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シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

器用ではないが真っ直ぐな人生だった

2011年03月29日 | 分からな~い人生
上写真はオートレース、下はチンチロリン。
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先日 浜松市で営まれたお通夜に夫婦で行ってきました。 私が最初に入社した会社の直接の上司で、会社アパートでも上の階に住んでいた先輩 大貫さん (仮名) が、胃がんのため 亡くなりました。 まだ 63でした。 私の妻も入社して配属された最初の部署で一緒だった人です。

今どき胃がんで?と不思議に思い、聞くと定期検診を受けていなかったそうです。 1年前から発病して、あと半年といわれ 入退院を繰り返していたそうです。 ご両親は90前後で健在ですから、息子さんに先立たれてしまったわけですね。

抗がん治療を受けていたのでしょう、祭壇にあるお棺の中のお顔を見ると、頭髪が殆ど抜けて ふっくらしていた顔がげっそりとやせ細っていました。 けれど、お顔は死化粧を施されて 安らかな表情になっていました。

入社後の最初の3年ほど お付き合いしましたが、急に退職されて、その後 ここ十年ほどは会社の同窓会でお会いするのみでした。 その同窓会の度毎に、浜松から新幹線で上京して出席していたのですね。 最後は数年前での同窓会でしたが、普段と変わらず 元気でした。

入社当時 お互い独身の気安さからか、その方の部屋での飲み会に何度か誘われ、また酔いつぶれた会社同僚をよく泊めていたようです。 大阪から出張してきた同僚などは、ホテル代が浮くと その部屋によく泊らせてもらっていたようでした。

また 私よりは年の近い独身の社内の友達3人でよく遊び歩いていたようです。 この1年はそのうちの1人 中神さん (仮名) が、時間に余裕があったのか 身の回りの世話をやいて、看病していたそうです。

亡くなったこの先輩 大貫さんの趣味は、部屋飲み会でオートレースと聞き、最初なんのことか分からず、「競艇のことですか?」といったら、「ばかいっちゃいけない。 お前 オートレースを知らんのか? オートバイレースのことだ。 コーナーを回るときに、オートバイ下の鉄板がアスファルトと擦れて火花がバチバチ上がるんだが、それもカッコイイんだゾ」と、業界新聞を見せられ それで生まれて初めてオートバイを使った公認の賭けレースがあることを知りました。 でも、話しを聞いて私は全く興味が湧かなかったですね。 何人かの後輩はそのヒトに連れられてレース場まで行ったらしいですが …
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飲み会では普通ツヤっぽい話しが出がちになるものですが、この先輩は元がエンジニアだったせいか 全くそういう話しをせず、下ネタにも流れることもなかったですね。 集まる他の人たちも、そういう話しには入らないヒトが多かったように思います。

また 同期入社の中神さんが、悪い遊びをここで披露しました。 どんぶりにサイコロ2つ放り込んで そのサイの目で賭けをするのです __ 名前は「チンチロリン」です。 音から名前付けされたものでしょう。 中神さん の前職の運転手仲間で流行っていたらしいです。
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ウィキペディアから __ チンチロリンは日本における大衆的な博戯 (ギャンブル・ゲーム) の一種である (※追加1へ)。
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勝負の決着が早いのが特徴で、これで千円 二千円と負け続けると、負けがどんどん増えていき、負けが込んだヒトは早晩 賭けから手を引いてしまい、最後まで賭けに参加するのは大金を持ったヒト同士 (大負けか大勝ち同士) になります。

だが この勝負は時間制限をしないと朝まで続くのが欠点と、負けた人が次に倍の掛け金を賭けると取り返せる可能性が高いという欠点がありました。 私は賭けにのめり込む性格ではないので、早々に止めましたけどね。 先輩の大貫さんは「中神さんは悪い遊びを持ち込んだもんだよ。 オレの部屋が鉄火場になっちまった」と冗談で (本気で?) 嘆いていました。

