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YS-11、その精神をもう一度。

2006年10月01日 23時59分00秒 | 社会・経済
昨日、戦後初の国産旅客機だったYS-11が日本国内の定期路線から引退した。
単純に、航空法改正への対応に伴う経費が高かったためで、機体の寿命などの理由でないところが残念ではある。

何の因果か、よくわからないが、
僕が初めて乗った飛行機が、YS-11だった。
社会に出立ての頃、仕事で高知に行く際、大阪空港からの便に乗った。
当時でも、既にYS-11は、ジェット機がほとんどになった中、古い飛行機として認知されていた。
飛行機の乗り方もよくわかっていない(最近も随分乗ってないので、わからないかも)僕としては、なぜ、建物にある搭乗口からバスに乗らないといけないのか、はじめ理解できなかった^^;
でも、バスが動くと、すぐに目の前にYS-11が現れ、「ああっ、これに乗るのか。」と感慨深くなった。
機内に入ると、中はまた、バスみたいだった。しかし、自分の座席に座る時、僕は豪快に天井に頭を打ってしまった。そう、背の高い僕が真っ直ぐ立てるのは機体の中央、つまり、通路部分だけで、そこから座席の端に行くほど、機体の丸みに伴っていることもあり、天井も低くなっていた。

そんなYS-11だが、その開発経緯などを見聞きしていると、そこから感じる当時の国の活気には、今を生きる僕としては羨ましいものを感じる。
戦後、官民が共に協力し、日本の産業発展のために寄与してきた、その塊がYS-11であると言える。
思えば、それから国産旅客機というのは、世に出てきていない。
幾度か、その試みは行われようとはしているが、結局、外圧(特にアメリカ)に屈している。
景気は回復しているとは言っても、まだまだ人々の心まで豊かになってきているとは思えない昨今。
今こそ、再び国産旅客機の開発プロジェクトを大々的にアピールしてもらって、今度こそ、外圧に屈しない日本の旅客機を開発してもらいたい。
今、経済産業省が提案した「環境適応型高性能小型航空機」という計画が進行している。
主に開発に携わっているのは、三菱重工で、富士重工業と日本航空機開発協会が協力している。
なんとか今後もうまく進行してもらって、日本の景気と、日本人の夢をのせて飛び立っていただきたい。

参考リンク。--------

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
へぇ~ (JUN)
2006-10-03 01:52:30
へぇ~
YS-11ってまだ、現役路線で飛んでたんですね。
むか~し。大阪~宮崎の間で飛んでた時期があって、子供の頃に乗った覚えがありますよ。プロペラのそばで、結構揺れた気がして(子供だったからかも(笑))ちょっとビビってた思い出があります。
そういう意味では、YS-11って長い現役でしたね。
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>JUNさん (junziro)
2006-10-03 03:24:10
>JUNさん

>そういう意味では、YS-11って長い現役でしたね。

そうなんですよね。
調べたら、
あの時代、日本はまだ戦中のモノ作りのやり方で、合理的な機体の造り方を知らなくて、どこまでも頑丈になる設計をやったそうです。そのせいで、まだ、機体は使えるんですよね。だから、今後も世界のどこかの空は飛び続けるようです。
日本では、衝突防止装置の装備が義務化され、それには、1億円ぐらいかかるそうなので、それならば、新しい飛行機を。ということになったそうです。
今回のラストフライト機は保存の声もあったそうですが、まだ使えるので、海外へ売却だそうです。
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