①天津神社(あまつじんじゃ)。通称:久保田神社(くぼたじんじゃ)。
場所:吉備中央町細田1372。国道429号線沿いにある「道の駅かもがわ円城」前の交差点から県道372号線(下土井下加茂線)に入り、西へ約3km進むと右側(北側)に「細田東集会場」がある。その向かい側の狭い道に入り(「久保田神社参道」の看板がある。)、約300m進むとJAの穀物倉庫があるが、その向かい側の脇道が参道。駐車場あり。
②火雷神社(からいじんじゃ)。通称:魔法宮。
場所:吉備中央町上田西158。「久保田神社」下から更に先(南西)に進むと(なぜか途中に「魔法宮」の説明板がある。)、「黒杭口」というバス停(!)がある。そこで左折(南東へ)、最初の分かれ道は左に進むと、「魔法宮」と記された石柱が立っている。その先、徒歩約300m。駐車場なし。
岡山県神社庁加盟の神社を「民間信仰の神様」というのもなんだが、「魔法宮」・「魔法様」という通称が面白いので採り上げてみた。「魔法宮」の伝承は次のとおりである。
昔、天竺から「キュウモウ」という古狸が南蛮船に乗って来日、備前加茂の山中に棲みついた。「キュウモウ」狸は化けるのがうまく、いろいろイタズラをして村人を困らせた。そこで、村人が円城寺の和尚に頼んで祈祷してもらうと、狸の正体を現し、これからは「牛馬の守り神になり、また村人の火難・盗難を防ぎます。」といって姿を消した。この「キュウモウ」狸を祀ったのが「火雷神社」であり、「キュウモウ」狸と地元の狢との間に生まれたのが「頬四郎」(ほほしろう)狸で、「頬四郎」狸を祀ったのが「久保田神社」である。この2社が「魔法宮」と通称される。
まず「天津神社」であるが、もともとは妙見社だったらしい。境内に今もある小祠が「天津神社」であって、「久保田神社」は同町豊岡のオギという山の上に祀られていた「久保田様」という神様を移したもの。だから、本来は「久保田神社」は「天津神社」の境内末社なのだが、社殿だけからみると逆のようになっている。
「火雷神社」はもともと同町三納谷の「三所神社」の境外末社で、当地に災害や疫病が流行ったときに創建されたという。
「魔法宮」の背景を考えると、次のようなことがわかる。
①「キュウモウ」狸が来日したのは永禄11年(1568年)で、備前加茂に棲みついたのは明和年間(1764~1771年)とされる。当地は現在、すごい山の中だが、元文6年(1741年)に銅山が開かれ、その廃坑の穴を巣としたというので、当地も一時は賑やかな時期があった。
②上記「三所神社」は天元2年(979年)に紀伊国「熊野三所権現」を勧請したものとされる。「天津神社」がもと妙見社であったことも合わせ、修験者が介在したことを強く示唆する。
③牛馬の神様としての「魔法様」信仰は備中・美作にもあるらしいが、その伝播には山伏が関わっていたらしい。狸は、その山伏、修験者の神使(つかわしめ)、あるいは式神であったのかもしれない。でも、狐とかクダとかならともかく、狸とは・・・。
岡山県神社庁のHP(天津神社(久保田神社)):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=08018
「神社探訪・狛犬見聞録」さんのHPから(天津・久保田神社)http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/okayama/kagagun/amatsu_kubota/amatsu_kubota.html
岡山県神社庁のHP(火雷神社):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=08020
写真1:「久保田神社」正面。階段両脇に信楽焼の狸が並んでいるが、地元の人が知らないうちに供えられたらしい。
写真2:「久保田神社」本殿台座の後ろに「狸穴」が作られており、榊などが捧げられている。
写真3:「火雷神社」参道入口。この先は未舗装で、かなり狭くなるので、普通自動車では突っ込んでいかないほうがよい。
写真4:「火雷神社」
場所:吉備中央町細田1372。国道429号線沿いにある「道の駅かもがわ円城」前の交差点から県道372号線(下土井下加茂線)に入り、西へ約3km進むと右側(北側)に「細田東集会場」がある。その向かい側の狭い道に入り(「久保田神社参道」の看板がある。)、約300m進むとJAの穀物倉庫があるが、その向かい側の脇道が参道。駐車場あり。
②火雷神社(からいじんじゃ)。通称:魔法宮。
場所:吉備中央町上田西158。「久保田神社」下から更に先(南西)に進むと(なぜか途中に「魔法宮」の説明板がある。)、「黒杭口」というバス停(!)がある。そこで左折(南東へ)、最初の分かれ道は左に進むと、「魔法宮」と記された石柱が立っている。その先、徒歩約300m。駐車場なし。
岡山県神社庁加盟の神社を「民間信仰の神様」というのもなんだが、「魔法宮」・「魔法様」という通称が面白いので採り上げてみた。「魔法宮」の伝承は次のとおりである。
昔、天竺から「キュウモウ」という古狸が南蛮船に乗って来日、備前加茂の山中に棲みついた。「キュウモウ」狸は化けるのがうまく、いろいろイタズラをして村人を困らせた。そこで、村人が円城寺の和尚に頼んで祈祷してもらうと、狸の正体を現し、これからは「牛馬の守り神になり、また村人の火難・盗難を防ぎます。」といって姿を消した。この「キュウモウ」狸を祀ったのが「火雷神社」であり、「キュウモウ」狸と地元の狢との間に生まれたのが「頬四郎」(ほほしろう)狸で、「頬四郎」狸を祀ったのが「久保田神社」である。この2社が「魔法宮」と通称される。
まず「天津神社」であるが、もともとは妙見社だったらしい。境内に今もある小祠が「天津神社」であって、「久保田神社」は同町豊岡のオギという山の上に祀られていた「久保田様」という神様を移したもの。だから、本来は「久保田神社」は「天津神社」の境内末社なのだが、社殿だけからみると逆のようになっている。
「火雷神社」はもともと同町三納谷の「三所神社」の境外末社で、当地に災害や疫病が流行ったときに創建されたという。
「魔法宮」の背景を考えると、次のようなことがわかる。
①「キュウモウ」狸が来日したのは永禄11年(1568年)で、備前加茂に棲みついたのは明和年間(1764~1771年)とされる。当地は現在、すごい山の中だが、元文6年(1741年)に銅山が開かれ、その廃坑の穴を巣としたというので、当地も一時は賑やかな時期があった。
②上記「三所神社」は天元2年(979年)に紀伊国「熊野三所権現」を勧請したものとされる。「天津神社」がもと妙見社であったことも合わせ、修験者が介在したことを強く示唆する。
③牛馬の神様としての「魔法様」信仰は備中・美作にもあるらしいが、その伝播には山伏が関わっていたらしい。狸は、その山伏、修験者の神使(つかわしめ)、あるいは式神であったのかもしれない。でも、狐とかクダとかならともかく、狸とは・・・。
岡山県神社庁のHP(天津神社(久保田神社)):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=08018
「神社探訪・狛犬見聞録」さんのHPから(天津・久保田神社)http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/okayama/kagagun/amatsu_kubota/amatsu_kubota.html
岡山県神社庁のHP(火雷神社):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=08020
写真1:「久保田神社」正面。階段両脇に信楽焼の狸が並んでいるが、地元の人が知らないうちに供えられたらしい。
写真2:「久保田神社」本殿台座の後ろに「狸穴」が作られており、榊などが捧げられている。
写真3:「火雷神社」参道入口。この先は未舗装で、かなり狭くなるので、普通自動車では突っ込んでいかないほうがよい。
写真4:「火雷神社」
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