333ノテッペンカラトビウツレ

 奇跡は 誰にでも 一度おきる だが おきたことには 誰も気がつかない

ふたりのアドルフに告ぐ

2008-06-30 01:32:11 | SP(Standard Program)
●雨だというのに、日曜だと言うのに仕事に借り出され、何かしらんままに休日が過ぎ、観ようと思っていた映画は観れず、腹いせに輸入DVD屋で『ブレードランナー 5枚組みブルーレイセット』を買ったはいいが、ブルーレイの機械はなく、懸案のデジカメを買うか迷っていたら店員に「閉店時間です」と言われ・・・みなさん、素敵な休日をお過ごしでしたか?

●人間の善意は必ずしも善き結果を導くとは限りません。その逆もまた然り。善意が寄せ集められた結果、巨大な悪意が誕生することだってあります。

●1944年の年末。敗戦の色が濃厚なドイツでナチスの幹部たちは頭を抱えていた。首都ベルリンは度重なる空襲で瓦礫の山同然で、認めたくはないが勝利の文字は遠くに消えつつある。そこで、幹部たちは来るべき元日に総統のパレードと演説を民衆の前で行い、戦意高揚をはかるという計画を思いつく。しかし、肝心の総統の体調は最悪で、ご機嫌はもっと最悪だ。そこで、ユダヤ人収容所からひとりの男が移送された。彼の名はアドルフ。総統と同じ名を持つこの男は、彼らの言う「ユダヤ人問題の根本解決」が実施されるまでは有名な舞台俳優だった。彼は総統を指導する。力強く、民衆を鼓舞し、自分たちの国がこれからも勝利に向かって邁進していくと信じさせるために。しかし、それは彼の同胞たちの“死”も意味する。ふたりきりの部屋で向かい合うふたりのアドルフ。そこで芽生え始めたのは“友情”か、それとも・・・

●夏の終わりに公開になる映画『わが教え子、ヒトラー』は、「かつてヒトラーに演説を指導した人物がいた」という史実を基にイメージを膨らませて製作された作品です。主人公のアドルフは、ヒトラーへの演説指導を通じて、“愛に飢えたひとりの男”としてのヒトラーと、“自身の同胞を虐殺した悪魔”としてのヒトラーの間で引き裂かれます。彼が善意を見せてヒトラーを指導すれば仲間が死に、彼が悪意を見せようとすると哀しいひとりの男が目の前に立ち塞がります。

●映画は全編に渡って、善意と悪意が互いに思わぬ結果を生み続けていくため、予想しているとは思いますが、コメディとして描かれます。妙な状況や展開の連続でゲラゲラと笑っていると、その間に事態はより深刻な状況へと進んでいくわけです。指導者を演じたウルリッヒ・ミューエは昨年公開された傑作『善き人のためのソナタ』に主演した俳優ですが、あの作品も「悪意が転じて人間を救う」という物語でした。

●映画のラストに壮大な“悪意”が描かれます。それがどんな内容かは劇場で確認していただきたいのですが、同時に画面を眺めながら「これは善意ではないのか?」という考えが頭をよぎります。非道な独裁者の裏の顔を知ってしまった男にとって、彼の本性を暴くことは「悪意」のように見えて「彼の心の叫びを代弁するという善意」ではないのかと、映画を観ると考えさせられるからです。善意も悪意も、システムを通過した瞬間に別のものに変わることがある。これは特定の独裁者について描かれた映画ではなく、普遍的なテーマをもった作品だと思います。というわけで、大人の観客の方は是非、劇場で御覧ください。

12年前の俺よ、タイムマシーンに乗れ!

