備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム213.沢田山恩徳寺の古立石不動明王

2009-10-01 00:00:00 | Weblog
沢田山恩徳寺の古立石不動明王(さわださんおんとくじのふるたていしふどうみょおう)。
場所:岡山市中区沢田。国道250号線に架かる百間川橋の西詰から、百間川の右岸(南岸)堤防から東南にまっすぐ下りていく。右側が低層アパート群、左側が水田となっている道路で、T字路に突き当たってすぐ右。手前に恩徳寺の駐車場がある。
「沢田山恩徳寺」は備前48ヶ寺の1つで、このブログでは2008年7月27日記事で採り上げた。天宝勝宝2年(750年)、行基により創建され、その後、報恩大師により備前48ヶ寺に加えられたという古寺である。
面白いのは、(備中国一宮「吉備津神社」本殿と同じように)本堂の背面に扉があることで、そこから急な階段が延びていて、その先に社がある(写真下)。これが当寺の前に立つ石鳥居の扁額にある「竪巌尊」、即ち「竪巌最上稲荷」である。もとは、当寺の北西、約500mのところにあった。今も「立石」が残っている(写真中)。「竪巌」というのは難しい文字だが、竪=立て(る)、縦。巌=岩、なので、立岩(石)と同じになる。岩をなぜ稲荷としたのか、岩のある場所に稲荷を勧請したのか、勧請した場所に岩を立てたのか、は不明。創建時期は元禄元年(1688年)、「伏見稲荷大社」の神宮寺であった「愛染寺」(東寺末)から勧請されたらしく、したがって、稲荷といっても荼枳尼天(ダキニ)と習合した神である(当寺本堂に「竪巌最上荼吉尼天」の額が掛けてある。)。現世利益の神様とあって、江戸時代には大変流行ったらしいが、明治に入ると、神仏分離令によって現在地に移されたという。現在の社の背後に磐座がある、と書かれているものがあって、現地で探したのだが、それらしいものは見当たらなかった。


写真上:立石。大きな石の前に稲荷の小祠が置かれている。手前には石鳥居の残骸が、半ば土に埋もれて散乱している。


写真中:立石の奥の山肌に、不動明王が彫られている。


写真下:沢田山恩徳寺の本堂の上に移された「竪巌最上稲荷」

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