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日本文学史序説下(加藤周一)を読みながら考えた 第11章工業化の時代④

2022-12-20 15:35:03 | 日記

日本文学史序説下(加藤周一)を読みながら考えた 第11章工業化の時代④

 軽いエッセイは楽しみのために読めるけど、読み終わってもいくらも賢くなった気がしないですぐ忘れてしまう。中身の詰まった本は次々に新しい局面が現れてそのたびにこちらがなにか賢くなった気がする。ただし賢くなったことが実地に応用されるかどうかはまた別物である。

 「「大正教養主義」もまた芥川において典型的であった。人間の愛や憎悪や虚栄心・・・・・を本から学んだという。「本から現実へ」でその逆ではない。」

私は、小説はあまり読まなかったがノンフィクションなどはずいぶん読んだ。その読み方は、この大正教養主義の読み方であった気がする。旅行の前にガイドブックを読み込み行先の映像をたっぷり見てから行くようなものである。そういう人は「やっぱり」奈良の大仏はでかいですね、と必ず「やっぱり」という言葉を連発するはずである。現実を読んだ本によって解釈しようとする。値上げがあると「やっぱり」これは独占資本がもうけを膨らまそうとしている、という風に理解しようとする。あらかじめ勉強したように世の中が動いていると思おうとする。天が下に新しきものなしの生き方である。受験勉強と同じである。あらかじめ勉強した内容を組み合わせて目の前にある問題を解こうとする。

 この生き方は天下泰平であればあの人は賢いと言ってもらえるが、変化の速い時代には理屈ばっかり並べて役立たずのヒトと評価されそうである。過去と同じことが繰り返されていないときには、勉強したことだけでは問題は解けないのだろう。

 それでも私を含めて私の周りにはこの「大正教養主義」の人が結構多いのである。目の前で起こっていることはすべて自分の知っている知識の中にある。自分はそれだけ気合を入れて勉強してきたというプライドがある。まるで自分はすべてのことを知っている神になったような心持である。これは役立つときもあろうがさっぱり役立たないときもあるであろう。そのことを思い起こさせてくれる一文であった。(こういうのを読むと一瞬反省して清々しい気分になるけどまた次の瞬間にはもとに戻っているのは何故だろう。)

 小さいころ本ばかり読んでいると馬鹿になりますと近所のおばさんが私に向かって真顔で言ったことがある。学校の先生の中にも本ばかり読むと頭が悪くなりますと真顔で言う人が居た。その時本を読み読んだことで人間や社会を解釈する生き方をしてどこが悪いのかと思ったが、解釈ばっかりして新しいことを始めることができないまま人生を終えてしまいそうなところがいけないところであろう。そこに気づかされた一文である。しかしこれがまた本の中に書いてあることであってまたその解釈をしているという、ちょうど壺の中に入るとまた同じような壺があってそのなかに入るとまた同じような壺があるような状態にわたくしはなっていないかと心配である。