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日本文学史序説下(加藤周一)を読みながら考えた 第11章工業化の時代⑤

2022-12-22 23:14:18 | 日記

日本文学史序説下(加藤周一)を読みながら考えた 第11章工業化の時代⑤

 この工業化の時代とは、日露戦争後の1910年20年台のことであるが、この時代は社会主義をはじめ様々な思想が国内で始まり論争が盛んであったという。新政府発足50年くらいでこうなった。しからば、江戸幕府(著者は必ず徳川幕府と表現される。なにかお考えあってのことだと思う。)始まって数十年で思想の時代があったかと読み直してみると、元禄時代の多くの文人に遅れて富永仲基(1715-1746)や安藤昌益(1703または07年~?)など多くの思想家が現れている。

 さては国家が固まって半世紀から一世紀が思想家の生まれる時期かと思って過去のをみかえしてみると室町政権ははっきりしないが、能楽の完成がそれに相当するのではないか。鎌倉政権のは、実朝の金槐和歌集がそれに相当するのではないか。もちろん平安政権のは源氏が書かれた時代が思想が頂点に達した時期だと考えられる。どうも戦国以前は思想は歌や文学で表されるようで、現代の論理が最高と信じている人間には何を言いたいのか判断しづらいところがある。しかし、もともと哲学とは時代の感性を文章にしたものであるから歌や文学が哲学の代用というより哲学のもとの形と考えられる。歌や文学は思想を表現したものであるはずだから、(わたくしには十分な理解がいかないにせよ)やはり政権が固まって数十年後にその政権の持っているものが(反対賛成いろいろであろうが)文章思想になって噴出すると考えられる。

 では昭和20年代中ごろに成立したと考えられる昭和政権は、なにかの思想がもうそろそろ生まれていないといけない気がするがわたくしはこういうことにうといものでいまひとつこれというものが思いつかない。確たる文章にされた思想でなくても音楽や歌芸能でもいいが、なにも思いつかない。ということは、戦後70年とかいうけれど政権が安定していなかったのかもしれない。または民主主義というのは、そういうものを生み出さないのかもしれない。または、アートの世界に商業主義が入り込んだのでアートが商業の傘下に入り込み無力になったのかもしれない。または、何らかの思想はすでにあるんだけど商業の壁に阻まれて流布しないだけかもしれない。

 またはこう考えられる。すでに何らかの思想は流布していて今の時代に生きてるものは空気みたいなものだからそれが今の時代の思想だと気が付かないだけかもしれない。江戸時代(徳川時代)の西鶴や石田梅岩はそれが時代を反映した思想であるとは思わなかったし、西鶴の本を読んだ町人も梅岩の講演を聞いた町人もそれをそうとは意識しなかった。それをそうだと判定したのは次の時代の人間であると考えられる。