2008-06-29 03:33:11 | SP(Standard Program)
●はぁ・・・今の今までひたすらYoutubeを3時間ぐらい観続けてました。と、言ってもただ漫然と観ていたわけではなく、調べものをしていました。何かを調べたいと思った時に今まではネットで文字情報を追いかけていたわけですが、最近では動画を観ることも可能になったわけで何とも便利な世の中になりました。

●先日、酒の席で古い知人と話をしたのですが、1996年にある舞台用の台本を書いたことがありました。これがとにかく面倒な台本で、書くためには何だかんだと意味のあることないことを調べないといけない内容だったわけですよ。今の感覚なら、とりあえずコンピュータを立ち上げてgoogleの窓に思いつく限りの言葉を放り込めばいいわけですが、当時は家庭用コンピュータもインターネットも普及していませんでした。

●そこで筆者は約半年間、図書館に通いました。例えば、この物語の中には「NASAが打ち上げた探査機ボイジャーが積んでいたレコード盤」が出てきます。太陽系の外に向かって打ち上げられたボイジャーという探査機の中には、地球外生命体に向けたメッセージとしてレコード盤が格納されていました。これを現在の環境で調べるのであれば、とりあえずウィキペディアにでも入れたら良いわけです。試しに入れてみました。10秒で「ボイジャーのゴールデンレコード」というページにたどり着きました。スレッガーさんかい?速い!速いよ!

●しかし、これをネットのない状態で調べようとするとまず、図書館に行きます。で、当時の記録を・・・と思うわけですが、ボイジャーが19何年に打ち上げられたか即答できます?はい、できませんね。そこで、宇宙関係のある本棚に行って、“それっぽい”本をひたすら斜め読みします。っても、なかなか当たりの本には出会わないので10冊ぐらい棚から抜いても、載ってるのが全部で10行ぐらいということもあるわけですよ。で、その箇所をノートに手書きで写して、本棚に戻して、また別の本を閲覧室に持って行って・・・を繰り返し。

●次に打ち上げられた日時がわかったら、カウンターで請求書を書いて、当時の新聞の縮刷版を出してもらいます。で、それを1ページずつチェックして該当の箇所が出てきたらノートに写して、写真や図版が掲載されていたら10円コピー機でコピーしてノートに貼ります。これをひたすらやります。今なら10秒です。それに現在ではこのレコードに記録されていた音源の一部もネットで試聴することが出来るんですよ。12年前の俺にこの機械を使わせてやりたいです。

●筆者はインターネットの無い時代に学生時代を過ごしましたから、あくまで想像でしかありませんが、最近の学生さんが学校のレポートを書く際にウィキペディアの文章をマル写しにする気持ちはわからんでもないです。便利だろうなぁ。辞書だってイチイチ「ABCのうた」を頭の中で歌いながらひかなくても、ネットに放り込めば意味がわかるわけだしねぇ。電子辞書とか夢の機械でしょ。こういう便利なものが出て来たことが学生の学習環境を良くしているか悪くしているのか・・・複雑なところでしょうね。俺は単純にうらやましいですけど。

●じゃ、今日の音楽はこれにしましょう。やっぱYoutubeは恐ろしいですねぇ。12年前に舞台で使った音楽が聴けるんだもんな。可能な限り大きい音で聴いてください。


「本を読め」というお前がまず本を読め!

2008-06-28 03:18:13 | SP(Standard Program)
●福岡県の行橋市というところが来月から月に1回、市立の小中学生を対象に「ノーテレビ・ノーゲームデー」を設けることにしたそうです。何だか・・・21世紀とは思えないことをやってますなぁ。で、言うことが子供に向かって「本を読め」だからなぁ。無理だよ、それ。大人だって本なんかまともに読んでないのに子供に向かって言うのは酷ですよ。だって、通勤電車とか見てみなよ。大人の誰も本なんか読んでないよ。携帯電話をいじってるか、ゲームやってますよ。子供に説教する前にまず、大人が月に1回「ノー携帯電話・ゲームデー」を作って実行しろ!話はそれからだ!

●そもそも、本を読むって、本を読むこと自体が目的じゃないじゃないですか。たまにいますけどね。やたらと「本が好きだ」ということをアピールする人。ま、趣味なら結構なのですが、基本的に本を読む人は「中身に書いてあることに興味がある人」ですよ。だから「本を読め」と言ってもムダです。知りたいことや興味のある事柄のある子供があったら勝手に本も読むし、ネットで調べもします。「家族で会話しろ」と言ってもムダです。会話して楽しかったり、実りがあったり、ホッと出来るなら放っておいても子供は喋ります。

●「本を読め」という前に「興味のある事柄を発掘する/何かしらの事柄に興味がいくよう焚きつける」ということが先決になるのは当然だと思うのですが、そんなこと考えてるのは俺だけか?

