シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

ワーグナー唯一の喜劇

2013年05月12日 | ワグナー聞き比べ
中央下写真はレヴァイン盤 DVD から (左からマッティラ、モリス、ヘプナー)。 後ろに黒人の顔が見えるのがいかにもメトらしい。 中央上はサヴァリッシュ EMI 盤。
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ショルティ2度目の録音「マイスタージンガー」CD 音源 (冒頭左上) を iPod に転送して、就寝前に寝転がって本を読みながら気楽に聴いていますが、いい演奏です (まだ1幕のみだが それでも 80分もある)。 録音は95年という ショルティが亡くなる2年前で83歳の指揮で、立派な演奏で録音もいい。

時々 歌っている内容を確かめたくて解説書を読むが、CD 添付のはごく簡単に書いてあるので (それでも 390ページもある)、どうしてもよく分からず、昔 購入したカラヤン指揮ドレスデン国立管のレコード (70年 EMI 右上下) に添付していた日本語解説書を引っ張り出してきて読むはめになります __ 逆に細かすぎて、端折りながら読むのですが。

昔のレコードは、ほぼ1枚 2,000円 でしたから ワーグナーものは1作品 8,000円~1万円 もしました。 だから解説書にもコストをかけることができ、内容豊富、写真満載となり、読み応えがありました。

今の CD はそんなに高価でありませんから、解説書にコストをかけることができず、すると 内容もそれなりのものになります。 それは経済原則だから、どうすることもできません。
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90年代に引っ越し公演で来日した 独バイエルン国立歌劇場による「マイスタージンガー」公演の裏方事情をテレビ番組特集で放映、それが YouTube に投稿してあったので見てみました。 総勢 400人強が来日していたとあります。

オーケストラ、合唱団それぞれ 100名として計 200名なら、ソリストなどを除いて 残り百数十名は裏方などの関係者になります。 膨大な人数です。 このオペラは規模が大きいから、それだけの人が必要なのでしょう。

複数の副指揮者、舞台監督などが動き回っている様子が映っていました。 総指揮のサヴァリッシュのことは全く出てきません。 主な歌手は、コロ、ポップ、ヴァイケル、プライなど。
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ショルティの「マイスタージンガー」録音は、演奏会形式のライブ録音です。 5日間演奏して、そのベストを編集したものでしょう。 ここでも複数の副指揮者や合唱指揮者が歌手たちや合唱団と曲を練り上げ、管弦楽を下ごしらえしてまとめ上げ、最後に83歳のショルティがゲネプロで仕上げたものと想像します。 5日間の演奏会で元が取れたかどうか? チケットが幾らだったか想像もできませんが、ある程度高くても この内容では納得の演奏会だったのではないでしょうか?

(準) 主役のヴァルターはヘプナーですが、この人はこのショルティ盤 (DECCA)、サヴァリッシュ盤 (94年 EMI)、レヴァイン盤 (2001年 DG DVD) でも出演しているから当たり役なんでしょう。 ヒロインのエヴァはショルティ盤でもレヴァイン盤でもマッティラで、叙情的な歌唱が素晴らしい。 主役のザックスはヴァン・ダム。

CD にあるショルティの序文を読むと、「最初のこのオペラの録音は20年以上も前だ。 劇場で指揮したのも25年以上も前だ。 しかし 数年前 ポーグナーの最初のモノローグをラジオで聴いて感動した。 そして何年もこのオペラに恋いこがれた」とあります。 彼は91年に22年間 常任指揮者をしていたシカゴ響を降りていたから、そこでの演奏会形式の公演にはある程度の準備が必要だったのでしょう。
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私は、(ショルティが序文で指摘した) 金細工師ポーグナーの1幕3場の歌唱よりは、その後のパン屋コートナーの歌唱のほうが好きです。 コートナーが楽節の終わり毎に歌った旋律を 管弦楽が後追いでまねるのが面白い。 また 冒頭で有名な序曲のあと、騎士ヴァルターがエヴァに語りかける言葉が初々しい__「Fräulein! お嬢さん! Sagt _ seid Ihr schon Braut? いって下さい __ 婚約しているのですか?」

これを聴いて、ドミンゴがこの曲を録音するときにベルリンでホテルのメイドを相手に、「Fräulein! メイドさん!」といってドイツ語を練習したというエピソードを思い出しました (ドイツではウェイトレスにもメイドにも Fräulein と呼びかけますから)。 この録音は76年のヨッフム指揮フィッシャー・ディースカウ、リゲンツァ他の DG 盤 (冒頭左下)。

