いまだに残る、「LIVE EARTH」でのYMOの余韻。
「LIVE EARTH」という、そもそも社会運動的なものには、個人的に、いささか懐疑的な印象を持つが、YMOの楽曲を聴くと、やはり体が本能的に反応してしまうわけで、言ってしまえば、もう、唱えられている大義名分など、どうでもよくなってしまう。
かと言って、いまだに残っているその余韻は、その後の生活の中で、そのようなイベントに参加した者としての良心の呵責とでも言おうか、変に電気のスイッチを切ることに執着してしまったり、コンビニに行った時、バックを持ってこなかった自分に妙な罪悪感を感じてしまったりしている。
これは、もう完全にイベント主催者の手中にハマってしまっていると言えよう。
しかしながら、
じゃあ、ライブの最中は熱狂的に盛り上がっていたのか?というと、これも宿病とも言うべきか、僕個人の習性によるものなのだが、どうしても、自分の中で目前の状況に対して非常に冷静に見てしまう部分がある。これは自分で分析するところによると、良く言えば、過去の新聞社のカメラマンだった時期にいろいろと失敗などを経験してきたの中で、どうしても目前の事象を客観的に見てしまうクセがついてしまっていると言える。逆に悪く言えば、その特異で変な経験のせいで、単に捻くれているだけである。
自分の中では、いまいち熱狂的になれないで若干醒めた部分のある自分に腹立たしい気持ちになる。
どこまでも、あまのじゃくなだけだなw。
TB。--------
「junzirog:とりあえず、全行程終了。」