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日本文学史序説下(加藤周一)を読みながら考えた 第11章工業化の時代

2022-12-16 00:38:37 | 日記

日本文学史序説下(加藤周一)を読みながら考えた 第11章工業化の時代

 なぜ加藤周一の文章が分かりやすくて魅力があるのかが分かってきた気がする。該博な知識があって読者に伝えたい強い思いだけではない。著者は本質的に詩人で、引き締まったリズムのある文体で書かれているから引き込まれるように読んでしまうのだと思う。しかし、これでは読者はリズムに引き込まれて読んでいるので書かれていることを批判的に読むことが困難にならないかとも思う。何もかも受け入れてしまうことになる。読んでしばらくしてから反芻して他の知識とも照らし合わせないといけないかもしれない。

 さて、ここでは日露戦争後の不況の時代の文人たちの動きを記述している。「大学は出たけれど」の不況は、そんなに早くから始まったのか。私どもの祖父母曽祖父母は、戦争ではなく不況に苦しんだ。それが2000年前後から始まる現在の不況と照らし合わせると、現在の不況は冷戦後の不況ということか。東西冷戦は、日露戦争に比ではないほど大きなものだからそのあとの不況も世界中を巻き込んで巨大なものになるのだろう。しかし巨大なイノベーションも起きているのに何でいつまでも続くんだろうと不思議に思いながら現代と引き写して読んだ。

 さて、日露戦争後の不況の時代の文人たちはその苦境を詩文で表現して今に残るものがあるという。今現在も同じような不況だけど苦境を詩文で表現している人が居るんだろうか。新聞をあまり読まない私はこの件は知らない。多分ないのではないか。どうも文化という意味では当時と今では格がかなり落ちる。なぜここまで日本の文化が不毛になったのか。または私の知らないところで豊かな文化が栄えているのか。

 思うに、日露戦争後の不況の時代の文人は江戸の漢詩文の伝統をそのまま持っている人の息子の世代である。その苦境を詩文で表しえた最後の人になるだろう。今はその息子のさらに孫かひ孫の世代だろう。同じような苦境でも表現できなくなっているんじゃないのか。

 漢詩文の教育がなくなったことは、大きな損失であるように思う。戦後のGHQは、日本の精神主義が漢詩文の教育にありとみて、これを禁じたのではないのかな。完全に禁じることもできないので少しは残っているけど、残念なことである。今なら復興してもだれも咎めないから、漢詩文の塾とそろばん塾を復興すればいいのに。学習塾へ行って学歴付けるよりよほど役立ちそうな気がする。

 


日本文学史序説下(加藤周一)を読みながら考えた

2022-12-16 00:38:00 | 日記

日本文学史序説下(加藤周一)を読みながら考えた

 もう50年前に上巻を読んで感激したので下巻を読める日が来ることを楽しみに待っていた。大変な量の知識が詰まっている浩瀚な本だけど際立った主張があるわけではなく、百科事典のように読むことができる。 初めて知る知識が次々現れるのはありがたいが立ち止まってゆっくり考えないと、知識とお付き合いしただけになってしまうのでいろいろ考えてみた。

 明治時代は、富国強兵と教わったがそれだけではなく社会思想家が活躍した時代でもあったと人名をあげ詳しく解説してある。そう言えば付け足しのようにそう教わったような記憶がある。翻って現在は働くのが大変な時代で富国強兵の時代とおなじようだと思うが、社会思想家が崛起しているようには見えないのは不思議だ。当時の思想家は、自分の殿様または藩などの公人に対する忠義心の持って行き場を見失った士族が思想に対する忠義心に切り替えたことで発生したとされている。ならば、現代では会社に対する忠義心の持って行き場として新たな思想が生まれそうなものなのにそれが全くない。もう忠義心はコリゴリだということなのだろうか。

 しかし忠義心はともかく何らかの社会思想がない世の中というのは、お互い顔の知っている農村ならともかく都市では成立しないのではないかと思う。風の時代とか言って、ヒトが必要に応じて集まり必要がなくなると散っていくという時代というけどそれはそれでまた別の思想が必要なのではないか。私の知らないところで新しい時代の新しい思索がなされているんだろうか。

 昔奈良時代に多くの仏僧が招聘されまたは学ぶために渡海したのは、仏教という思想が都市生活のために必要な思想であったためと考えられる。我々が今考えている信仰という意味ではないような気がする。社会制度、各個人の気持ちの持ち方ありとあらゆるものを規定するものであったと思う。その基盤になる論理などが仏典に詰まっていたのではないか。それを持って帰ったら尊敬されるのは当たり前だろう。

 ところが今それに代わる新思想があるんだろうか。新思想があって皆が納得してこれで行こうじゃないかというのができれば、もう少し生きやすい世の中になりそうな気がする。こんなことを考えながら第10章第四の転換期下を読んだ。当時は思想も弾圧があったとは思うが花開いた時期だったんだと。今はなんだか元気がない。