シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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95年ピークを越えられない DRAM 市場

2008年09月19日 | 電子産業は花形?
栄枯盛衰は半導体業界の常ですが、DRAM はその中でも更に単価変動の振幅が激しい市場で、別名ジェットコースターともいわれます。 最近 また下がったと報道されていますね。
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「半導体に見る日本メーカーの凋落~電子産業史」(1992年 安保秀雄 / 日経エレク) _ 1992年,DRAM 市場と半導体市場で日本のメーカーがそれぞれシェア1位から転落した。
 
日本の電子産業の勢いがなくなったのはいつからだろうか。 半導体産業で見ると92年が大きな転機だったことが分かる。 日本の牙城といわれた DRAM における日本メーカーの凋落と韓国メーカーへの主役交代__これが明確になったのが,韓国 Samsung Electronics が市場シェア・トップに立った92年である (※追加1へ続く)。
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元々 DRAM は米インテル社が開発した。 そこに日米の多くのメーカーが参入し、市場を奪っていったのは日本のメーカーだった。

DRAM 市場のピークは95年だった。 この時期、PC メーカーは PC を出荷したくても、 メインの 4Mb DRAM がないと出荷も出来ず、DRAM メーカーの出荷頼みの状態が続いた。 正に DRAMメーカー様々だった。

更にいえば、90年頃 最先端の 1Mb DRAM のトップメーカーは東芝で、半導体事業を率いていた川西副社長は、その大成功で業界では「背中に1万円札を張った男」と呼ばれた。

状況が変わったのは、95年秋だった。 当時の最先端 16Mb DRAM が値下がりし始め、底を打って反発することなく値下がりを続け、最後は@60セントにまで下がり、次の世代の 64Mb DRAM に席を譲った。

理由は単純で、90年代前半に積極的な設備投資を続けてきた韓国メーカーに単価で太刀打ちできなかったのだ。 80年代後半の日本メーカーが米国メーカーを引き離したのと同じ構図だった。

この痛手で、90年代後半 日本メーカーは設備投資を大きく減らし、再浮上することはなかった。 結果は、日本の全ての DRAM メーカーを1社に集約したエルピーダ社に託することになる__正確には、DRAM から撤退したメーカーもあるが、結果的に今はエルピーダしか残っていない。
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16Mb DRAM の急落を促した要因の一つに、こういう噂がある__インテル社が「まだまだ DRAM が不足している。 当社の計算ではこれこれの製造能力の DRAM 工場がこれだけ必要だ」と、DRAM 業界の大増産を促したのだ。

「あのインテルがいってることだから」と日韓メーカーは一斉に設備投資を増強した。 結果は、それほど需要が盛り上がらなかったのか、供給が多過ぎたのか、どちらもその要因だろう。 要するに供給量に相当する需要量がなかったから、暴落したのだ。
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世界の半導体市場の出荷額を集計してきた WSTS (世界半導体統計) という機関がある。 ここが発表する品目ごとの出荷額をみると、DRAM のピークは95年で $40.8B (前年比 74% 増)、全半導体出荷 $144.4B (前年比 41% 増) の3割にも達した。 当然 DRAM メーカーは空前の活況を呈し、設備競争に走ったのは前述の通り。

以後 今に至るまで、その出荷額を越えたことはない。  翌96年 全半導体は1割減っただけだが、 DRAM 出荷額は4割減り、DRAM 不況が始まった。
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以後、不況期にも投資を続行した Samsung 電子が DRAM 市場のトップを維持し続ける。 日本の DRAM メーカーは、空前の業績に酔ってしまい、冷めた時 (不況期) に次世代のための設備投資をすべきところを絞ってしまったのが再浮上できなかった最大の理由だ。

分かっていても、後述記事にあるように不況期に、経理担当役員が投資を認めなかったのだ__「利益がないのになぜ投資するのか」__これには誰も反論できなかっただろう。

反論させなかったのが Samsung で、実力会長イ・ゴンヒ (08年4月辞任) が会社を牛耳っていたからだ。 日本の DRAM メーカーは、全て目先の業績を追いかけるサラリーマン社長ばかりだった。 数年で退任するのに、在任中の業績を過大な設備投資で悪化させたくないという人種ばかりだったのだろう。

Samsung 電子の近年の業績は、常に純利率 10% 以上で、特に04年は売上 $55.2B、純利 $10.3B と 20% に迫るほどの好業績で、勝ち組トップといわれた。

