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【ぬまゆのブログ】原発と、津波の関係 (2011/08/11)
原子力発電所の周囲に住んでいらっしゃる方々、どうか、逃げてください。
日本政府の情報が・・どれだけ信憑性のないものか・・・ということを・・
今回の大震災で、わたくし達は、思い知らされました。
3月11日、わたくしは、ソファーにはまって、テレビ(録画した映画)を・・観ていました。
そこに、地震がきたのです。
テレビ画面が、自動的に切り替わり、そこには、宮城県の仙台平野を駆け上がる 津波 が映っていました。
ご存じのように、津波は、「 第2波・・だい3波・・・ 」と、勢力が強くなっていきます。
わたくしは、両脇に、犬を抱えたまま・・・ただ、ただ、その映像を見ていました。
地震のメカニズムを・・少し知っていたからです。
「いま、部屋をかたづけても、強い余震が続くんだよなぁ~・・・」と、
ほったらかしにしたまま・・・たまたま壁ぎわに置いていたソファーから、離れませんでした。
そんなことを考えていると・・・テレビの「緊急速報」は、
仙台空港に 津波 が押し寄せている状況を、映し出しました。
わたくしの頭の中に・・ふっと・・2001年の「アメリカで起きた同時多発テロ」が、浮かびました。
真っ青な・・雲一つない空にそびえる ツインタワー に、次々と、旅客機が突っ込んでいきました。
あの時、わたくしは、たまたまテレビをつけたために、初めは、「映画」だと思いました。
しかし・・それは、とんでもない・・とてつもない・・大惨事だったのです。
それと、まったく同じ感覚が・・・わたくしの中に・・ありました。
不自然なくらいに・・自然に・・仙台空港を見ていたのです。
これは、いわゆる「ショック状態」です。
人は、あまりにも、現実からかけ離れた「事実」に直面すると、脳が、自分を守ろうとして、
感覚を「麻痺」させることがあります。
事故の直後に・・・大ケガをしているにもかかわらず、それほど「痛み」を感じない・・・・・というのが、
その1例でしょう。
そのまま、辺りが薄暗くなってきました。 しかし、わたくしは、電気をつけることすら、忘れていました。
ここは、たまたま、ライフラインに損傷がなく、電気も水道も使えました。
その時、わたくしの夫は、原発から3.5キロにある学校に勤務していました。
当然、帰れないことは、わかっていました。
夜になって、リビングの電気をつけて・・・そのまま、ソファーで眠りました。
「何かを食べたい」・・などという欲求は・・・まったくありませんでした。
わんこ達も、エサにさえ近づかず・・ずっと、わたくしのそばにいました。
不思議と、わたくしも、わんこ達も・・・翌朝まで・・・おしっこにさえ行きませんでした。
夜明けとともに、目が覚めました。ようやく、ソファーから立ち上がり、電気を消し、
わんこ達に、ごはんを与え、また、ソファーに座りました。
やっぱり、食欲は・・出てきませんでした。
再び・・・テレビをつけると、東日本沿岸が・・メチャクチャになっている場面が・・・目に飛び込んで来ました。
もう・・声も出ませんでした。
ただ・・真っ白になった頭を抱えて・・数時間を過ごしました。
日付は、3月12日になっていて・・午前11時くらいに、夫が帰ってきました。
夫が・・帰って来られるかどうかは・・自宅へ向かう道筋 1つ だったのです。
南相馬市には、国道6号線があります。海から、数キロも離れた国道です。
ふだん、夫は、渋滞を避けて・・山ぎわのルートを使っていました。
しかし、なぜか、この時に限って・・津波に襲われている 国道6号線 を、あえて選んだのです。
もしも・・山ぎわのルートを選んでいたら、通行不可能な道路にさえぎられて、夫は、内陸の「二本松」に、
誘導されていったでしょう。
何が、どこが、運命を分けるのか・・・・平凡なわたくしには、推測さえできません。
あっ・・・
またまた、電話が鳴りました。
では・・・また、後ほど・・。
つづく・・・・