私が中学生の昭和31年か32年の頃、社会科の授業で英米世界強国が中心に設立した国際連盟が第二世界大戦によって崩壊し、その後第二次世界大戦を経て、世界の平和と安全の維持のために国際連合が設立されていることを学びました。その時の社会科の教科書には、ニューヨークの国際連合本部の前には、「剣をすきの刃に打ち変えている彫像の写真」が掲載されていました。その彫像は聖書のイザヤ書に基づくものであることを学びました。その時に社会科で学んだ国際連合の設立の趣旨とその彫像の写真は、ずっと印象深く記憶に残りました。
後に聖書を学び、聖書のイザヤ書に次のように預言されていることを知りました。「そして、神(エホバ)は諸国民の中で必ず裁きを行い、多くの民に関して事を正される。そして、彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、もはや戦いを学ばない」(イザヤ2:4)。この預言の言葉は「末の日」の1914年以降に成就する言葉です(イザヤ2:2)。私はこの言葉を読んだ時、平安の気持ちに導かれ、かつ、中学生の時、社会科の授業で学んだ事柄と写真の彫像を鮮明に思い起こしました。と、同時に国連は、み言葉に沿って造った彫像とは反対に朝鮮半島における戦争やベトナム戦争の時にも機能しなかったのはなぜだろうかと考えました。み言葉を学ぶとその答えは明らかになりました。聖書の巻末の啓示の書には、野獣で表現されている国際連盟が没した後に登場する国際連合を十本の角と七つの頭をもつ緋色の野獣として描写し、その野獣の足は豹や熊の足のように鋭い爪を持っていることが預言されていました(啓示13:1、17:3、7,8)。国連は鋭い爪、つまり武器を持ち戦う連合体であることを予告しているのです。国連は、剣をすきの刃に打ちかえる、つまり武器を平和の道具に打ち変えることなく、平和や安全とは裏腹に武器を使用するのです。ご承知の通りに国連加盟国の多くは軍備の拡大・強化を図って来ました。事物の体制下の諸政府は軍備やその同盟国とによって、平和と安全が維持できると誤った考えを抱き続けています。ご承知の通りに戦争は、国民の多くの命を失います。国民の安全と命を守れないばかりか、幼い子供たちも含めて悲惨な結果を刈り取ることになるのです。
中学生の時に国連について学び、時を経て1993年にニューヨークのベテルに行く機会に恵まれました。その時、ニューヨークを案内して下さった兄弟が、国連本部にも案内してくださいました。その国連本部には社会科で学んだ「剣をすきの刃に打ち変える彫像」は、見当たりませんでした。案内してくださった兄弟の説明では、国連の設立当初は確かに、「剣をすきの刃に打ち変える彫像」は設置されていたそうですが、武器を持ち戦いをすることから、その彫像は見えない場所に移動した、とのことでした。
現在、イザヤを通して預言されていた通り、武器の製造には一切関与しないばかりか、武器を持ち国家間の戦争にも加担しないのは真のクリスチャンのみです。そればかりではなく、真のクリスチャンは、「もはや戦いを学ばない」のです。平和を求めることに最善を尽くすのです(マタイ5:9)。
現在、国会では「安全保障関連法案」に関し、憲法に違反していると大半の国民および憲法学者が叫んでも、政府は強硬に採決し、推し進めようとしています。「もはや戦いを学ばない」、つまり、アジアや世界平和のために何ができるかの施策に多大な労力を払う必要があるのですが、残念なことにその反対の事に政府は多大な時間と税金を使っています。多くの国民は平和を願っていますが、逆のことが絶えず生じる原因を、聖書は明確に「全世界が邪悪な者(悪魔サタン)の配下にある」と述べています。悪魔サタンは人々を惑わし、平和とは逆の方向を絶えず引き起こすのです(啓示12:9)。しかし、恐れることなく希望に立ってくださいますように。み言葉は間もなく神のご意志を行わない事物の体制を打ち砕くことを予告し、悪魔サタンを無活動にし、その後に義の宿る楽園を回復し、温和で義を求める人々が永遠に亘って祝福を受けることを保証しています(ダニエル2:44,45.マタイ5:5;6:33.詩編37:11,29.ペテロ第二3:10~13.啓示18章~20:2,10;21:4)。イエスは最後まで神エホバのご意志を行い忍耐する人たちが救われる人たちであることを述べておられます。惑わされることなく堅く立って進みたいものです(コリント第一15:58)。「もはや戦いを学ばない」人々は幸いです(イザヤ2:4)。
柿の実の 色づく里に 雨多し 今日の一句
庭で秋にも咲いてきた「花センナ」
こんにちは♪
ご指摘の通り、国際連盟と書くべきを国際連合となっていることに気付くことなく、
校正漏れとなっていました。
ご親切に心から感謝致します。
クリスチャン愛を添えて♪