時々 深夜にアパートの上の階から "チリリ~ン" という音が聞こえてくるので、ああ また鉄火場が開かれてるのかと分かりましたね。 部屋のしきりの床板の上が安定して丼を置けるので、よく響くんです。
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大貫さんは なぜ辞めるのかはっきりいいませんでしたが、他の営業の1人 太田さん (仮名) と同時に退職したこともあり、 太田さんの顧客 (大会社) と会社の関係で何か問題が発生し、その処理を巡って理不尽な形で会社側が折れたのを抗議しての退職ではないかと想像しています。 大貫さんと太田さんがその後 同じ会社に合流したとは聞きませんので、余計にその感を強くしました。

その後ほどなく 中神さんも退職、「お兄さんの経営する会社で専務となる」という話しでしたが、今回のお通夜で聞いたところ、そこも辞めてしまったそうです (どの位の期間 勤めたのかは不明ですが)。

十数年前に故郷の浜松に戻った大貫さんは、会社を設立、2人の若い男性を雇ってエンジニアリング関係の仕事をしていたらしいです。 中神さんの話しでは、仕事が有る無しに関わらず、社員の2人には生活があるといって きっちりと給料を支払っていたそうで、そこにも大貫さんの人生哲学を感じました。 こういっては失礼かも知れませんが、"器用とはいえなくとも 真っ直ぐに生きたヒト" だと思います。
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大貫さんは独身を通しましたが、結婚する気はあったようです。 好みのタイプがどんなかは遂に明かしませんでしたが、母親が気丈な性格だったようで、それが女性を見る眼に影響していたのかも知れません。

それがどう影響したのか分かりませんが、「女めらが~」と笑いながら 酒の席で何か冗談をいっていたのを覚えています。 私の妻は、「この会社の採用担当者は審美眼がない」と酒の席で冗談でいうのを聞いたそうで、大貫さんのことを持ち出すと いまだに必ずこのことをいうので、女性の "執念深さ" を感じますね。

お通夜に来ていた ある元同僚が (私たち夫婦にちらっと "視線" を走らせて) いうには、「誰かはいわないけど 妻の知り合いを一度紹介したことがあるんだが、"オレを馬鹿にするな" といわれて断られちまった。 大貫さん そんなことをいってるトシじゃないだろうといったんだが …」ということは、私と妻も知っている女性だったのでしょう (私もこの同僚も同じ会社の社内結婚です)。 また 大貫さんの理想は、(美貌か知性かは不明ですが) 高いレベルの女性だったのも想像できます。
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今月 知り合いの葬式話しは2つ目です。 1つは先月 脳梗塞で入院、震災前の3月10日に亡くなったという、自宅近くの知り合いの奥様のお父さんで、92で大往生。「長引かず、震災前に亡くなり、遺産も少し残してくれたので子供孝行でした」と奥様が半分冗談でいってました。 独りで住んでいた都区内のご自宅は、おいおいゆっくりと処分されるそうです。

年を取ると、知り合いが段々と鬼籍に入り サミシイものですが、"これが人生" というものかも知れませんね。

今日はここまでです。


※追加1_ 数人程度 (理論上は2人以上何人でも) が通常は車座になって、サイコロ3個と丼 (ないし茶碗) を用いて行う。 名称はサイコロが丼に投じられたときに生じる音を擬したもので、「チンチロ」と省略されることや「チンコロ」と呼ばれることもある。

子は場に「コマ」(カジノでのチップに相当する、木札や碁石などの金銭代替物や、実際には金銭そのもの) を「張る」(その回の賭け金額の単位として提示する)。 親からサイコロを丼に投じていき、勝敗に応じて配当が親と子との間でやり取りされる (子同士の間でのやり取りは無い)。

道具立てもさして必要としないうえ、胴元が固定しているのではなく親の権利が順番に回って来る「廻り胴 (回り胴)」であり、日本の伝統的サイコロ賭博である丁半のように賭場の開帳に暴力団が関与してその資金源となることもなく、仲間内で遊ばれることが通常だと考えられる。 日本で生まれた遊びと思われることが多いものの、民俗学での報告によれば中国伝来のもので (火野葦平の『麦と兵隊』でも現在のチンチロリンの前身と思われる賭博について触れられている)、第二次大戦後に日本国内に広く普及した模様である。

以上

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