●最近、やたらとビートルズの曲をまとめて聴く機会が多いのですが・・・いまだにビートルズがストーンズやツッェペリンやザ・フーと比較して「さわやかで、心温まるバンド」だと思ってる人が多いのはどういうことなんでしょうか。とんでもない話ですよ。この人たちは音楽はメガトン級に素晴らしいですが、間違いなく英国の不良集団ですよ!ポール・マッカートニーとミック・ジャガーのどっちがタチ悪いかって考えたら、間違いなくポールだろ?藤田朋子には悪いけど。


今からでも間に合う朝顔観察日記

2008-06-27 02:02:44 | SP(Standard Program)
●何とか今週も木曜まで来ましたねぇ。後1日乗り切れば土日。と、思っていたら日曜に仕事が。何か複雑な気分です。

●携帯電話にはあらかじめ簡単なゲームがついていますが、筆者の携帯電話には何故か「漢字検定」のゲームがインストールされています。「読み仮名」とか「誤字」とか項目に分かれていて、漢字のテストが出て来るゲームです。買った当初は「こんなものをやっている余裕はない」と思っていたのですが、現在は「手洗いの友」として時々、遊んでいます。おそらくは資格試験の「漢字検定」とリンクしていて、準2級のみ遊べるようになっているのですが・・・準2級は簡単なのでイマイチ楽しくはありません。「小中学生レベル」ですから。

●しかし、こちらも時間がないのでさすがに「本を買ってきてさらに上のレベルにチャレンジしよう」という気にはなっていません。近頃はこういうものを携帯ゲーム機で遊んでいる人が多いそうですが確かにこれは、いいヒマ潰しかもしれないですね。何となくかしこくなって気がするし。ってもゲームで漢字の読み仮名を当てたりするのって本当に知識が身についたってことになんのかねぇ。

●年齢を重ねるごとに思うことは「勉強」という言葉は幅が広いということです。本を読んでも、映画を観ても、食事をしてもケースによっては相当、勉強になることがあり、まともに勉強する気になれば1分も机に向かわなくても様々な勉強が出来てしまうことに気づきます。前にもチラッと書きましたが“生涯学習”とか言っている人はテキストに頼らないで、日常の中から教材を見つけて勉強した方がいいと思いますよ。すぐにテキストに頼るその姿勢は、実は勉強から最も遠い場所にあると言ってもいいのかもしれません。

●例えばスーパーの食料品売り場に行って「この食べ物はどこから来たのか?」を1品目ずつ想像するだけでも相当に勉強になります。何らかそのままネットか図書館で生産地を調べてみてもいいかもしれません。知らない土地の名前が出てきたら小さな地球儀で位置を確認。もっと言うと肉はここに来る前は別の形で生きて生活していたわけで、そういう辺りまで想像して、わからないことを調べるだけで・・・妙な教材を買うより勉強になります。

●というわけで、面倒な教師のいる学校を出てしまえば、勉強なんて好き放題に楽しめるわけです。勉強はしたいが、資格をとったりするのはハードルが高そうで気後れしてしまうという人はもう少し気楽に、自分の気になるところから勉強してみてください。子供の宿題と思うかもしれませんが、これからひと夏かけて真剣に「朝顔観察日記」とかやったら、「脳トレーニング」なんかするより全然、勉強になると思いますよ。

美術館の時間

2008-06-26 02:02:47 | SP(Standard Program)
●気持ちがどうにもザワついたり、イライラする時間が長くなった時はゆったりと美術館に行くに限りますね。美術館に行く日というのは基本的に時間に余裕がないといけません。というのも、買い物も、映画も、ライヴも何となく時間の予定が立つもので「このぐらいの時間に行けば、〇〇時には終わるので、次の予定が」なんて言えるのですが、美術館はまったく所用時間が読めません。