さて 2幕 (60分)、3幕 (120分) も長い。 じっくりと取り組んで聴くとしよう。 下記ブログは、カラヤンのマイスタージンガー録音についてのエピソードが面白いので載せました。 読んで、そういえば彼はワーグナーのオペラ録音は、これを除いて全てベルリン・フィルでした。 当時は マエストロもそれなりに楽団に気を使っていたんですね。
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「ピーター・アンドリー #録音スタジオの内側 #マイスタージンガー から」(3月14日 カラヤン/シュターツカペレ・ドレスデンのマイスタージンガーは素晴らしいの巻/If you must die, die well みっちのブログ) _ ※追加1へ
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以上


※追加1_ いやあ、カラヤン/シュターツカペレ・ドレスデンのマイスタージンガーである。 今の今まで聴いていなかったのが本当に残念。 文句なくみっちのベストワンである。 素晴らしい音楽! 陶酔陶酔! 3幕の長大なオペラがほんの一瞬で終わる気がする。 時間の経つのが早い。(汗) それにまた録音が素晴らしくクリアーである。 以上終わり。(笑)

それだけじゃつまらないから、色々詮索してみる。(笑) 昨日紹介した、ピーター・アンドリーの『録音スタジオの内側』に、この録音の話も載っているのだ。『6章ヘルベルト・フォン・カラヤン』中の一エピソードである。

今回はちょっと長いので全訳は勘弁して頂いて、要点のみを箇条書きする。

1. 当時 EMI はマイスタージンガーのステレオを欲していた。 ケンペの1956年モノ録音以来録音していなかったので。

2. カラヤンはドレスデンで演奏することで、ベルリンフィルとの軋轢が起きることを心配していた。

3. 1969年6月になっても、カラヤンは決めかねていた。 そこへ 東ドイツのパートナーからアンドリーに電話が入る。『ヘル・アンドリー』と声。

『マイスタージンガー・プロジェクトは中止です。 我々はヘル・カラヤンをもう待っておれません。 ヘル・プロフェッサー・ベームは、代わりにオペラの指揮と録音をすることに同意されました。 大変申し訳ない』

アンドリーは驚愕した。 なんとか2時間待ってくれと懇願して、いやいや受け入れてもらう。 ただちにアンドリーはウィーンのエミール・ユッカ- (カラヤンの付き人) に電話を入れる、そこでカラヤンはウィーン・フィルとリハーサルをしているはずである。

『ヘルベルト・フォン・カラヤンといますぐに個人的にお話したい』
『不可能ですよ! いまブルックナーの7番のリハーサル真っ最中です』とユッカ-。
『今すぐ彼を呼んでこなければ、マイスタージンガーは全て終わりだ。 その責任はすべて君にあるぞ』

5分後にカラヤンは電話に出ていた。 アンドリーは状況を説明する。 もし今決めないと、ベームが録音をするだろうと。 完全な沈黙。

『そこにおられますか、マエストロ?』そして、ついに答えがきた。『やりましょう』

4. 録音プロデューサーはロナルド・キンロック・アンダーソンだった。 彼はカラヤンと前にやったことはない。 アンドリーの最初の案は、ジョン・カルショウだった。 カルショウは今や BBC にいたが、マエストロの音楽フィルムにはさほど関心がないということで降りてしまった。

5. アンダーソンは序曲を早めに録音したかった。 それでもって全オペラの録音レベルを決められるからだ。 しかし残りの全ての録音は順調なのに、カラヤンは序曲だけは待たせていた。

6. 最後のセッションが始まる。 あと残り時間は15分しかない。 共産圏東ドイツでは終わりの時間には厳しいのだ。 しかしカラヤンは動かない。 すっかりリラックスして指揮台に寄りかかり、ヴァイオリニストと談笑している。

アンダーソンはその頃にはやけっぱちになっていた。 意を決してマエストロの方に向かう。 その時だった、カラヤンは直ちに向きを変え、指揮台に体を振る、エンジニアたちが争ってテープのスイッチを入れる、彼はバトンを振り下ろし、オーケストラを解き放った …

こうして、どうやら無事に序曲は録音されるのですが、プロデューサーという仕事も楽じゃないですな。(笑)

以上

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