以上


※追加1_ 80年代に日本の DRAM メーカーは品質を武器に着々と地歩を固め,世界のトップに躍り出た。 しかし05年の DRAM メーカーの売上高を見ると,Samsung Electronics ほか海外のメーカーが上位を占める (表1)。 日本メーカーはかろうじて第5位にエルピーダメモリが入っているだけだ。

92年は日本の DRAM メーカーにとって驚愕と失意の年だった。 バルセロナ・オリンピックが開かれたこの年は,それまでの経験則によると,いわゆる “シリコン・サイクル” のピークに当たっていた。 日本の半導体メーカーは莫大な利益を上げられると見込み,巨額の設備投資を行っていた。

ところがバブルが崩壊した92年の日本の半導体市場は,前年比 -10% 程度と大きく減少,DRAM も価格がどんどん下がった。 伸びると思っていたのに落ち込んだので,企業に与えたショックは大きかった。 日本メーカーは「出 (いずる) を制す」(大手 DRAM メーカー) 方針で投資を極力控えた。
 
Samsung はこのとき逆に重点投資を行い,当時の次世代製品 (16Mb DRAM) の開発で先行するとともに,Si ウエハーの大口径化などを進めコスト競争力をつけた。 ただ同社の戦略は突飛ではなく,セオリー通りだった。 ある国内中堅 DRAM メーカーの半導体担当役員は92年末に,「DRAM の勝ちパターンは分かっている。

製造装置が安くなり、競合他社の力が弱まる不況期にこそ投資することで収益を上げられる。 ユーザーにも製品を安定供給できる。シリコン・サイクルの波に翻弄されてはならず,逆に利用すればよい。 でも会社で実権を握る経営陣は,それを戦略と認めてくれない」と語っていた。
 
日本の DRAM メーカーは,どれも似たような状況にあったといえる。 ある総合電機メーカーの年末の記者懇親会では,役員の “序列” が話題になった。 半導体担当役員が壇上に呼ばれる順番が,シリコン・サイクルの山か谷か,すなわち事業収支によって大きく変わったからである。

投資を決める役員会での発言力も同様で,好調なときは過剰な設備投資に走り,不況になると予算縮小を余儀なくされていた。 そこには事業目線の戦略性は全くなく,「投資行動は勝ちパターンの逆,つまり負けパターンだったが,分かっていても打破できなかった」(前出の役員)。

なお,Samsung は NAND フラッシュでも,開発した東芝から技術供与を受けた後に積極的に投資し,DRAM と同様に世界ナンバー・ワンのシェアを獲得。 技術を与えた東芝は Samsung の後塵を拝している。

すなわち事業収支によって大きく変わったからである。 投資を決める役員会での発言力も同様で,好調なときは過剰な設備投資に走り,不況になると予算縮小を余儀なくされていた。 そこには事業目線の戦略性は全くなく,「投資行動は勝ちパターンの逆,つまり負けパターンだったが,分かっていても打破できなかった」(前出の役員)。

なお,Samsung は NAND フラッシュでも,開発した東芝から技術供与を受けた後に積極的に投資し,DRAM と同様に世界ナンバー・ワンのシェアを獲得。 技術を与えた東芝は Samsung の後塵を拝している。

● 市場をつくる企業が勝つ ●
半導体全体の売上高トップも,91年から92年にかけて NEC から Intel に変わった (表2)。 DRAM メーカーが DRAM 市場の拡大に能動的ではなかったのと違って,同社は自ら積極的に PC とマイクロプロセサの市場を広げていった。 当時 Intel は PCI バスや画像の圧縮・伸長,メモリ・カードのインタフェース,電話や無線,ケーブルテレビなどとのネットワーク接続といった規格の策定・標準化に積極的にかかわっていた。

これらの規格の策定作業には人手がかかるし,Intel が直接的な売り上げ増を見込めるわけでもない。 それでも積極的に標準化を進めたのは,PC の市場拡大を通してマイクロプロセサの販売を増やそうとしたからだ。
 
表2の05年のランキングを見ると,半導体メーカーの上位に Intel と Samsung 以下,欧米のメーカーが多数続く。 91年と比べると日本メーカーの衰退は見るに忍びないほどだ。 これはインターネット関連技術などが欧米から続々提案され,PC や携帯電話,テレビの伝送方式などの標準化で欧米企業が主導権を握ってきたためである。
 
半導体やエレクトロニクスの事業戦略を立てて素直に実行する,市場を広げられるような基盤をつくる__そのような信念と執念を持った欧米そして韓国企業が05年のトップ10に残っている。 今後,日本のどの企業がこのランキングの中に記載されることになるのだろうか。

以上

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