333ノテッペンカラトビウツレ

 奇跡は 誰にでも 一度おきる だが おきたことには 誰も気がつかない

おまえはいまここにいる

2008-06-23 00:50:10 | SP(Standard Program)
●いくつになっても大人げのない人物は褒められたものではないでしょう。しかし、若い頃にやっていたことをすべて捨て去ることが大人になることだと言うヤツがいたら、俺が走っていって飛び蹴りしてやります。

●昨日、旧知の人々と本当に久しぶりに会いました。大学時代の知人ですので約10年ぶりでしょうか。実際は会う前は「会って何も話すことがなかったらどうしよう?」と軽く不安だったのですが、結局、夜から朝の9時まで延々と話をして帰ることに。それも明け方はファミレス。

●一晩中、あれこれと話をしながら、10年という時間の重さ/軽さを感じましたね。何だか状況があれこれと変わってしまっている人がいる一方で、我々は10年ぶりに会ったのに「ランボー4のスタローンが大変なことになっている!」なんて話をしているわけですよ。それ、最近の話じゃないか。と同時に、この10年、めげずにやって来て良かったと本気で思いました。また、自分が何故、この年齢になっていまだに独身なのかもハッキリとわかりました。軽くショックでした。

●人の歴史は爽快感のまったくないテトリスのようなものです。様々な形のパーツが次々と上から降りてきて、時々に嫌な隙間を作りながら積み重なっていきます。そして、幸か不幸か、このテトリスは列が揃ってもラインが消えません。ただただブロックが積み重なっていくだけです。ある年齢まで来ると「このラインは消えたんだ」と思い込もうとする人も出て来るわけですが、それは無理ってもんでして、今、落ちてきているブロックはこれまでに積みあがったブロックの上にしか積めません。ただ時間が経つと、当時は許せなかったブロックとブロックの間の妙な隙間が“単なるミス”からそれ以上の意味を帯びる瞬間があります。「あー、あの頃はまだヘタだったから」ではなく「この時はパーツの配置が悪かったかあ」でもなく「この妙な隙間の上に今のブロックが積まれている」と素直に思える瞬間があるはずです。とは言え、この瞬間も次々とブロックは上から落ちてきますから、長い時間、過去に積んだブロックを眺めている余裕はありません。今、この瞬間にブロックをキレイに積まないと後々、大変なことになりますしね。

●はい、ではこれからまた“今日”の作業に戻ります。何だかやることが山のように残っているのです。今日の曲は久々にこれにしましょう。環境の許す限り、大きな音で聴いてください。


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