番田の立石(ばんだのたていし)。
金甲山と飯盛山の磐座に詣でたので、ついでに「番田の立石」を見に行った。
児島半島の東海岸に「鉾島」という島がある(今は地続きになっている。)。この島の名は、神功皇后がいわゆる「三韓征伐」の帰路に当地に立ち寄り、鉾を立てたという伝説によるという。その「鉾島」の西側が今は番田、北方、下山坂、上山坂という町名になっているが、かつては鉾立村といった。現在も小学校、郵便局、農協(JA)などの名前に「鉾立」という名が残っている。この「鉾立」という名は、「鉾島」に因んで明治22年の4村合併時に付けられた名であるという。したがって、「番田の立石」に因んだわけではないらしい。
「番田の立石」は、「八丈岩山」(281m)の南に下ったところにある。「八丈岩」は、今は休館となっている「国民宿舎桃太郎荘」の裏手からも登れるが、「貝殻山市民憩いの森」の第2駐車場からは急登だが真っ直ぐに登れて15分くらいで山頂に着く(写真上)。また、すこし下に大きな岩が海に向かってせり出している(写真中)。「番田の立石」は更に下のほうにある(写真下)。鷲羽山・王子ヶ岳などにも巨岩・奇岩は多いが、確かに鉾を突き立てたような偉容である。
いずれも古代祭祀に好適な場所のようにも思えるし、神功皇后の伝説もあり、立派な岩もあるが、古社にはあまり関連がないようだ。伝説や岩が、千年前から現在と同じものだったとは言えるはずもないが、神仏臭さが殆どないことが逆に不思議に思える。
写真上:八丈岩山山頂
写真中:八丈岩? 山頂の少し下にある。
写真下:番田の立石
金甲山と飯盛山の磐座に詣でたので、ついでに「番田の立石」を見に行った。
児島半島の東海岸に「鉾島」という島がある(今は地続きになっている。)。この島の名は、神功皇后がいわゆる「三韓征伐」の帰路に当地に立ち寄り、鉾を立てたという伝説によるという。その「鉾島」の西側が今は番田、北方、下山坂、上山坂という町名になっているが、かつては鉾立村といった。現在も小学校、郵便局、農協(JA)などの名前に「鉾立」という名が残っている。この「鉾立」という名は、「鉾島」に因んで明治22年の4村合併時に付けられた名であるという。したがって、「番田の立石」に因んだわけではないらしい。
「番田の立石」は、「八丈岩山」(281m)の南に下ったところにある。「八丈岩」は、今は休館となっている「国民宿舎桃太郎荘」の裏手からも登れるが、「貝殻山市民憩いの森」の第2駐車場からは急登だが真っ直ぐに登れて15分くらいで山頂に着く(写真上)。また、すこし下に大きな岩が海に向かってせり出している(写真中)。「番田の立石」は更に下のほうにある(写真下)。鷲羽山・王子ヶ岳などにも巨岩・奇岩は多いが、確かに鉾を突き立てたような偉容である。
いずれも古代祭祀に好適な場所のようにも思えるし、神功皇后の伝説もあり、立派な岩もあるが、古社にはあまり関連がないようだ。伝説や岩が、千年前から現在と同じものだったとは言えるはずもないが、神仏臭さが殆どないことが逆に不思議に思える。
写真上:八丈岩山山頂
写真中:八丈岩? 山頂の少し下にある。
写真下:番田の立石
よろしくお願いいたします。
「番田の立石」、凄いですよね。自分で撮った写真ですが、久しぶりに見直しました。