●筆者は退屈な展覧会は入場料を払ってもさっさと帰ってくるようにしています。観ても楽しくない絵をジッと眺めるのは楽しくない映画を観る以上にキツいからです。話をしていて楽しくない人と話すのも同じぐらいキツいですが、美術もなかなかキツいっすよ。逆に観ていて興味深いものだとアッという間に時間が過ぎます。「まぁ、1時間ぐらいかね」なんて思って出かけても気がつけば倍以上の時間も眺めていたりするわけで、順路に沿って観て、また戻って観たりも出来ますから・・・まったく時間が読めません。

●よって、美術館に行く日は「美術館に行き、残りは出たとこ勝負で」という流れにならざるをえません。10分かもしれないし、120分かもしれない。この時間の組み方のユルさが美術館の魅力。と同時に美術館で美術品をじっくりと眺めるのは想像以上に体力と集中力を使うので美術品によっては滞在している時間が妙に短くなったりします。人と一緒に美術館に行ったりすると美術品の前での滞在時間にズレが生じることがよくあります。映画だと一緒に観ても同じ時間しか経過しませんが、美術館だと一緒に行った相手が明らかに飽きてる時があるわけですよ。逆に自分が飽きてるのに、相手がじっくりと絵の前に居座っていたりね。

●だから美術館に行く際はひとりで行った方が楽で良いのですが、同時に懇意にされている方がいらっしゃる人は試しに美術館にでも行ってみてください。あの空間は人によって時間の流れ方や行動速度がハッキリと異なるので、今まで気づかなかった相手とのリズムや時間の流れ方の差を感じることが出来るかもしれません。ただし「絵なんか眺めるのは退屈だ」と思う方は、相手が誘っても断わった方がいいですよ。さっきも書きましたが、美術館の退屈は映画館やショッピングの退屈とは比較にならないほど苦痛ですから。

●先日ある場で「生涯で最も好きなミュージカル映画は『ロシュフォールの恋人たち』と『サウンド・オブ・ミュージック』ですな」と言ったら「意外ですね」と言われてしまいました。『サウンド・オブ・ミュージック』って優等生的なイメージがあるからっすかねぇ。あのミュージカルは話はともかく、名曲揃いなんですよ。とりあえずDVDを買っておけば、ちょっと時間のある時に1~2曲だけ楽しんだりも出来ます。というわけで今日はその名曲群から1曲・・・と言いたいところですが、普通に流しても面白くないので、この方の演奏でどうぞ。


“パワポ”という怪物

2008-06-25 01:56:17 | SP(Standard Program)
●よく「テレビで喋っている言葉に全部、テロップが出るのは人間をバカにする」と言う意見を耳にしますが、今、この国をそれ以上の“バカの脅威”が襲いつつあることはあまり知られていません。日本の大人たちをジワジワとバカにさせる恐るべき怪物。その名は「パワポ」と言います。というわけで、本日もよろしくお願いします。

●ここ数年、企業の会議の場に出される資料が「文字だけの資料」から「パワーポイントを使った資料」に変わりつつあります。図やグラフが多用されたプレゼンテーション用の資料です。この種の資料を作るソフトはパワーポイント以外にもたくさんあるのですが、ここではひとまず“パワポ”と呼んでおきます。多くのオッサンたちは文字だけの資料を提出すると「こんなのはわかりにくい!もっと図とか使ってわかりやすいものでないと!」とか「ひと目で見て要点がわかるものを!」と怒り、その結果、パワポ資料の割合が少しずつ増えてきました。

●おかげで書店に行くと「プレゼンの方法」とか「パワポ資料はこう作れ!」などのマニュアル書が山のように並ぶようになりました。それらの書籍には「要点は簡潔に!」「図は大きく」「1枚の紙に掲載する要素は少なく」なんて標語がデカデカと飛んでいます。

●その結果、この国の企業で使われる会議資料はいつしか「絵」と「図」だらけになりました。文字は絵の隣に申し訳程度に並んでいるか、箇条書きのように短いセンテンスが並んでいるだけです。長い文章で概況を説明したり、業務で懸案に上がっている事項をコツコツと文書化したものはお目にかかる機会が減りました。先日、カフェで隣の席に座っていた会社員が読んでいた資料はパッと見では全てイラストでした。

