備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム60.備前48ヶ寺再考(その2)

2008-10-06 20:58:18 | Weblog
備前48ヶ寺のうち、現存しているのは38(寛文年間に退転後、後世再興の妙林寺・幸福寺を除く)。現在の宗派は、天台宗が18、真言宗が19、日蓮宗が1となっている。
「備前48ヶ寺」に相当する呼称が現存史料に現れるのは、いわゆる「金山寺文書」の中の1書で、文禄4年(1595年)のものが最初とされ、しかも、この中には「報恩大師」の名は出てこない。
また、「報恩大師」が備前国生まれとする伝承は、どうやら永禄15年(1702年)刊の「本朝高僧伝」によるものらしい。
48ヶ寺の中には、奈良時代はともかく、平安時代までは創建が遡れる寺院もある。そして、盛時には多数の僧坊を抱えていたという寺院も多い。それが、時代が下るにつれ、旧来の保護を失って寺領(荘園)を奪われ、あるいは焼き討ちにあったりして、寺勢が衰えた。そのようななか、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると、その寵臣となった宇喜田秀家(1572~1655年)は領内60ヶ寺・15社に対して寺社領3000石を寄進するかわりに、国主の武運長久と国家安全を祈念させた。そして、「金山寺」が領内寺社統括の役割を担うようになったと考えられる。
こうして、「金山寺」はその発言力を高めるため、自らの宗派である天台宗の寺院を中心に、
①少なくとも元は天台宗であった寺院であること
②山上伽藍を持つか、持った伝承があること
③多くの寺坊を持つか、持った伝承があること
④観音か阿弥陀を本尊とすること
を条件に、大寺院のネットワークを作ったのではないか。
「報恩大師」を担ぎ出したのは、歴史の古さを誇示するとともに、民衆の観音信仰等を利用しようとしたのだろう。
以上のようなことを考えると、国内神名帳所載の神社と備前48ヶ寺の関係は(当然ながら)本来何もないのだが、逆に、豊原北島神社と上寺山余慶寺、石根依立神社と岩生山元恩寺などの例が実に興味深いと思う。
(以上は、岡山県立博物館発行の「備前四十八ヶ寺」(2003年1月)を参考にさせていただきました。)

写真は、報恩大師が備前48ヶ寺のほかに、根本道場として開基したという勅命山日應寺。現在は日蓮宗。場所:岡山市北区日応寺302。

「日蓮宗岡山県教化センター」のHPから(日應寺)http://www.okayama-nichiren.com/jiin/nitiouji/nitiouji.htm

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