1876to1945さんのツイート(2013年10月01日~)を順に紹介します。23回目の紹介
【フクシマ見聞録】
親御さんで「チェルブイリと同じ症状がでている」という方がある
Akira Tsuboi@1876to1945さん 2013年10月27日~28日のツイートから
福島行-
玄関の外へ出ると、自分は並んでいる団体の人間とそれぞれ話していった。
日傘をだして、テーブルひとつ置いて形ばかりのブースを作っている。
男たちが有機野菜の野菜ジュースを売り、コーヒーを売っている。
たばこの危険性を訴えるテーブルで、フェアトレード関係のコーヒーー豆を売る。-
-大きな日傘の下、奥に大麻の色々な効能を実践してひろめる団体がいる。
おなじ日傘の下、たまねぎ、色々な芋、なす、測定した野菜を並べている夫婦。
乳酸菌の男性。ハッピーアイランドというNGOが、色々な小物を売っている。
自分はそれぞれの人間と話し(たばこをやめるよう言われた)-、
-野菜を並べている夫妻の元へ行った。自分が育ちは会津、喜多方だと伝えると、
その妻が同郷だと言い、話を聞いてゆくと同学年、喜多方の育ちの良い方の
こどもがゆくコースを辿ったことを聞いた。
夫婦の足元にシートが敷かれていたように思う。
その上に、じゃが芋、唐辛子、なすなどが転がされていた-
-名を思い出せないさまざまな芋(手のひらに収まるほどの大きさが多い)に、
感慨を覚えた。3.11後、国や、行政、医療、専門家、マスメディア、司法、
警察は動かなかった。動かない、なら自分たちでやる。
そうした市民による営みが、その銀河のほとりという場所に集まってあった。-
-新潟へこどもを送り、水を調達した話にわかるように、それまでおそらく
お互い接触のなかった市井人が急場に際して力を合わせてゆく。
それが、郡山の被曝に対する動き方の性格だった。
政治色を廃し、市井人の連携のなかでうごいてゆく。
その点で、郡山の運動は福島の運動と距離をおいている。-
-距離を置く、というとやわらかく聞こえるが、その方向性を
一貫させるなかでの人の動きは、熾烈なものがあった。
そのあたりは福島市での見聞のなかで書いた。
しかし、双方のやりとりに熾烈なものがあったことを知るにつけ、
双方が語る印象と個々の実態はまた異なったものであろうとおもっていた。-
-自分一人として、これまで聞いた印象とは別に話を聞きたかった。
郡山の活動は、こどもを日本各地に保養させ、移住させるネットワークを発達させている。
自分が絵について話をする機会に、東京でそうしたこどもの受け入れを
されている方が来たことも一再ならずあって、その広がりというもの--
-を実感するとともに、こどもを実際に被曝地から移動させ、
身を休ませることを実現していることは、動かせぬ事実としてある。
後年、この3.11後の被曝に市井人が動かぬ行政とは別に力を寄せ、
こどもを守ろうと受け入れたということは、やはり大きく語られる類のことと思う。-
-先日、自分の絵を展示してくださっていた三軒茶屋KENさんで、
京都で福島からの避難民を受け入れ、彼らにその体験、思うところを話させ、
ラジオに載せる活動をされている方が講演をされた。
彼も、このこどもを逃すネットワークと連携をとっていて、多くのことを話されていた。-
-先日、自分の絵を展示してくださっていた三軒茶屋KENさんで、
京都で福島からの避難民を受け入れ、彼らにその体験、思うところを話させ、
ラジオに載せる活動をされている方が講演をされた。
彼も、このこどもを逃すネットワークと連携をとっていて、多くのことを話されていた。-
-講演後の小さなパーティで、彼に聞いた。彼の話したことの背景に、
語りづらい要素して健康被害があるのか。ようするに健康被害があるのか、と聞いた。
親御さんで「チェルブイリと同じ症状がでている」という方があるのだという。
しかしそう言われても-
-チェルノ’自体の症状がわからないため、手をこまねくしかない。
自分は、福島からの避難、移住民に対して医療的なサポートはあるのか、と聞いた。
彼は、そう聞かれて、こども被災者被曝者支援法のことを語り、
「支援法をこころ待ちにしていた親御さんがすごく多かった。-
-「支援法のなかには、被曝医療をきちっとやってゆくことが
書かれてあったので。」と言った。
現実としてはその法律は、その理念とは別に実現されておらず、
これからの実現もほぼ危ぶまれている。
移住したひとびとは、福島県の調査からもれているだろう、
と自分が言うと、「もれています」-
-と言った。こどもを全国各地に逃してはいるが、医療からのサポートが今現在、
やはり欠けているのだった。-
※次回に続く
2016/10/31(月)22:00に投稿予定です。