●しかし、よく考えるまでもなくわかることなのですが、世の中の事象を何でもかんでも図とイラストだけで表現するのは無理があります。「とにかくわかりやすく!」「ひと目で見てわかるように」が実現できる事象だけであれば苦労しません。状況によっては事態は流動性が高く、複数の要因が錯綜しており、そもそも付与されている条件が多岐に渡っている場合があります。しかし、パワポ資料はそれらをすべて「絵」と「図」に還元します。正確には還元ではなく「絵になる程度に要素を切り捨て」ます。もちろん、要点を得ないだけのダラダラとした資料は困りものですが、延々と図だけが大きく掲載されたパワポ資料の山を眺め続けていると「この国の大人は文章を読解する能力が消滅してしまったのか?」と本気で心配になります。

●パワポは人をバカにします。「A4の紙1枚に全てをまとめる」というのは聞こえはいいですが、ある段階を越えると「A4の紙以上の情報はさばけない」人間を大量に生み出します。よく「パッと見てわかる資料じゃなきゃ」と部下を叱責する上司がいますが、実は単に上司がバカである可能性は捨てきれないと言っていいでしょう。ま、バカなのでバカにわかるように資料を作るしかなく、バカ用の資料に慣れてしまったバカはさらにバカが進み、いつしか資料を作っている人間もバカにとり憑かれてしまう・・・恐ろしい。本当に恐ろしい話です。

●パワポは携帯電話やインターネット、テレビ、コンピュータゲームなどと較べると、その危険性や影響があまり指摘されていません。しかし、これを読んでいる若い人たちに言いたい。あなたが考えている以上に日本の会社員はバカになりつつあります。あなたが学校で使っている教科書や、授業で書いたノートは日本の会社員には難解かもしれません。もっと図が多くて、もっと文字が少なくないと理解できないかもしれないのです。個人的には子供に「もっと本を読め!」と言う前に、大人のパワポ病を何とかした方がいいと思います。また、明日。

総会の正体

2008-06-24 00:39:45 | SP(Standard Program)
●週明けのお約束。眠くて眠くてしょうがないので今日は短めに。

●今朝、テレビを見ていたら某企業の株主総会の模様が放送されていて思わず「のっちだ!」と身を乗り出してしまったのですが、最近の株主総会は色んなことが行なわれているものなんですね。

●とは言うものの「じゃあ、ありがちな株主総会をお前は知っているのか?」と真顔で質問されたら、軽く答えにつまるのは本当のところでして、何となくイメージとして「株主が集まって、経営陣が業績を発表して、質疑応答があり、何らかの決議があるわけでしょ?」とは思っているものの、実際の現場がどうなっているのかは株主でなないとよくわからんわけです。株の売買を行なう人がここ数年で増え、同時に「会社は誰のものか?」という議論が盛んになるようになった結果、株主総会に出席する人の数は増えていると思われます。

●またネットなどに自社の株主総会の模様を細かくレポートする企業も増えてきました。法令を遵守して、社会に開かれた経営をしているとアピールしたいからでしょう。しかし、実際に行った印象とは異なっているはずで、何とかして一生に1回ぐらいは株主総会に行ってみたいものです。さすがにこのブログの読者に株主総会出席者はいないでしょうかね。もしいたら教えてください。もちろん、企業名は明かさなくていいです。

●じゃ、せっかくですから来月にリリースになる彼女たちの新曲を流しましょう。今日、解禁になったビデオだそうです。曲は相変わらずハイクオリティですが、今作は結構、勝負に出たという印象がありますね。ヤスタカ、明らかに1曲ずつ客を試しながら前へ進んでますね。これがどこかの段階で止まるのか、戻るのか、行き過ぎて爆発するか消えるのか・・・個人的には“売れている”という免罪符がある段階で行けるところまで行って欲しい気もしますが。ちなみにビデオは今までの中で最も良いと思います。


おまえはいまここにいる

2008-06-23 00:50:10 | SP(Standard Program)
●いくつになっても大人げのない人物は褒められたものではないでしょう。しかし、若い頃にやっていたことをすべて捨て去ることが大人になることだと言うヤツがいたら、俺が走っていって飛び蹴りしてやります。

