goo blog サービス終了のお知らせ 

シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

今年も良かったアマオケ・コンサート

2013年12月30日 | 音楽界よもやま話
写真は、ヴァトナヨークトル氷河の洞窟 (アイスランド)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
桜美林大学オーケストラ 定期演奏会__序曲「エグモント」(ベートーヴェン)・スラヴ舞曲第1集 (作品46) より6番4番3番 (ドヴォルザーク)・交響曲第2番 (ブラームス)__12月27日 町田市民ホールにて
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
去年も行った大学オーケストラの無料コンサート。 ブラ2は何度もアマオケで聴いたから、期待はエグモントだった。 ところが 当日は小雨模様でジトジトした天気で、ちょっと行く気が失せたのだが … やっぱり行った。

開場前にロビーというか待合室で腰掛けて時間を潰していたら、同年輩かもう少しお年を召した男性がリュックサックを背負って入ってきて、隣に腰を下ろした。 こちらも暇つぶしにチラチラとその男性を見ていると、リュックサックからペットボトルの飲み物とセンベイ、図書館から借りたらしい新書っぽい手の大きさくらいの本を取り出して前のテーブルに置く。 ゆっくりゆっくりそれらを消化し、ゆっくり本を読む__なにかしら 時間がゆったりと過ぎていくのを感じる。 この男性にとっては今日の暇つぶしの1つなのかも。
……………………………………………………
開場時間を過ぎたので、2階ロビーに上がって 聴衆がパンフレットを取る行列が無くなるのを離れた所から 眺めて待つ。 どうもお年寄りが多いようだ。 中には 歩行が自由にできないのか、足がおぼつかなくてパンフレットを渡す受付の前を受け取らずに通り過ぎる男性もいる。 後ろの連れ合いらしい女性が受け取って渡すと、そのままひょこひょこと会場に入っていった。 無料コンサートは (お年寄りに娯楽を提供する) 福祉事業という側面もあるのかなあ。
……………………………………………………
まず 序曲「エグモント」が始まる。 全体的に音の分離が悪く 混濁して聴こえる。 楽器の鳴りがまだ悪いのか雨のせいか、音が重い感じだ。 トロンボーンなどの管楽器のメロディが普段聴き慣れたメロディと少し違うようだった。 まだ楽団全体が演奏に乗ってないのかと思った。

続いて スラヴ舞曲となるが、その最初の2曲は馴染みが薄く、眠くなってウトウトしてしまった。 3曲目は聴いたことのある曲だったので眼が醒めた。 全体として これらのスラヴ舞曲は無料コンサート向けのプログラムには向いていないのでは?と思った。 その後の休憩中 前の席にいた若い男性とその子ども達数人がいなくなっていた。 恐らく (スラヴ舞曲が) あんまり面白くないと思って帰ってしまったのだろう。
……………………………………………………
さて休憩後 メインプロのブラ2となった。 交響曲第2番 ニ長調は、20年も温めて作曲した交響曲第1番 ハ短調の成功を受けて気を良くしたブラームスが翌年に 数ヶ月で書き上げてしまった 明るい曲だ。 アマオケには演奏し易いのか もう何度もアマオケコンサートで聴いた曲だ。

第2楽章ではホルンが活躍するが、若い女性のホルン奏者が朗々と鳴り響かせていて良かった。 演奏後の花束を受け取った指揮者は、それをこの奏者に渡したのも納得の演奏だったと思う。

それと気が付いたことには、ブラームスの曲は曲中でオーケストラが一瞬 演奏を停止した直後、”フワッ” と楽器が鳴り始めるような箇所が多いのだが、オケ全体がぴったり揃って演奏を停止しないと__要するに休止がバラバラだとホールに静寂が訪れず、コチャコチャと何かの楽器が鳴り終わらない中で 次の楽曲が始まり、この “フワッ” 感が出てこない。 まあ これを学生アマオケに求めるのは無理だろうと思ったが、少し物足りなさも感じた。

それと 管楽器のダイナミックスの幅が狭く、どうしてもpやppなどの弱音でもノーマルな音量が出てしまい、”強弱” ではない “強強” ばかりの演奏になりがちの場面が多かったように感じたが、これも学生アマオケにそこまで求めるのは無理だろうと思った。

4楽章コーダ (最後の部分) は高揚感があって盛り上がった演奏になった。 拍手も盛大に興ったから 多くの聴衆が満足したことだろう。 お疲れサマ。 聴衆は昨年と同じ 150人位。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
ウィキペディアから__ 交響曲第2番 ニ長調 作品73 (Symphonie Nr. 2, D-Dur op.73) は、1877年に作曲された。 緊密な構築性や劇的な性格が前面に打ち出された第1交響曲に対して、これとは対照的に伸びやかで快活な雰囲気を示す。 第1交響曲という難産を果たしたブラームスの、当時のリラックスした気分が反映されているとも考えられている。

同時に、よどみなく流れる曲想のように見えながら、構成的にも統一が見られ、音楽の表情は単純でない。 第1楽章の牧歌的な響きから、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」にたとえられ、「ブラームスの『田園』交響曲」と呼ばれることもある。

作曲の経緯など__ 1877年6月、ブラームスは南オーストリアのケルンテン地方、ヴェルター湖畔にあるペルチャッハに避暑のため滞在、第2交響曲に着手し、9月にはほぼ完成した。 10月にバーデン・バーデン近郊のリヒテンタールに移り、そこで全曲を書き上げている。 4ヶ月間の作曲期間は、第1交響曲の推敲を重ねて20年あまりを要したのと対照的だが、第1交響曲の作曲中にも準備が進められていたという説もある。

ブラームスは、ペルチャッハから批評家エドゥアルト・ハンスリックに宛てた手紙に「ヴェルター湖畔の地にはメロディがたくさん飛び交っているので、それを踏みつぶしてしまわないよう、とあなたはいわれることでしょう」と書き送っている。

その後 ブラームスは2年間続けてペルチャッハで夏を過ごし、この地でヴァイオリン協奏曲やヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」などが生み出された。 ブラームスの親友のひとりである外科医のテオドール・ビルロートは、第2交響曲に接して「ペルチャッハはどんなに美しいところなのだろう」と語ったとされる。

初演__ 1877年12月30日 ハンス・リヒター指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演された。 この初演は大成功で、第3楽章がアンコールされた。 翌年9月にブラームスは故郷のハンブルクに招かれ、自身の指揮によって再演を果たしている。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

以上

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。