聖書の箴言の書は、私たちに「我が子よ」と呼びかけ、私たちが快い道、平安の道、命の道を歩むために、知恵の源の神エホバからの知恵や識別力を隠された宝を探し求めるように促しています(箴言2:1~11;3:1~6,13~18)。加えて、「神エホバの言葉に注意を払い、これを見いだすもの者たちにとっては命である」と保証されています(箴言4:20~22)。神エホバは、繰り返し、「わたしに聴き従え」と教え、エホバの懲らしめの言葉に聴き従って賢く生きるように勧めています(箴言8:32,33)。神エホバは、「わたし(エホバ)を見いだすものは必ず命を見いだし、エホバから善意を得る」と、素晴らしい祝福の保証も与えて下さっています(箴言8:35)。そのことが箴言の書に次のように記されています。
「「それで今、子らよ、わたし(エホバ)に聴き従え。わたしの道を守る者たちは幸いだ。懲らしめに聴き従って賢くなれ。怠慢であってはならない。日々わたし(エホバ)の戸口で目覚めていることにより、わたしの入口の支柱で見張ることにより、わたしに聴き従っている人たちは幸いだ。わたし(エホバ)を見いだすものは必ず命を見いだし、エホバからの善意を得るからである。しかし、わたし(エホバ)を得損なう者は、自分の魂(命)に対して暴虐を行なっているのである。わたし(エホバ)を激しく憎む者はすべて死を愛する者なのである」」(箴言8:32~36)。
上の箴言の書で、エホバ神は私たちに「聴き従え」と命じておられます。それはなぜでしょうか。それは私たちが「賢くなり」、エホバのご意志を守り行う人となるためです。イエスは有名な山上の垂訓の締めくくりの言葉の中で、イエスの教えるみ言葉を聴いて守り行う「思慮深い人」となるように促しています(マタイ7:24,25)。さらに、エホバ神は霊的に目覚め、見張ることによって聴き従っていることを示す人たちは幸福な人であることを約束してくださっています。み言葉に聴き従い、エホバ神を見いだす者は「必ず命を見いだし、エホバから善意を得る」と保証してくださっています。命の源の神エホバが、私たちが命の道を歩めるようにしてくださるのです(詩編36:9.啓示4:11)。上の箴言の書をお読みくださり、命に至る道は、何をすべきかが明らかです。だれも死の道を歩みたいとは思わないと思いますので、知恵と識別力を働かしてくださり、命を見いだされる方々は幸いです。
イエス・キリストは祈りの言葉の中で、唯一まことの神エホバと、そのエホバ神のお遣わしになったみ子イエスについての知識を取り入れることが永遠の命を意味していると教えられました(ヨハネ17:3)。エホバ神は私たちが命の道を歩むことをいつも願っておられ、そのようにしてくださるのです(啓示21:4)。
不思議なる 力を秘めし 梅の実よ 今日の一句
近くの道端に咲いている「アガパンサス」
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