●昨日、旧知の人々と本当に久しぶりに会いました。大学時代の知人ですので約10年ぶりでしょうか。実際は会う前は「会って何も話すことがなかったらどうしよう?」と軽く不安だったのですが、結局、夜から朝の9時まで延々と話をして帰ることに。それも明け方はファミレス。

●一晩中、あれこれと話をしながら、10年という時間の重さ/軽さを感じましたね。何だか状況があれこれと変わってしまっている人がいる一方で、我々は10年ぶりに会ったのに「ランボー4のスタローンが大変なことになっている!」なんて話をしているわけですよ。それ、最近の話じゃないか。と同時に、この10年、めげずにやって来て良かったと本気で思いました。また、自分が何故、この年齢になっていまだに独身なのかもハッキリとわかりました。軽くショックでした。

●人の歴史は爽快感のまったくないテトリスのようなものです。様々な形のパーツが次々と上から降りてきて、時々に嫌な隙間を作りながら積み重なっていきます。そして、幸か不幸か、このテトリスは列が揃ってもラインが消えません。ただただブロックが積み重なっていくだけです。ある年齢まで来ると「このラインは消えたんだ」と思い込もうとする人も出て来るわけですが、それは無理ってもんでして、今、落ちてきているブロックはこれまでに積みあがったブロックの上にしか積めません。ただ時間が経つと、当時は許せなかったブロックとブロックの間の妙な隙間が“単なるミス”からそれ以上の意味を帯びる瞬間があります。「あー、あの頃はまだヘタだったから」ではなく「この時はパーツの配置が悪かったかあ」でもなく「この妙な隙間の上に今のブロックが積まれている」と素直に思える瞬間があるはずです。とは言え、この瞬間も次々とブロックは上から落ちてきますから、長い時間、過去に積んだブロックを眺めている余裕はありません。今、この瞬間にブロックをキレイに積まないと後々、大変なことになりますしね。

●はい、ではこれからまた“今日”の作業に戻ります。何だかやることが山のように残っているのです。今日の曲は久々にこれにしましょう。環境の許す限り、大きな音で聴いてください。


すべての道はドンキに通じる

2008-06-20 01:43:30 | SP(Standard Program)
●少し前にある雑誌に「街頭の写真の広告をすべて消してみる」という実験が載っていました。東京・渋谷のハチ公口のスクランブル交差点の写真が見開きで掲載されていて、コンピュータで広告という広告が全て白く塗りつぶされている写真でした。立ち読みで見たものなので、ここに掲載できないのが残念なのですが、この光景が何ともマヌケで素晴らしいものだったのですよ。

●以前より、この欄では街頭広告について書いてきましたし、その種の本も紹介した記憶がありますが、最近思うことは「とりあえず東京の街頭広告について知りたければ歌舞伎町と秋葉原に行け」ということです。筆者は週末の夜中に歌舞伎町をぐるりと散歩することが多いのですが、あの街の看板は本当に独特です。あの街は気色の悪い“浄化作戦”とやらが進行中らしいのですが、それでも街にはいたるところにホストクラブの看板が並んでいます。店の顔となるお兄さんの写真がカタログ式に並べられた看板が山のように展示(?)されているのですが、これは一度見ておいた方がいいです。というのも最近、雑誌やWEBサイトなどを見ていると「これは歌舞伎町の看板だ」と思うことが増えたからです。その種のものを作っている人がホストの常連さんなのか、偶然にそうなったのか、何らかの集合意識が働いているのか知りませんが、今、日本の雑誌は圧倒的な速度で「歌舞伎町の看板」になりつつあります。

●一方で秋葉原は・・・絵です。イラストと女性アイドルさんの写真だらけです。これもギッシリと展示されています。筆者の秋葉原の行動範囲は駅から駅前の輸入DVD屋という極めて限られたエリアですが、時々、上野のあたりまで歩いて行こうと街を眺めてみると、建物のいたる場所にイラストか写真が掲示されています。そしてこれは言うまでもなく「歌舞伎町」と相似形を成しているのです。

