右はバダジェフスカの石像 (ワルシャワ)
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07年12月11日投稿分 __ あの作曲家の CD 集が出たの?
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「ロシア美人ピアニストが弾く『乙女の祈り』がブーム」(12月7日 夕刊フジ) __※追加1へ続く
ウィキペディアから … テクラ・バダジェフスカ (Tekla BAdarzewska-Baranowska) は、ポーランド出身の女性で、作曲家でありピアニストである。 生年を1834年とする説と1838年とする説がある。 ポーランド語に近い表記はボンダジェフスカである。 また、バダルジェフスカと表記されることもある。
18歳の時に作曲した『乙女の祈り (仏語:La priere d’une vierge)』がパリの音楽ニュース雑誌に掲載され、世界中で有名になった。 そのほか小品を35曲ほど作曲したのち、1861年に夭折したが、現在では『乙女の祈り』以外はほとんど知られていない。 その他の曲に『ピアノのための華麗な小品 かなえられた祈り~乙女の祈りへの答え (La priere exaucee)』などがある。
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ウィキペディアから … バガテル『エリーゼのために 作品番号 WoO 59』(独 : Fuer Elise) は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの作曲した、よく知られたピアノ曲である。 1808年作曲、イ短調。 ロンド形式。
「エリーゼのために」は、本来「テレーゼ (Telise) のために」という曲名だったが、悪筆で解読不可能など何らかの原因で「エリーゼ (Elise)」となったという説が有力である。 テレーゼ・マルファッティはかつてベートーベンが愛した女性であり、本曲の原稿は彼女の書類から発見された。
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「乙女の祈り」や「エリーゼのために」はピアノ初心者向けの曲として知られ、ピアノ大家が取り上げることは殆どありません。 ですから、 「乙女の祈り」を録音してくれとプロのピアニストに持ちかけても、殆ど断られてしまうのがオチではないかと想像します。
ベートーヴェンも曲を女性に渡して忘れてしまったのか、WoO は作品番号無しという意味ですから、作曲したことも忘れてしまったのでしょう。 何しろ、彼の頭の中には膨大な曲のタマゴが渦巻いていたでしょうからね。
でも そんな曲が発見され、今日でも演奏され続けているのですから、多くの愛好者にはこれらの二曲は忘れられないのでしょうね __ そう「ネコ踏んじゃった」も忘れようとしても忘れられません。
以上
以下は興味ある人のみ お読み下さい。
※追加1_ ピアノの初心者にとって「乙女の祈り」は、弾けるようになりたいあこがれの曲の一つで、聴く者にも心地よい。 ところがポーランド人の女流作曲家、テクラ・バダジェフスカ (1834-1861) は27歳で夭折し、その名前や他の作品にスポットが当たることはめったにない。
この幻の作曲家の小品17曲を世界で初めて収録した「かなえられた乙女の祈り~バダジェフスカ作品集」が、10月24日の発売以来、週に数千枚売れる静かなブームとなっている。 奏でるのはロシアの美少女ピアニスト、ユリヤ・チャプリーナ (20)。 本作で CD デビューを飾った。
「このように日本で興味を持ってもらえてうれしい」と大きな瞳をクルクル。 身長177センチ、くり色のセミロングヘア … とモデル並みの容姿を持ち「ジャケット写真を見て CD を買う方もいる」(発売元のキング担当者)。 ユリヤは6歳でピアノを始めショパンコンクールに9歳で出場。欧州で数々のコンクールに入賞を続ける早熟娘は「昨年からベルリンで一人暮らしを始めて、子どもたちにピアノを教えています」と微笑んだ。
CD の仕掛け人、宮山幸久プロデューサー (47) は、レコード会社に入社する前、大学時代にポーランドを旅してバダジェフスカの魅力に取り憑かれた。「17歳のときに作曲したのが『乙女の祈り』。 ほかにも曲を書いたはずなのに、楽譜が日本のどこにもない」とロシア人の妻に助けてもらいながら、モスクワやロンドンの図書館を訪ね歩いた。
「楽譜が見つかってからは、その感性に合うピアニストを探すのに10年以上かかりました」と話す。
バダジェフスカはクラシック界の “一発屋” と思われがちだが、アルバムに耳を傾けると「乙女の祈り」以外にも、続編の「乙女の感謝」や「第2の乙女の祈り」「母の祈り」など天性のメロディーメーカーだったことがよく分かる。 粋なクリスマスプレゼントにも。
以上