東京の空気、チェルノブイリ事故後の仏以上に汚染 ~甲状腺がん大量発生の予感~
http://franceneko.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-c31b.html より引用
2011年4月 4日 (月) フランスねこのNews Watching
先日の3月31日に東京で記者会見したフランスの原発専門家集団CRIIRADによるデータを読んでいて、福島原発事故が勃発した直後の東京での放射能汚染があまりにもひどいのに卒倒しそうになりました。
どれだけの人たちが、この後癌で苦しむことになるんだろう。
これから生まれてくる赤ちゃんは、動物たちは、どうなるんだろう。
私たち、このまま東京に住めるんだろうか。
と言う訳で、急きょ複数のフランス語の記事にあたって分析をまとめてみました。
どうぞ。
1. チェルノブイリ原発から2600キロの地点で甲状腺がんが大量発生
チェルノブイリ原発事故の直後に空中に排出された多量の放射性物質により、多くの甲状腺がん患者、奇形児、白血病の子どもたちが生む悲劇を経験したフランス南西部。この地域は、チェルノブイリから約2600キロの距離に位置する。
当時、フランス以外のヨーロッパ諸国は、即座に汚染された野菜や果物の摂取に注意を促す警告を発し、内部被ばく防止のためのヨウ素剤を国民に配布。
しかし当時のフランス放射線防護中央局(SCPRI)局長をつとめていたピエール・ペルラン教授が「フランス国内では放射性物質による健康への危険はない」と宣言、現状を放置。甲状腺がんを生む深刻な被害をもたらしたとみられている。ぺルラン教授は、国民に対し誤った情報を流し、深刻な健康被害をもたらした罪で、2002年以来パリ法廷に起訴されている(詳しくは、下記の記事参照)。
http://franceneko.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/41-cc0e.html
今日、「フランス甲状腺患者の会」は当時のぺルラン局長の対応を「農業従事者などに配慮したものだった」と解釈している。
2. 「チェルノブイリ後のフランス」と「福島原発事故の後の東京」を比較
フランスでも日本でも、公式に発表される放射性物質の計測値はヨウ素131とセシウム134と137に関するものがほとんどだ。しかし、放射性医学の専門家Dr.ジャック・ギエによれば、チェルノブイリ事故の直後、事故の現場から2600キロ離れたフランス南西部で検出されたこれらの放射性物質の空気中濃度は比較的低かった一方で、「ヨウ素132」とその仲間「テルル132」の高い放出量が記録されていた。
Dr.ギエは、フランス南西部でその後多く発生した甲状腺がんの被害は、これら2つの物質に起因する可能性が高いことを指摘している。
http://www.asso-malades-thyroide.org/detail_asc.php?id=1
もう一つ気になるのは、チェルノブイリとフランス南西部の距離だ。放射性ヨウ素は2600キロの距離を一気にかけぬけ、呼吸や野菜・果物への付着によって住民たちの体内に取り込まれていた(下で使われている「Bq(ベクレル)」とは、放射性物質から出される放射能の強さを示す単位)。
<チェルノブイリ事故の後のフランス南西部>(事故発生日:4月26日、データ計測日:5月1日~3日の一日平均)
http://www.criirad.org/actualites/dossier2011/japon/11-03-17-CPtokyo.pdf
セシウム137 0.3~0.9 Bq/M3
ヨウ素 131 0.6〜4.2 Bq/M3
<福島原発事故の直後の東京>(事故発生日:3月11日、データ計測日:3月15日~16日平均)
セシウム137 3.2 Bq/M3
ヨウ素 131 14.9 Bq/M3
<現在の東京>(データ計測日:3月31日~4月1日)
セシウム137 0.1~2 Bq/M3
ヨウ素 131 0.1~1 Bq/M3
(3月11日から4月1日までのデータはこちら)
http://www.criirad.org/actualites/dossier2011/japon/J3-Courbes.pdf
(データ:東京都立産業技術研究センター収集/CRIIRAD分析)
地震・津波の後に起きた事故の直後、東京に降り注いだ放射性物質濃度が、チェルノブイリ事故の後のフランスよりずっと高かったことが分かる。また、今もかなり高い濃度が続いている。
3月31日に記者会見を行ったフランス原発専門家集団CRIIRADによれば、3月12日以降、福島から100キロの距離にある仙台市、240キロの距離にある東京を含め、広範囲にわたる地域に多量の放射性物質が排出されていることが推測されている。特に、福島原発から20キロ・30キロの距離で自宅から出られないでいる人々、仙台市を始めとする近隣の住民は更に高い濃度の放射性物質にさらされている。