●では銀座はどうか、青山や渋谷はどうかと申しますと・・・・・・基本的に同じです。歌舞伎町と秋葉原の原液を何倍かで薄めたものだと思ってください。街によっては2倍、ある街では5倍に薄めた感じになっています。カルピスと同じです。それぞれの好みで水を足しているに過ぎません。今日は眠く、これからDVDを観る予定なので間の説明を全部飛ばして次を言いますと、実は秋葉原と歌舞伎町を混ぜ合わせると・・・・・・ドンキホーテの店内になります。東京の表参道や銀座のあたりは外国のブランドショップがズラリと並んでいることで有名ですが、これも少し引いた位置から見るとドンキに見えます。本当です。関東圏にお住まいの方は是非、行ってみてください。ひとつひとつのビルは御洒落なのですが、引いて見るとドンキになります。

●何でこんなことを書いたかと言うと「個々の好みについて嗜好を凝らしてみても、トータルで見たら歌舞伎町の看板だった」とか「おしゃれなものを精査して買いそろえても並べてみたらドンキホーテだった」というようなことについて日本人は結構、無頓着なんじゃないかと思うことが増えてきたからです。ひとりひとりは純粋に顔のいい男だった。しかし、その人たちでグループを組むと何故か歌舞伎町の看板に見える。カルチャー方面にコダワリある人が好きなモノを揃えた。ひとつひとつにウンチクのある品ばかりが並んだ。なのにドンキホーテの店頭に見える。

●具体的な例をここで出すとモノが飛んできそうなので止めますが、いくつかのモノを並べた結果、予想もしなかった光景(そしてそれは驚くほど凡庸)が見えることって最近多い気がします。この話は突き詰めていくと「好き/嫌いと美学は別物」「センスとスタイルは別物」という話になるわけですが・・・・・・DVD観るので続きはまた今度。

分けれ分けれ

2008-06-19 01:12:43 | SP(Standard Program)
●昨日は帰宅するなり床で寝てしまい、気がついたら電気もつけっぱなしで何故か夜中3時に目覚め、記憶が曖昧なまま風呂に入り、そのまままた眠りにつき・・・朝。何だか家に帰った気がしませんでした。

●最近、暑い日が続いているせいかどうもパパッと食えるものに目がいってしまいます。店側もそんな客を当てこんでいるのか知りませんが「つけ麺」を出す店が増えているんですよね。世の中には「気がついた時には普及していた」というものが数多くありますが、日本人は一体、いつからこんなにも「つけ麺」を受け入れるようになったのでしょうか。

●御存知のない方に簡単に説明しておくと「つけ麺」は「ざるそば」のラーメン版だと思ってください。ちょっと違う気もしますがザックリした説明だとそういうことです。皿にゆでた中華麺が盛られており、それを濃いめのつゆにつけて食べます。現在では「つけ麺専門店」まで出来ています。発祥・発展の過程については誰か調べている人がいるはずですので、そちらをあたってください。

●「つけ麺」自体は前からあったものですが、ここ数年、急激にシェアを伸ばしている気がします。東京だけか?北の地方の方、南の地方の方、いかがでしょうか?何にせよ、ざる蕎麦と同じで(だと思う。筆者は、ざる蕎麦は食べたことがないので、あくまで想像ですけど)ツルツルと食えるのが受けているのだと思われます。夏場に食う気がしない時にこの種のものなら食えるという人も出て来るでしょう。

●というわけで、そろそろ「インスタントつけ麺」が発売されるのではないでしょうか。スープと麺を別々に調理することに関しては若干ハードルを感じますが、半生めん、やきソバ、アルキメンデス、パスタなど(何かひとつ妙なのが混ざりましたが忘れてください)様々な麺類をインスタントにしてきた業界ですから「つけ麺」のインスタント化も遠くないと思われます。

●で、今日のビデオですが、3曲紹介されますが最初の2曲は早送りして良し。3曲目が本当に素晴らしいのです。ビデオを見てもらえればわかりますが、今日の記事は単にこのビデオを見せたかっただけです。携帯で御覧の方も帰宅して是非どうぞ。