福島に点在するホットスポット・100マイクロを越す(2011/12)
「ホットスポット」が点在する福島市
http://9301.teacup.com/tokaiama/bbs/2962 リンク切れ
「ホットスポット」が点在する福島市
投稿者:名無しA 投稿日:2011年12月29日(木)17時03分21秒
「ホットスポット」が点在する福島市では、今も住民は放射能の不安と隣り合わせです。
放射線量が極端に高い「ホットスポット」が点在する福島市。
住民の要望をよそに、自治体による除染作業や被ばく検査は進んでいません。
福島第1原発事故から9カ月を越えた今も、子どもとその家族は放射能の不安と
隣り合わせです。
福島最前線からの報告です。
高い放射線量のホットスポットが点在する中で、今も生活を続ける福島市の子どもたち。
県庁からおよそ2kmの距離にある福島市渡利地区。
静かな住宅街に「異変」が起きていた。
住民の裏澤利夫さん(78)に、自宅前の側溝で放射線量を測定してもらった。
裏澤さんは「(今、いくつですか?)7.308マイクロシーベルト(μSv)
8.773マイクロシーベルトに上がりました」と話した。
そして、庭の一角でも計測した。
裏澤さんは「30マイクロシーベルトオーバーです。尋常じゃないですね」と話した。
そこに孫娘・友雪ちゃん(4)が来ると、裏澤さんは「あっ! 出てきちゃ駄目だって、
出てこないで、出てこないで」と、すぐに家の中へと戻した。
原発事故以降、裏澤さんは、被ばくのリスクが高いことから、
孫娘たちを表で遊ばせていない。
自由に外での運動や遊びができなくなって、すでに9カ月。
幼い心に強いストレスがかかっていた。
光雪ちゃん(10)は「外で遊べなくなったり、放射線の濃度が高くなったりすることが、
ちょっと怖い」と話した。
渡利地区を「避難勧奨地点」にしてほしいと望んでいる裏澤さん。
10月8日、渡利地区住民説明会が行われた。原子力災害現地対策本部の佐藤 暁室長は
「まずは、除染をさせていただきたい」と述べた。
そして、地元、福島市の担当者、福島市政策推進部・冨田 光部長は「国の方の基準になりますけれども、その基準から言えば、住み続けることが可能である」などと話した。
とはいえ、福島市内の除染は、中間貯蔵施設の準備ができていないため、一部の公共施設以外、手つかずのままになっている。
裏澤さんは「健康を、行政の方でなんで守ってくれないんだろうっていうふうなことを
つくづく思いますね。同じ人がここに住んでみたらどうですか?っていうことなんです。
子どもとか孫をですね、住まわせて」と話した。
取材班は、福島大学で行政政策を教える荒木田 岳准教授と、
渡利地区の通学路に向かった。
渡利小学校の通学路で、荒木田准教授が放射線量を測定した。
荒木田准教授は「こういうところですか? どうだろう? どれくらいあるのかなぁ。
僕らもう感覚がまひしちゃって」と話した。
そして、驚くべき数値を示す場所があった。
荒木田准教授は「異常に高いことは間違いないです」と話した。
放射線線量計は、実に100マイクロシーベルトを超した。
荒木田准教授は「見ての通り、誰でも近寄れる場所じゃないですか。こういうところ、
子どもがボール落としたりしますし」と話した。
荒木田准教授は2011年、この渡利地区に自宅を建てる予定だった。
荒木田准教授は「もう建ってるはずだったんですよ。
年内に入れればっていう意向だったんですけどね。見ての通りです」と話した。
原発から出た大量の放射性物質が、雨に流されるなどして濃縮され、
福島市内にホットスポットを生み出していた。
放射能問題が深刻さを増す一方で、官僚の発想で対策を進めようとする政府。
12月16日、野田首相は「原子炉が冷温停止状態に達し、発電所の事故そのものは、
収束に至ったと判断をされるとの確認を行いました」などと発表した。
これを許す地元自治体の責任も重いと、荒木田准教授は指摘する。
荒木田准教授は「全くこの事故に関しては、もう中央依存というか、中央が決めたまま、市の方針も県の方針も、それに従って出てくるっていうような状態。
これが非常に不幸だと、僕は思ってます。
住民を守る目線で、住民と一緒に今後、どういう打開策があり得るかっていうことを、
本当は考えていかなければいけないっていうふうに思うんですけどね。そういう転換を、早くやってほしい、そういうふうに思います」と話した。
渡利地区の裏澤さんは、被ばく対策で、孫娘たちに外出時は必ずマスクをつけさせている。
