救いの業に信仰を置かず、罪を犯したことを記しています。
神エホバが天から満ち足りるまでお与えになったマナとはどのような食糧でしょうか。マナは「白くて、コエンドロの種に似ており」、また「見たところ」、真珠に似た形をした、ろうのような透明な物質で、ブデリウムの樹脂のようでした。その風味は、「蜜を入れた平焼き菓子」、また、「油を入れた甘い菓子」になぞらえることができました。マナは手臼でひくか、つき臼でついた後、煮たり、菓子の形にして焼いたりしました(出エジプト記16:23,31.民数記11:7、8)。
マナは、エジプトから救出されたイスラエル人が荒野で40年間旅していた間の主要な食物でした(出エジプト記16:35)。イスラエル人が西暦前1513年にエジプトを出た後、第二の月の半ばを過ぎた時期に、マナは初めてシンの荒野で神エホバによって天から備えられました(出エジプト記16:1~4)。イスラエル人が西暦前1473年にカナンの地(今のイスラエル)に入り、約束の地の産物にあずかるようになる時まで、マナは神エホバによって彼らの食物となりました(ヨシュア5:10~12)。このように神エホバはご自分の民に必要な食料を備え続けられたのです。それでも、イスラエルの民は、神エホバに信仰を置かず、神エホバに罪を犯したのです(詩編78:32)。こうしたイスラエルの民の信仰の欠如は、神エホバが、事物の体制の終わりの時期に生きている私たちへの警告の例として、聖書に書き記されていますので、私たちの命は神エホバのご意志によって存在し、命の糧と霊的な糧を与え続けてくださっている神エホバに感謝を表し栄光と賛美を帰したいものです(コリント第一10:11.啓示4:11)。
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