業界誌の『レコード芸術』が今年春に廃刊となりました。 6月25日にも この件についてブログに書いたのですが、ふと 寄稿していた評論家諸氏はどうしているのかと考えてしまいました。
今どき クラシック音楽の評論が求められている場があるのだろうか、つまり需要がどこかということです。 クラシック音楽の愛好家は少ないといっても、一定数は存在します。 けれど その少ない愛好家を相手に評論を書いても、今は経済的に成り立たないと想像します (だから廃刊となったのです)。
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半世紀前にはインターネットもなく、曲そのものを知らない愛好家が多く、調べるには図書館に行って探すなどして手間が掛かったものです。 それを業界誌で、評論家が曲を簡単に紹介しながら、批評判断する材料を書いてくれたので、愛好家はそれを頼りにレコードを購入していたものです。
私の父の場合ですが、ブルックナーの交響曲4番の演奏会に行く前に どんな曲かを事前に調べたかったらしく、わざわざレコードを1枚買ってきて聴いてから行っていたのを記憶しています。
ネット時代の今は、ウィキペディアなどで簡単に曲を調べられ、しかも YouTube などで どんな曲かも簡単に聴ける時代です。 興味ある演奏の CD なら買ってみて自分の耳で確認すればいいのです。 そこにレコ芸などの案内本は必要とされていません。
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すると 筆の立つ評論家は、レコ芸などの業界誌に寄稿する代わりに自分の得意なジャンルについての CD 入門書や、専門書などへの執筆が向いているのだろうと推理しました。
巷に溢れるクラシック CD のどれを買ったらいいか 迷っている愛好家は多いと思います。 そうした人たちにガイド本を提供するのも重要な役割です。
ただ 楽譜を載せるなど あまりに楽典に傾きすぎると、一般愛好家は選んでくれず、ほどほどの一般向きにしないと売れ行きが良くないそうで、この辺りの “さじ加減“ が難しいですね。
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私は『カラヤン大全集』を保有してるので、ベートーヴェン交響曲全集が3組、ブラームス交響曲全集やチャイコ4〜6番も3組入っており、どれを聴いても違いがよく判りません。
それらについて評論家諸氏はどう書いていたかと思い出すと __ 色々ともっともらしい文章を並べ、それらしい内容だったようですが、読み終わって 思い出せるものが記憶に全く残っていません。
納得したのは、ベルリン・フィル団員のいっていた言葉です __「どれも演奏そのものは同じだよ。 変わったのは録音技術が良くなったことだ」
“腑に落ちた“ というか “我が意を得たり“ とはこのことだ、と思ったものでした。 それが解っていた (?) カラヤンは、10年毎に同じ曲を録音し続け 我々ファンは評論家の寄稿を読んではせっせと買い足していたんですね。
さすがに私も3度目は素直になれず、買いませんでした。 しかし やっぱり『カラヤン大全集』を買ったのは、カラヤンというビッグ・ネームの魔力には勝てなかったんですね。 でも 明らかにレコード会社の要望で (名前貸しで?) 録音したようなものもありました __『ジゼル』『シューマン交響曲1〜3番』『メンデルスゾーン交響曲1・2・5番』『チャイコ交響曲1〜3番』などです。
今日はここまでです。