11月から少しでも被ばくを避けるために、夜は親戚の家に疎開するようになった。
裏澤さんは「本当にさみしいよりも悔しいですよね。
こういうふうな生活を強いられるっていうことは」と話した。
福島市では、まだ子どもの内部被ばく検査すら始まっていない。
放射線量の高い場所で、子どもたちが生活している現実。
その未来を本気で守ろうとしているのか。
国と地元自治体の姿勢が今、問われている。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00214182.html リンク切れ
*中央と地方は、いつも集権か分権かという対立軸で議論されてきました。
地方に関する意志決定をもっぱら中央政府が行い、
地方自治体と住民の自主的決定の範囲を狭めようとするものが集権であり
また、中央政府の仕事を中央政府の出先機関が行うというのが分離の考え方で、
中央政府と自治体が協同して行政課題に対応するのが融合の考え方です。
福島の現状は、中央の意のままに地方を動かす中央統制という状態のようです。
本気で子供達の未来を守ろうとしているとは、思えません。
放射線についてはα線以外は防護服ではほとんど防げません。
β線、γ線、中性子線をあびるとバンバン被曝します。
防護服は、呼吸器や口から放射能を取り込んで起こる
内部被曝を防ぐために着用します。
α線(アルファ線)=
透過力が弱く紙1枚で止めることが可能
外部被ばくを考慮する必要はない
内部被ばくでは強い障害を起こす
β線(ベータ線)=
数mmのアルミ板、1cm程度のアクリル板で遮へいできる
外部被ばくで障害を起こすことがある
内部被ばくでは障害を起こす
γ線(ガンマ線)=
透過力が強いため遮へいには鉛や鉄の厚い板が必要となる
一般のX線撮影用の鉛エプロンではほとんど遮へいすることが不可能
外部被ばくで障害を起こすことがある
内部被ばくでは障害を起こす
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/73f2a23e4895fdf5c22dbb086f36f161
東京駅 年間被ばく量57mSvに等しい線量検出。
これは、チェルノブイリ避難レベルの10倍(ENENews)
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/ff027d05477c435f097318816f0ea65b
NHK「チェルノブイリ原発事故その10年後」ネステレンコ教授パート書き起こし
驚くべきデータが語られる。 原子力物理学者ワシーリー・ネステレンコ教授
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/d02defe21817584175d2d224922ef7ce
(ネステレンコ)
チェルノブイリに隣接した地域から取れる作物は
今後数十年間汚染されたままでしょう。
ベラルーシには甲状腺ガンに侵された子どもが驚くほどたくさんいます。
事故から10年以上もの間、
放射線に汚染された食べ物を摂り続けているせいで、
住民の免疫力は著しく低下しています。
さまざまな感染症に対し、とても弱い状態になっているんです。
私はそれを核によるエイズと呼んでいます。
残念なことに多くの子どもたちの身体が
今も放射能にむしばまれています。
例えば事故現場から200キロ以上離れた村でも、
子どもたちのうち23パーセントが白内障にかかったり、
失明したりしています。
その村では84パーセント以上の子どもたちに不整脈が見られました。
まるで心筋梗塞の予備軍です。
というより、すでに多くの若者が心筋梗塞にかかっているような状況です。
およそ80パーセントの子どもが、胃炎や潰瘍を患っています。
特にひどいのは12歳から15歳の子どもたちです。
胃の粘膜が萎縮し、まるで70過ぎの老人のようになっています。
つまり放射線の影響を受けた子どもたちは、
命の炎を急速に燃やし尽くし、将来病気になることが確定しているんです。
海外の論文が示す津波の前の放射能放出-福島第一原発1号機
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/6899edf73358eebbedaf6e9ccb65d2bf
地震による配管破損は大飯3号ストレステストで考慮されていない
2011年11月14日 美浜の会
5月19日のブルムバーグ紙が、福島第一原発で津波がくる前に放射能が漏れていたと伝えたことはよく知られている。この古い情報が、ネイチャー誌10月27日号も紹介している新たな研究によってよみがえり、ストレステストの前に立ちはだかる。このことを以下に示そう。