CRIIRADは、「ただちに東京を含む広範囲の住民にヨウ素剤の配布して内部被ばくを防ぐとともに、福島原発から30キロの範囲で自宅から動けないでいる住民達をただちに救出するよう、日本政府に対応を求める緊急声明を出し続けている。既に記者会見より3日以上が経過しているが、日本政府が対応する様子は見えない。
また、CRIIRADは声明の中で、放射性物質による汚染の経路を説明。日本政府に国民を守るための緊急対応を求めるとともに、国際機関に日本への緊急支援を要請している。
・髪や肌についた放射性物質が傷などを通して体内に取り込まれる(→傷に注意!)。
・空気中の放射性物質を呼吸(→息を吸う限りは防ぐ手立てなし)。
・野菜や水に付着した放射性物質の摂取(→野菜・果物・水の摂取に注意)。
<今日のまとめ>
東京~仙台を含む広い地域が、非常に高濃度の放射性物質に汚染され続けている可能性が高い。
これについて、日本政府は以下について緊急の対応を行うことが望まれる。
・毎日、空気中の放射性物質の濃度と風による動きを計測・予測、対策とともに国民に公表する。→これで、福島に近くても安全な地域、遠くても危険な地域が分かるようになる。
・東京を含む広い地域でのヨウ素剤の緊急配布。場合によっては退避・屋内退避。
・福島原発周辺の住民をプロの手で安全に救出。住民の汚染被害について医療機関で救急対応。
・ヨウ素132とテルル132を含む、より幅広い放射性物質の空中濃度を計測し・公表する。
・福島原発を止める(早く。。)。
多くの日本人が癌に苦しめられることになれば政府の負担も増加するし、支持も当然低下する。予防が一番。素早い対応で被害を食い止めてほしいです。
でも、今のところ何もなされていないところを見ると、今後も対応が無いことが(残念ながら)十分考えられます。その場合は。。今のところすぐに良い知恵が浮かばない。。アメリカだったら、すぐに地元の国会議員に電話するところだけど。日本でも電話しちゃっていいのかもしれない。緊急事態だし。癌で死ぬよりましだろう。
(引用終了)
<2011年3月東京から逃げる人でごった返していた!!>
子供にビニール袋を頭からかぶせて
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/2c74abdc4be2ba4fc3e5045d804b1376
2014-01-28
民基本台帳の統計から判明-東京圏から西に移動している!
”東京電力の社員もさっさと家族を避難させてる”
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/a0620902f8c8ef6753d4a4ac8973a248
2012-08-23
<保安院の信じられない言葉>
「日本が終わるということは,国民に説明する必要がない」
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/0b459fce3006f59b12ea0368bfc27095
2013-04-30
(福島事故)アメリカで、甲状腺の大量被爆を防ぐためのヨード剤が配布されていた!
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/c7e6d16d6f5b6ca433eb2367a49e15f4
2012-06-25
<日本政府が『配布を計画し、準備を開始していた』はずのヨード剤>
アマちゃんだ@tokaiama
日本政府がヨード剤配布計画」/ 続いてロイター電で「日本政府、ヨード剤配布準備進めるとIAEAに通告」
日本政府が「配布を計画し、準備を開始していた」はずのヨード剤が現地の人々に届かなかったのは途中で「ストップ」をかけたものがいるから
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2014/03/ost-d084.html#more…
2011.3.16 羽田→那覇JAL 14時以降が、急に満席に。
それから怒濤のように西への便が埋まった
Posted by coralocean at 2014年01月08日 02:45
2011.3.16~5.12まで沖縄本島へ避難
ただし、3.16と17は福岡に。
あの3.15は計画停電で電車の本数も少なく、信号さえ消灯の
箇所があり、危険と判断し外出はしませんでした。
残念ながら、自宅は木造2F建てです。
3.16までJALのHPでいつでも逃げられるよう、羽田→那覇を
チェックしていましたが、ずっと余裕で空席がありました。
当日13時までそうでした。羽田に14時40分頃着くとあと3便
あった那覇便は、全て満席。それから怒濤のように西への便
が埋まって行き、私はぎりぎり福岡便を確保。
15時過ぎには、高知の2便が残るのみでした。
大丈夫だと思ってHPで予約しなかったのは、失敗でした。
福岡便の8~9割方は、母親とその子供
と通常の搭乗では有り得ない客層でした。
他の便もそうだと思いますが、あの日2時間程で
急激に空席が埋まって行ったのは、
然るべきところには情報が流れたのでしょうかね?
それとも私のようにぎりぎりまで粘っていた人が、
それだけの数いたのでしょうか?