謙遜な人は、他の人が自分より上と考えていますので、多くの知識が注ぎ込まれることになります。ありがたいことに人間の脳は、そうした注ぎ込まれる知識や情報が溢れ落ちることはありません。有機的な脳の働きによって、記憶の座に残されます。
ペテロは柔軟に対応ができる使徒で、すこしせっかちと思えるくらい反応の早い人でした。イエスが「地の王たちは租税や人頭税は誰から受け取っていますか」と尋ねられたペテロは、直ぐに次のように答えました。
「よその人たちからです」と、ペテロは答えました。するとイエスは、「そうであれば、(王の)子たちは税を課されていないのです」と、言われました。イエスの父エホバ神は宇宙の王、神殿で崇拝される方なのですから、実際、神殿のための税金を払うべき法的要求は、神の子イエスには課されていません。しかし、イエスは、「しかし、彼らをつまずかせないために、あなたは海に行き、釣り針を投じて、最初に上がる魚を取りなさい。その口を開けば、あなたはステタル硬貨一つ(4ドラクマ)を見つけるでしょう。それを取って、私とあなたのために彼らに与えなさい」と、言われました。
弟子たちは、カペルナウムに戻って来た後、多分ペテロの家で一緒に集まった時でしょう。「天の王国(神の王国)ではいったいだれが一番偉いのですか」と、尋ねました。イエスは、カエサレア・フィリピから帰る途中、ご自分の後に付いて来る弟子たちの間で問題になっていた事柄・誰が一番偉いのかという問題に気付いておられたので、その質問が出る理由を知っておられました。それでイエスは、「あなた方は途中で何を議論していたのですか」と、弟子たちに尋ねられました。弟子たちはきまりわるく思い、黙っています。弟子たちの中で誰が一番偉くなるか、ということをめぐって、自分たちの間で議論していたからです。
弟子たちは、イエスから教えを受けてかれこれ3年になるのに、弟子たちがそのような議論をすることは、信じられないと、あなたは思いますか。それは人間の不完全さに加えて、宗教的背景が強い影響を及ぼしていたことを物語っていました。イエスの弟子たちはユダヤ教の中で育ちましたが、その宗教の教えは何事においても地位や身分を強調していました。そのうえ、多分ペテロは、神の王国に関連したある種の「かぎ」を与えるという、イエスの約束があったので、優越感を抱いていたのかも知れません。ヤコブとヨハネは、イエスの変貌を見せてもらったので、ペテロと同じように優越感を抱いたかも知れません。そのため、誰が一番偉いのか、という議論をしていたのかも知れません。
イエスはそのような弟子たちをどのように導かれるでしょうか。引き続き次回にお伝え致します。
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