備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム251.一宮(その23・駿河国・富士山本宮浅間大社)

2010-06-30 19:24:53 | Weblog
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)。
場所:静岡県富士宮市宮町1-1。JR身延線「富士宮」駅の北西または「西富士宮」駅の東、それぞれ約1km。駐車場有り(30分以上有料)。

転勤で平成22年4月から駿河国、静岡市に来ました。神社と備前国に関連していそうなことがあれば、書いていこうと思います。

さて、まずは、何はともあれ駿河国一宮「富士本宮浅間大社」(駿河国式内22社のうち、唯一の名神大社でもある。)に参拝。東西に広い静岡県では、今は東部(大井川以西)・中部・西部(富士川以東)という3地域に分けて語られることが多い。もともと伊豆・駿河・遠江という3国が1つの県になったのだが、駿河国と伊豆国との国境は富士川でなく、伊豆半島の付け根までが駿河国だった。そもそも、「スルガ」はもともと「珠流河」と書き、富士川という「急流」がある国を意味した。
そして、そこには日本一の霊山「富士山」があった。しかも、宝永4年(1707年)までは噴火があった。これを崇め、噴火を鎮めるための祭りが必要だったことは当然である。当神社の主祭神は浅間大神(アサマノオオカミ)こと木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤビメ)であり、一般には「火中の出産」に因んだ火の神だから、と思われているが、当神社によれば、本来は水の神であり、水で火を鎮めるのだという。
社伝によれば、垂仁天皇3年(紀元前27年)頃に富士山麓で浅間大神を祀ったのが最初で、この頃は社殿はなく、景行天皇の御代になって「山宮」に磐境を設けた。大同元年(806年)、平城天皇の命により坂上田村麻呂が現在の鎮座地に社殿を造営した、という。なお、現在でも、富士山の8合目以上は当神社の奥宮の境内であるとされる。
思うに、①元の鎮座地である「山宮」には本殿が無く、富士山そのものを祀っていたこと(写真4)、②現在の鎮座地はもともと式内社「富知神社」(主祭神:大山祇神)の鎮座地であったこと、③本来はアイヌ語に起源があるらしい「アサマ」が「センゲン」になったのは、早くから神仏混淆して「浅間大菩薩」と称されるようになってかららしいこと、④修験道の開祖とされる役行者は流刑地の伊豆から抜け出して富士山に登り、富士山開山の祖ともいわれていることなどから考えると、元の神(浅間大神)は富士山そのものであり、木花之佐久夜毘売命になったのは後世のことだろう。(なお、備前国の「木華佐久耶比神社」に修験者が深く関わっていたらしいことは既に書いた(2008年6月26日記事ほか)。)


富士本宮浅間神社のHP:http://fuji-hongu.or.jp/sengen/index.html

玄松子さんのHPから:http://www.genbu.net/data/suruga/asama_title.htm


写真1:富士本宮浅間神社の巨大な鳥居


写真2:「浅間造」の社殿


写真3:境内の「湧玉池」。説明板にもある平兼盛は天元2年(977年)に駿河守に任ぜられているから、その歌に「浅間(神社)」と「湧玉(池)」が読み込まれているということは、延喜式神名帳成立の頃(10世紀初め)には現在の鎮座地にあったことはほぼ確実。


写真4:「山宮」の祭祀場所。正面の森が切り開かれ、富士山を仰ぐ。(場所:富士宮市山宮。当神社の北東約5.5km。国道469号線と静岡県道180号線の「山宮」交差点から北へ約800m。駐車場有り)。