備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム233.子安天満宮(菅公腰掛石)

2010-01-08 21:06:36 | Weblog
子安天満宮(こやすてんまんぐう)。
場所:岡山市北区十日市東町2-28。県道40号線(岡山港線)「十日市中町」交差点から東に真っ直ぐ、約600m。駐車場なし。
住所は南区から北区に変わるが、吉備国「内宮」(岡山市南区浜野一丁目)の北西、約200m(直線距離)の近さにあるので、ついでに参拝したい。
昌泰4年・延喜元年(901年)、左大臣藤原時平の讒言によって右大臣菅原道真は大宰権師に左遷され、事実上大宰府に流された。結局、2年後の延喜3年(903年)には現地で亡くなってしまうのだが、西下の途中、備前国にもいくつかの伝説を残した。その1つが備前市の「履掛天神宮」境内の「履掛石」(2009年8月3日記事)であるが、こちらは、菅公が腰を掛けた石だという。「腰掛石」は、縦・横約50cm、高さ約30cmの思ったより小ぶりな石で、確かに上面が平らになっている。
当時、この周辺は海辺であり、菅公がこの石に腰掛けて休息していると、近くのみすぼらしい漁師の家から女のうめき声が聞こえた。漁師の妻が難産に苦しんでいたのだが、菅公が安産の歌を詠むと(あるいは、呪文を唱えて袖で産婦の腹を撫でると)、忽ち安産した。この菅公の徳を偲び、天喜元年(1053年)に天満天神として社殿が建立されたという。


岡山県神社庁のHP(天満宮(子安天満宮)):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01022


写真上:「子安天満宮」正面


写真中:「子安天満宮」境内の「御祭神菅公腰掛石古跡」


写真下:「菅公腰掛石」

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