2.海外の論文が示すキセノン133の津波前の放出
津波がくる前の15:00頃にキセノン133が福島第一原発1号機から放出されたという結論が、A.Stohl(ノルウェイ大気研究所(NINU))たちの10月20日発行の論文によって示されている。また、この内容は10月27日付ネイチャー・ニュースで紹介されている。
「福島第一原発からのキセノン133 とセシウム137 の大気中への放出」
Xenon-133 and caesium-137 releases into the atmosphere from the Fukushima Dai-ichi nuclear power plant
http://www.atmos-chem-phys-discuss.net/11/28319/2011/acpd-11-28319-2011.pdf
(ネイチャー・ニュース)http://www.nature.com/news/2011/111025/full/478435a.html
Stohl たち論文の要約では、次のように書かれている。
「最初のキセノン133の大量放出は非常に早い時刻、おそらく地震と緊急停止直後の3月11日6時(UTC:日本時間の15:00)に始まったという強力な証拠がある」。
また、結論でも次のように述べている。
「キセノン133の放出は早い時刻に、大地震によって引き起こされた炉の緊急自動停止の間か直後に起こったという強力な証拠がある。この早期の放出開始は、興味深いものであり、地震の間に原子炉に何らかの構造的損傷が起こったことを示唆しているかも知れない」。
この最後の点は、論文の「4.2.1 キセノン-133」において、およそ次のように指摘されている。
「3月11日の日本時間15:00の放出開始は、地震が起こった時刻と一致しており、炉の緊急停止の結果としての希ガス放出によるものであろう。その希ガス放出はこの頃におそらく地震による構造的損傷によって高められたものだろう。また、緊急炉心冷却系による冷水の注入やそれに伴う燃料被覆管への熱応力がこの放出に寄与しているかも知れない。このようにして、放射能が、1号炉の圧力解放弁(引用者注:ベント弁)が3月12日の9:15(日本時間)に開くより前にすでに放出されていた」。
結局、この論文の見方を解釈すれば、津波がくるより前に、地震と炉の緊急冷却によって燃料被覆管の破損が起こり、燃料棒内に蓄積されていた希ガスのキセノン133が外部に放出されたことになる。
キセノン133の放出状況の評価は次のグラフ(論文のFig.4)で示されている。最初に立ち上がっている(青色の)グラフが、世界各地のキセノン133測定結果から逆モデリング法(時間を逆に遡る方法)によって算出された(a posteriori)放出量である(左目盛)。
最初に立ち上がっている時刻が3月11日6:00(日本時間の15:00相当)になっている。もう一つの2番目に立ち上がっている(赤色の)グラフは、あらかじめ想定した(a priori)放出量である。最後の結論は最初の想定より放出開始時刻が9時間早まっている。
バックに見えている色分けは、放出される高さを示している。一番下が0-50m、真ん中が50-300m、一番上が300-1000m の高さの層を示している。ある時点で放出された放射能のうちどれだけの割合がどの層まで吹き上がったかを右目盛から読みとることができる。
この評価に用いられたキセノン133の測定データは、世界15カ所の814のデータで、そのうち13カ所がCTBT(包括的核実験禁止条約)関係である。日本のCTBT関係は高崎と沖縄にあり、そのうちキセノン133は高崎だけだが、結局データの信頼性の関係でそれは用いられていない。それゆえ、ハワイやストックホルムなど海外のデータだけがこの評価に用いられている。
3.放射能放出のルート
このようにして、最初のモニタリング・ポストMP3は15:00過ぎに放射能が放出された直接の証拠を、第二の論文はキセノン133が最初に15:00に1号機から放出されたという包括的な評価結果を提供している。しかし、東電や保安院はこの事実を無視しているのである。
もしこの事実を認めれば、現在進めているストレステストによって原発の運転再開を図るという路線が、もろくも崩れてしまうからに他ならない。なぜなら、この早期の放出は地震による配管の破損という深刻な結果に導くからである。